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2011/07/27

原発をつくった私が、原発に反対する理由 菊地洋一

【送料無料】原発をつくった私が、原発に反対する理由
「原発をつくった私が、原発に反対する理由」
菊地洋一 2011/07 角川書店 単行本 199p
Vol.3 No.0372 ★★★★★

1)原発問題は、原発を推進して作ってしまった人間たちが解決したらいいだろう、と思ってきた。全くのドシロートが、いくらその危険性を感じ取ったとしても、どうしようもないではないか。担当者たちがキチンと責任を取ってくれ。

2)3.11における被害は甚大なものである。三陸や沿岸部の被害などに無縁の関東以南の人々が、「自分」の問題として原発事故の放射性物質についてケンケンガクガクやっているのなら、その問題は、その人たちに任せておこうと思っていた。

3)そもそも震災直後においては、抱える問題が多すぎた。まずは身近なことから解決しなければならなかった。周囲には、自分がやらなければ何事も進まないことが多すぎた。

4)図書館も壊滅したし、そのネットワークがすこしづつ復興して、3.11関連の図書が少しづつ入り始めた。写真集などが多かったが、現地以上の情報など必要なかったから、出来れば見ないようにしてきた。

5)3.11以降に出版された本も、緊急出版であって、情報が不十分だったり、以前の本が震災をきっかけとして再版されたものも多かった。

6)その中にあって、この「原発をつくった私が、原発に反対する理由」は、当ブログがようやく重い腰を上げた、震災後に書かれた本格的な脱原発・反原発の、強烈な一冊である。

7)自分で作っておいて、今さら反対するのかよ。最初から反対すればよかったではないか。儲けるだけ儲けておいて、事故が起きてから「反対」したって遅いじゃないか、そういう風に斜に構えた態度をとってしまいがちだった。もし本当にそういう人がいるのなら、その態度は今でも変わらない。

8)しかし、この本はちょっと違う。少なくとも、この人は「原発をつくった」人ではない。原発の設計者でもなければ、原発エリートでもない。あえていうなら、いつの間にか「原発建設の現場で仕事をしていた」というにすぎない。それは設計と現場の調整役をするコンサルタントという役目であったとしても、「私が原発をつくった」とするのは、ちょっと大げさな表現である。

9)その彼が、7年間の現場から離れ、時間の経過とともに反原発、脱原発の運動に身を投じた経緯は、この本を読み進めると、よくわかる。三陸の釜石出身ということで、どこか「森は海の恋人」畠山重篤とおなじ、東北の海の匂いさえする人物だ。

10)私が住む宮崎の串間では、地震の揺れすら感じられませんでした。大気中の放射性物質の量が増えることもなく、野菜や魚を東北方面に頼る必要もありません。そうなってくると、多くの人にとって、原発はすでに「他人事」なのです。p052「メルトダウンは津波が原因ではない」

11)著者がこの本を書いたのは6月現在までのことだったと思う。しかし、7月になって、牛肉の餌を媒介として、放射性物質による食物汚染は、全国に広がりつつある。決して九州・四国といえども、無縁ではない状況になりつつある。

12)マグニチュード9の巨大地震が福島原発を襲ったとき、原子炉建屋内いた作業員は、恐ろしい音を聞いたそうです。原発内すべての配管が信じられないほど大きく揺れ、お互いにものすごい音でぶつかり合う音だったといいます。圧力容器の本体は持ちこたえていると東電は言い続けていましたが、大量の配管の亀裂、破損部分から、水が漏れていたことは間違いありません。津波が来る前から、冷却機能は失われていたのです。p50「メルトダウンは津波が原因ではない」

13)非常に重要な告発である。この問題はあまりにも恐ろしいことなので、目を覆ってしまいたい気分が強かった。重要なポイントは、つまり「想定外」だった津波に原因を押し付けようとする立場もあるが、津波が来る前から、原発は地震そのもので冷却機能は失われ、それが原因で5時間後以降、メルトダウンを始めてしまったのだ、と著者が言う点である。

14)日本の原子力事業が始まったのは、1955年に遡るのですが、そもそも原子力発電の先進国はアメリカです。世界初の原子力発電は51年、アメリカで行われた実験です。これは200ワットの電球を4つつけただけだったそうです。071「日本の原発はこうして誕生した」

15)ふりかえってみれば、原発の歴史も意外と浅い。たとえば、スナイダーやギンズバーグがビートニク運動を始めた頃とそう変わるものではない。ほんのちょっと前のことだ。同じことがアメリカ国内で行われ、日本にも飛び火してきていた。

16)GEのエライ人が来るときは、近くのヘリポートに降りるのですが、それはもう大変なVIP扱いでした。ヘリコプターからゲストハウスまで、赤絨毯を敷いてお出迎えです。084p「6号機が完成した翌日、過労死した同僚」

17)原発開発推進派に立つ人々にもさまざまなレベルがある。孫請け、ひ孫請けなどの労働者と、ごくごく一握りの投資家などの間には、極端な開きがある。誰かが巨大な利権を握っていることは間違いない。まずは、ここが、危険が叫ばれていても、なかなか脱原発が進まない大きな原因だ。

18)1985年に原発の仕事から足を洗いました。原発のことを忘れたくて、退職金をはたいて横須賀に喫茶店を開きました。p105「私が原発から『逃げた』わけ」

19)この人はもともと強欲な推進派ではないが、日雇いなどの危険な労働を担う立場にあったわけではない。中間層、少なくとも一般的な原発肯定派であったことは間違いない。その人が1985年まで原発に関わっていた、というのだから、やはり「鈍感」であったということはできる。しかしまた、彼がこういう立場であったからこそ、今、私たちはこの原発現場の「インサイダー」情報を聞けることになるのだ。

20)私はマンションを売り払って、埼玉県の「新しき村」というところで1年ほど暮らしました。1918年に作家の武者小路実篤が自らの理想をかかげてつくった小さな農村です。まずは脱都会をして田舎暮らしになれ、それから旅に出ようと心に決めました。p117「51歳の誕生日から『反原発の旅』へ」

21)この人、理科系の人ではあるが、もともと文科系にも素養があるバランスの取れていた人物だったのだろう。1992年のことである。

22)「原発」というのは「原子炉」だけではないということです。もしも「原子炉」が地震でひくり返らなかったとしても、私が心配していた周囲の配管、とくに再循環系パイプなどの重要配管が、地震で破断しない保障はまったくない。そもそも地震などなくても、亀裂が実際に生じている場所です。p130「冷却機能は簡単に失われる」

23)このような「証言」や「告発」は、推進派においては、まったく無視されてきた。今回の事故を受けて、それでも彼らは、人類の未来をどドブにすててしまおう、というのだろうか。

24)4月7日の余震では、女川、東通原発が自動停止し、非常用電源が使われました。女川の震度は5、東通は震度4です。その程度の震度で、女川は外部電源3系統のうち2系統が喪失、東通1号機は外部電源が喪失。かなり危険な状況に追い込まれているのです。原子炉が壊れたり、ヒビが入ったりしなかったとしても、冷却系統が壊れたら、原子炉の冷却はできません。冷却には長い長い時間がかかるのです。p131「冷却機能は簡単に失われる」

25)実際に、沿岸部だけではなく、内陸部においても3月11日の本震よりも、4月7日の余震のほうが地震の被害が大きかったように思う。一度ゆるんでいたところを、さらに揺さぶられた、という相乗効果があったのだろう。

26)大規模地震にともなって津波が来襲することは想定すべきで、その対策はもちろん大切なことでしょう。しかしながら、「津波さえ防げればだいじょうぶ」に話をすり替えてしまうことには、呆れるほかありません。p152「管首相の『浜岡中止要請」への疑問」

27)浜松原発に強い危機感を持っている著者である。いままで3.11の力学は、地震→津波→原発事故、という図式で考えていた。しかし、実際は、ここでは津波を除外して、地震→原発事故、という図式が成立していたことを、あらためて認識した。

28)CO2を出さないから地球温暖化を抑制するというのも大ウソで、原発は発生する熱量の3分の2を捨てています。温排水というかたちで海にじゃぶじゃぶ流しているのです。それは大きな川に匹敵するくらいの量です。実は原発は地球を暖めているのです。p179「持っていく場所のない『使用済み核燃料』」

29)この辺の数量的な事実関係は、別途、検証していかなければならない。しかし、先年、「不都合な真実」「私たちの選択  温暖化を解決するための18章」などでノーベル平和賞を受賞したアル・ゴアなどのバックには巨大な原発マネーがついていることを、敏感に感じ取らなければならない。

30)喉元過ぎたら熱さを忘れてほしくない。(中略)放射線の被害というのは、未来の子供たちを殺すことだからです。p196「増大する原発の海外輸出」

31)この本には他に、ボランティアのことやら、原発を受け入れた過疎の町が、実際は活性化なんてしていないことなど、身につまされることが縷々述べられている。このような本を読むのはちょっとつらいが、これが今、私が住む地球の、日本における、2011年という現実である。

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