うおッチング 南三陸の浜をゆく 結城登美雄・他
「うおッチング」 南三陸の浜をゆく
白土 典子 (著), 結城 登美雄 (著), 高崎 みつる (著), 「石巻かほく」取材班 (著) 2001/08 河北新報総合サービス 単行本: 263p
Vol.3 No.0361 ★★★★☆
1)結城登美雄追っかけの中で、この本を知った。彼の活動量に比べたら、出版されている書籍は少ない。東北、しかもその中でも特に太平洋沿岸部の「南三陸の浜をゆく」ことになったのは、この本が地元の新聞「石巻かほく」(河北新報の姉妹紙)の連載企画が元になっているからだ。
2)掲載されたのは1998/08~2000/4の期間。大型企画「うおッチング」の名前もなかなかいい。
3)いまでは、皮肉にも東日本大震災で、全国レベルのネームバリューを持つに至った「南三陸」だが、 志津川町と歌津町の2町が合併し、南三陸町となったのは、2005年10月のことで、ごくごく最近のことである。この本の取材が進んでいた当時は、まだまだ、一般的には「南三陸」という言葉は知られていなかった。
4)この本を読む限り、浜は「豊か」だ。それは山間の過疎地にしがみついて農業を営む農家に比べれば、南三陸の前浜を大事にするだけでも、それなりの収穫がある、ということを意味している。後継者の問題も、農家のそれと比較すれば、大きな問題とはなっていなかった。
5)しかし、今回の大震災で、この本で取材されている地方のほとんどに大きな影響がでていることは間違いない。逆に言えば、今ようやく「南三陸」という地元性に目覚めている私などにとっては、これだけのものが、決定的に失われてしまったのだ、という喪失感の方が大きい。
6)酔っぱらった時など、私は「今度生まれる時は漁師になりたい」というらしい。自分でも自覚があるのだが、この話を始めると、家族が「また始まった」と言うので、いままで何度も話しているらしい。
7)だが、ミミズが怖くて釣りなどもほとんどしたこともなく、海水浴だって年に一度行くかどうかのカナヅチで、船釣りだって、ほんの数回しただけだ。我ながら、よく言うよ、と思う。一方、食卓の魚は大好きだ。南三陸の民宿などに泊まって、何と言ってもあの豪華なご馳走には、圧倒される。
8)今回思い出したことがある。1972年、高校を卒業して、わずかばかりのアルバイトをして、ヒッチハイクで日本一周したことがある。あの80日間の初日は、南三陸町の漁師の家に泊めてもらったのだった。
9)中型のトラックで、気のいい小父さんがヒッチハイクで拾ってくれて、そのまま自分の家に泊めてくれた。魚の流通もしていた人だった。魚市場の近くに家があり、朝早く目を覚まして、あの市場まで散歩したことを、今でも覚えている。
10)この豊かな南三陸は、今回の震災で、どうなってしまったのだろう。その状況すら十分把握できないでいる。これから、どうなるのだろう。
11)継続した「うおッチング」が必要とされる。
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