哀史三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ 山下文男
「哀史 三陸大津波」 歴史の教訓に学ぶ
山下文男 2011/06 河出書房新社 単行本 247p
Vol.3 No.0366 ★★★★★
1)著者は1924年生まれ(現在86歳)。元の本は1982年に出版され、普及本は1990年に発行されている。今回の3.11大震災を受けて、緊急再版になった。
2)過ぐる3月11日(2011年)の東日本大津波は、死者2万人以上という過去の三陸津波史の中でも最大級の巨大津波であったことを示している。呼吸器関係の病気のため私も岩手県立高田病院に入院中に被災し、「九死に一生」をえたものの、津波の波による打ち身傷害のため、胸部、とりわけ皮膚の激痛のため盛岡に転院したままになっている。p2「はじめに」2011.4.30
3)今回の3.11の被害は甚大である。三陸地方のリアス式海岸の要所要所に散在する漁港、漁村だけではなく、青森八戸あたりから、岩手、宮城、福島、茨城、千葉、あるいはそれ以上の南の地域まで大きな被害を及ぼした。地震だけでも甚大であるが、それに輪をかけた目を覆ってもなお覆い切れない津波の被害があった。
4)日本列島としては、1000年に一度の巨大地震であり、それに伴う巨大津波であると言われる。だけど、それは突如として現われたものではなかった。紐解けば、その「歴史は繰り返され」て来たのだった。
5)三陸沿岸は津波の常習地として日本一はおろか世界一である。にもかかわらず度重なる被害を防止しえなかったのは文明人の恥辱である。したがって抜本的復興と対策を考えるべきである。p219「昭和8年の大津波」
6)本書においては三陸地方の沿岸部にある漁港や漁村を中心に記録されているが、今回3.11においては、さらに広域にわたって津波の被害を受けている。本書においては、復興策として、高所避難を強く主張しているが、実際には、避難すべき高所がないような平地の沿岸部も多く被災してしまっている。
7)津波を運ぶこの三陸の海は魔物のように恐ろしいが、その恵みもまたたぐいなく豊かである。この海を棄てて他所へ行けない以上、流されては建て、建てては流されてきた津波とのイタチごっこにこそなんとかして終止符を打たねばならない。p218
8)この本は貴重である。すくなくとも、心ある人たちは、このように警鐘を鳴らし続けてきたのだ。沿岸部でもなく、ましてや東北から離れて暮らす人々にとっては、三陸津波など、遠くの問題でしかなかった。いやいや、1960年のチリ地震津波でさえ、次第に風化し、「科学技術」盲信の21世紀においては、すっかり過去のものになりつつあった。
9)南三陸町の中学校の校長をしている知人は、小学2年生の時にチリ地震津波を経験している。ぶしつけとは思いつつ、当時と今回の比較を聞いてみた。少なくとも、津波の高さは5倍。5mと25mの違いある。しかし、それは高さに限らず、横、長さ、も5倍だから、5X5X5で125倍の大きさであっただろう、と彼は表現する。
10)今回は、この「哀史」以上の記録が残されることであろう。残念なことではあるが、これが現実である。後世のためにも、おおいに語り継がれる必要がある。それとともに、このような隠れた貴重な人物や資料をあらためて学びなおし、万人共通の意識に叩き込まなくてはならない。
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