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2011/07/02

水晶の森に立つ樹について 宗教性の恢復 山尾三省/立松和平

【送料無料】水晶の森に立つ樹について
「水晶の森に立つ樹について」 宗教性の恢復
山尾三省/立松和平 2001/05 文芸社 単行本 240p
Vol.3 No.0340 ★★★★☆

1)「瑠璃の森に棲む鳥について」に続く対談集の2冊目。1冊目が屋久島で、2冊目は東京で行われた対談をまとめたもの。質的に一個の対談と考え、一連なりのものとして読むことができる。

2)「瑠璃の森」が屋久島で、「水晶の森」が東京、と読めないこともないが、ちょっと美化しすぎ。「棲む鳥」と「立つ樹」も、表現としては面白いが、必ずしも、現地に即した表現とは言い難い。

3)この本も荒川じんぺいが装丁を担当しており、田中一村の絵がデザイン処理されているが、立松側から見ればどうなのか定かではないが、今回の三省追っかけ読書の中からみると、必ずしもベストな表紙ではない。

4)立松 ・・・言葉を使う人間というのは、ぼくは米を作る人間に劣っているとは思わない。「ブッダのことば」のバーラドヴァージャじゃないけれども、心田を耕すというか、見える米はできないかもしれないけれども、貴重な仕事だと思うんです。p30

5)際限なく宗教性を語り、際限なく宗教性に降りていこうとする二人ではあるが、言葉を語っている間は、ついにはたどりつけないポイントというものがある。とくに、個人的には、まだ立松のものをまったく読んでいない段階での判断だが、どうも言葉が上滑りすると思う。

6)片や詩人であり、片や作家であり、言葉の使い手達であることに変わりはないが、なぜにそこまで言葉にこだわるか、という疑問も湧く。

7)若くして、インドを旅し、日本山妙法寺などに世話になったという二人ではあり、(そして私にもその経験があるが)、なかなか個性豊かなぶつかり合いで、丁々発止のやりとりはなかなかのものだ。

8)しかし、三省追っかけの中で感じる「カウンターパンチ」あるいは「反逆性」が、立松においてはかなり薄まっている。体制容認、伝統社会の迎合、とさえ感じてしまう時がある。語られている内容はともかくとして、ではなぜにそのことをこの人から聞かなければならないのか、というところが分からなくなる。

9)立松は、知床になにかの御堂をつくり、15年ほど通っているようだが、対応として考えてみれば、屋久島の三省と、好対照となり得るかもしれない。しかし、その「俗」性は、三省の「聖」性と、うまく対比されているとは言い難い。

10)この二冊の対談集、読み出しは面白いし、中ごろまでは一気に読むのだが、後半は飛ばし読みになる。コンテナ、コンテンツまでは語られているが、コンシャスネスにおいては、言葉を超えた言葉としては十分表現されていないようだ。

11)仏教用語や人脈が多く語られ過ぎ、シンボルにエネルギーを取られてしまうため、その意味のエネルギーが低下している。

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