観音経の森を歩く 山尾三省
「観音経の森を歩く」
山尾三省 2005/08 野草社/新泉社 単行本 237p
Vol.3 No.0343 ★★★★★
1)月刊「KARNA」に1999/02~2001/4に掲載された記事が一冊にまとめられたもの。2001年8月に亡くなった三省にとってみれば、絶筆とまではいかないまでも、最晩年のシリーズということになる。
2)観音経は法華経の中にあり、当然、この本は「法華経の森を歩く」(1999/04)の続編という位置にある。
3)観世音菩薩の性質は、こう在りたい、ああ在りたいという私たちのポジティブな願いをかなえてくれる菩薩よりは、私たちが苦難に陥った時にこそ救いの手を差しのべてくれる菩薩であることが、よく分かる。p63「抜苦」
4)晩年にガンという病を得た三省であったが、まさにこの本に書かれた期間がその時期だったはずなので、最初は、この分はそれを踏まえて(それを隠して)書かれているのかと思っていたが、そうではなかった。
5)この本の終盤部に至った207p「マリア観音---与えられた二つの実証」において、三省自身に下される「ガン告知」が語られる。通常人であれば、それを常に書き留め、ましてや月刊誌に投稿するということはなかなかできるものではないが、われらが詩人は、自らの肉体や精神を、正直に素直に書きとめつづけることにいささかのケレンミもない。
6)チベット密教の根源仏のひとつが観世音菩薩であり、オン・マニ・パドメ・フーンという真言がチベットにおいて最もポピュラーな観音讃仰の言葉であることは、最近はずいぶん日本でも知られてきたが、チベットでなぜそうなったかといえば、この仏格の根本の働きが、「抜苦与楽」、という悲願の一事にあるからにほかならないと、私は推測する。p95「普門示現」
7)本書においては、多く観音経の経文が引用され、また、三省独覚の理解が述べられる。ロングヘアーから再定住者へ、そして2001年に亡くなっていく存在であってみれば、その最後の姿は、一人の修行者、一人のまったき人間の、問いかけ、問い詰めた、最後の述懐に近い濃縮された宗教観が語られる。
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