春夏秋冬 いのちを語る 山尾 三省
「春夏秋冬 いのちを語る」
山尾 三省 (著), 堂園 晴彦 (編集) 2008/7 南方新社 単行本(ソフトカバー): 162p
Vol.3 No.0344 ★★★☆☆
1)語られたのは春(1999/04)、夏(1999/07)、秋(1999/10)、冬(2000/01)だが、出版されたのは2008年になってから。
2)鹿児島にある堂園メディカルハウスというホスピスケアの施設内における4回シリーズの講演の収録となっている。聞き手の堂園医師は若い時に、寺山修司の天井桟敷に在籍して薫陶を受けたということである。
3)すでに胃が重かった三省であろうが、ガン告知前であった。しかし、最後の三カ月前までは、堂園医師が主治医であったということだから、まさに最期の三省の雰囲気を味わうには、この本をおいてない、というほど貴重な一冊であろう。
4)ここには、ロングヘアーとか再定住とか、あるいは、屋久杉や原発などの単語は登場せず、ひたすら「死」と向き合う三省や周囲の人々の息遣いが聞こえる。
5)その実体があるから、今まで薬師という一つの如来が、わたしたちに病を癒してくれる仏陀として伝えられてきたと思うんです。如来というのは「如し」と「来る」、「来ている如し」、そういうものなんですね。もとの言葉はインドの「タターガタ」というもので、「タター」は「ここに」、「ガタ―」は「来る」という意味なんですよ。p15「春 1999年4月」
6)わたし達の特徴は「意識を持っている」ということなんですよね。この意識が、死を恐怖しているわけですね。その意識の源は水素にある、逆にいえば、水素が意識を持っていたに違いないんですね。水素は意識の源ということになる。と、生命と非生命、生物と非生物の境目は融けていくんですよね。だって生命からしか生命は生まれないんですけれども、生命の源は非生物だったからです。非生物からしか生命は生まれてこなかった。そうすると、生命と非生命の境目は必ず融けてくるんですね。p58「夏 1999年7月」
7)水という非生命体から生命体が生み出されてきた、何かの作用によって。今、その原因を必死になって生命科学者たちが探って、9分9厘までわかってきたみたいですけれど、最期の1厘がわからない。けれど水と太陽の光から生命が生まれてきた、というのは確かです。p90「秋 1999年10月」
8)最終的な癒しは大地、天地からくると思います。そこ以外に、われわれ全生物は行く場所はないんですよね。天地から最終的な癒しがくるし、最終的な滅亡もおそらく天地からくるんでしょう。p156「冬 2000年1月」
9)最近になっても、こういう形で三省本が出版されるということは、いかに多くの人々に三省が愛されていたか、という証左であろう。ひとりひとりの三省像があり、その総体がまた三省という人物、ということになるだろう。
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