日月燈明如来の贈りもの 仏教再生のために 山尾三省
「日月燈明如来の贈りもの」 仏教再生のために
山尾三省 2001/11 水書坊 単行本 205p
Vol.3 No.0347★★★★☆
1)「日月燈明如来の贈りもの--仏教再生のために--」と題して癌を病む私の最後となるやもしれぬ本書を、上梓することになった。p1「まえがき」
2)と、巻頭に三省自身が記したのは2001年8月7日である。屋久島で亡くなるちょうど3週間前のことであった。
3)本の出来方としては、『法華経の森を歩く』(1998)、『観音経の森を歩く』(2005)につづく、仏教経典シリーズの深化のはずだった。本書の当初においては、その意欲が見えるのであるが、本書も3分の2ほど進んだ(123p)あたりで、告知がでてくる。
4)11月上旬のある日、どうにも胃が重いので島の診療所で胃カメラを飲んだところ、すでに5センチ以上に肥大しているガンが見つかった。
即、手術の要ありというので翌日鹿児島市へ飛び、友人でもある総合医学の立場に立つ堂園氏に精密検査をしてもらうと、ガンはすでに大動脈周囲のリンパ節にまで進行移転していて、手術は極めて困難であるとのこと。p123「ガンという贈りもの」
5)堂園氏とは「春夏秋冬 いのちを語る」(2008)を編集し、本文の中で対談を務めている堂園晴彦医師のことである。
6)あとがきの「森を照らす日月燈明如来---山尾三省氏追悼」は、 『瑠璃の森に棲む鳥について』(2001)、 『水晶の森に立つ樹について』(2001)で、三省との二冊の対談集を出している立松和平である。
7)子供達がすべて眠りについてしまい、成人した息子も自分の家に帰ってしまうと、妻とぼくは二人きりになり、一日の最後の治療に取りかかった。
眉間にしわを寄せて苦しみ暮らすのも一日暮らしなら、その包囲網をちょっとだけ打ち破って暮らすのもまた一日暮らしの特徴である。もうこだわることは何も残されてはいないのだから。p197「一日暮らし」
8)この本では、この部分が絶筆となっている。この時点ではすでに「死の床に横たわり、奥さんに口述筆記してもらい、書き留められた原稿を重い手を動かして推敲した」(中松和平p200)という状況であったであろう。
9)私自身も死のベッドに横たわったこともあるし、周囲の者たちをすでに何人か送ってやった。死はいずれの人間にも皆平等に訪れるものではあるとは言え、その厳粛さには、ひとつひとつ頭を垂れて、受け入れていくしかない。
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