東北を歩く 増補新版 小さな村の希望を旅する 結城登美雄
「東北を歩く」増補新版 小さな村の希望を旅する
結城登美雄 2011/07 新宿書房 単行本 331p
Vol.3 No.0363 ★★★★★
1) 結城登美雄関連リスト
「山に暮らす海に生きる」 東北むら紀行 1998/10 無明舎出版
「うおッチング」 南三陸の浜をゆく 共著 2001/08 河北新報総合サービス
「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する 2008/07 新宿書房
「地元学からの出発」 2009/11 この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける 農山漁村文化協会
「東北を歩く」<増補新版> 小さな村の希望を旅する 2011/07 新宿書房
2)平成23(2011)年3月11日、東北の太平洋沿岸地気を巨大な津波が襲いかかった。岩手三陸から宮城、福島の海辺の町や村は、一瞬にしてそのすべてを失った。死者・行方不明者合わせておよそ2万5銭人。かけがえのない家族と大切な友人、そして多くの隣人の命が奪われた。
とりわけ行くえ不明者の数は1万人近くにものぼり、2カ月たった今も生き残った人々に喪失の悲しみと、消えることのない苦しみを与え続けている。加えて昨日まで確かにここにあったわが家、そして商店、学校、病院、事務所が、根こそぎ津波に流された。漁船、漁具、冷凍倉庫、加工場、車両など形あるものはすべて傷つき壊れた。
さらに2万ヘクタールを超す田畑が塩水とヘドロにおおわれ、たくさんの家畜が死んだ。どこまでも続く膨大なガレキの山々が、「壊滅的」という言葉がメタファーではなくこの世の現実であることを突きつけている。
加えて福島の原発事故、放射能汚染のひろがり。復興へのすべての努力を無にしてしまいかねない原発事故の罪深さ。人類史の最悪をすべて凝縮したかのような被災地の惨状。はたして人々は再びここから立ち上がっていけるのだろうか。p326「もう一度、東北各地をたずね歩きたい」
3)つらい。直視できない。当ブログも、このテーマにおいて、もっともっと直視し凝視しなければならないテーマであるはずなのに、ひたすら逃げている感じがある。ようやく、結城登美雄という人を思い出し、この人の視点からなら、もう一度見直すことも可能かもしれない、と思うようになった。
4)本書は2008/07に出た「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する、の<増補新版>である。この手の本が、わずか3年を経ずして新版がでるということは珍しい。それだけ支持されている本であり、また、今こそ読まれなければならない、貴重な一冊である、ということの証左であろう。
5)緊急に出版されたものであろう。どこをどう増補されたのかは、今はあえて問わない。だけれども、一読書子としては、最後の「増補新版にあたって」の6ページ分が極めて重い。2011年5月15日、というわずか震災後二ヶ月の段階で書かれた文章は、「もう一度、東北各地を歩きたいと思う」と、締められている。
6)私には、この<増補新版>を手にとって、この文章、この結句を読ませていただけで、この本は、それだけで十分な、十分以上の価値がある。
7)大震災から一カ月が過ぎたある日、思いきって三陸沿岸の被災地を訪ねた。陸前高田市、旧唐桑町、気仙沼市、女川町、石巻市、仙台市沿岸地区・・・・。p329
8)この「思いきって」という感覚がよくわかる。当時内陸部においても、まだまだ復興が進んでおらず、ライフラインもぶった切られたままだった。情報も安定せず、余震もまだまだ頻繁に続いていた。しかし、それにしても、沿岸部のそれを、直視しにいくことは、特に、そこを愛してきた著者のような心の持ち主ならば、「思いきって」腰を上げなければ、沿岸部には行けなかっただろう。
9)当ブログも、及ばずながら、すこしづつ「思いきって」踏み入って行かなければならないテーマを直視し始めている。
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