森の家から 山尾三省・詩集
「 森の家から」 永劫(アミターユス)讃歌
山尾 三省 (著) 1995/07 草光舎 単行本: 198p
Vol.3 No.0356★★★★★
1)三省の詩集の中では、もっとも身近で、親和力を感じる。
2)この詩集で、三省追っかけがほぼ終わる。そのような全体が見えた、という安心感からくるのだろうか。それとも、1938年生まれの三省1995年と言えば、57歳。ちょうど、今の私と同じ年齢だ。そのような年回りから、何かの安堵感があるのだろうか。
3)詩というものは、その時その場においてつかまえなければ永久に逃げ去るものであり、それといって、つかまえようと意識していてもつかまえ得るものではない。佛ということや神ということと同様に、詩もつねに世界に満ちているのだが、それに出遭うことは必ずしも容易なことではないし、出遭ったとしてもそれをつかまえて言葉に定着させることは、さら容易なことではない。
この4年間に、どれだけ多くの詩が出遭われながら定着されることなく、永久に失われてしまったかを思うと、詩を業とも行ともする者として慙愧の念がわき立つ。p193「あとがき」
4)この詩集もまた「南無浄瑠璃光薬師如来」の「祈り」から始まる。この詩はいくつかのバージョンがあり、すこしづつ変化(成長)していったようだが、いずれにせよ、三省の最高級の詩のひとつであることに間違いはない。
5)「祈り」
南無浄瑠璃光
海の薬師如来
われらの 病んだ身心を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ p9「序--森の家から」
6)「森の家」と題する連作もすばらしい。まさに当ブログカテゴリ「森の生活」に親和する。
7)「森の家 その1」
しんしんと晴れわたった 五月の空の下に山々はあり
わたし達の小さなあばら家があり
その家を
嬰児(あかちゃん)がいるゆえに 美しく 森の家と呼ぶ p82
8)子だくさんの三省にしてみれば、50代半ばにしてまだ赤ちゃんと棲む生活があった。私は街にあり、子どもたちはとうの昔に巣立ち、孫の成長をメールで送られてくる動画でいとおしむ程度のことだが、やはり、その暮らしを「嬰児(あかちゃん)がいるゆえに 美しく 森の家と呼」んでみたい。
9)翻訳ものや再版もの絶版ものを除いて、ほぼ三省おっかけが終了した現在、この辺でソーカツしておくのも悪くはないのだが、いままで、一冊一冊にコメントしてきたので、ランダムな読み方であったとしても、あえてソーカツしないでおこう。
10)そして、最後に読んだこの本が、結局は、現在の私に一番親和力があった、と、そういうことをメモしておく。
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