法華経の森を歩く 山尾三省
「法華経の森を歩く」
山尾三省 1999/04 水書坊 単行本 285p
Vol.3 No.0342 ★★★★★
1)本がでたのが、1999年4月で、麻原集団事件についても書かれているから、1995年以降ということになるが、その中の二年間の間に「ナーム」という月刊誌に連載されたものが、連載終了後に一冊にまとめられた。順当に考えれば96~98年の間のいずれかの期間に書かれた、ということになるだろう。
2)月刊「ナーム」は水書房というところからでている。
3)私たちの時代は、地上の全生物を十度全滅させても余るほどの核兵器を所有している時代であり、同様の邪悪なプルトニウムを日々刻々と算出しつづけている幾百機の原発におって、電気という火を入手している時代である。
一見して火宅の喩えとは逆に、無心に遊んでいる私達子供である庶民が、この火は危険だ、この火は私達の家である地球を滅ぼす、と声をあげても、国家およぶ一部の科学者や経営者である長者達は、よく管理してあるから大丈夫だと強言しつづけるのみだ。
小指の先ほその量で10万人が死に、しかもその毒性の半減期が2万年というプルトニウムが、原発を通して日本のみならず世界のあちこちで日々に排出蓄積されている事実こそが、現代の最大の火宅性である。
けれどもこの火宅性も、もとをただせば私達自身にその原因がある。私達の社会が原発を持ったのは、それを意図した巨大な悪人が存在したからではなく、私達一人一人の言うに言われぬ微細な無明の集積として、その結果としてあのようなものが構築、システム化されてしまったのである。
それゆえに逆に、原発及び核兵器という私達の時代の最大の火宅性は、私達一人一人がその無明に気づき、無明を乗り越えてゆくことを通して消滅させてゆくことができる。p44「この三界の火宅において」
4)三省、しかも法華経、とくれば、これは日本山妙法寺であり、藤井日達上人の話がでてくることを期待せざるを得ないのであるが、この本においては、そのあたりをグッと抑えて、ひたすら経典としての法華経読みが続く。
5)法華経については、他にもいくつか読んだが、これだけ三省から法華経をたたきこまれると、やたらとリアリティがあり、説得力があるので、こちらとしても「逃げ場」を失い、ひたすら、いまある自分の中に、どれだけの真実味があるのかを、再確認せざるを得なくなる。
6)細かい字句や経典の出典をメモするほどではないが、ここにおいて、当ブログが長いこと追っかけてきた「アガルタ」や「やってくる人々」などは、一気に「アガータ」=「タターガタ」、「やってくる人々」=「如来」と、ほとんど短絡的に同義と決めつけてしまいたくなるほどの、つよいエネルギーを感じる。多分、これはこれでいいのだろう。
7)自我ではなく自覚(ブッディ)、流行ではなく法(ダルマ)、群衆ではなく共同性(サンガ)。
仏(ブッダ)・法(ダルマ)・僧(サンガ)の三宝を尊ぶということが、天人常充満ということの内実であり、この世紀末の劫火を乗り越えてゆくうえでも、欠かすことのできない視野であると考えるのである。p200「法華経の森を歩く」
8)私の個人的な法華経観は「湧き出ずるロータス・スートラ」に断片的にメモしておいた。もちろん、それで足るということではなくて、それを生きていかなければならない。しかしながら、基本的な姿勢は変わらない。
9)仏滅後五五百年の、2500年後、つまり、21世紀の今日こそが、ブッタの法輪が一サイクルする時代であり、新たなるいのちがその法輪に吹き込まれなくてはならない。
10)この「法華経の森を歩く」は、タイトルからしても「観音経の森を歩く」(2005)と対をなす部分もあるだろう。あるいは、「日月燈明如来の贈りもの ― 仏教再生のために」(2001)も続けて読み込む必要があるだろう。
11)南無妙法蓮華経は、日蓮聖人があったればこそのマントラであり、また、個人的には、日本山妙法寺の藤井日達上人があったればこその仏縁である。そしてまた、山尾三省が法華経を語る場にあってこそ、この時の意味なのであろう。
12)私達の生死のありようは、場という事実を離れてはありえない。私達は、家庭という場に在り、職場という場にあり、地域という場、いましばらくは国家という場、この惑星という場、銀河系という場に到るまでの大小のすべての場の内に在ることを宿命としているのであり、場とはすなわち私達自身のありようそのものですらある。p242「ひとつの終り」
13)南無妙法蓮華経 合掌
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