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2011/07/15

東北を歩く 小さな村の希望を旅する 結城登美雄

【送料無料】東北を歩く
「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する
結城登美雄 200807 新宿書房 単行本 324p
Vol.3 No.0359 ★★★★★

1)位置的には、「山に暮らす海に生きる 東北むら紀行」(1998/10)の続編ということになる。収められているのは、1999/06~2006/09の期間に、複数の企業のPR誌などに掲載されたエッセイ群。例によって、見事なモノクロ写真群が、短くも簡潔な文章に、鮮やかな彩りを添える。

2)もうこれ以上、米と田んぼをめぐる切ない話をするのはやめよう。どうやら私たちに腹をくくる時がやってきたようである。もはや国家のために米をつくらず、食の未来を国にゆだねず、もうひとつの道を切り拓いていくしかなのではあるまいか。

 国は滅びてもかまわぬが、生きるための食を支える農業が滅びては困るのである。私も農業、農村をめぐる口舌の徒を脱する覚悟をすべき時が来たようである。p318「あとがきにかえて」

3)私はこの人のことを、口舌の徒、などとののしる気持ちはまったくないが、土地に生き、農を支える、東北の人びとにおいては、マレビトでしかない、ひとりの物書きなど、所詮、口舌の徒でしかない、という本人の自覚は、この人の生きる姿勢が、ますます確かなものであることの表れである。

4) 東北の海や山に暮らす人々を10年近くもたずね歩けば、おのずからたくさんのことを学ぶ。生き方、生業、暮らしぶり。ミイラ取りがミイラになったのか、私も農的な生活に身を置きたくなった。

 何をのんきな、と笑われるかもしれない。当年57歳、今風に言えば定年帰農ということだろうが、残念なことに当方、この10年、定職をもたない中年フリーター。むろん今さら企業に職をとはさらさら思わぬが、心のスキ間に時折風が吹く。それをおさめるためにも、農を中心として残りを生きてみたいと思うようになった。

 さいわいなるかな、これ以上は見込みのなさそうなニッポン。どうせ生きるなら食べものだけでも自分で育てて賄いたい。そんな思いを引きずっていた。そこでこの春、思いきって宮城県北の農家と農地を譲ってもらい、農業一年生には広すぎる一町三反の農地を農業委員会に申請した。p162(2003/07)

5)著者57歳、8年前の心境である。雪の多い宮城県北地方の暮らしは、平地といえども、決して楽な環境ではない。近隣との交際も始まる。その難しさを十分知った上での、著者の必然的な帰農である。

6)かつて同じ岩手の地を生きた宮沢賢治は「おお朋だちよ、いっしょに正しい力を合わせ、われらすべての田園と、われらすべての生活を、一つの第四次元の芸術に創りあげようではないか」と農民芸術概論」で呼びかけたが、それに呼応するかのように実践を積みあげる村があった。p198「山村から日本が見える」

7)今回の震災で分かったことだが、被害が比較的少なかったと見える内陸部だが、内陸部に生活する人間とて、沿岸部に無縁の人はほとんどいない。親戚があり、生家があり、友人がいる。たまたま沿岸を旅していて被災してしまった人も数知れず。仕事で訪れ、その海産物にお世話になっている人もいる。森は海の恋人どころか、森も海も本当は、一体なのである。

8)東北や、農村漁村、山間の寒村だけが、日本から切り離されているわけではない。地方から都市に出て行った人々もあり、都市から里へ帰ってくる人々もある。

9)この人の本を読んでいると、三省とはまた別な意味において、悲しくなる。涙なしには直視できないことがたくさんレポートされている。私なら、涙を流してまで、この問題を直視することは出来ない。敢えて避けてしまうしかない。

10)そんな中にあって、この人のジャーナルは、まさに貴重な記録として残るに違いない。21世紀におけるこの東北の姿、それを広く共感的に記録し続けることができた人は、どれだけいるだろう。「口舌の徒」などと批判するのは、自朝的になった時の著者だけで、その姿勢は、著者特有の美徳でもある。

11)2005年、春。うそ寒くビルが林立する百万都市仙台。だが、ここは確かに人が生き、人が暮らすまちだった。都市計画による移転。地上げや地価高騰。高齢化や商売上の不如意。理由は様々だが、無数のYさんが消えていった。

 人が住み暮らすには、空気がうす過ぎはしないか。人が生きるには、寒すぎはしないか。仙台よ! すでに解体され、今はフランス語の名をつけられたアパートが建つYさんの旧居の前に立ち、Yさんがいだいていた「未練」を思う。p265「失われた風景をたどる」

12)中沢新一「哲学の東北」のことを思った。結城登美雄のジャーナル(記録)のことを考えたら、中沢の「東北」など何ほどのこともない。しかし、あまりに悲しすぎるのも困る。三省はその美学を寒村の清貧の中に求めようとしたのだから、一人の詩人の「嗜好性」として受け入れよう。しかし、同じ詩人でも、スナイダーのような、強靭な精神的な体力も必要なのではないか。

13)この本、震災後のこの7月に、改訂増補版が発行されたようだ。何事かの著者の最近の消息が聞こえてくるはずである。

14)「がんばれ!東北」という言葉を発することができる、一番お似合いの人は、結城登美雄だと、私は思う。そして、それは、震災後の「復興」のためだけの言葉であってはならない。東北が東北であるとはどういうことなのか、そこのところを、深く、具体的に掘り下げていくには、この人の足と涙に学ぶ必要がある。

15)ボランティアの人々も、現地の人々も、歴史の針を2011年3月10日に戻すことを目標にしてはならない。また、孫正義のような人も、メガソーラー設置を契機に、一気に物事を解決しようとしてはいけない。

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コメント

結城さんの本も、もう一度読み返してみたいなぁ。青春時代に、山形の山村にあった彼の生家を訪ねたことがある。もう無人になっていたけど、あそこに彼の原情景があるよね。

投稿: bhavesh | 2014/03/09 07:14

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