地元学からの出発 この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける 結城登美雄
「地元学からの出発」 この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける シリ-ズ地域の再生
結城登美雄 2009/11 農山漁村文化協会 全集・双書 308p
Vol.3 No.0362★★★★★
1)「地元学」とは、そうした異なる人びとの、それぞれの思いや考えを持ち寄る場をつくることを第一のテーマとする。理念の正当性を主張し、押しつけるのではなく、たとえわずらわしくとも、ぐずぐずとさまざまな人びとと考え方につき合うのである。暮らしの現場はいっきに変わることはない。ぐずぐずと変わっていくのである。
地元学は理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学である。p14「地域が『ぐずぐずと変わる』ための『地元学』」
2)ネーミングからして、いわゆるアカデミックな「学」ではないことはすぐわかる。科学的な、合理性を備えているものでもないだろう。それが分かるまでは、こちらも急がず、ぐずぐずと、結城登美雄の筆につきあってみたい。
3)山形県西村山郡大江町大字小清字田代。ここが私のふるさとである。標高450mの山あいに9軒の家があった。昭和30年代、60人ほどの人口であった。しかし30数年前、村人は挙家離村、山を下りた。雪2m、田は少なく、林業すでに空しく、自給の作物とたばこなどの換金作物。金銭をモノサシにすれば貧乏村というのだろうが、この村の記憶は私にとって明るい。一所懸命働いて、いつも笑顔があった。p35「わが地元学」
4)「山に暮らす海に生きる 東北むら紀行」(1998/10)に目を通した時から、あるいはその以前から、この朝日連峰の中腹にある、彼のふるさとの風景が、結城登美雄というジャーナリスト(記録をする人)の原点であろうと思ってきた。それは、近代の高度成長のブームからは一気に切り離された、異郷とも言うべき集落風景であった。
5)江戸時代、仙台は人口5万人。城下の8割は武家屋敷。下級の武士でも300坪ほどの屋敷を与えられ、その生活の基本は自給自足が原則。そのために割り与えられた広さだった。自給自足のためには30~40坪の家屋以外は徹底的に利用しつくす。(中略)
近代になってもこの原型は残り、城下の1割を占める社寺林の緑と相まって、仙台は緑豊かな都市として推移していった。大正の頃より人はおのずからそれを「杜の都」と呼び習わすようになったが、もとは個々人の自給的生活空間の連続が、結果として「杜の都」になったわけで、けっして外から眺めていう景観美学でも、樹木の多さを誇る意でもない。「杜の都」とは屋敷内の草木とそこに生きる人びとが限りなく親密に暮らす町のことである。p43「わが地元学」
6)もちろん、現在の仙台市の旧市街地にこのような屋敷林など残っていない。社寺林とて、ビルや幼稚園、駐車場に生まれ変わり、よくもわるくも、「杜の都」という呼称は有名無実化している。朝日連峰中腹の集落だけではなく、時代の流れは、都市部の風景をも、大きく変化させた。
7)(宮城県)丸森町大張地区に、東北版共同店がオープンした。あの集会のあとすぐ、村人の熱意をなんとかしたいと、律儀な区長さんたちが村を一軒一軒まわって、1世帯2000円の協力金出資を呼びかけた。(中略)
みんなで考えた店の名は「なんでもや」。この村に暮らす人が必要とするものならなんでも対応しようという意味が込められている。商品構成は加工食料品と日用雑貨、地場野菜と工芸品が中心。小さなスーパーと農産物直売所が一緒になった雰囲気。もちろん注文すればなでも取り寄せてくれる。p74「わが地元学」
8)近くに親戚があるので、「なんでもや」で買い物をしたことがある。ああ、こういうところに著者は熱意を込めているのだなぁ、とあらためて感心した。
9)2004年10月23日17時56分。この(山古志)村を悲劇が襲った。新潟県中越地震。未曾有の激震が一瞬にして暖かい村を地獄の村へと突き落とした。正視できないほどの惨状がテレビに映し出された。山古志の信じられない姿がそこにあった。p244「各地の『地元』を訪ねて」
10)2008年6月14日、午前8時43分。岩手・宮城県境の山岳地帯をマグニチュード7.2の大地震が襲った。震度6強。私の住む仙台の街も大きくゆさぶられた。99%の確率で起きると予想されていた「宮城県沖地震」。それがついにやってきたのかと誰もが思ったにちがいない。しかし震源地は海ではなく、宮城、岩手、秋田の三県にまたがる栗駒山付近。震源の深さは8km、直下型の地震だった。
テレビから次々と送られてくる現場の映像はすさまじいものだった。山が大きくえぐり取られ、緑の森林は崩落し、むきだしの岩場に変わっていた。道路はねじれ、寸断され、土石流が見覚えのある山の温泉宿を押し流していた。土砂に埋まり何人もの犠牲者が出た。想像を絶する惨状がすぐ近くで起きていた。p291「各地の『地元』を訪ねて」
11)これらの文章は数年前にすでに印刷されていた文章だ。これらの被害もとてつもないものであったが、それらと比較しても、今回の東日本大震災は、すぐには直視できないほどの甚大な被害を及ぼしている。「うおッチング 南三陸の浜をゆく」(2001/08)などの仕事もある著者である。25メートルを超すような巨大津波に襲われた東北沿岸部を見ての、その心境を量るにも、余りある。
12)当ブログにおいても、実は、今回のこの惨状を直視することがなかなかできないでいる。せいぜい、すこしづつこのような単行本から過去の情報を集めながら、「ぐずぐず」とこの現実とつきあい始めたところである。
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