聖なる地球のつどいかな<2> ゲーリー スナイダー vs 山尾 三省
「聖なる地球のつどいかな」 <2>
ゲーリー スナイダー (著), 山尾 三省 (著) 山里勝己(監修), Gary Snyder (原著) 1998/07 山と溪谷社 単行本: 287p
1)三省追っかけもほぼ終了間際となり、40数冊ある関連本をあと数冊残して読了したことになる。そろそろまとめておく必要があり、さて、三省の本から三冊選ぶとするとどれが残るだろう、と思案した。
2)今のところ
1981 『聖老人』(めるくまーる社)
1998 『聖なる地球のつどいかな』
(ゲイリー・スナイダーとの対談集/山と渓谷社)
2000 『アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間』(野草社)
の三冊が残ることがほぼ決定した。
3)「聖老人」は、三省本としては初期の本ではあるが、それまでの10数年の活動を包括する位置にあり、「部族宣言」や「部族の歌」、「太郎に与える詩」などが含まれており、また、屋久島への再定住というスタイルが確定した、という意味では記念碑的一冊である。
4)「アニミズムという希望」は、まだ三省自身が、自らの死を予感する前のことであったが、それでも琉球大学という場を得て、しかも一週間にわたる連続講義という形で、自らの「思想」を振り返った、ほぼ唯一の貴重な記録がまとめられている、という意味では欠かすことができない。まさに「山尾三省という希望」を感じさせる一冊である。
5)三冊目としては、やや時代は後ろにずれてはいるが、2冊の中間に位置するものとして、この「聖なる地球のつどいかな」は、これまたインパクトの強い一冊となっている。対談するのはゲーリー・スナイダーである。60年代にクロスした二人の詩人は洋の東西に分かれて30年ほど独自の活動を続けていたが、再開してみれば、なんとシンクロしていたことか、という確認作業となった。
6)もっとも、当ブログは、東日本大震災後の読書として始まったのはスナイダーのほうが先だったが、スナイダーはやや消化不良なところがあった。それで、一旦は、この「聖なる地球のつどいかな」で、三省追っかけに入り、ほとんど読み終えたところで、スナイダーに戻ってきた、という経緯がある。
7)山尾 改めておうかがいいたしますが、原子力エネルギーというものをどう思いますか?
スナイダー たいへんひどいものですよ! 人間がコントロールできないもの、特に核廃棄物はね。誰もそれをどう処理していいかわからないんですから。
山尾 人間のキャパシティーを超えてしまっていますね。
スナイダー そうです。その古代エネルギーはあまりにも古すぎて、あまりにも遠すぎて、私たちからかけ離れているものです。まるでネズミ一匹殺すのに大砲を使うようなものですよ。というのは、原子力発電所を造ってやっていることは何かと言えば、水を沸かしているだけなんですよ。そんなこと薪や石炭でできるんですよ。それだけのことなんです。過剰に高温過ぎるんですよ。熱すぎる。
だから、いっぴきのネズミを撃つのに大砲を使うようなものだと言うんです。過剰に高温にして、その過剰な熱を取り扱わなければいけないんです。ただお湯を沸かして、スチームでタービンをまわしているだけ。それだけですよ。それで高熱と放射線が出るんですからたいへん危険なんです!
山尾 浪費ですね。
スナイダー 電気をつくるのに原子力を使うのは、あまりにも複雑で危険過ぎます。節電をして、もっと安全で効率的に電気をつくるべきです。そのほうがずっと効率的で健康的ですよ。p226「科学は美の中を歩む」
8)いずれ廃止にしなくてはいけない原発であったが、事故が起きても、なおそのリスクにしがみつかざるを得ない人間社会となりはててしまっている。警鐘は、はるか昔から鳴りっぱなしだというのに。
9)-----三省さんとゲーリーさんはグレート・スピリットが用意してあった場所を見つけたということですか。
スナイダー そう言っていいと思います。そして場所というのは地理的な意味の場所であり、また心理的な場所である、と同時に生活の場所でもあります。
-----その時に、都市も地方もないということですね。
山尾 ないですね。
-----都市も人の場所となることができますか?
スナイダー もちろん、絶対になれますよ。
山尾 シュアー(笑)。
スナイダー 街は魅力的ですからね。街が自分の場所になっている人たちをたくさん知っています。
-----例えば、街を自分の場所にしている人とは誰でしょう?
スナイダー ピーター・バーグですね。彼はサンフランシスコに住んでいて「プラネットドラム」という組織を作って、再定住の運動をしている人です。アーバン・バイオリージョナリズムの主要な哲学者のひとりですね。彼なんかはいい例です。別に地方や田舎に住む必要はない。それが私の言いたいことなんです。
-----それでは街であれ、田舎であれ、自分の場所を見つけるポイントは何でしょう。
山尾 僕の考えでは、そのポイントはその場所に深い喜びがあるかないかだと思います。
スナイダー それはひとつですね。
山尾 もうひとつは、それが有益かどうかですね。
-----誰にとってですか? 自分にとってですか?
山尾 自分にとっても社会にとってもです。
-----自分の生き方や自分が生きているということが他の人にとって有益かどうかということですか?
山尾 人間だけでなく、すべての存在にとってですね。
スナイダー そしてもうひとつには、同志がいることです。
山尾 一緒に仕事をする仲間がいれば楽しいですね。
スナイダー ようするにコミュニティーですね。街のコミュニティー、地方のコミュニテイーです。コミュニティーには祭りがありますね。田舎の祭りがあれば都市の祭りもあります。ピーター・バーグたちはサンフランシスコ市の行政と共に、毎年、鮭がゴールデン・ゲートの下に遡上してくる日を祭りにしようと頑張っています。 p184「都市における癒し」
10)どうもこの部分は二人ともあまり説得力がないなぁ。ネバダ山中のキットキットディジーや屋久島の白川谷のウィルダネスの真ん中に住んでいる二人だからこそ魅力むんむんなのに、ここは、都市にすむ人々への、リップサービスとしてしか聞こえてこない(笑)。
11)だがしかし、超辺鄙なところだけが素晴らしい、と言っているわけではない、ということは了承しよう。ピーター・バーグとは何者か、現在のところは不明だが、中都市周辺部にいて、なおかつ、地球人としてスピリチュアルに暮らしていくことは十分できるはずだ、というのが、当ブログの最初からの見込みである。
12)この本の編集をした山里勝己という人は、琉球大学の教授であり、三省の長期講義をセットした人でもある。「場所を生きる ゲ-リ-・スナイダ-の世界」(2006)も彼の本だ。この人、要チェックだな。
13)山尾 今後、人間とコンピューターとの関係がどうなるのか、非常に興味深いものがありますが、「ローン・イーグル」というのをもう少し説明していただけますか。
スナイダー 「ローン・イーグル」という名前はみんなが面白がってつけているもので、中央から離れ、独立自活した教育のある知的労働者のことをさします。そのために彼らコンピューター、インターネット、ファックス、それに加えて民間の輸送機関をいろいろ駆使します。p236「科学は美の中を歩む」
14)この辺はなんとも1997年の3月の対談なので、大幅に割り引いて受け取らなくてはならないが、当ブログでは、「第三の波プロジェクト関連リスト」で追っかけてきている、アルビン・トフラー言うところのエレクトロニック・コテッジの住人、ということになろう。スナイダーは積極的だが、三省はついぞ、この分野には近寄らなかった。
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