プルトニウム発電の恐怖 プルサ-マルの危険なウソ 小林圭二他
「プルトニウム発電の恐怖」 プルサ-マルの危険なウソ
小林圭二/西尾漠 2006/10 八月書館 単行本 173p
Vol.3 No.0381★★★★★
1)震災で長く閉鎖されていた図書館が復活し、カウンター近くの紹介本コーナーにあった一冊。温暖化問題をテーマにした本が紹介されていたことはあったが、原発問題本がこのコーナーにあることは珍しい。多分初めてのことだ。
2)野菜、牛肉に続いて、主食であるコメでさえ、放射性物質による汚染の検査が実施されることになった2011年。まさにこんな状況になることを、本当に心配していた人たちがいた。
3)プルサーマルは、プルトニウムで燃料を作り、今の原発(軽水炉)で燃料の一部として使うことです。その計画については、主に危険性に集まっています。プルサーマルによって原発の危険性は確実に増大します。しかし、問題は危険性だけにとどまりません。国際道義上の問題より基本的です。p9「まえがき」
4)今回の東電原発事故は、決して津波被害でメルトダウンしたわけではなく、地震そのもので崩落してしまった可能性が高い。国や東電が明確な情報を開示しない限り明言はできないが、設計やその震度から考えて、十分あり得ることだ。
5)だとするなら、浜岡原発が津波対策ができた後に復活する、などという事態になるとすれば、とんだ茶番劇ということになってしまう。
6)少なくとも活断層に囲まれた日本列島では、原発がある海岸線、いずれにおいても地震は起きうる。マグニチュード8以上と予測されて、今回の3.11はマグニチュード9であったわけだが、原発立地のいずこにおいても、これらの地震が起きる可能性は十分あるのである。
7)原発技術が科学の先端を行くものだったとするなら、地震予知もまた科学の先端を行くものだ。ましてや地震は周期的にやってくるということは歴史的にも明確に記録されている。
8)プルトニウムはもともと地球にはありませんでした。それが最初に人の手で作られたのは原発を作るためです。人類初のプルトニウム利用は、第二次世界単線中、アメリカが原発に落とした原爆でした。一瞬にして数万の住民が殺害され、最終的に約10万人が犠牲になります。しかし、戦後の世界はその未曾有の犠牲よりも破壊力の巨大さに注目しました。大国は鮮烈な核兵器開発競争を繰り広げ、アメリカ以外にソ連、イギリス、フランス、中国が相次いで書くを保有するに至ったのです。p9「同上」
9)日本が国としてプルサーマル(日本の造語)計画にこだわるのは、非核三原則を堅持する姿勢を見せながら、実は、常に、国として、核兵器を開発する技術と能力を誇示する狙いもあったはずである。
10)つかいみちもないまま核兵器1000発分のプルトニウムを毎年取り出そうというのが、六ヶ所再処理工場の計画です。そんな工場を強引に操業させようとすることに、世界に目が厳しくなるのは当然でしょう。また、日本で再処理ができるなら、他の国の再処理が許されない道理はないことになります。六ヶ所再処理工場を動かすことは、他の国にも再処理という核兵器への抜け道をひろげていく役割を果たすのです。p33「プルサーマルのなぜ」
11)この本は共著である。著者紹介だけでも10人のプロフィールが書いてある。いわゆる反原発、脱原発の人々の手になるもので、引用されている文章を拾いあげたら、もっと多くの人々の意見が反映されている。
12)2006年の10月という段階で出された本だが、2011年の3.11については、ほとんど、この本に予言されていたと言ってもいい。今回のマグニチュード9の地震。そして1000年に一度といわれる津波、その大自然の脅威に驚き、なお同時に起きてしまった原発事故で、ようやくその危険性に目覚めた人たちが多い中、このような事故が起きることは、すでに、明確に心ある人々によって指摘され続けてきた。
13)過去の地震活動をみると、東海地震は100年~150年を周期として起きてきたのですが、1845年の安政東海地震以降、静寂を保っており、今や152年(2006年で)経過しています。満期を過ぎ、蓄積されているエネルギーには利息がたっぷりついているはずです。p87「浜岡原発にプルサーマルなど論外!」
14)これだけの指摘をされつつ、強引に進められてきた原発行政。3.11という未曾有の体験を、原発立地である地元のみならず、日本列島全域、やがては地球全体に広げ、未知数の悪影響を与えてしまうことになる。
15)これだけの体験をしつつ、なお原発神話をかざしながら、過去を反省しようとしない国があったとしたら、その国は当然滅亡することになるだろう。そのような国の暴走をとめなかった国民がいたとするならば、結局は、責められるべきは国民ということになろう。
16)そしてその被害は、国を超えて地球全体に及び、時代を超えて子子孫孫に持ち越される。
17)私たちの側は、「狙われる現地」に脅えることなく、各地の闘いの成果に自信をもってプルサーマルを拒否し、六ヶ所村再処理工場の運転を止めていきたいと思います。本書がその一助になることを祈っています。p173「あとがき」
18)ガイガーカウンターを片手に、もう一方の片手に我が子を抱いて、放射能降りしきる空の下を、右往左往している現段階ではあるが、実際には、問題の根はまだまだ深い。自らが今置かれている状況を把握するためにも、もう少し視野を広く取り、具体的に効果的な行動を選択していく必要がある。
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