福島原発難民―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年 若松 丈太郎
「福島原発難民」―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年
若松 丈太郎 2011/5コールサック社 ソフトカバー: 158p
Vol.3 No.0422★★★★☆
1)地元の学校で長いこと国語を教えてきた高校の先生。すでに70台半ばの方だ。福島原発から20数キロの町に住んで、この40年間、原発の危険について、詩で告発しつづけてきた。
2)きわめて散文的な当ブログでは、詩の評価はできかねる。うまい詩なのか、一在野の方の趣味の世界なのかさえ、判断がつかぬ。しかし、ほとんど40年のあいだ、その主テーマを反原発に捧げてこられたことに頭がさがる。そのような運命のめぐりあわせであったのだろうか。
3)二年前の(もう二年前になるのか・・・)豊田政子著「八ッ場ダム ダムに沈む村」という詩集を思い出す。それぞれの人生の中で、とてつもなく不合理な出来事とであう。そのことについて、自らの心象を詩という表現でもって、何十年も告発しつづけてきた、という意味では、お二方に共通するものがある。
4)原発なんかいらない。実際のところ、国も電力会社も持てあまし、困り果てているにちがいないのだ。p67「チェルノブイリに連なる原発地帯」2006/06
5)わたしたちは、漂流し漂着する時代とそこに生きるわたしたち自身を、詩を書くことによって拾いあげようとしている。p72「さまざまな地名論」2008/12
6)わたしの現在の状況を原発難民だと言っていいだろう。地震や津波の被災者ではない。p124「原発難民ノート--脱出まで」2011/04/30
7)1994年にチェルノブイリを訪ねた経験をもとに、連詩「かなしみの土地」を書き、原発難民となった人々の思いを代弁したつもりだった。しかし、そのとき彼らの思いだと思っていたものは現在の自分の思いそのものであるという現実のなかに、わたしは置かれている。予測が的中することは、一般的にはうれしいという感情につながることが多い。しかし、危惧したことが現実になったいま、わたしの腸は煮えくりかえって、収まることがないのだ。なぜなら、この事態が、天災ではなく、人災であり企業災であるからだ。p132同上
8)このような方たちの前では、私は多くを語ることはできない。ただただ拝聴するのみだ。
9)この前、南相馬市まで行ってきた。80キロなんて、ほんのすぐそこだ。もう一方の原発も60キロだが、そちらのほうばっかり気にしていた。身内の者も、南相馬市の病院に勤務していて被災した。
10)今回3.11で明らかになったことは、原発事故は、100キロ、200キロなんて距離は、屁とも思わず、限りなく広域に被害を及ぼす、ということだ。もっと身近な問題として、原発問題は直視される必要があった。そして、もっともっと以前にストップさせなければならなかったのだ。
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