3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ<1> 飯沼勇義
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <1>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社単行本 208p
Vol.3 No.0423★★★★★
1)津波関連リスト
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 飯沼 勇義 1995/09 宝文堂
「津波てんでんこ 近代日本の津波史」 山下文男 2008/01 新日本出版社
「ルポ大津波と日本人」 佐野眞一 2011/4 講談社
「大津波襲来」三陸河北新報社(石巻かほく) 2011/05
「東日本大震災」 報道写真集 2011/05 読売新聞東京本社
「わたしの3・11」 あの日から始まる今日 茂木健一郎編集 2011/5 毎日新聞社
「TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集」 豊田 直巳 2011/6 第三書館
「哀史三陸大津波」 山下文男 2011/06 河出書房新社
「鉄は魔法つかい」 畠山重篤 2011/06 小学館
「3・11その日を忘れない。」 飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社
「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 ファイト新聞社 2011/07 河出書房新社
「東北を歩く」 結城登美雄 2011/07 新宿書房
「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 復刻版 飯沼 勇義 2011/09 本田印刷出版部
「解き明かされる日本最古の歴史津波」飯沼勇義 2013/03 鳥影社
2)飯沼 勇義という人、すでに80歳を超えた方である。仙台平野の沿岸部に住みながら、55年という長い年月を津波研究一筋に生きてきた人である。
3)実にすごい本というしかない。当ブログ、「3.11天の巻・津波編」リストの間違いなくトップを飾るにふさわしい一冊である。12月になったら、また半年ごとの「当ブログが読んだ2011年上半期の新刊本ベスト10」の中に入賞することは間違いない。
4)「「3・11その日を忘れない。」 なんとも小中学校の卒業文集のタイトルか、とも思えるタイトルながら、内容は乙女チックな感傷文集ではない。「歴史上の大津波、未来への道しるべ」というサブタイトルも、なんとおさえたコピーであることか。売らんがためのベストセラー出版社なら、この100倍、あるいは1000倍のインパクトのあるタイトルをつけても、決して間違いではないだろう。
5)氏独特の文書学ともいうべき眼力は、歴史書の端々から歴史津波の片鱗を嗅ぎ取る。そして、「哀史三陸大津波」などに見られる三陸地方の津波どころか、仙台平野の津波こそ、もっと巨大で、近い将来、確実にやってくる、と長年の研究から結論し、警鐘を鳴らし続けてきたのだった。
6)数年前から地元紙などにもたびたび取り上げられ、行政の首長たちへの直訴も、ほとんど変人扱いでまともに取り上げられることがなかったという。
7)氏は、自らの主張を確認すべく、仙台市宮城野区蒲生、仙台新港ちかくのアパートに居を構えた。その調査を続け、自説をするかのごとく「見事」被災し、かねてから、ここなら大丈夫と目星をつけていた仙台市高砂市民センターに逃げ延び、避難所の人となった。
8)この本に書かれていることの秀抜さについては、一挙に語ることはできない。まずは一つの歴史観を持たれていること。東北日高見国を根底に据えていること。「秀真伝ホツマツタエ」などに、津波その他の歴史的事実を求めていること。仙台地下鉄東西線の工事現場から発見された地層からの歴史的事実の証明。名取平野の熊野信仰と津波の関係性、当時の人々の暮らしぶり。実に見事な研究結果である。
9)西暦95~110年頃、この地方に巨大地震が起こり、大規模津波が発生し、太平洋沿岸の全域から広域の仙台平野全域は全面海になってしまった。この津波は私の伝承調査では、この2000年間でおそらく最大規模の津波ではないかと思われる。p43「予言された津波」
10)類する研究者もそう多くはないようだ。一読者として、にわかには読みこめない一つ一つの史実や文献ではあるが、この本の中に登場する地名や史実が、実に私の生活圏にかかわることなので、なんで、こんな大事なことを知らないで、私は今日まで来たのだろう、と恥じること多い。
11)1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺まで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。20p「仙台平野に巨大津波」
12)被災直後、町中から自宅に戻るまで、歩き続けていたが、時間的に言うと、ちょうど私が蛸薬師あたりを歩いている時間帯に津波は内陸部へと押し寄せてきている。道端のラジオニュースで三陸に津波が押し寄せている、というニュースをすでに聞いていたが、まさかあのタイミングで、私の足元に津波がやってくるなんて、とても思えなかった。
13)しかし、歴史的にはその可能性は十分あった。
14)あの時、とにかく家路を徒歩で急いだのは、「家」が心配だったからだ。自分の「命」が大切だったわけではない。
15)ちょうどあの頃、関東にすむ家族はテレビ画像をみながら、「津波が来ているから、早く高台に逃げて」とメールをくれていた。電波が途切れていたから、それを確認したのはあとからだったけど、本当に、家路を急ぐ前に、まずは高台に上がってみる必要があったのかもしれない。とにかく当時は、その心的余裕はなかった。
16)車だって、当日は、たまたま車を自宅において電車で行ったから徒歩で帰ってきたが、車で家路を急いでいたら、車を捨ててまで自分の「命」を助けることなどできなかっただろう。なんせ10数年ぶりに買った車、まだ半年しか経っていないのだ。
17)今回、たまたまこの程度に収まったが、沿岸部の人たちが、家族をたすけるために家に戻り、車を大事にするあまり、車とともに流されたりしていることを知るにつれ、決して、自分も、まずは自分の「命」だ、というところには直結できなかったことを猛省する。
18)いかに、自分がいろいろなものに執着しているのか、ということを知らされる。
19)この本には、きちんと救いが書いてある。
20)私がここで命を賭して申し上げたいことは、私たちが自然の主ではないというただ一点である。この世界の主体として働いているものは、人間の心でも考えでもないのである。はかり知れぬ力がこの世界を動かしている。私たちはこの世界に生かされているに過ぎない。この主客の転倒こそが、この大災害のような事態を生み出すのである。原子力も然り、巨大防波堤も然りである。それは世界というものに対する真の畏敬を失った者のなすことである。p193「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」
21)アラハバキがあり、「森は海の恋人」の畠山重篤があり、原発事故に触れる章がありと、この本、実に多彩である。当ブログが、のちに「3.11天の巻・津波編」を振り返るとしたら、この本をはずすことはできない。
22)「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」という、どちらかといえばおだやかな表現の中に込められた、凄まじい意味を、改めて肝に銘じておかなければならない。
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