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2011年8月の64件の記事

2011/08/31

太陽光発電システムがわかる本 小西正暉他

【送料無料】太陽光発電システムがわかる本
「太陽光発電システムがわかる本」 
小西正暉/鈴木竜宏/蒲谷昌生  2011/04  オ-ム社 単行本 177p
Vol.3 No.0434★★★★☆

1)この本2011年4月発行ではあるが、一度2008年7月に他社から発刊されたものが、データなどを更新してリニューアルされた本であり、時期はほぼ同じにしているが3.11について触れているところはない。

2)本書は、たとえ技術的な知識に縁遠い方であっても、容易に太陽光発電システムのことがご理解いただけるよう解説したものです。特に、太陽光発電システムの設置に携わっていらっしゃる方、あるいはこれからニュービジネスとして太陽光発電の設置業をスタートしたいとお考えの方、さらにはご自宅の屋根に太陽電池を設置するにあたって太陽光発電のことを施工も含めて詳しくお知りになりたい個人の方にも最適の内容となっています。piii「はじめに」

3)どちらかというと業者向けの本だ。たしかに「設置」や「施工」について、関心があるから、私もその読者層の中には含めていただいているようだ。だが、難しい。

4)太陽電池、という言葉はまぎらわしいから使わないようにしているのだが、「放射線」と「放射能」、「放射性物質」の違いに似て、「太陽光発電」、「太陽光発電システム」、「太陽電池(太陽光パネル)」などの言葉づかいはまどろっこしい。

5)白黒の本ではあるが、要所要所に図解が入っており、分かりやすい。特に屋根に上げる場合の架台の設置方法、つまり、瓦に穴をあけるのか(p103)、他の方法をとるのかなどは、今後、もう少し調べてみないと、納得できない。後で雨漏りしたりしてはいけない。

6)太陽光発電システムを設置したお客様は、購入先の太陽光発電システムメーカに対して10年保証の申請を行わなければなりません。
 書類の提出には施工店が記入する「太陽光発電システム施工検査報告書」を添付するようになっています。
p145「施工、試運転、引き渡し」

7)なるほど、この商品はなかなか仕組みとして入り組んでいるようだ。メーカー(販売店)によっては20年間の出力保証をうたっているところもある。(一部定期点検は有料のようだ)

8)なにはともあれ、数社に見積もりを依頼してみた。現地をみてもらわなければ正確なものがでてこないだろう。

9)今までエアコンや他の家電の関連で懇意にしている業者にさぐりを入れてみると、必ずしも太陽光発電に詳しくない。これはこれで、技術的にも、法的にも、専門店がやるようになっているようだ。

10)それにしても、見積り業者は他県からも来るようで、基本的には、まだまだ設置する家庭の密度は薄い、ということになるのだろう。

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知っておきたい放射能の基礎知識 原子炉の種類や構造、α・β・γ線の違い、ヨウ素・セ・セシウム・ストロンチウムまで 斎藤勝裕

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「知っておきたい放射能の基礎知識」 原子炉の種類や構造、α・β・γ線の違い、ヨウ素・セシウム・ストロンチウムまで
斎藤勝裕 2011/06 ソフトバンク・クリエイティブ 新書 221p
Vol.3 No.0433★★★★★

1)所用があって石巻に行ってきた。仙台東部道路や三陸自動車道は、渋滞の表示がでているものの、気になるほど混んでいるわけではなかった。ウィークディだったからかもしれない。

2)率直に言って、4月初旬に見た石巻と、すでに半年が経過しようとしている現在では、だいぶ違っていた。大通りはかなり片付いたイメージ、ちょっと目には震災があったことさえ気がつかない。

3)しかし、ゆっくり見れば、やはり被災地石巻だ。ちょっと裏道にはいり、海岸線に入り、川口に近付けば、瓦礫はかなり片付いたものの、その爪跡の生々しさは、今でもまざまざと残っている。

4)前々から気になっていたのだが、牡鹿半島沖の霊島・金華山の情報がほとんどない。ここまできたのだから、女川原発と鮎川港まで行ってみよう、ということになった。

5)石巻を超えて、牡鹿半島を走り出すと、やはりまだまだ生々しい。人口密度が低くなるので、山並みや木々に隠れてしまうが、ひとつひとつの小さな漁村の被害が一目でわかる。

6)女川原発の門前まで行ってみた。普段からそうなのだろうが、ものものしい警備だ。これは普段からこうなのだろう。門を突破などできないどころか、中も全然見えない。

7)ちょっと離れたところにある原子力PRセンターに行ってみた。定休日は月曜日ということだが、門は閉まって閑散としている。どうやら、震災後締めたままのようだ。

8)金華山への連絡船がでていた鮎川港の被害は目に余るものだった。大潮ということもあったが、地盤沈下した船着き場はすでに波の下。捕鯨博物館であるホエールランドも大被害。片づけの人以外見かけられず、ここから生活の痕跡は消えてしまっている。

9)この港では、震災後、他の海岸線から漂着したご遺体が1000体を超えたという。

10)船着き場にある4階建てのビルは、まだ片づけが済んでおらず、すこしづつ片づけていく間に、あらたなるご遺体が出て来る可能性もあるという。

11)金華山そのものの津波被害は少なかったようだが、地震による神社の被害はまだまだ片付いていないようだ。連絡船は就航しておらず、チャーター船になる。船着き場が復興するまでは、20年かかるのではないか、と地元の方は言っていた。

12)復興はまだまだだ。しかし、しっかりと動き始めている。ありがとうございます。

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13)知人から「みんなの放射線測定室」を作ろうという呼び掛け。一台300万円もする放射線測定器を自前で購入しようという。(ドイツ製ベルトールド社 LB2045) ああ、こういう時代になったんだなぁ。「放射能から命を守る宮城県南部の会」

14)「宮城県南部は福島県北部です。放射能汚染に県境はありません。」のコピーが生きている。

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15)さて、この本、これまで当ブログが読んできた「放射線関連リスト」の中ではベスト。★5どころかレインボウ評価としたいところなのだが、出版されたのが6月8日と、現在となっては、若干、福島原発に関する情報が古い。

16)原子力の基礎知識とか、原発の仕組みなどは、正直言ってどうでもいい。何回説明されても頭に入らない。だが、この本の特徴は、「第8章 放射線汚染事故」に50ページも割き、ひとつひとつの原発事故をキチンと簡潔に、「隠さず」書いてあること。

17)「キュリー夫妻の被ばく」、「エンリコ・フェルミ原子炉事件」、「第五福竜丸事件」、「スリーマイル島原発事故」、「チェルノブイリ原発事故」、「東海村臨界事故」、「高速増殖原型炉『もんじゅ』の事故」、「原子力『むつ』の事故」、「東日本大震災と原子力発電所」、「福島第一原子力発電所の被災」、「福島第一原発の今後」、「原子力発電の今後」、などなどが、実に簡潔に、「公平」に、当ブログのようなパラパラ読者にも、実にわかりやすく、なるほど、と思わせるように、的確に書いてある。

18)「第9章 もしも放射能に汚染されたら」は、まぁおざなりな内容だが、一冊の本としては、「放射能の基礎知識」としては、身につけておかなければならない、今や「常識」の部分ではある。

19)福島第一原発は、ジシン、ツナミと同じように世界に通用する言葉になるのかもしれません。いまこそ日本の復興の底力を世界に示すべきといえるでしょう。p197「原子力発電の今後」

20)当ブログでは今回の事故を、出来る限り東電原発事故、と言い慣わしてきた。だが、それは、物事を直視しない悪い癖かもしれない。ここでしっかりと、福島第一原発、フクシマ、Fukusima、と表記すべき時期が来るのかもしれない。こんなことで、この地域が世界に通用するようになるなんて、ほんとに悲しい。だけど、これもまた現実である。

21)汚染されているかどうかは、一般には公的機関が発表する数値に頼るしかありません。しかし、この数値はかならずしも私たちが口にする状態の食物の数値ではありません。洗い方や調理方法などでかわります。
 発表された数値に一喜一憂するのではなく、数値の根拠を理解して冷静に対処することが、なにより望まれることです。
p214「もしも放射能に汚染されたら」

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22)やっぱり自前の「みんなの放射線測定室」は必要だなぁ。

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2011/08/30

間違いだらけのエコ生活  「地球にやさしい」は本当か? 武田邦彦

【送料無料】間違いだらけのエコ生活
「間違いだらけのエコ生活」 「地球にやさしい」は本当か?
武田邦彦 2008/09 主婦と生活社 単行本 223p
Vol.3 No.0432★★☆☆☆

1)この人の本は、ちらちらと視覚に入るが、まったく無視してきた。テレビでも、ちらっとニヤけた顔が映る時があるが、まともな意見として聞いたことはない。

2)この本は二年前に出た本なので、今回の3.11については何の織り込みもない。ところが、3.11以降の彼の本のタイトルを見ると、なぜか意趣変えしたのかな、とさえ思えるような本も数冊あるようだ。ひょっとすると、私がいままで誤解していたかな、とさえ思った。

3)彼の著名な本『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』などに関しては、どうやら『“環境問題のウソ”のウソ』(山本弘)などという本さえ存在するようだから、私ごときが、ひとつひとつ違和感を感じたところをピックアップするほどでもないだろう。

4)とにかく、こんな人もいるんだなぁ。

5)プリウスの重量は約1.5トンですが、同じトヨタのビッツは約1トンです。だから「道路を傷める」という意味ではプリウスはビッツの1.5倍も環境に悪いということになります。p79「エコカーなんて、そもそも世の中に存在しない!」

6)主婦と生活社から出ている本だから、若い女性に分かりやすい表現をした(?)なんてことでもないだろうが、なんだかなぁ。これじゃぁ、分かりやす過ぎる。

7)10年以上、ビッツの姉妹車のベーシックカーに乗っていた。エコ意識も勿論あったが、道路の痛みを感じるのなら、走らなければいいのだし、移動が必要なら、原付バイクか自転車にするか、徒歩にすればいいのだ。それでもだめなら、部屋に籠っているか、死んでしまえばいい。

8)たった一台のプリウスが道路に損傷を与える量など、計測さえできないだろう。それを言うなら、トラックの台数を減らすために物流を考えるとか、別な統計と並列しないとフェアではない。

9)本当にエコ生活といえる田舎暮らしとは、どんな生活でしょうか。
 それは実際の暮らし方でいえば、「食糧は自給自足で、電気は自家発電、水は井戸から汲み、トイレは汲み取り式、火は薪でおこし、車には絶対乗らない!」という暮らしです。
 昔の日本の生活を戻す、ということですね。
 でも、みなさんはそんな生活を送ることができますか。私はきっと無理です。
p90「本当のエコ生活は、質素で正直な生活」

10)この人の言うこともまた珍妙だ。できないことを勝手にゴールにして、どうだ、到達できないだろう、と言う。彼のいう「エコ生活」とはなにか。「田舎暮らし」とはなにか。基本的に、彼のいうようなスタイルを送っている人間は、日本には一人もいないだろう。なぜに「車には絶対乗らない!」のが「本当のエコ生活といえる田舎暮らし」なのだろうか。?? 首をかしげるしかない。

11)日本には石油がありませんから、エネルギーの問題はとても深刻です。日本に唯一ある資源は太陽だけですが、太陽エネルギーは代替エネルギーになり得るのでしょうか。p174「日本に残された道は、原子力エネルギーしかない」

12)ご本人はウソを言っているつもりはないのだろうか。これでは本当の馬鹿か、根っからの詐欺師か、どちらかだろう。話の密度としては、軽い雑談のレベルなのだろうが、工学博士の肩書きを振り回し、内閣府原子力安全委員会専門委員(著者紹介)などを歴任したというのだから、読者も国民もすっかり、バカにされ、ダマされている、ということになる。

13)この人とつきあってディベートなどする気もないが、このようなウソを語り続ける人物がいるのだ、ということに注意はしておかなければならない。くわばら、くわばら。

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2011/08/29

節電住宅 自然エネルギ-利用の家づくり 白岩且久

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「節電住宅」 自然エネルギ-利用の家づくり
白岩且久 2011/05  同時代社  単行本 190p
Vol.3 No.0431★☆☆☆☆

1)う~ん、なんとなく良さそうなタイトルなので、いきなりつかんで借り出してきた自分が恥ずかしい。この本は、わずか半年ちょっと前に「環境家族 CO2削減の家づくり」というタイトルで出されたものを、3.11以後、タイトルを変え、多少加筆して出された、まがい物である(と断定する)。

2)確かに3.11以後に既に絶版になっていて手に入らない旧本が、3.11をきっかけに復刊することは多数ある。しかし、半年前に出版されたものを、タイトルだけを変えてまた新刊として店頭に並べるというのは、禁じ手であろう。賞味期限を勝手に変えてしまうとか、ラベルだけ張り付けた偽装と、まったく同じ手法である。

3)もし、それだけ3.11に何事かを感じたのなら、これだけの「薄い」本なのだし、もう一度、別な内容ですっかり書きなおして出すべきだっただろう。読者(消費者)を舐めてはいけない。

4)この人、建築の実務家である。他の業者やメーカーに対する批判は手厳しい。もし他者に対してそれだけのことをいうのなら、まずは自らにその視線を向けるべきである。

5)この本、節電とは言え、高断熱高気密住宅を勧めているだけであって、断熱材を多くして、ペアガラスを使う、という具体案を底上げして語っているだけである。

6)ブログに書いておくかどうか悩んだが、これまでの自分の読書態度を自省する意味でも、メモを残しておく。

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7)故加藤哲夫氏(61)を偲ぶ会(通夜)に行ってきた。上田紀行氏が友人代表として弔辞を読み、松岡正剛氏のメッセージが弔電の最初に読まれた。国会議員や県会議員が出席し、仙台市長からの献花が飾られていた。結城登美男氏の顔もあった。各NPOなどからの献花が多数並んでいた。

8)本日のお別れ会(葬儀)には出席できないが、それなりにドラマがあることだろう。

9)61歳。ご本人にとって、この年齢は早いのか充分なのかはわからないが、自然食レストランを草分け的に経営し、「自然食通信」に連載を書いていた人が、皮肉にもガンで亡くなってしまうのは、ちょっと早すぎるのでないか、と私なら思う。

10)重篤な状態で病室からブログを書いていた友人知人が亡くなる、という体験は、今年だけでも二人目である。いろいろ思うところがある。同じ境遇になった場合、私なら書けるだろうか、と思う。書けるかもしれないが、書かないだろう、という思いが、今は強い。

11)紅顔いずくへか去りんし、尋ねんとするに蹤跡なし。熟観ずる所に往時の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり 「修証義」より  「お経 禅宗」p102

12)こころよりご冥福をお祈りいたします。   合掌

  

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2011/08/28

原発死 増補改訂版 一人息子を奪われた父親の手記 松本直治

【送料無料】原発死増補改訂版
「原発死」 増補改訂版 一人息子を奪われた父親の手記
松本直治 2011/08 潮出版社 単行本 277p
Vol.3 No.0430★★★★★

0)加藤哲夫さんが昨日26日未明に亡くなった。当ブログとしては、1991年の「スピリット・オブ・プレイス」シンポジム関連で、登場を願っている。ご自身のブログで闘病記を綴っておられた。
ご冥福をお祈りいたします。合掌

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1)この本もまた1979年にでていた本である。今回の3.11を経て、増補改訂版が出版された。

2)著者は1912年(大正元年)生まれで、すでに1995年に83歳で亡くなった方である。若い時代は従軍記者として活動し、その時代を振り帰った「大本営派遣の記者たち」という著書もある。書き出しでは「67歳になるいっかいのコラムニスト」と自己紹介しているが、新聞記者、編集局長、新聞社取締役、相談役、というジャーナリスト歴を持っている方である。

3)一人息子が希望して電力会社に勤め、原発に出向する中で、舌ガンになり、不幸にして1974年に31歳で亡くなられた。その死因について疑問を持った著者が、ひとつひとつ検証して行くなかで、彼から一人息子を奪ったのは、原発の放射線である、という確信に至る。

4)しかし、そのことを証明するのもまた、難しいことではあった。

5)死亡診断書を書きながら、死に立ち会った医師が行った。主治医は非番である。
「東海村におられたんでしたね。あそこにおれば、いやほど放射線を浴びる。強烈ですねえ、全身がガンです。
 その医師は内科医長だが、がんセンター科長でもあった。
「やっぱり原発にやられたんですかねえ」
p180「雪が見たい」

6)「原発労働記」(原発ジプシー改題)、「朽ちていった命」被曝治療83日間の記録)、「原子力 その神話と現実」高木仁三郎他・翻訳)などを初めとして、当ブログがめくってきた原発関連本リストの中に、またこの本も一冊加わることになった。

7)驚くことではあるが、原発関係の本は、実に再出版された本が多い。3.11後、電力も失われ、書店も壊滅し、図書館ネットワークも寸断された。気力も失われ、読書もままならない状態ではあった。この一カ月ほど、その遅れを取り戻そうと、意識して3.11以後に出版された本を読むようにしているのだが、原発や放射線に関しては、かなりの比率で、再出版本が多い。感覚で言うと、2冊に1冊は、かなり前に出された旧本である。

8)それだけ、原発や放射線問題は、ずっと前から常識化した問題であったのだが、あまりに圧殺されてきてしまった、という経緯があるのではないか。3.11の原発事故を受けて、改めて、再読する必要がでてきた、ということなのだろう。

9)原発はなぜ恐ろしいのか。原発の発する毒性は人間の想像力をはるかに超え、その毒性は一万数千年を経ても消えることはない。原発によるプルトニウムは俗に「耳かき一杯で百万人を死に至らしめる物質」をたえず放射し、垂れ流している。

 私の息子のいた敦賀原発は、原発の代表地区だが、すべての都市から、あるいは人口密集地から百キロメートルは離れて建てられている。人間への放射線の被害をできるだけさけるためである。それは死の灰が1年間に300キロワットも作られていく。

 わずか1グラム(耳かき一杯)で百万人の人を殺すことができるといえば、とても都会地で建設することは不可能である。原発が放つ毒性を扱えば、確実にガンになる。一粒のプルトニウムが肺に入っただけで、ほとんどの人は肺ガンになる。口から入るから舌ガンにも罹りやすい。p148「原子力発電所の実体」

10)今から30年以上前に書かれたこの文章は、いわゆる「推進派」から見れば、ちょっと待ってくれ、という内容を含んでいる。しかし、彼らに反論の余地を与えたとしても、一般人が昔から、このような恐怖を原発に抱えてきたことは間違いない。

11)原子力の平和利用について、放射線量を原行の20分の1に引き下げようとするライナス・ポーリングの提案に1万1千名の科学者が賛同している。しかし、日本では「札束で学者の頬っぺたを叩いて目を覚まさせるのだ」という政界の実力者によって、放射線基準はそのままである。p183「雪が見たい」

12)ここでライナス・ポーリングの名前がいきなり飛び出してきて、ドキッとした。

13)3.11の膨大な災害を受け止めきれず、呆然とする中、当ブログではその局面を「天地人」の3つに集約しようとしてきた。天に属するのは、地震と津波、地に属するのは原発と放射線。

14)原発と放射線に対抗しうる、個人の行動としては、せいぜいガイガーカウンターで周囲をチェックし、自宅の屋根に太陽光発電を乗っけてみるか、といったアイディアが浮かんでくる程度だ。

15)地震・津波に関していえば、あまりにその甚大な被害にただただたじろぐだけだが、避難袋をチェックしてサバイバル意識を心掛け、未来ビジョンとしては、エコシティあたりに夢をつなぐことが精いっぱいだ。

16)当ブログ、3.11直前はエコビレッジというキーワードを探っていた。エコライフ→エコハウス→エコビレッジ→エコタウン→エコシティ、という規模による関連が、もしあるとするならば、今回の震災後の復興案と目されるのは、エコシティくらいの大きなビジョンである。数万から数十万の人々が暮らす共同体である。

17)しかしながら、個人ととして取り組むにはあまりにも大きな規模であり、時間もかかる。まずは、自らの生活を見直し、エコライフ→エコハウス→エコビレッジへの想い、あたりのところで終わってしまうのが実情だろう。

18)それであったとしても、3.11天の巻、地の巻の、結論方向の道筋だけは見えてくる感じがする。

19)それに比して、3.11人の巻は、まだ、3.11後の当ブログの読書としては、まだまだ見えてきていない。瞑想やスピリチュアリティという単語が浮かんでは消えるが、どうもいまいち繋がらない。

20)3.11直後に、まずは読書を再開しようとして、ゲーリー・スナイダー山尾三省を読み始めた。この辺にヒントがあるだろう。その後、東北や、沿岸部というキーワードから、結城登美雄畠山重篤の近況を思った。今後、レイチェル・カーソンビル・マッキベンを思いつつ、宮沢賢治ヘンリー・D. ソローなどの「古典」からも多くを学んでいく必要があるだろう。

21)3.11というものが、現実的すぎるほど超現実であることを思えば、当ブログ「3,11人の巻」においても、観念的であったり抽象的であっては意味がない。より実存的であり、より行動的であるには、どうあればいいのか。人間としていきるには、どうあればいいのか。ふたたび、みたび、おなじテーマに、今また投げ出されている。

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2011/08/27

広がる広がれ太陽光発電 設置してわかったこと困ったこと クリーンエネルギーライフクラブ

【送料無料】広がる広がれ太陽光発電
「広がる広がれ太陽光発電」 設置してわかったこと困ったこと
クリーンエネルギーライフクラブ 2009/07 西田書店 単行本 95p
Vol.3 No.0429

1)こちらの本は2年前の本だが、太陽光発電のユーザーの集まり(CFLC)の積極的な取り組みのレポートなので、なかなか力があって、タメになる。

2)雪が積もったら、晴れていても発電しません。夜間、気温が下がって溶けた雪が凍結すると数日間発電低下が続くこともあります。溶けるのを待つしかないのですが、陸屋根の場合は、雪降しをすると、効果があります。p56「メンテナンスと保証」

3)わが家は豪雪地帯にあるわけではないが、雪は降る。雪降ろしなどは普段必要はないが、むしろ雪留めが付いているので、屋根に雪が張り付いていることもある。27度の角度があるから、まぁ、早めに滑り落ちてくれることを望む。

4)周りに高い建物が建つなど、条件が変われば発電量が低下することは予想出できます。p60

5)あらためて周囲を見渡せば、駐車場を挟んだ隣地に、マンションが建っている。高層ではないが、季節ごとの日照の角度によっては、影響がでてくる可能性がある。

6)周辺樹木や、送電線やテレビアンテナの影など、思ったよりも影響がある場合もあります。p60

7)自宅をあらためて眺めてみると、いや実にテレビのアンテナが問題になる可能性がでてきた。今までは共同受信アンテナだったのだが、地デジ化のために最近あらためてアンテナを上げたのだった。がっちりと工事してくれたのはいいのだが、パネルを設置するにあたって、これがむしろ工事する上でも、発電する上でも邪魔になるかも知れない。( ̄Д ̄;;

8)災害時は心配よりはむしろメリットを発揮する時です。たいていの設備には非常用のコンセントがついており、停電のときに自立運転に切り替えることによって、系統連係からはずれ、発電した電気をそのまま使用することができるようになります。(略)

 日が陰ると弱まり、安定的な電源とはいえませんが、非常時の貴重な電源となります。ワット数の大きいものや瞬発力の必要な電気掃除機などは向きません。p60

9)今回の3.11震災時においては、隣家の屋根に太陽光発電システムが乗っているということは、とても力強かった。電気釜でごはんを炊いたり、お風呂を沸かしたり、テレビを見たりと、長時間の停電が続いても、活躍していた。

10)モジュールの一部に影ができると発電量は落ちます。TVアンテナや電線といった大きな面積でもない影でも、発電量に影響することがあります。TVアンテナ、温水器、塔屋など、設置の際に移動できるか検討が必要となることもあります。p51

11)よくよく見ると、電柱の電線も影響してくるかもしれない。これはもう専門家に見てもらうしかないな。彼らは設置を優先するだろうから、ほとんど影響ないと言うかもしれない。でも、いくらかでも発電効率を高めようとすれば、電線の移動は難しいが、テレビアンテナの移動は必要になってくるだろう。

12)「わが家は太陽光発電所」には、実際のケース10例が見開きで2ページに渡って紹介されている。屋根の形、向き、メーカー、角度、発電実績などについて、的確に簡潔に紹介してあって、実に参考になる。

13)すでに10年以上も実績のある人たちなので、意識も高く、直接には語られていなくても、脱原発の希望が色濃く表現されている。

14)この人たち、今回の3.11における東電事故についてはどう思っていることだろう。この人たちの、最新の、新たなる提言を望む。

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2011/08/26

「太陽光発電は本当にトクなのか?」 山下和之

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「太陽光発電は本当にトクなのか?」 
山下和之 2010/04 毎日コミュニケーションズ 新書  207p
Vol.3 No.0428★★★★☆

1)この本は3.11のちょうど一年前に出版されている。だから情報は古いのであるが、時々刻々と変わっている太陽光発電廻りの環境につき、一年前は、さてどういう状況だったのか、ということを知るには大いに役に立つ。

2)「本当にトクなのか?」というのは、話題へ引っ張るための反語であって、答えは「おトクです」ということになる。ただし、よくよく考えてね、ということだ。

3)いま買わないとソンじゃないのか、いや3年後がチャンスだなどと、一番トクできる時期を見極めようと血眼になる必要はありません。本当に自分たちにとっていま必要なのか、いまでなければいつがいいのか、ジックリと家計や将来設計などに応じて見極めることが可能になります。p80「いつ買っても、『設置費用は10年で回収』が目安?」

4)ヤッパリな。初期投資を10年で回収したい、と思っていたのは、私ばかりではなかった。私は別にケチでもビンボーでもないのだ。一般的には、その感覚であるはずである。

5)2010年度に設置した人の買い取りが向こう10年間48円なのに、今年設置した人は向こう10年間42円の買い取り価格だ。なんだか不公平だなぁ、損した、と思っていたが、これには訳がある。

6)10年で初期投資を回収する、という目標を公にした場合、今後、初期投資がどんどん減って数年中には半額にする、と言ってしまうと、当然、私でも数年待って、半値で叩いて設置したいと思う。

7)つまり、早く増やしたい、今後どんどん安くなるだろう、という見込みの中、早期に設置した人が損をするようなシステムではいけない、ということだ。現在のやや高価な価格で設置した人には、向こう10年間買い取り価格で補助しましょうというシステムなのだ。

8)つまり48円→42円と減額してきた買い取り価格が、今後、また増えていく可能性はゼロに近い。つまり、来年度以降はず~と右肩下がりに下っていくことになるのである。

9)逆に言えば、昨年システムを導入した人より、今年導入する人は、42÷48で、対比で言えば88%位の初期投資額になっていてしかるべきだ、とも言える。

10)漠然と考えていた当ブログの、「初期投資100万、10年で回収」という目論見は、別に突拍子もない目標ではない。ソーラーフロンティアの105万(2.4kw)のセットなどは、別に安かろう悪かろう、ということではなく、おのずと安価になっていくだろう方向性を示しているだけに過ぎないのだ。

11)また買い取り(売電)価格の変動を考えれば、初期投資を惜しんで数年待つ、ということも、あまりメリットのあることではなさそうだ。早めに設置して、早めに初期投資を回収してしまえば、あとからのメリットは早くくる、ということになる。

12)ドイツでは、2000年に「再生可能エネルギー法」によって、「フィード・イン・タリフ(EIT)と呼ばれる制度を実施しました。
 これは、個人や企業が太陽光発電システムを設置することで得られた電力を、発電コストを上回る固定価格で買い取るもので、後に買収の上限枠も撤廃され、全量買取になりました。これによって、個人が自宅に太陽光発電システムを設置する動きが促進されるだけではなく、投資資金も集まってきます。発電コストより高く買い取ってくれるのですから、投資家も安心して資金を預けることができるわけです。
p44「ドイツでは全量を高額で買い取る制度」

13)テレビなどでも、にわかに外国の持続可能な代替エネルギーについての情報が流れるようになってきた。脱原発は世界の潮流であり、ひとりひとりが行動していかなければならない以上、個人としては、太陽光発電システム導入などは、数ある方法の中でも、今、もっとも現実的な行動である。それを促進するために、各国いろいろ工夫しているようだ。日本だって、工夫する必要があるだろう。

14)この本自体は、新築や昨年度まであったエコポイントの導入の仕方などに多くを割いており、必ずしも我が家にぴったりの本ではないが、太陽光発電システムを導入するための補助金申請は、4分の3が中古住宅だ、というのだから、わが家も、臆せず、もっと細かくプランニングしてみる価値はありそうだ。

15)現在(この本がでた当時)30万世帯だった太陽光発電を、10年後には1300世帯にしたい、という公的な目論見のようだ。これには多いに賛同する。つまりは1年間で100万づつが太陽光発電になるということだ。

16)ハイブリッド車プリウスが200万台を超えるのに、約10年かかっている。初期的な高価なイメージや技術の不安感を脱ぎ去って、ようやくブレークしたのはこの数年だが、1000万台になるまでには、まだまだ時間はかかるだろう。

17)他のメーカーや電気自動車などの開発によって、今後うなぎ昇りに増えて行くはずだが、太陽光発電業界も、もっと国家プロジェクトとして、根幹産業として育っていく必要があるようだ。

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わが家ではじめる太陽光発電<2>

<1>からつづく

【送料無料】わが家ではじめる太陽光発電
「わが家ではじめる太陽光発電」 <2>屋根から屋根へ、つなげみんなの発電所
太陽光発電所ネットワーク 2004/06 合同出版 単行本 159p

1)ネット上でも見積もりが取れるということが分かったので、いくつか入力してみたところ、さっそく、株SP社というところから電話がきた。電話で聞いたことでもあり、質問そのものが的を外しているものもあり、また、説明嬢の意図をきちんと汲みとれたかどうか疑問もあるが、以下メモしておく。

2)近くの業者から見積もりを取りにうかがわせる、という話だったが、それはちょっと待ってほしいと伝える。紙なりネットなりの情報はないのか、と聞くと、それはないという。質問なら、この電話で受け付ける、という。なるほど、30分くらいの電話への応対は、ほとんど完璧な受け答えだった。これで、こちらもだいぶ賢くなった。以下、箇条書き。

3)メーカー各社の人気度は、かなり固まりつつある。

1位 サンヨー(SY社)とパナソニック(PS社)。PS社はSY社の製品をOEMで販売しており、同じ製品。SY社はプライスダウンしており、一気に人気のトップを独走しつつある。HITタイプ?

2位 東芝(TS社)は自社ブランドで販売しているが、アメリカのサンパワーの製品を輸入して販売している。単結晶タイプ。

3位 シャープ(SP社)、京セラ(KS社)、三菱(MB社) 多結晶タイプ。発電量性能はやや落ちる。

4位 ソーラーフロンティア(SF社)。化合物タイプ。製品の販売価格は安いが、パネルの面積が広い。

4)3k、4k、5kという出力量の違いがあるが、人気があるのは4kタイプ。5.5kを超えると設備を増やすなり、性能が違ってくるので、高くなるなり、システムを再構築しなければならない。

5)ローンで購入する人もだいぶいる。利率は3%程度。10年~15年ローンを組む人も。

6)オール電化とは、太陽光パネル、エコキュート(深夜割引湯沸かし器)、IH調理器(電気調理器)を合わせたシステムのことであり、合わせて導入するとメリットがある場合もある。エコキュートの機器は50万くらい。

7)蓄電池はあることはあるけれど、100万位するし、蓄電量が少ない。節電タイプの冷蔵庫+節電タイプのテレビ+節電エアコンを夜間に同時に使った場合、3時間くらいで使い切ってしまう。導入している人もいるが、在宅で医療機械を使っていて、停電は絶対困るような人がほとんどである。

8)売電は42円、買電は24円。したがって、昼に発電したものをできるだけ多く売って、夜は安く購入する。つまり、昼の在宅率が高ければ、売電率は下がることになる。SOHOタイプの我が家はやや不利ということになる。

9)屋根にパネルを乗せる場合、瓦などに穴をあけることになり、場合によっては雨漏りの原因になる。キチンとした業者を選ぶ必要がある。アフターフォローが必要だ。

10)株SP社は、太陽光発電の販売店の育成がビジネスモデルで、その中でも、優秀な業者のみを一般に紹介しているという(ホントかな)。それにそんなにバラつきがあっては困る。

11)仮に今見積もりを依頼すれば、年内に設置、年開けて、2月あたりまでの公的申請は十分間に合うとのこと。

12)例えば、トップ人気のSY社を選んだ場合、商品不足もあって、設置まで2カ月程の待ちがある。設置工事そのものは1~2日で終わる。

13)モデルケースの場合は、4kwの発電量で、平均単価60万/kwなので、240万円程の設置料金となる。

14)SY社の場合、4kw発電の場合、面積としては24平米の屋根の面積が必要であり、SF社の場合は安価だが、面積はその倍(ほんとかな)位になる可能性がある。

15)電力会社の買い取り価格は22年度は48円/1kwhだったが、23年度は42円/1kwh。これは10年保証ということになる。来年度以降は安くなるだろうから、設置するなら今年度中に設置した方がいい(ちょっとセールストークっぽい)。

16)今回の電力買い取り法案は、法人向けの条件であり、個人契約ではほとんど違いはない。

17)設置する人は、売電が目的の人が多いので、可能な範囲で、大きなシステムにするという。(ほんとかな)

18)小さなシステムを最初設置して、あとから増量するのはどうか、と質問すると、屋根の痛みも多くなり、他の機器が必要になる場合もあるので、あまり勧められないという。

19)メーカー保証は10年だが、出力が90%くらいに下がる可能性は充分ある。それ以下の低下は故障・障害の可能性あり。

20)耐用年数は、各メーカー20年程度と公称しているらしいが、正確な数字はない。

21)以上、断片的なメモであり、各項かならずしも正確な内容ではない。ただ説明してくれたお嬢さんは、極めて親切で、ビギナーの質問にも、丁寧に何回も説明してくれた。

22)ちなみに奥さんがこんなニュースがあるよと教えてくれたのが、SF社についての「ついに始まった太陽光発電のテレビ通販!価格破壊の秘密はパッケージ化と大量生産」というニュース。

23)「出力2.4kWで、パネル以外に必要な機器と設置工事費込みで105万円。相場は1kW当たりおよそ55~60万円なので、驚くほど安い。家庭の使用電力を太陽光発電で賄い、余った電力は売ることで、4人家族の場合、光熱費が年間8万円節約でき、初期投資は12年で回収できるという。」出典、上のニュースから抜粋

24)そもそも売電が目的でもなく、初期投資100万、10年で回収、という当ブログのメルクマールにはかなり接近している内容だ。さて出力2.4kWという数字は、使用に耐えられる内容なのかどうか。助成金は申請できるのか。業者は確かなところが来るのか。

25)いろいろ問題はありそうだが、SF社の情報も、もうすこし調べてみる必要がありそうだ。

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2011/08/25

太陽光発電システムの不具合事例ファイル PVRessQ!からの現地調査報告 加藤和彦 

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「太陽光発電システムの不具合事例ファイル」 PVRessQ!からの現地調査報告
加藤和彦 2010/07 日刊工業新聞社 単行本 143p
Vol.3 No.0427★★★★☆

1)初期投資の回収も難しそうな太陽光発電だが、メンテナンスフリーと言われているランニングコストはどのくらいかかるものか。故障や修理は必要ないのか。

2)このような簡単な不具合なのにもかかわらず、太陽電池メーカや施工業者はきちんと点検に来ることもせずにパワーコンディショナの交換を勧め、また、自分自身もそれを即座に発見することができなかったという現実を目の当たりにして、わたし自身がそれまで信じていた「太陽光システムはメンテナンス・フリー」という謳い文句に大きな疑問を持ったのです。また、それと同時に「太陽光発電システムの不具合に困っていたり、あるいは、故障や不具合が起きていることに気づかずにいる方がこのおばあさん以外にもまだおられるのではないか」とも想像しました。p2「はじめに」

3)実際に設置してみなければわからないこともあるだろうし、メーカーや、製品個別の問題、業者の問題があるだろう。今回のような地震などの場合の対策など、メンテナンスを含む長期のランニングコストが、どうも見えていない。

4)太陽光発電システムが、いまいち人気が伸びないのは、このような総体としてのシステムに多くの不備を抱えており、一般ユーザーはそこのところを鋭く見抜いているからでもあるのではないだろうか。

5)著者はPVRessQ!という仕組みを立ち上げた。

6)わたしたちは4年ほど前から「PVRessQ!」という活動を進めています。これは「太陽光発電(PV)に、信頼できる(Reliable)、安全で(Safe)、持続可能な(Sustainable)品質(Quality)をもたせたい(!)という願いを込めたもので、具体的な活動内容は、現地調査による太陽光発電システムの故障・不具合の実体把握とそれにもとづく実用的な現地での不具合点検方法の考案です。

 いまのところ、このPVRessQ!は国家プロジェクトでもなく組織的な研究活動でもありません。わたしと所外の何人かの有志によって、細々と行っているものですが、少しでも多くの方にこの問題の重要性を理解していただき、活動の輪を広げ、いつか太陽光発電システムを長時間にわたって安心して利用していくための保守点検技術(ハードウェア)とその社会制度(ソフトウェア)を実現したいと願っています。p3同上

7)この本は3.11以前の昨年春にでた本でもあり、今回成立した「電力買い取り法案」が具体化する前の調査である。今後の太陽光発電を考えるなら、一般ユーザーとしては、このような活動は当然あることを前提として導入するので、いまだに明確になっていない、というのは不安材料ではある。

8)いままでは、国の方針が原発ありきで、代替エネルギー問題に本腰をいれてこなかったことのツケが廻ってきているのだ。

9)実際に、この本ではひとつひとつの事例を、カラー写真を交えて、その不具合と修理事例を列挙しているが、専門家ならず、ましてや技術屋でもない人間には、なかなか興味さえわかず、理解も進まない。

10)「設置しておわり」という感のある現在の太陽光発電システム普及のありかたを、「設置してからがはじまり」という考え方に転換していく必要があると思います。p143「おわりに」

11)それはまったくその通りだろう。どのような商品であっても、契約して納品してしまったら終わり、というシステムでは、社会的インフラとして、ながく信頼できるものにはならない。

12)最近の家電品なども、不具合を見つけて家電店に聞いても、修理するより、新しいものを購入したほうがいいですよ、と言われることが多い。たしかにそういう場合もあるが、本当に簡単な修理の場合もある。それなのにいちいち新しいシステムに買い替えるなど、太陽光発電の場合はできない。ほとんどの人にとって、一生で一回の買い物、ということで終わるだろう。それだけ、高額な買い物だ。

13)一般ユーザーも、自衛しなければいけない。

・信頼できるメーカー、工事業者を選ぼう。

・メンテナンスが難しくない商品を選ぼう。

・メンテナンスしやすい形状に設置しよう。

・多少の不具合なら、自分でもチェックできるようになろう。

・永く信頼できるメンテナンス業者と懇意になっておこう。

・ユーザーのネットワークを広げ、情報交換しよう。

・定期的に点検する心構えを作っておこう。

・小さな修理は自分でもできるようになろう。

14)脱原発を決定したドイツでは、製品を設置することではなく、システムを長期にわたって導入するインフラが整備されつつあるという。

15)ドイツのビジネスモデルでは、「システム・インテグレーター」が重要な役割を担う。その機能は、製品の卸(ディストリビューター)、プロジェクトの設計(プロジェクト・デベロッパー)、装置の設置(インストアラー)といった内容--より具体的には、コンサルティング、太陽電池やその周辺機器の選定と購入、大規模発電用の土地探し、システムの提案・設計・設置・管理・保証などだ。1社でこれらすべてを担うこともあれば、複数社が分担することもある。「プロが教える太陽電池のすべてがわかる本」p58「日本とドイツのビジネスモデルの違い」

16)日本においても、原発にばかり巨大投資をしないで、もうすこし大きな枠組みで持続可能な代替エネルギーに投資をする必要が、本当に来ているのだ。そこが改善されれが、太陽光発電は、脱原発のトップランナーになるに違いない。

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「太陽電池」のキホン 新エネルギーの切り札となる太陽光発電のしくみ イチバンやさしい理工系 佐藤勝昭

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「太陽電池」のキホン 新エネルギーの切り札となる太陽光発電のしくみ イチバンやさしい理工系
佐藤勝昭 2011/04 フレックスコミックス 単行本 190p
Vol.3 No.0426★★★☆☆

1)技術書だから、あれこれもう頭には入らない。実際に導入した場合、どうなのか、だけがこのところ、気になる。

2)この人、実際に自分で太陽光発電を導入している。

3)筆者は、1996年エコ住宅を建てました。それが2010年までの14年間に累計で約50Mwhもの電力を発電し、日常的に使いながら、累計14Mwhの余剰電力を系統的に供給できました。p186「エコ住宅15年を振りかえって」

4)1996年といえば、我が家でも改築した年だった。あの時、我が家も検討したのだが、導入するまでの熱意がなかった。収支計算すると、合わない、というのが決定的な理由だったが、当時導入した人たちは、収支計算以上の意味を、太陽光発電にすでにみていたのだった。

5)さて、50Mwhとは、どのくらいになるのか。Mw(メガワット)は1000Kwだとすると、50Mwh=50000kwh。14Mwh=14000kwh。1kwh=24円だとすると、120万円の電力をつくり、そのうちの、33万6000円分を電力会社に売ったということになる。

6)これが、一年間の商いではなく、14年間の商いだから、決して、目を見張るようなメリットのある「商売」ではない。

7)これが売電42円/1kwh。買電24円/1kwh、だとすると、(50Mwhー14Mwh) × 24円 + 14Mwh × 42円 = 864000円+588000円=1452000円 ということになる。

8)初期投資でどのくらい投下したかは分からないが、多分300万ー100万(補助金)で、最低でも200万の投資はくだらないと思う。

9)14年間で200万のうち約150万を回収し、性能が低下したとしても、まだ中古の太陽パネルが屋根に乗っているとすれば、まぁまぁ、自己満足のできる範囲ではあろうか。

10)(50Mwhー14Mwh) ÷ 14年 =約2600kwh/年 となり、月220kwh。 平均家族が300kwh/月の消費電力だとすると、年間80kwh × 12月で約1000kwh= 1Mwh/年の「買電」をした、ということになる。つまり14年間で結局34万円ほどの電気料金を払ってもいるのだ。

11)メリットのある投資ではないが、脱原発の基本的な行動として、自らマイホームの屋根に太陽光発電システムを設置する、ということは、即効力のあるものではないが、納得のできる示威行動にはなるだろう。 

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2011/08/24

今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<1>  ニュートンムック

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「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <1>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p
Vol.3 No.0425★★★★☆

1)こちらは、月刊誌「ニュートン」の特集号(2009/09)がリニューアルされ、情報も新しく加えられて、単独の別冊となった。

2)「太陽光発電をはじめるための五つの基本ステップ」68pなんてあたりが、なかなかためになる。設置者、設置業者、自治体、メーカー、電力会社、の連携が必要なんだな。

3)インターネットでは、発電量をシュミレーションしてみるページもあるらしい。そのうち試してみよう。

4)自宅発電においては、昼と夜、どちらに電気を多く使うのかによって、メリット、デメリットが微妙に違うらしい。

5)p106あたりの「全国230自治体補助金一覧」などが充実している。一般論を幾ら繰り返していても埒があかない。ここは少しづつ具体性を持たせて、自らシュミレーションしてみるしかない。

6)しかし、この表を見る限り、我が家のある市からは補助金はでない。県からはでるが、それほど多いものではない。国の補助金は全国一律。あとは、メーカーが補助金をだすところもあるので、すこしづつメーカーの選択も必要となってくる。

7)この本、さすがにニュートンだけあって、本格的で、美しい。しかし、仕組みや理論は、いくら繰り返して読んでもきりがない。

8)あとは、どこまでリアリティを持って、導入プランまで漕ぎつけるかだ。

<2>につづく

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徹底比較!「新エネルギー」がよくわかる本 風力・太陽光・バイオマス・地熱発電 レッカ社

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徹底比較!「新エネルギー」がよくわかる本 風力・太陽光・バイオマス・地熱発電…
レッカ社/早稲田聡 PHP研究所 2011/08 文庫 285p
Vol.3 No.0424★★★★★

1)たまに街にでたついでに立ち読み。新刊でも太陽光についての本も続々でているようだ。

2)自動販売機だが、一台当たりの一日の消費電力は飲料自販機で約6kwh、たばこ自販機で約1.7kwhだ。保冷や保温に電力を費やす分、飲料自販機の方が高くなっている。
 なお、一般家庭の一日の消費電力量は約10kwhとされている。飲料自販機2台稼働で、一般家庭を超えてしまうのも仕方ないかもしれない。
p44「自販機2台分で一般家庭の電力量を超える?」

3)やっぱりそうであったか。一般家庭の一日の消費電力量を約10kwhと見積ったのも、まんざらではなかった。

4)さらに、我が家の過去10年のうち、最高消費電力/月を記録した時も、実は、壁ぎわに自販機を2台設置してみたのだった。でなかったら、1000kwh/月なんて量はいかないのだ。

5)こうしてみると、我が家では、10kwh*30日=300kwhを、まずは最小限として~500kwh/月位の発電量を期待する、というあたりで、目標を立ててみることにしよう。

6)この本、太陽光にテーマを絞っているわけでもなく、文庫本なのだが、なかなか情報が充実している。

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3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ<1> 飯沼勇義

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <1>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社単行本 208p
Vol.3 No.0423

1)津波関連リスト 

「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 飯沼 勇義 1995/09 宝文堂

「津波てんでんこ 近代日本の津波史」 山下文男 2008/01 新日本出版社

「ルポ大津波と日本人」 佐野眞一 2011/4 講談社

「大津波襲来」三陸河北新報社(石巻かほく) 2011/05

「東日本大震災」 報道写真集  2011/05 読売新聞東京本社

「わたしの3・11」 あの日から始まる今日 茂木健一郎編集 2011/5 毎日新聞社 

「TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集」 豊田 直巳 2011/6 第三書館

「哀史三陸大津波」 山下文男 2011/06 河出書房新社

「鉄は魔法つかい」 畠山重篤 2011/06 小学館

「3・11その日を忘れない。」 飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社

「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 ファイト新聞社 2011/07 河出書房新社

「東北を歩く」 結城登美雄 2011/07 新宿書房

「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う! 復刻版 飯沼 勇義 2011/09 本田印刷出版部 

「解き明かされる日本最古の歴史津波」飯沼勇義 2013/03 鳥影社

2)飯沼 勇義という人、すでに80歳を超えた方である。仙台平野の沿岸部に住みながら、55年という長い年月を津波研究一筋に生きてきた人である。

3)実にすごい本というしかない。当ブログ、「3.11天の巻・津波編」リストの間違いなくトップを飾るにふさわしい一冊である。12月になったら、また半年ごとの「当ブログが読んだ2011年上半期の新刊本ベスト10」の中に入賞することは間違いない。

4)「「3・11その日を忘れない。」 なんとも小中学校の卒業文集のタイトルか、とも思えるタイトルながら、内容は乙女チックな感傷文集ではない。「歴史上の大津波、未来への道しるべ」というサブタイトルも、なんとおさえたコピーであることか。売らんがためのベストセラー出版社なら、この100倍、あるいは1000倍のインパクトのあるタイトルをつけても、決して間違いではないだろう。

5)氏独特の文書学ともいうべき眼力は、歴史書の端々から歴史津波の片鱗を嗅ぎ取る。そして、「哀史三陸大津波」などに見られる三陸地方の津波どころか、仙台平野の津波こそ、もっと巨大で、近い将来、確実にやってくる、と長年の研究から結論し、警鐘を鳴らし続けてきたのだった。

6)数年前から地元紙などにもたびたび取り上げられ、行政の首長たちへの直訴も、ほとんど変人扱いでまともに取り上げられることがなかったという。

7)氏は、自らの主張を確認すべく、仙台市宮城野区蒲生、仙台新港ちかくのアパートに居を構えた。その調査を続け、自説をするかのごとく「見事」被災し、かねてから、ここなら大丈夫と目星をつけていた仙台市高砂市民センターに逃げ延び、避難所の人となった。

8)この本に書かれていることの秀抜さについては、一挙に語ることはできない。まずは一つの歴史観を持たれていること。東北日高見国を根底に据えていること。「秀真伝ホツマツタエ」などに、津波その他の歴史的事実を求めていること。仙台地下鉄東西線の工事現場から発見された地層からの歴史的事実の証明。名取平野の熊野信仰と津波の関係性、当時の人々の暮らしぶり。実に見事な研究結果である。

9)西暦95~110年頃、この地方に巨大地震が起こり、大規模津波が発生し、太平洋沿岸の全域から広域の仙台平野全域は全面海になってしまった。この津波は私の伝承調査では、この2000年間でおそらく最大規模の津波ではないかと思われる。p43「予言された津波」

10)類する研究者もそう多くはないようだ。一読者として、にわかには読みこめない一つ一つの史実や文献ではあるが、この本の中に登場する地名や史実が、実に私の生活圏にかかわることなので、なんで、こんな大事なことを知らないで、私は今日まで来たのだろう、と恥じること多い。

11)1611年の慶長津波でも仙台平野は一帯が冠水。津波は現在の太白区長町4丁目周辺まで押し寄せ、薬師如来をまつる「蛸薬師」の由来にもなった。20p「仙台平野に巨大津波」

12)被災直後、町中から自宅に戻るまで、歩き続けていたが、時間的に言うと、ちょうど私が蛸薬師あたりを歩いている時間帯に津波は内陸部へと押し寄せてきている。道端のラジオニュースで三陸に津波が押し寄せている、というニュースをすでに聞いていたが、まさかあのタイミングで、私の足元に津波がやってくるなんて、とても思えなかった。

13)しかし、歴史的にはその可能性は十分あった。

14)あの時、とにかく家路を徒歩で急いだのは、「家」が心配だったからだ。自分の「命」が大切だったわけではない。

15)ちょうどあの頃、関東にすむ家族はテレビ画像をみながら、「津波が来ているから、早く高台に逃げて」とメールをくれていた。電波が途切れていたから、それを確認したのはあとからだったけど、本当に、家路を急ぐ前に、まずは高台に上がってみる必要があったのかもしれない。とにかく当時は、その心的余裕はなかった。

16)車だって、当日は、たまたま車を自宅において電車で行ったから徒歩で帰ってきたが、車で家路を急いでいたら、車を捨ててまで自分の「命」を助けることなどできなかっただろう。なんせ10数年ぶりに買った車、まだ半年しか経っていないのだ。

17)今回、たまたまこの程度に収まったが、沿岸部の人たちが、家族をたすけるために家に戻り、車を大事にするあまり、車とともに流されたりしていることを知るにつれ、決して、自分も、まずは自分の「命」だ、というところには直結できなかったことを猛省する。

18)いかに、自分がいろいろなものに執着しているのか、ということを知らされる。

19)この本には、きちんと救いが書いてある。

20)私がここで命を賭して申し上げたいことは、私たちが自然の主ではないというただ一点である。この世界の主体として働いているものは、人間の心でも考えでもないのである。はかり知れぬ力がこの世界を動かしている。私たちはこの世界に生かされているに過ぎない。この主客の転倒こそが、この大災害のような事態を生み出すのである。原子力も然り、巨大防波堤も然りである。それは世界というものに対する真の畏敬を失った者のなすことである。p193「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」

21)アラハバキがあり、「森は海の恋人」の畠山重篤があり、原発事故に触れる章がありと、この本、実に多彩である。当ブログが、のちに「3.11天の巻・津波編」を振り返るとしたら、この本をはずすことはできない。

22)「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」という、どちらかといえばおだやかな表現の中に込められた、凄まじい意味を、改めて肝に銘じておかなければならない。

<2>につづく

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福島原発難民―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年 若松 丈太郎

福島原発難民―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年 
「福島原発難民」―南相馬市・一詩人の警告 1971年‐2011年
若松 丈太郎 2011/5コールサック社 ソフトカバー: 158p
Vol.3 No.0422★★★★☆

1)地元の学校で長いこと国語を教えてきた高校の先生。すでに70台半ばの方だ。福島原発から20数キロの町に住んで、この40年間、原発の危険について、詩で告発しつづけてきた。

2)きわめて散文的な当ブログでは、詩の評価はできかねる。うまい詩なのか、一在野の方の趣味の世界なのかさえ、判断がつかぬ。しかし、ほとんど40年のあいだ、その主テーマを反原発に捧げてこられたことに頭がさがる。そのような運命のめぐりあわせであったのだろうか。

3)二年前の(もう二年前になるのか・・・)豊田政子著「八ッ場ダム ダムに沈む村」という詩集を思い出す。それぞれの人生の中で、とてつもなく不合理な出来事とであう。そのことについて、自らの心象を詩という表現でもって、何十年も告発しつづけてきた、という意味では、お二方に共通するものがある。

4)原発なんかいらない。実際のところ、国も電力会社も持てあまし、困り果てているにちがいないのだ。p67「チェルノブイリに連なる原発地帯」2006/06

5)わたしたちは、漂流し漂着する時代とそこに生きるわたしたち自身を、詩を書くことによって拾いあげようとしている。p72「さまざまな地名論」2008/12

6)わたしの現在の状況を原発難民だと言っていいだろう。地震や津波の被災者ではない。p124「原発難民ノート--脱出まで」2011/04/30

7)1994年にチェルノブイリを訪ねた経験をもとに、連詩「かなしみの土地」を書き、原発難民となった人々の思いを代弁したつもりだった。しかし、そのとき彼らの思いだと思っていたものは現在の自分の思いそのものであるという現実のなかに、わたしは置かれている。予測が的中することは、一般的にはうれしいという感情につながることが多い。しかし、危惧したことが現実になったいま、わたしの腸は煮えくりかえって、収まることがないのだ。なぜなら、この事態が、天災ではなく、人災であり企業災であるからだ。p132同上

8)このような方たちの前では、私は多くを語ることはできない。ただただ拝聴するのみだ。

9)この前、南相馬市まで行ってきた。80キロなんて、ほんのすぐそこだ。もう一方の原発も60キロだが、そちらのほうばっかり気にしていた。身内の者も、南相馬市の病院に勤務していて被災した。

10)今回3.11で明らかになったことは、原発事故は、100キロ、200キロなんて距離は、屁とも思わず、限りなく広域に被害を及ぼす、ということだ。もっと身近な問題として、原発問題は直視される必要があった。そして、もっともっと以前にストップさせなければならなかったのだ。

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2011/08/23

報道災害〈原発編〉 事実を伝えないメディアの大罪 上杉隆

【送料無料】報道災害〈原発編〉
「報道災害〈原発編〉」 事実を伝えないメディアの大罪
上杉隆/烏賀陽弘道 2011/07 幻冬舎 新書 310p
Vol.3 No.0421★☆☆☆☆

1)上杉という人、才能はある人なのだろうが、いわゆるジャーナリストとしては適正があるかどうかは、さだかではない。

2)以前「ジャーナリズム崩壊」を読んだ時も、なんだかなぁ、という脱落感を感じた。

3)私論ではあるが、私はジャーナリズム、ジャーナリストというものは、もっと黒子的存在であっていいと思う。なにかお笑いタレントのように目立ってしまうのは、ジャーナリズムの本道からは外れていると思う。

4)そのテーマが政治であれ、災害であれ、じっくりと記録し続けてこそのジャーナリズムではなかろうか。原発なら原発に、何十年と付きまとって追いかけている名ジャーナリストもたくさんいる。災害なら災害で、災害が起きる前から、ずっと同じ地域を愛して報道し続けている記者たちがたくさんいる。

5)この人は、私がみる限りにおいて、できるだけ目立つテーマを率先して手掛ける才能はあるのだろうが、どうも腹からの説得力がない。「ジャーナリスト無期限活動休止のお知らせ」とかを流したとか言われているが、ああそうですか、という感じ。いずれは何らかの形でそう成らざるを得なかったのではないだろうか。

6)といいつつ、確かに今回の原発事故の報道については、ジャーナリズムは反省すべき点は多くある。普段からの不勉強はお互いさまだが、一般大衆よりは半歩前にいてリードすべきジャーナリズムが、権力の走狗になってしまってはいけない。

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大津波襲来 石巻地方の記録 特別報道写真集 石巻かほく

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「大津波襲来」 石巻地方の記録 特別報道写真集 
三陸河北新報社(石巻かほく) 2011/05 A4 p92
Vol.3 No.0420★★★★☆

1)そもそも、地震直後には、外にでることもなかったし、ガソリン不足で遠出することもできなかった。書店も図書館も壊滅していたので、このような写真集を目にすることはすくなかった。また見る気にもなれなかった。

2)この写真集は、通常のマスメディアによる好奇心あふれるカメラマンたちによってできているわけではない。地元新聞の、さらに子会社による、地域密着による小部数発行の地域新聞社による記録である。

3)自ら愛するこの地方の発展繁栄を支援してきたはずの、地元ジャーナリストたちによるこの記録には、深いため息が込められている。愛する地元の、この惨状を見詰めることは、外にいる人間には計り知れないものだろう。直視したくない事実。しかしまた、直視しなければ、そこから前には進めない。

4)こういう形で愛する地方の「記録」を遺さなければならなかった当事者の方々の胸のうちをお察しします。

5)当ブログでは、3.11を「天地人」の三要素で見ることにしている。

6)「3.11天の巻」は、地震と津波、に集約される。だが、地震と、津波は、一連なりのものではない。地震は、常に、地球上、どこでも発生し得る。そして、直前まで、ほとんど予測がつかない。それに比して、津波は、沿岸部から数キロメートルという範囲に限られている。地震があって、それからわずかではあるが、タイムラグがある。そして、曖昧なものとは言え、周期性が認められている。

7)津波の被害は甚大だが、実は、その被害は、場合によっては拡大し、場合によっては縮小し得る、という性格を持っている。3.11という巨大災害の中に閉じ込めてしまわないで、ここは地震と津波をしっかり別物として区分けして、今後、じっくり考えていきたい、と思う。

8)当ブログにおける「3.11地の巻」は、原発と放射線、の問題としている。原発は、国家なり大資本なりの巨大権力が動かしている限り、一般人にはいかんともしがたいブラックスボックスである。うかがい知れない闇の中にあると言ってもいい。

9)それに比して、放射線問題は、とにかく一般市民といえど、身に降る死の灰は払わにゃならない。とにかく逃げまどいつつも、どこまで逃げるのか、どう逃げるのか、逃げずに済むにはどうすればいいか、を考えなくてはいけない。サバイバルしなければならないのである。

10)原発の是非はともかくとして、3.11以降、現代人として日本列島で生かされていくには、放射線と同居していくしかなくなったのである。東電原発から80キロ圏内にいて、さて、私はどのような生活スタイルをつくって行けばいいのか。作っていけるのか。どこまでが活動領域なのか。友人、知人、親戚、身内は、一体、どの辺あたりで暮らせばいいのか。とにかく、その辺を見極めなくてはならない。

11)当ブログにおける「3.11人の巻」は、まだ、しっかりとまとまってはいない。あまりにスピリチュアリティに偏った抽象性の高いものであっても意味ないし、数が多くなってもまとまらない。現在のところは、二つに絞るとすれば、「太陽光発電」と「エコシティ」ということになろうか。

12)持続可能な代替エネルギーとしては、原発に代わるものとしては、たくさんのことが言われているが、一個人として考えてみた場合、なんとか実用に成り得るものとしては、太陽光発電が、もっとも至近距離にあるだろう、と思える。エネルギー問題を、他人任せにして、ないものねだりをしながら、人の悪口をつぶやき続けることもできる。しかし、それでは何もはじまらないし、あまり充実感が湧いてこない。

13)象徴的な意味においても、人としてこの地球上に生きる上では、太陽光発電は、極めてシンボリックな存在に成り得ると思う。ひとりひとりが実際に具体的に、何に取り組めばいいのか。そこのところのメルクマールとなるだろう。

14)3.11直前においての、当ブログのテーマは、エコビレッジだった。規模としては、極めて小さなものだが、個人や少人数のグループが取り組めるものとしては、エコビレッジという名称が最も適していた。しかし、3.11後においては、ビレッジ単位をはるかに超える形で、地域を造り変える必要がでてきた。どう変えるのか。そこに、大きなビジョンが示されなければならない。

15)エコシティ、とは、今まだ出来上がったコンセプトではない。しかし、これからの地球と人類の未来を見据えた形で、人間たちが生きていく暮らしをしっかりと作っていかなければならない。ひとりひとりのエコライフは、エコビレッジからエコシティへと拡大し、さらには、地球全体のエコロジカルなシンフォニーに溶け込こませていく必要があるのだ。

16)地震、津波、原発、放射線、太陽光発電、エコシティ。この6つのキーワードで、まずは、この3.11以後を見詰めていきたい、と思っている。。

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「くるくる回して 充電くん 〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト~」

くるくる回して 充電くん 〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト〜
「くるくる回して 充電くん」  〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト~
2011/8
Vol.3 No.0419★★★★☆

1)「1台7役 手回し充電ライト 携帯レスキューそなえ君」が、あまりに可愛かったので、こちらの充電くんも入手してみた。

2)この手のものは安いので、複数あってもいいかな、と思っていた。アフェリエイト・ポイントを使うことができたので、さらに安くなった。

3)充電くんのよいところ。

・イヤフォンジャックがあるので、廻りに迷惑をかけないでラジオを聞くことができる。

・ダイヤルの目盛が大きいので、選局しやすい。

・1分間の充電で10分のラジオが聞けるという効率のよさ。

・スタイルがスマートなので、ビジネス時に胸のポケットにいれておくこともできる。

・ライトも1分間の充電で40分点灯!

4)でも、充電くんにも欠点がある。

・USB回線で、自らを充電することはできない。

・ストラップがついていないので、コード類が紛失しやすい。

・回転数2.5~3回/秒となり、スマートフォンはサポートしていない。

・アンテナが金属製なので、ちょっと邪魔になるかも。

・サイレンがついていない。

・ライトの照度は必ずしも十分ではない

5)などなどではあるが、両方とも充分合格圏にある。それぞれの特性を理解して、使い分けるのがいいだろう。オレンジ色で流線型の「そなえ君」は自宅や茶の間の奥さま用。白色の「充電くん」は、胸ポケットにいれて外出用、と使い分けることができるだろう。

6)ちなみに、「そなえ君」の充電能力をメモしておく。スマートフォン(IS01完全放電)の場合

・1分回転 → スイッチは入るが起動せず

・+1分回転 → 起動するがOS立ち上がらず

・+3分回転 → OS立ち上がるが、アプリ起動せず(充電10%以下)

・+10分回転 → アプリ起動するが、ワンセグ起動せず(充電10%)

・+30分回転 → ワンセグ起動 (充電20%以下)

・+60分回転 → 正常使用可能(充電20%以上)

7)一時間手回しし続けることは不可能ではないが、疲れる。これ以上の実験をしてみようかな、と言う思いがあったが、気力が続かなかった。いざとなったら、そんなことは言っていられないが、充電するのは、結構大変だ、ということは体に摺り混んでおく必要がある。

8)手では疲れるといういう人は足回しはどうだろう。

【エントリー&レビューでポイント合計6倍】※8月24日(水)23時59分まで 充電丸 LEDライト AC・DC・USB充電可【送料無料】 マリン商事 まわしてチャージ充電丸 充電バッテリー 【2P_0817】
「 まわしてチャージ充電丸」 
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9)そもそもルームサイクリングで充電できないのだろうか、と思っていたのだが、これは簡潔にペダルと充電器とライトの組み合わせの製品だ。使ってみないと効果は分からないが、これだけのシステムで1万円ちょっと、という値付けには心が動く。最安価格11,461円。ただし品薄。数カ月待ち。

10)とにかく、脱原発を考える場合、最小システムとして、この辺あたりからスタートして、太陽光発電あたりの現実味を模索していく必要がありそうだ。8~10時間の運動で約100w/1h分の充電できる、とのことだ。一般家庭での平均的(やや少なめ)の一日10kWhを得ようと思ったら、800~1000時間こぎ続けなければならない。

11)1日は24時間しかないわけだから、現実的な話ではないが、明りとりとかパソコン用とか、サーバー運用とか、使用目的を絞りこめば、充分活躍してくれそうだ。

12)それにしても、こうしてみると、やっぱり太陽光発電は、結構効率がいいのではないか、と思える。

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大震災・原発事故とメディア メディア総合研究所/放送レポート編集委員会

【送料無料】大震災・原発事故とメディア
「大震災・原発事故とメディア」
メディア総合研究所/放送レポート編集委員会 2011/07 大月書店 全集・双書 142p
Vol.3 No.0418★★★★☆

1)原発関連リスト

「原発・核事故に備えろ」林義人・他 2000/02 学習研究社

「朽ちていった命」NHK「東海村臨界事故」取材班編 2006/09 新潮社

「プルトニウム発電の恐怖」小林圭二他 2006/10 八月書館

「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島 2010/08  広瀬隆

「「原子力事故」自衛マニュアル」桜井淳(監修) 2011/04 青春出版社

「日本の原発危険地帯」鎌田慧 2011/04 青志社

「原子炉解体」石川迪夫 2011/04 講談社

「福島原発人災記」川村湊 2011/04 現代書館

「福島原発難民」 若松 丈太郎 2011/5コールサック社

「原発労働記」堀江邦夫 2011/05 講談社

「原発震災が大都市を襲う」船瀬俊介 2011/05 徳間書店

「大津波と原発」 内田樹/中沢新一 /平川克美 2011/05 朝日新聞出版

「原発暴走列島」鎌田慧 2011/05 アストラ

「福島原発メルトダウン」 FUKUSHIMA  広瀬隆 2011/05 朝日新聞出版

「暴走する原発」 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと 広河隆一 2011/05 小学館

「原発と人間」週刊朝日増刊2011/ 6/5号

「こうして原発被害は広がった」 ピアズ・ポ-ル・リ-ド他 高橋健次 2011/06 文藝春秋

「原発報道とメディア」 武田徹 2011/06 講談社

「いま原発で何が起きているのか」共同通信社 2011/06

「福島原発の真実」 佐藤栄佐久 2011/06 平凡社 2011/06 現代書館

「原子力事業に正義はあるか」 六ケ所核燃料サイクルの真実 秋元健治 2011/06 現代書館

「原子力 その神話と現実」高木 仁三郎他 2011/07 紀伊国屋書店

「原発をつくった私が、原発に反対する理由」菊地洋一 2011/07 角川書店

「原発に頼らなくても日本は成長できる」円居総一 2011/07 ダイヤモンド社

「福島第一原発事故を検証する」 桜井淳 2011/07 日本評論社

「脱原発社会を創る30人の提言」池澤夏樹他 2011/07 コモンズ

「報道災害〈原発編〉」 上杉隆/烏賀陽弘道 2011/07 幻冬舎

「3.11から始まったこと」 講師:小出裕章 2011/8/5 ハーネル仙台

「もう原発にはだまされない」 放射能汚染国家・日本 絶望から希望へ 藤田祐幸 2011/08  青志社

「原発廃炉に向けて」 福島原発同時多発事故の原因と影響を総合的に考える エントロピー学会 2011/08  日本評論社 

「福島の原発事故をめぐって」 いくつか学び考えたこと 山本義隆 2011/08  みすず書房

「福島 原発と人びと」 広河隆一 2011/08 岩波書店

「ルポ原発難民」  粟野仁雄 2011/09 潮出版社

「原発のない世界へ」 小出裕章 2011/9 筑摩書房

「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」 田口ランディ 2011/09 筑摩書房

「小出裕章が答える原発と放射能」 小出裕章 2011/09 河出書房新社

「娘と話す 原発ってなに?」 池内了 2011/10 現代企画室

 

2)「放送レポート」という放送人向けの雑誌があるらしく、今回の3.11を受けて、別冊をだした。緊急に編集された模様で、一読者から見れば、薄い雑誌スタイルのわりには内容はバラバラで、必ずしもまとまった印象はない。ただ、放送人としての誠意ある態度を示そうとする真意はじわじわ伝わってくる。

3)放送人が見た「私の震災体験記」p8 12人のレポートがまとまっている。放送人だからといって、被災の仕方に、一般人ととくに違ったものはない。それぞれの3.11だった。

4)パネルディスカッション「ラジオに何ができたのか」p38 5人の登場者によるラジオ論。私も今回の震災では、一番ラジオが大切だ、と感じた。お手軽に持ち運べること。安価なので、一人で何個も準備できること。他の作業をしていても聞いていることができること。車の中でも、ベッドの中でも聞くことができる。電池が長持ち。地域に根差した、より細かい情報が拾える。地域災害FMなども、ラジオではないと聞けない。

5)パネルディスカッション「原発事故とメディア」p61 必ずしも統制がとれていたわけではない放送局の内部。それぞれの反省が語られるが、放送界全体の反省ではなく、一部の意識ある人たちの本音でしかない。だが、やっぱり中の人たちもそういう感想を持っていたか、と再確認する。

6)その他、資料が追加されている。

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2011/08/22

徹底特集「太陽光発電」なぜ今,太陽電池なのか? そのすべてがわかる Newton

Photo
徹底特集「太陽光発電」なぜ今,太陽電池なのか? そのすべてがわかる
Newton (ニュートン) 2009/09 ニュートンプレス 月刊 雑誌
No.0417★★★★☆

1) 総論的に太陽光発電を論じていても、ちっともリアリティがない。ここはそろそろ、我が家に実際に導入できるものかどうか、具体的にシュミレーションする時期に来ているのではないか。

2)まず、自分自身のことを知らなければならない。

・月間消費電力量 500kwh/月 この10年間の平均

・最高消費電力量 1000kwh/月  4人暮らしの冬場

・最小消費電力量  250kwh/月  2人暮らしの夏場

・最近平均消費電力400kwh/月  直近の2年間平均

3)この消費電力は多いか少ないか。SOHOのIT機器の消費もあるし、一部電照看板もあるので、一般家庭よりは、多めだろう。今後、家族が変動する可能性もあるが、まずは5~600kwh/月の電力を必要とするだろう。

4)対する設置場所と想定する我が家の屋根は

・ほとんど真南(やや3度ほど東寄り)

・屋根の角度 27度(残念ながら30度いかない)

・屋根面積(南側) 35m2 + 15m2= 50m2 程度(最大限として)

・西洋瓦につき設置方法を考える必要がある。

・日陰になるような建物や樹木はないが、テレビアンテナの支線の針金が鳥たちの止まり木となり、糞などで、パネルが汚れる可能性あり。

5)対する補助金は、国が1kwあたり4.8万円、県が同2.5万円(最大10万)、一部メーカーなどにより同10万円。我が家の場合、市からの補助はなし。合計1kwあたり17.3万円。3~5kwのシステムを導入する場合、およそ40~60万の補助が期待できそうではある。

6)この本には、2年前のデータではあるが、8社の商品の比較がある。p48

シャープ、京セラ、三洋電機、三菱電機、カネカ、昭和シェルソーラー、ホンダソルテック、三菱重工業

いずれも有名メーカーだが、それぞれに特徴がある。値段はモデルケースとして、330万程度~150万程度、とまちまちだが、一体何がモデルケースなのかも、まだよくわからない。シャープ、京セラは定番というところか、200~250万。三洋、三菱はもっと高価で、昭和シェル、ホンダソルテックはかなり安価。

7)投資100万(補助金を50万と見込めば150万)で、10年間で初期投資回収、という当ブログの甘い目論見は達成されるのか。

8)大雑把に言って、南屋根(角度30度)だと、1m2あたりのパネルの月間発電量は約10kwhという(p50)から、仮に30m2のパネルを付けた場合、300kwh。

9)自家消費150kwh、売電が150kwh 買電が250kwhとした場合、売電150×42円=6300円。買電が250×24円として6000円。月平均で6300-6000で、300円のプラスになるかもしれない。プラスにならなくとも、±0程度に持っていく方法はありそうだ。

10)蓄電にはいくつかの問題がある。その中の一つが、「直流を交流に変換するときの電力のロス」だ。p52

11)蓄電池の開発は遅れているようだが、当ブログとしては、ぜひそちらにも期待したい。昼時間に自宅で作った電気を、夜間に消費する、というのが究極の(というかあたりまえの)システムのように思えるのだが、まだまだ高価である。100万以上するだろう。

12)実に大雑把な、獲らぬ狸の皮算用だが、しないよりましだろう。今後、このメモを次第に絞り込んで、もっとリアリティのある試算としてみたい。

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人間と環境への低レベル放射能の脅威 福島原発放射能汚染を考えるために ラルフ・グロイブ他

【送料無料】人間と環境への低レベル放射能の脅威
「人間と環境への低レベル放射能の脅威」 福島原発放射能汚染を考えるために
ラルフ・グロイブ/アーネスト・J.スターングラス 2011/06あけび書房  単行本 337p
No.0416★★★★☆

1)低量放射線に対する最もオプチミックな本が中村仁信 「低量放射線は怖くない」(2011/06)だとすれば、低レベル放射能に対する最もペシミステッィクなのが、こちらのこの本と言えるだろう。

2)「低量放射線」と「低レベル放射能」という表現の違いがあるが、一般社会人の中でももっとも無知な部類に属する当ブログとしては、その違いに大きな差異を認めない。

3)放射線とは、放射性物質から放たれる力のことであろうし、放射能とは、放射性物質から力を放つ能力のことであろうとすれば、「低量放射能」とか「低レベル放射線」とは表現されにくい、ということはわかる。

4)ただ、表現されようとしていることの、根本的な現象は同じことから発せられているはずだ。

5)1985年に初版が出版され、1994年には改訂第二版が出版された。ドイツ語で出されたものが英訳され、そこからさらに日本語へと重訳されたものと思われる。

6)邦訳の準備が進んでいたところ、3.11原発事故が発生し、日本国内としては、時機を得た出版になった。

7)専門家ならぬ、一般のふわふわした読者でしかない当ブログとしては、このような専門書(読者層を広く設定しているが)を詳しく読み下す力はない。ただ、しきい値以下を、ゼロと読んでしまうのか、こまかく追っかけるのか、ではだいぶ違ったことになっている、と思う。

8)にわかに、どちらが正しいのかは判断はつかない。デジタル思考で、安全、危険、という二価値判断だけでは、今回の放射線問題は解決しないはず。

9)低レベル=低量であるなら、安全とするのは、いわゆる原発推進派で、低レベル=低量であっても、なお危険、とするのが、脱原発派、という色分けになっている。

10)どちらかと言えば、脱原発派の当ブログとしてみれば、当然、低レベル=低量であっても、被曝したくないのに、被曝させてしまう原発は要らない、ということになる。

11)推進派のオプチミズムの一つのささえとなっているホルミシス効果(仮説)も、キチンと証明されている物でもなければ、一般的に支持されているものでもない。ホルミシス効果は、希望する人が自らの意思で被曝すればいいこと(例えばラドン温泉に浸かる)だが、希望しない者たちをまで、無差別に巻き込む放射線の乱射は、ホルミシスとはまったく意味がちがう。

12)こちらの本は、人間の肉体に関するばかりではなく、自然環境、とくに森林に対する影響などを検証する。あまりに広範囲に及ぶ話なので、なかなか追い切れない。こちらは、せいぜい、今回の3.11における影響下において、自らが生活していくのに、現在の環境が適しているのかどうか、ということを、まずは確認したいのである。

13)このような本は、誰か信頼できる専門家がキチンと読みこんで、私たちに分かりやすい形で説明してくれるのがいいだろう。あるいは、時間はかかるだろうが、このような本がある、ということをキチンと覚えておいて、さまざまな資料を乱読した上で、再読、精読してみるのがよいのであろう。

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2011/08/21

放射線・放射能がよくわかる本 多田順一郎

【送料無料】放射線・放射能がよくわかる本
「放射線・放射能がよくわかる本」
多田順一郎  2011/07 オーム社  単行本 163p
No.0415★☆☆☆☆

放射線関連リスト

「原発・核事故に備えろ」 林 義人他 2000/02 学習研究社

「朽ちていった命」 NHK「東海村臨界事故」取材班 2006/09 新潮社 

「地震 停電 放射能 みんなで生き抜く防災術」 小学館防災チーム  2011/04 小学館

「「原子力事故」自衛マニュアル」事故・災害と生活を考える会他 2011/04 青春出版社

「自宅につくる震災対処PCシステム」 日経BPパソコンベストムック 2011/05 日経BP社

「自然災害最新サバイバルBOOK」 エイムックエイ出版社 2011/05

「低量放射線は怖くない」 中村仁信 2011/06 遊タイム出版

「人間と環境への低レベル放射能の脅威」 ラルフ・グロイブ他 2011/06 あけび書房

「知っておきたい放射能の基礎知識」 斎藤勝裕 2011/06 ソフトバンク・クリエイティブ

「ガイガーカウンターGuideBook 放射能から身を守る!!」 日本放射線監視隊 2011/06 フレックスコミックス

「基本を知る放射能と放射線」 藤高和信 2011/07 誠文堂新光社

「放射線から子どもの命を守る」 高田純 2011/07 幻冬舎ルネッサンス

「放射能のウソ・ホント」 大谷浩樹・監修 2011/07 東京書店

「「巨大地震」「大津波」「放射能」から身を守る100の方法」 主婦と生活社 2011/07

「放射線・放射能がよくわかる本」  多田順一郎 2011/07 オーム社

「M9大震災サバイバル術100問100答」 山村武彦 2011/07 成美堂出版

「3.11後の放射能「安全」報道を読み解く」 影浦峡 2011/07 現代企画室

「原発・放射能図解データ」 野口邦和他 2011/08 大月書店

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1)この本もまた、当ブログの裁定ライン上では、0点の評価となる。この人にかかったら、何を言っても、誤解だ、間違いだ、心配ない、ただちに健康に影響はない、とひっくりかえされそうだ。

2)いわゆる「専門家」から見れば、にわか勉強で放射線について知ろうとしている人々の質問にこたえることなど、赤子の手をひねるように簡単なことだろう。そんな理解では、放射線はわかりませんよ、と、せせら笑われているようだ。

3)脱原発を叫ぶ急先方の人たちが、使用済み燃料や高レベル廃棄物を安全に保管する施設の設置に反対する人たちであるのは、なんとも皮肉なことです。p98「脱原発で考えなければならないこと」

4)この人の立場は、麻薬を売り込んで中毒になりかかっている人間に、もうお前は、麻薬をやり続けるしかないのだ、と、暗闇で脅しているようなものだ。まったくいい加減なやつだ。

5)今現在、地球上で、使用済み燃料や高レベル廃棄物を安全に保管する施設の設置」することなどできない。安全に保管できない施設だから反対しているのであって、「安全に保管する施設」を発明できたら、それこそノーベル賞ものだろう。

6)この本について、もっといろいろ言おうと思っていたけど、なんだかアホらしくなってきたので、もう止める。3.11以降においても、こんな論理で生きていける、ということ自体、以前からいい加減な生き方をしてきている、ということなのだろう。

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基本を知る放射能と放射線 藤高和信

【送料無料】基本を知る放射能と放射線
「基本を知る放射能と放射線」
藤高和信 2011/07 誠文堂新光社 単行本 143p
No.0414★★★★☆

1)3.11以降、この手の本はたくさんでているに違いない。当ブログでも何冊か手にとってみたが、大体似たような内容で、分かる所は分かるが、分からないところは、いつまで経っても分からない、というのが本音。

2)この本は「JAXA宇宙放射線被曝管理分科会委員」という肩書を持つ人の本であるだけに、推進派とも脱原発派ともとれない、ニュートラルな表現が続く。

3)ただ、本体としては、見開きページで、横書き左半分が文章で語られ、右半分が図解やイラストとなっており、前ページ、オレンジと黒の二色刷りなので、とっつきやすく、読み切りやすい。どうかしたら、小学生だって読めてしまう。

4)1986年4月26日のソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ事故は原子炉暴走型の爆発で、その規模は広島型原爆の600倍程度でした。実験する予定だったレベルで実験できず、低いレベルで実験を行ったのが原因とされてます。

 事故処理者は合計で80万人、移住させられた者は40万人という説もあります。また多くの者がガンと白血病に苦しんでいるといいます。死者数はまだはっきりしません。

 この事故は福島第一原子力発電所の事故と同じレベル7です。現在も、原発から北東に向かって約350kmの範囲内でにはホットスポットとよばれる放射能高濃度汚染地域が点在し、農業や畜産が全面的に禁止されています。

 世界中の眼を向けさせた大事故でしたが、これらから教訓を得なければなりません。p45「チェルノブイリ、スリーマイル島原発事故」

5)チェルノブイリもまた、直下型地震が原因だったとする説もあり、いまだに死者の数も確定できないなどという。世界中、なぜにこれほどまでに、原発のこととなると、情報が十分に公開されないのか。教訓を得ようとしても、十分に公開されていないので、得ることのできない教訓がたくさんある。

6)原子力と宇宙の研究はともに時代の先端に位置するものです。広大なインフラストラクチャーを備え、その各成分がつつがなく動くこと、これが保証されないと動きません。皆さんはその全貌をつかみ、それを遠くに眺めながら、そのほんの一部分の課題とも真面目に取り組んでください。p142「あとがき」

7)なにも「時代の先端」に位置するのは原子力や宇宙の研究ばかりではあるまい。コンピュータを中心と知る情報工学にともなうインフラの変貌や、内的宇宙である意識の研究は、脳科学の発展とともなって、「人間とはなにか」という先端の研究ということができる。

8)そもそも、「時代の先端」である、という傲慢な考え方が、科学や原子力の盲信と暴走を生んだのであり、すくなくとも今回の原発事故を踏まえて、「原子力研究」は時代の「最後端」に廻って、すこしおとなしくしてもらいたい。

9)本書では、皆さんに幅広い分野を紹介するため、モニタリングの方法や、加速器までをカバーしました。また、温泉における放射線についても取り上げました。放射能や放射線について考え、正しく理解し、これからについてじっくり考えていきましょう。
 皆さんの未来の活動に期待します。
藤高和信 p142「あとがき」

10)現場の現役の人間が、「自分たち」で起してしまった事故の後始末も満足にしないで、未来の「皆さん」に期待されてもこまる。もっともっと徹底的な「猛省」が望まれる。すくなくとも、この本では「猛省」の姿勢が見えない。きれいごとを言いつつ、後始末は、未来人への「丸投げ」ですか。

11)他人に正しい理解を強要する前に、まずは自分の「理解」を総点検する必要があるのではないだろうか。

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プロが教える太陽電池のすべてがわかる本 最新の太陽電池技術を基礎から学んでみよう! 太和田善久

【送料無料】プロが教える太陽電池のすべてがわかる本
「プロが教える太陽電池のすべてがわかる本」 最新の太陽電池技術を基礎から学んでみよう!
太和田善久 2011/09  ナツメ社  単行本 255p
No.0413★★★★★

1)当ブログ現在のところ、2011年9月発行とされる本の第一号。もっとも新しい最新刊である。(現在はまだ8月)。それだけに、情報が新しく、太陽光発電に対する頼もしい情報が、きちんと整理されている。

2)従来の太陽光発電システムでは、発電した電気をためておくことができないため、余剰分は電力会社に売電というかたちで買い取ってもらっていた。この余剰分をバッテリーに蓄え、日照のない夜間や悪天候の日に使用するのが、蓄電池付太陽光発電システムだ。p163

3)ドシロートの私にはどうしてこの「蓄電池付き」が、積極的にこれまで開発されてこなかったのかが不思議だった。余剰電力を売ることのできる「系統連係運転」だけが開発されてきたが、これでは地域独占の電力会社に対する対抗力には成り得ない。蓄電池付きの「自立運行」が基本にあってこその太陽光発電だと思う。

4)蓄電池の開発コスト、設置コスト、メンテナンスの複雑化、などいくつかの難点はあげられるが、バッテリーの開発も進み、結局は停電時には使えないとか、売買電のシステムの複雑さへの嫌悪など、蓄電化への想いをもっている一般家庭人は多いはずだ。

5)東日本大震災の影響から原子力発電が見直され、自然エネルギーへのシフトが望まれるようになった今、さらには計画停電への対策としても、蓄電池付太陽光発電システムの需要が高まっていくと予想される。p163

6)当ブログは今後も太陽光発電をおっかけてみたいと思うが、余剰電力の売買システムや、メガソーラーシステムより、この蓄電池付太陽光発電システムをメインとして期待したい。

7)日本の太陽光発電のビジネスは、太陽光パネル(あるいは、付住宅)を販売するところで、つまり「モノ」を売る所で終わっているのに対し、ドイツなどでは、その後のコストや効率の運用システムの提供がビジネスモデルとなっている。

8)ドイツのビジネスモデルでは、「システム・インテグレーター」が重要な役割を担う。その機能は、製品の卸(ディストリビューター)、プロジェクトの設計(プロジェクト・デベロッパー)、装置の設置(インストアラー)といった内容--より具体的には、コンサルティング、太陽電池やその周辺機器の選定と購入、大規模発電用の土地探し、システムの提案・設計・設置・管理・保証などだ。1社でこれらすべてを担うこともあれば、複数社が分担することもある。p58「日本とドイツのビジネスモデルの違い」

9)太陽光発電に関心を持っても、どこに相談したらいいか悩んだりするが、この部分をもっと積極的に押し出して、コンサルティングをメインとするビジネスモデルが日本にも必要だ。これなしには、説得力のある今後の太陽光発電推進にはならない。

10)私案の一つに、太陽光発電による震災地の復興策がある。これは仙台平野の津波冠水地区の面積1.1万ha、福島原発周辺の米作付け禁止水田1万ha、計2.1万haを国が借り上げ、太電池ギガファームを建設するというものだ。

 これにより、おおよそ21GWの太陽光発電所が建設可能で、発電量は24.8TWhkだから、仙台平野と福島原発周辺だけでも、福島第一原発に近い電力供給が可能になるわけだ。p7大和田善久p7「はじめに」

10)仙台平野の住民の一員として、こんな馬鹿げた<戯画ファーム>には断固として反対する。こんな私論は、実際に仙台平野や福島の現地に立ったことのない人が考えることだ。あの緑なす豊かな大地は、大市場を控えた農地であってこその豊かさなのである。太陽光発電だけが目的なら、他にそれに適した地があるはずだ。

11)それに、大体において、メガソーラーから大都市に電力を送る、という発想も好ましく思わない。それでは結局は原発設置と、おなじような発想構造になってしまう。エネルギーもまた地産地消でいくべきだ。まずは、自分がつかう電力は、自分の生活圏内での生産を試みるべきではないか。規模を大きくするだけがよいことではない。

12)p124の「日本各地の日照時間ランキング」を見ると、宮城県は47都道府県のうち41位である。岩手県が36位で、福島に至っては44位だ。以下、青森、山形、秋田が最下位、と最も日照時間が短い地域が東北なのである。投資を回収する、と言う意味では、東北はメガソーラーの適地とは言い難い。

13)また、このことは、個人設置の自立運行や系統連係運用にしても、現地の人間としては、キチンと把握しておく必要がある。

14)2030年には、7円/kWhの世界を実現しなければならない。ちなみに、「7円/kWh」という数値は、日本の火力発電所の平均的な発電原価に相当する。つまり「発電コスト7円」とは、発電所建設の展開を促す一大メルクマールであるとともに、太陽光初d年が飛躍的に普及し、産業として自立化するための前提条件でもあるのだ。p225「『7円/kWh』で開ける展望 2020年10円、2030年7円」

15)売電システムだけで考えるのではなく、自立運用として、費用対効果が「投資100万円、10年で減価償却」、「中古マーケットの活用」という当ブログの手さぐり目標が、上の数値でいうと、どれほどになるのか、今後、さらに調査してみたい。

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2011/08/20

停電・震災に備えるPC管理術 データ/ネットワークを守る安心環境を構築せよ 橋本和則

【送料無料】停電・震災に備えるPC管理術
「停電・震災に備えるPC管理術」 データ/ネットワークを守る安心環境を構築せよ
橋本和則 2011/07 技術評論社 単行本 255p
No.0412★★★★☆

1)震災後、なにはともあれ家路を急いだのは、自宅が火事になっていないか、という心配だった。一足先に帰った奥さんから「家は大丈夫だが、家の中はめっちゃくちゃ」という断片的なメールを受け取ってからは、今度はパソコンまわりが心配になった。

2)震災時は、留守だったので、パソコンまわりの電源は切断されていた。あとは、物理的な損害の確認だ。

3)実際には、一言で言って大丈夫だった。かなり机などは動いていたが、パソコンデスクの足元のキャリーが震動を吸収し、パソコンそのものに損害はなかった。

4)そもそも、私の場合は、ノートパソコン派なので、仮に在宅でパソコンを使用していたとしても、バッテリーで駆動しているので、数十分~数時間かけて作業を終了することは可能であった。

5)停電・震災時、守るべきは「データ」です。PCは買い直せば再入手できます。アプリケーションやOSも入れ直せば元に戻りますが、いくら対価を払っても再入手できないのが「データ」です。p14

6)どこまでのデータを守るか、必要とするか、が問題となるが、私の場合、公の業務データは、基本的にはクラウド環境の中で常時バックアップが取られることになっており、震災後に業務を再開することは、特に問題なかった。

7)そのためには常時オンラインで作業する必要があり、もしホスト局が震災で破壊されれば、完全にアウトである。しかし、私の業務のホスト局は、基本的にバックアップシステムが完備されている、と理解している。

8)メールなども、プロバイダにバックアップを残しており、複数のメールソフトで見ることができるので、ノートPCのみならず、スマートフォンでも見ることができる。両方ともアウトになれば、仕方がない。

9)震災時において、無事PC本体を持ちだせるとは限りません。(略)そこで活用したいのがスマートフォン/スレートPC(iPhone/iPad/Andoroidなど)です。p20

10)スマートフォンは同型機種を2台持っているが、これもまたいざという時のためのバックアップのためである。平時は8円運用なので、2台でも月に16円しかかからない。

11)震災時には、電源が失われ、固定電話環境が失われ、通信回路が失われた。電源が回復するまで4日半かかり、固定電話は1週間通じなかった。光ファイバー回線はさらに復旧まで数日の時間を要した。

12)震災後、すぐにやったことは、スマートフォンに何時もは外しているsimを入れて、正常に使えるようにしたことだ。いつもは家庭内WiFiに繋いで使っていたが、家庭内WiFiが断線してしまったので、ケータイのモバイル環境で通信を試みた。

13)震災後数日はモバイル環境も安定していなかったが、やがて安定した。余震は続いており、実際に停電もしたし、計画停電の可能性もあったので、スマートフォンのモバイルWiFi環境は、震災後3ヵ月使用した。6000円*3ヵ月=18000円は、大きな出費だったが、あとで被災地割引が適用されたし、実際の通信が確保された、という意味では、必要経費だったと割り切れる。

14)インタ―ネット回線は停電・震災の状況把握のほか、連絡や作業の続行などを考えても欠かせないものですが、そんなときに役立つのが「モバイルルーター」です。p22

15)まったくそう思う。ノートPCが普及し、オフラインソフトで業務を推進したころは、客先でのモバイル環境の構築が叫ばれたが、ノートPCの紛失によるセキュリティの低下や、業務がオンライン環境化してきて、ふたたびオフィスに戻ってきてしまっていた。

16)今後は、客先でのモバイル環境構築というだけではなく、オフィスにおいても、停電などによる固定環境が失われた時には、バックアップ体制としてのモバイル環境を構築しておくことは絶対条件となるだろう。

17)停電時には当たり前ですが「屋内コンセント」が使えません。そんな場合に活躍するのが「USB出力付きポータブルバッテリー」です。USB出力により、モバイルルーター、スマートフォン、携帯電話などの充電に活用できます。p63

18)この商品は数千円と安価なので、一つは欲しいところだが、実際に利用価値があるかどうかは不明。常に充電しておく必要があるし、数日間~以上の停電が続いた場合、1~2回の充電でフル放電してしまうようでは、本当の意味で役立たない。

19)私の場合は、ベーシックハイブリット車から100Vの電源を取りだすシステムを構築したので、車が失われない限り、こちらのほうが便利で安心。例えば、パソコン本体の充電もできるし、プリンターなども使えるはず。ただし、家庭内LAN環境が失われてしまうので、ダイレクトに繋いでの印刷、ということになるだろう。

20)停電時であっても確実に作業したいという場合には、蓄電に頼らず電源出力ができる「発電機」を導入するのがよいでしょう。p75

21)HONDAのエネポはカセットコンロ用のボンベで発電できるようだ。これはお手軽だし、カセットボンベなら取扱も簡単だが、本体が10万もするので、はて、非常時のためのバックアップとしてこれを揃えるのは、私の場合は現実的ではない。

22)その他、この本には、それぞれの環境に合わせて役に立ちそうなアイディアがいっぱい詰まっている。停電・震災時には、まずは命を守るのが先決だが、その次にPC廻りが気になる、という人ならば、この本のなかから、いくつも名案を見つけることができるだろう。

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2011/08/19

原発に頼らなくても日本は成長できる エネルギー大転換の経済学 円居総一

【送料無料】原発に頼らなくても日本は成長できる
「原発に頼らなくても日本は成長できる」 エネルギー大転換の経済学
円居総一 2011/07 ダイヤモンド社 単行本 237p 240p
No.0411★★★★☆

1)3.11以後における、今日的状況においては、表題のようなタイトルで主張することは、それほど難しいことではない。難しいどころか、すでに、絶対達成しなければならない課題になっている、とさえいえる。

2)この本の骨子は、エネルギーは短期的には天然ガスを多用し、いずれ代替ネルギーに変えていくべきだ、という内容で、当たり前と言えば、当たり前である。

3)その当たり前のことを、誰が、何時まで、どの位達成するか、ということになると、分析はなかなか難しい。

4)著者は、どうやら大学に籍を置く経済アナリスト、ないしは経済評論家、という位置づけだから、まぁ、おいしいことは、いくらでも言える立場である。また、前言を翻すことだって、できないことはないだろう。要は、この人は、この言説を責任もって、いつまで「実行」できるかにかかっているわけだが、そのような試算は、この本からは見えない。

5)代替エネルギーとは言うものの、水力、火力、地熱、風力、など、一般人にはなかなかとっかかることができないものばかりだ。所詮は、選挙のときに、そういうポリシーを持っている候補者に一票をいれるとか、自分の可処分所得の中で、なんらかの商品を自分用に購入する程度のことだ。

6)当ブログがこの数週間、図書館の本をめくってきた限りにおいては、一般人が自分の行動として脱原発をするなら、まずは、可能な人は、太陽光発電を導入すべきだろう、ということだ。これが出来なければ、あとは、節電とか、他の人頼み、ということになる。

7)太陽電池自体は2009年1月から国の補助金制度の復活と自治体独自の補助制度も併せて導入が広まったため、同年には太陽電池の国内出荷量も一挙に増加に転じている(太陽光発電協会)。また、同年11月には、太陽光発電システムで発電した余剰電力を、通常の2倍の料金で電力会社が買い取る制度も開始され、その拡大・普及への環境は整備されつつある。p117

8)私のようなドシロートだから言えるのだが、この売電という奴が、どうもいまいちはっきりしない。このような連携型ではなく、各家、蓄電池を用意して、昼発電したものを、夜、自家消費する、という形の方が、より、自らの発電という意識が高まるのではないだろうか。

9)太陽光の弱点は、天候や日照時間等のよる出力の不安定性にあり、また、太陽光を電力に変換できる割合である実質変換効率も13%程度にとどまっているのが現状だ。今後、変換効率を3倍くらいに上げていけば、発電コストも15円kWh程度まで引き下げが可能になると試算されている(同太陽抗発電協会)。p119

10)産業用の「良質」な電力が欲しければ、火力を中心としたエネルギーで当座をしのげばいいわけで、蓄電システムが各家庭に普及すれば、それほど「安定的」な電力なんて、必要ないのではないだろうか。ストーブの薪がなくなれば、さっさと寝てしまえばいいわけで、真夜中まで安定した電力なんて、一般家庭では、必要ないだろう。

11)競争的効率性を得ていくにはまだ時間を要するだろうが、今後、送配電の自由化とスマートグリッドの導入などが進められていけば、分散型電力供給システムの中で太陽光の小型の特性がより発揮されるようになり、地域的な電力源の主役の一つとなっていく可能性があろう。p120

12)可能性があろう、なんて高見の見物するのは、誰でもできるわけだから、とにかく責任のある人たちは、自ら、隗より始めてほしい。

13)電力の大量消費、オール電化に向けたライフスタイルへの反省なども同じだ。国民がそれを積極的に求め、推進してきたわけではない。むしろ、原子力発電の推進システムの結果として、大量生産と大量消費の必然性が生まれ、個人は、その推奨・宣伝に受け身的に乗っかってきたのが実体だ。p128

14)モータリゼーションのこれだけの普及には賛否があるが、車社会が伸びたのは、中古車市場というものが発達したからだった。新車だけでは車に乗れない家庭や若い人たちでも、とりあえず中古車を買い、あちこちこすったり、ぶつけたりしながら、運転の技術を磨いていく。

15)太陽光発電も、すでに20年の歴史があるわけだから、高価なものを減価償却数十年で売りつけることばかり考えないで、安価な太陽光パネル中古マーケットを生み出すことはできないのだろうか。

16)数十万で中古のシステムが組めて、屋根に上げるのは経費がかかるから、とりあえず庭においてみる、なんてビギナーがどんどん生まれてもいいはずだ。

17)社会的なコストとメリットという文脈では、原子力発電からの脱皮が、地球共生の持続的経済成長への扉を開き得るというきわめて大きなメリットを有している。p225

18)ちょっと白けた気分になれば、一個人にとっては、日本全体の成長なんてものは、どうでもいいのだ。安全神話とともに、セットになってきたのが、この成長神話じゃなかったか。これらの言葉の蔭で、なにか大事なことを忘れてきたようだよ。この20年、成長成長といいつつ、成長なんてぜんぜんしていないのだから。

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わが家ではじめる太陽光発電<1> 屋根から屋根へ、つなげみんなの発電所 太陽光発電所ネットワーク

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「わが家ではじめる太陽光発電」 <1>屋根から屋根へ、つなげみんなの発電所
太陽光発電所ネットワーク 2004/06 合同出版 単行本 159p
240p No.0410★★★☆☆

1)この本の情報は古い。1990年代中盤から始まったとされる日本の太陽光発電の歴史を感じる一冊である。この本が発行された2004年においても、この程度の「惨憺たる」実績だったのだ、と改めて確認する。

2)その後、法制度の転換によって、ますます太陽光発電は、窮地に追い込まれた。最近のメガソーラー騒ぎや太陽光バブルなどの単語など、思いもつかない状況であったのだ。

3)しかしながら、その絶望的な展望の中にあって、なお、果敢に太陽光パネルを屋根に上げるという衝動にかられた人々はたくさんいた。今読んでみても、ややドンキホーテ的喜劇を連想さえしてしまうが、当人たちは至って真面目な人達が多い。

4)この本には約20の導入実例が乗っており、インタビュー形式でなんとも親しみやすい、人間味あふれる一冊ということになる。

5)Q、設置費用などの初期投資分は、何年で回収できますか?

A、太陽電池の取得時期、電灯契約によっても差があります。最近取得した方の場合は、標準家庭(4人家族)の場合、電灯契約が従量電灯Bの場合で30~40年、時間帯別契約の場合20~30年で初期投資が可能です。節電に務めている人の中には、前者で20年前後、後者で15年前後のケースがありました。

 電力会社によって深夜電力を併用した電力契約メニュー(東京電力ではナイト8、ナイト10、電化上手など)があり、昼間の電力量が30円/kWhを超えるものがあります。この場合は回収年数が5年前後、短縮することがあります。p136

6)実に気の長い話である。40年と言えば、年金の払い込み機関に相当する。あまりに効率の悪い日本の公的年金だが、40年間払い続けてようやく初期投資が回収、というならば、むしろ、公的年金に金を預けていたほうが、絶対メリットがある。

7)当然、太陽光発電と公的年金制度では、持っている意味が全く違うが、導入メリットを経済的メリットを主に考えるのであれば、絶対に太陽光発電には手を出してはいけない。ただし、それはこの本が出た2004年当時の試算である。

8)3.11原発事故を体験した今、日本国民にとって、なおかつボランティア精神に富み、すぐにでも導入できるような環境のある人々にとって、太陽光発電を、まるでピエロかドンキホーテのような状態にしているのは、政府の失政である。だれでもが、もっと気軽に、導入できる環境を調えていく必要がある。

9)同じような耐久資材から考えて、せめて小型自家用車並みの導入リスクにしなければ、太陽光発電は、一般的にならないし、力あるものにはならないだろう。

10)個人的には、100万の初期投資で、10年で回収。その後は、メンテナンスや改造も含めて、売電が、消費電力を大きく上回るような設定でなければ、導入したくない。

11)Qシステムの維持管理費用はどのくらいかかりますか?

不都合がない限り、ほとんど維持管理費はかかりません。しかしメーカーによっては「10年保証」を受ける場合、4年おきの有償点検が義務付けられ、1~5万円の費用を請求するところもあります。完全にメンテナンスフリーというわけにはいきませんが、風力発電などと比べると費用は格段に少額です。p136

12)名のある住宅メーカーだからと言って、10年先のことなどわからない。10年保証など、空手形になる可能性が大。ましてや身元不明な訪販会社に設置してもらったりしたならば、要らぬお荷物を背負いこまされる可能性はゼロではない。

13)風力発電を一般の民家が導入することなど、ほとんどあり得ないが、太陽光発電は、南向きの屋根と、若干の投資行為があれば、どこにでも付けることができる。脱原発を、本当にリアリティあるものにするには、まず、この太陽光発電をもっともっと増やすことが大切だろう。

14)導入する家庭が、50万戸を超え、100万戸、500万戸となり、1000万戸となり得るなら、原発など、絶対要らない!と、言えるはずだ。

15)責任ある立場の方々、どうぞ、太陽光発電を「わが家ではじめる」ための、具体的なベストプランを提示して欲しい。

<2>につづく

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2011/08/18

「発電貯金」生活のススメ 太陽光発電は地球にやさしい! 家計を助ける! 岩堀良弘

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「『発電貯金』生活のススメ」 太陽光発電は地球にやさしい!家計を助ける!
岩堀良弘 2010/1 合法令出版 単行本 239p
No.0410★★★★☆

1)太陽光発電についても、何冊か読んでみた。

太陽光発電関連リスト

「わが家ではじめる太陽光発電」 太陽光発電所ネットワーク 2004/06 合同出版

「よくわかる太陽電池」 斎藤勝裕 2009/02 日本実業出版社

「広がる広がれ太陽光発電」 クリーンエネルギーライフクラブ 2009/07 西田書店

「徹底特集「太陽光発電」なぜ今,太陽電池なのか?」 Newton  2009/09

「『発電貯金』生活のススメ」 岩堀良弘 2010/1 合法令出版

「太陽光発電は本当にトクなのか?」 山下和之 2010/04 毎日コミュニケーションズ

「太陽電池のしくみ」 サイエンス徹底図解 瀬川浩司他 2010/05 新星出版社

「太陽光発電システムの不具合事例ファイル」 加藤和彦 2010/07 日刊工業新聞社

「わが家も太陽光発電」 2010/06 朝日新聞出版

「自然エネルギーの可能性と限界」 石川 憲二 2010/07 オーム社

「太陽電池」のキホン 佐藤勝昭 2011/04 フレックスコミックス

「太陽光発電システムがわかる本」 小西正暉他 2011/04  オ-ム社

「しあわせ節電」 鈴木孝夫 2011/06 文藝春秋

「エネルギー総選挙」 電力の政権交代が起きる日 2011/07 日経ビジネス

「原発に頼らなくても日本は成長できる」 円居総一 2011/07 ダイヤモンド社

「徹底比較!「新エネルギー」がよくわかる本」 レッカ社 PHP研究所 2011/08

「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 NEWTON別冊 2011/08 ニュートンプレス

「よくわかる最新火力発電の基本と仕組み」 火力発電の原理と現状を基礎から学ぶ 火力原子力発電技術協会 2011/09  秀和システム 

「プロが教える太陽電池のすべてがわかる本」 太和田善久 2011/09  ナツメ社

「ソーラーチャージライト MA-551」(株)丸高 2011発売

「自分で作る太陽光発電」 (大人の週末工作)  2012/05 川村康文著 総合科学出版

「自分で作るハブダイナモ水力発電」 (大人の週末工作) 中村昌広 (著)2012/07 総合科学出版

「自分で作るハブダイナモ風力発電 + 」  (大人の週末工作) 川村康文著 2012/11 総合科学出版

「聖なる地球のつどいかな 」ゲーリー・スナイダー + 山尾 三省 山里勝己監修2013/04 新泉社

「自分で作る風力発電」( 大人の週末工作) 中村昌広 (著) 2013/06 総合科学出版

2)この本は、太陽光パネルの設置業者が書いているだけあって、結構細かい点まで書き込んである。

3)出版されたのは、昨年の1月だから、情報は若干古いが、「緊急報告!新潟中越地震現場レポート」p196などがあり、地震に太陽光パネルはどのように耐えることができるか、どのように役だったかなどが書いてある。今回の3.11を予感させるような内容だ。

4)太陽光パネルについては、いくら本を読んでも、いまいちリアリティが湧いてこない。車やパソコンのように、その効能がはっきりと頭に浮かばない。単に電気をつくる、ということだけなのではないか。

5)あとは、実際に自分が導入しようとする環境を考えて、シュミレーションし、見積もりを作ってみるしかない。

6)太陽光発電に関心があっても、導入できない人はたくさんいる。持ち家ではない。マンションである。転勤族である。10年以内には改築するだろう。南側に屋根がない。太陽が当たる時間が短い。家の前に大きな建物がある。などなど・・・・

7)逆に考えると、南向きに屋根があって、30度の角度を保ち、これから20年程は改築しない、建物の蔭になることはない、持ち家であって、引っ越しの予定もない、という我が家などは、まずは太陽光パネル導入のモデルケースにさえなるのではないか。

8)あとは、本当に導入する気があるかどうかの意思の確認である。

9)と思って、周囲を見渡すと、さてどこにから具体的な情報を入手すればいいのか、すぐにはわからない。ホームセンターやモデルハウスにでも行けば、パンフレットでももらえるのだろうか。

10)そういえば、何度も、訪問販売の営業マンたちが来ていたな。いきなりやってくるから、あまり話を聞いたことはなかったが、今度はすこし聞いてみようか。

11)それに、売電とは言え、本当にメリットがあるかどうか、過去の我が家の消費電力の経費をグラフ化しておく必要もあるだろう。

12)ざっと考えて、仮に150万円投資して、月に5000円売電し、月5000円の電力料金を払って±0円だったとしても、月1万の平均電力料金だったら、たんに150ヵ月分を前払いしただけにすぎないことになる。

13)150カ月=13年間。これだけの長期にわたる買い物である。おいそれと簡単に決意はできない。

14)10年ほど前に、缶ジュースの自動販売機を設置したことがある。近くの工事現場のために依頼されたからであったが、あの時の感覚に似ている。ジュースを販売しても、住宅街だから、そこから得られる利益は月5000円。そしてその利益を得るために支払う電気料金は月5000円。±0であった。

15)夜間の街灯がわりになるかな、と思ってみたり、来訪者の目印になるかな、と思ってみたり。でもこれって、本当のメリットではない。結局、自販機は数年で廃止した。

16)太陽光パネルだって、たんなるボランティア精神だったり、見栄だったりするだけで、終わってしまう可能性もあるんではないか。

17)たしかに緊急時のメリットはある。しかし150万円の余裕があるなら、優先順序から考えて、太陽光パネルの他に、もっと必要なものがあるのではないか。

18)まだまだ、リアリティのない、我が家の太陽光発電であった。

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放射線から子どもの命を守る 高田純

【送料無料】放射線から子どもの命を守る
「放射線から子どもの命を守る」
高田純 2011/07 幻冬舎ルネッサンス 新書 148p
No.0409★★★★☆

1)ごく個人的に考えれば、私の場合は、まず大丈夫ということになる。

2)住んでいる地域、年齢、活動範囲、これまでの滞在歴から考えても、例えば、がんになることがあったとしても、放射線以外の原因でなる確率のほうが高い。

3)では、この前、原発から20キロの立入禁止の境界線に行ったような蛮勇はどうかというと、これもまた、車に乗った短時間の移動であれば、まずは問題ない、ということになる。

4)私の住まいは80キロ圏にあって、0.1μSv/hの被曝量だが、10キロづつ原発に近づくと、単純に数値が倍加して、30キロ近付く(原発から50キロ)と、0.5μSv/hになる。このあたりが私の日常的活動範囲で、農作物なども頻繁にもらって食べる。

5)もっとも、私の住まいよりさらに遠ざかって160キロ圏においても、牛の飼育用藁の汚染が確認されているので、単純に同心円状での決めつけはできない。

6)今後の多くの調査を待たなければならないが、よほどのホットスポットが発見されないかぎり、まずは日常的に生活していても問題はなさそうだ。

7)ただし、これは、まもなく還暦を迎えようとしている、細胞分裂がほとんど止まってしまったような、私の肉体の場合。

8)私の周囲には、子どもが多く、これから生まれようとしている命も、いくつもある。じいさんは、これらの命の成長に目を見張り、未来の命を守らなくてはならない。

9)子ども、乳幼児、胎児、妊婦さん。いろいろなケースをシュミレーションするが、ごくごく個人的には、現在のままで、なんとかやり過ごすことはできるのではないか、と、本書を読む限りは安心する。

10)この手の本は何冊か読んできたが、難しいところは何回読んでもあまり頭には入らない。理解しようとさえしていないようだ。逆に、気になるところは、本をとっかえひっかえ、何回も確認する。

11)複数のソースを見比べた限りでも、まぁまずまず、個人的にはOKだろう、と判断するに至った。

12)ただし、南相馬市の23キロ圏にいた私の身内一家などの、今後の生活はどうなるのか、今後、細かく見詰めていたい。小学生と、2歳の子どもがいる。その後も、夏休みは関東圏に避難していたとしても、また県内に戻ってくる。今後どうなるのか、注意深くみている必要がある。

13)妊婦さんも、なぜか、このタイミングで、私の周囲では増えている。個人的には大変おめでたいことが続くので、うれしいのだが、この新しい命たちが、どこまでもすくすく伸びていってもらいたいと思う。

14)もらった野菜やくだもの等を、私が食べるのは問題ないとしても、妊婦さんや乳幼児たちに食べさせるのは、どうなのだろう。子どもたちの成長に充分足りる栄養が行き渡るのだろうか、などと、心配する。

15)取り越し苦労になっても困るが、とにかく、当面は要注意。こまかく敏感に情報を集め、何処までがどうなのか、をキチンと理解し続ける必要を感じる。

16)そういった意味においても、この本は、難しすぎず、ごまかしもなさそうで、信頼できる一冊だった。現在までの自分の理解を、後押ししてくれるような一冊だった。

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原発報道とメディア 武田徹

【送料無料】原発報道とメディア
「原発報道とメディア」
武田徹 2011/06 講談社  新書 255p
No.0408★★★★★

1)この本、タイトルから類推するよりは、きわめて真面目で、当ブログ好みの一冊である。何でこんなタイトルにしたのだろう、どうしてサブタイトルを付けなかったのだろう、といぶかしむ。しかしながら、このような本を書けるひとだからこそ、このようなベタなタイトルが似合うし、サブタイトルなどで、人を釣る必要もないのだろうと思った。

2)著者は1958年生まれ53歳のジャーナリスト。ジャーナリスト教育にもたずさわる。当ブログもタイトルに「ジャーナル」と名付けている限りは、ジャーナリズムに無関心ではいられない。

3)ブログという機能が与えられて、著者のいうところの「一人ジャーナリズム」の可能性を探った時期がある。ただ、広義におけるジャーナリズムのニュースソースを個人ではほとんど確保することができない。

4)当ブログが、最終的に「読書ブログ」と自己規定せざるを得なかったのは、所詮「個人」とは言え、他のメディアに依存せざるを得なかったことと、まとまった量の責任ある情報に対峙するなら、本というメディアを対象にすることによって、書き手としてのこちらが逆照射されることがあるだろう、と意味あいからだった。

5)3.11以降、書店や図書館は壊滅し、読書どころではなくなった。メディアを通して入ってくるニュースよりは、目の前の事実のほうが重くなった。

6)私がツイッターを活用し始めたのは、3.11直後、バラバラになっていた家族への連絡に使えると思ったからだった。

7)奥さんはすぐ傍らにいてくれたものの、二人の子どもは、西関東と北海道にいた。子どもの婚約者は北関東にいた。メールや断片的な通話で、互いの無事を確認したものの、刻々と変化する状況を子どもたちに伝える必要があった。

8)さらには、遠く離れた友人たちが、近況で安否を気遣ってくれていた。彼らに対して、なんらかの情報発信が必要であった。

9)そこで注目したのがツイッターだった。短い文章で、断片的ではあるが、とにかく書いておいておけば、こちらが生存していることだけでも確認してくれるだろう。

10)最初、ネットが通じなかったので、スマートフォン(IS01の8円運用)を使うことにした。実際は、家庭内WiFiでしか使っていなかったのだが、simを入れて、ようやく書き出すことができたのだった。

11)例えば、宅急便が動き出したとか、ガソリンが何時から充分に手にいれることができるようになりそうだとか、親戚の誰さんのところは、現在このような状況である、とか、さまざまなニュースがあった。これらは当然、公のメディアでは情報をつかむことができない。

12)ネット上でこちらを気遣ってくれる人があれば、自分のツイッターをフォローしてくれ、と伝え、情報をツイッターに一元化していった。

13)その過程で、なぜかフォロワーが一日に10名程度づつ増えていって、結局600名ほどにフォローされることになった。

14)私自身は、せいぜい人間関係というものは、双方向であるなら200人が限度であろう、という想いを持っている。200人ではあっても、6次の隔たりや、80対20の法則などから推し量るに、地球全体の情報を集め、地球全体に情報を発信するには、200人で十分であるはずだ、という想いがある。

15)初期的にはツイッターは大いに役立ってくれたが、ほぼ2カ月後には、ツイッターの活用を減速させた。いくつかの理由が重なったが、一つは、ツイッターが第一義的に活用される段階は終わった、ということだった。つまり、ツイッターの特性の活用はそこまでだったということになる(こまかいことはいずれレポートする)。

16)さて、この本、極めて真面目な本で、当ブログとして、★5の評価にするかレインボー評価にするか悩んだ。いずれ再読、精読したい、という想いと、いずれ、もっと自分のテーマに即した方に舵をとるために、この本はここまでにしておこうという気持ちが、二つにわかれた。

17)最後までそのような想いをもちながら最終章「それでもジャーナリストになりたいあなたへ」p207になってしまった。よし、ここを読んでから評価しよう、と思ったが、結局、決断できなかった。

18)この本全体はとても秀抜であると思う。また、最終章も、きわめて興味深い。当ブログがかつて追っかけてきたテーマが満載されている。

19)だが、私はすでに「ジャーナリストになりたい」とは思っていない。ジャーナリスト的センスを身につけた人間にはなりたいとは思うが、ジャーナリト(ネット上の、自称であっても)になりたい、と、今は思わない。

20)ジャーナリズムはまずは一人の仕事である。そこに賛同してくれる人が加わり、二人ジャーナリズムに、そして更に多くが集まると社会運動にもなるのかもしれない。しかし、とにかく、最初は一人で始めるしかないし、賛同者が現われて自分の主張が社会的な運動に発展した時にも、それが排他的な共同体と化して自分たちと異なる価値観に不寛容になったとしたら、リベラル・アイロニストはそれと袂をわかたなければならない。もしかしたらまた一人からやりなおさなければいけないかもしれない。p249 2011/06/01「あと書きにかえて」

21)私は、すでに、ある矩をこえて、社会全体に情報を発信しよう、などという高邁な精神は失っているようだ。また社会全体をこまかくフォローしてみよう、というデリカシーも失いつつあるようだ。

22)私は、ジャーナリストになりたい、と今は思わない(小さい時の長い間の夢ではあったが)。今は、ただ、全うな地球人に成りたいと思う。一人でできる限り自活し、家族を愛し、子どもや孫たちに囲まれ、山や海にあそびたい。友人も少しは必要だ。仕事も必要だ。それらを達成するには、私には、ゆるくつながった200人程度の相互交流で充分だ。

23)その中でも、密接な人間関係は40~50人程度にとどまるだろう。そして日常的には、10指に満たないコアなふれあいがあれば、私の地球人としての生活は成り立つだろう。

24)ツイッターで何万人もフォローし、何十万人にフォローされていることを、さも自慢するかのごとくの「有名人」を見ると、背筋が寒くなる。

25)ことほど左様に、ジャーナリズムに関心はあるけれども、著者のいうような高邁な精神のもとにジャーナリストになりたいとは思わない。一人の地球人として、必要な情報を受取り、一人の地球人として、身近な情報を発信できるスピリットとメディアを持っていれば、それで済むのではないか、と思う。

26)3.11以降、もっとも気になる部分として残ってしまった「原発事故」問題。私は私なりに、自分の生活を成立させるために、今後もメディアやジャーナリズムと付き合っていこうと思う。しかし、それ以上の夢はもてないでいる。

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福島第一原発事故を検証する 人災はどのようにしておきたか 桜井淳

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「福島第一原発事故を検証する」 人災はどのようにしておきたか
桜井淳 2011/07 日本評論社 単行本 167p
No.0407★★★★★

1)3.11もすでに発生以来5カ月が経過し、震災直後の混乱期を通り過ぎ、全体像がみえてきつつある。図書館などで手にする本も、かなりしっかりしたデータを基に検証した本が増えつつある。

2)この本もまた、3ヵ月を経過した段階で、以前より原発の危険性を指摘してきた研究者であり、かつての自らの指摘を確認するかのように、今回の原発事故の経緯と原因を検証している。

3)未曾有の大災害と言われた東日本大震災だが、個人的には、北は八戸から、宮古、釜石、気仙沼、南三陸町、石巻、塩釜、仙台荒浜、閑上、岩沼、亘理、山下と、海岸線を下ってきた。、最近は、福島の南相馬市の原発から20キロ圏内の立入禁止区域まで南下し、さらに、海岸線を走ってきてみた。

4)福島から南、茨城や千葉の海岸線を見る機会はまだないが、そう遠くないうちに訪れる機会があるだろう。青森、岩手、宮城、山形、福島などの内陸部を見たりしながら、未曾有の大災害ではあったが、全体像は次第に見えつつあり、復興という長い道のりには、大変な苦悩がともなうだろうが、復興できないものではない、という実感を持つに至った。

5)それに引き換え、原発事故に関しては、いまだ全体像が見えず、もとより非力ではあるが、では、なにをどうすればいいのか、というところが、どうもいまいち見えていない。

6)・原発本を読んでみる→面倒くさそうではあるが、まず手にとってみる

・原発を遠く眺めてみる→なにはともあれ、原発に近づいてみる

・実際の被害を数値的に把握する→ガイガーカウンターの購入の検討する

・電気を考える→太陽光パネルの設置を検討する

・さらなる被害に備える→防災グッツの再点検

・子々孫々へ何をつたえるか→まずは子どもたちの健康を守らなければ

7)・・・などなど、せいぜい、その程度しか想いがうかばない。

8)著者は、誠実に検証しているが、脱原発などの明確な解決策をだしておらず、今後の中長期的な展望は、今後の著書に期待しよう。

9)当ブログは基本的に、もともとが脱原発であり、今後も脱原発に希望をつなぐ方法しかしらない。

10)内陸部の地震被害は甚大ではあるが、修復不可能とは言えない。沿岸部の津波被害は、あまりにも巨大すぎて、絶句するだけだが、永遠に復興できないものでもないだろう。それに比すると、原発問題は、実に複雑で、どのように対応してよいかわからない。

11)・汚染地域に親戚縁者友人が多数いる。今後、彼らの住まいを気軽に訪れることはできなくなるのか。

・農家も多く、その農産物を多数いただいてきた。今後も気軽にもらってきて食べることができるのか。

・老後になったら、田舎暮らしをしたいと準備していた家がある。ガイガーカウンターで調べてみると、かなり高い数値を示している。これは永遠に、住めないよ、という意味にとるしかないのだろうか。それとも、将来的には、なんの問題もなく住むことができるようになるのだろうか。

・少なくとも原発の中心地域は人間の住めない地域になるだろう。それはどこまでの地域なのか。線引きが必要だ。

・周囲には、子どもたちがたくさんいる。これからも生まれてくるだろう。私は子どもたちとともに生きる社会の中にいたい。

・脱原発の方向性は間違いないのだが、いずれにせよ、その放射線の存在やら、廃炉に時間がかかるやらで、私の人生の残りは、原発と原発被害、原発の汚染と、共存していかなければならなくなったのだ。そのつきあい方を、早期にキチンと見極めていく必要がある。

12)原発事故の直接の原因を、地震とする意見と、津波とする意見がある。老朽化していた一号炉で言えば、どうも最初の最初から地震で原子炉の下部が破壊されてしまった可能性がある。

13)一般的に考えて、津波より地震のほうが遭遇する回数は多い。

14)地震であれ、津波であれ、実は、歴史を紐解いてみれば、なんどもなんどもこの日本列島を襲ってきていたのだ。今後もくるだろう。そして、なんどもなんども、人間は立ちあがってきた。

15)しかしながら、原発事故は、人類が始めて遭遇する異常事態である。地球そのものは復興するだろうが、その時に、人類が生存していない可能性は、かなりの確率で大きくなってきてしまった。

16)本書は全体的でかつ具体的で信頼のおける一冊である。ただ、まだ時間が足りない。十分な検証が完了していない。そして、中長期的な対策が練り上げられていない。何もかも、専門家ばかりにお願いしていてはいけないのだろうが、そうせざるを得ない現状である。

17)今後も、キチンとした検証を、ひとりの原発地域の隣人として追っかけていく必要を感じる。ほんとに、もう他人事ではないのだなぁ。

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静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに 山尾三省訳

【送料無料】静寂の瞬間(とき)
「静寂の瞬間」 ラマナ・マハルシとともに
バ-ラティ・ミルチャンダニ/山尾三省 2007/07 ナチュラルスピリット・パブリッシング80 単行本 108p
No.0406★★★★☆

1)3.11以降、書店は壊滅し、図書館も壊滅した。読書ブログとしての当ブログも再起するまで数カ月の時間を要した。

2)今だに復興しない図書館もあり、近隣の書店は何店も閉鎖に追い込まれた。

3)被災地の状況は、急に好転することもなく、原発事故による国民全体の被災状況は、時間とともに、極めて深刻であることがわかってきた。

4)その中で、当ブログがすこしづつ復活してきたのは、図書館や書店の復活と期をおなじくしていた。

5)3.11以後、まず読みたいと思ったのは、ゲーリー・スナイダーだった。そして山尾三省に移った。

6)震災直後に、震災の写真集など見る気になれなかった。原発事故直後には、原発のことなど考えたくもなかった。考えることができなかった。

7)三省の本は40冊ほどある。手元の本と合わせ、いつか読み直そうと思っていた三省を一気読みした。それは、何かのバランスをとるようなものでもあったし、図書館ネットワークの復興を確かめる手段でもあった。

8)近隣の図書館にない本は、県外からやってくる。国会図書館からやってきた本もあった。そしてほとんどを読み終えたのだが、最後まで残ってしまっていたのが、この「静寂の瞬間(とき)」である。今回、この本は、北の大地からやってきた。

9)私自身は、7月18日の、なでしこジャパンのワールドカップ優勝に勇気づけられて、どれ、震災を直視しようか、と思い始めた。そこから震災本を読み始め、原発本や、放射線本を読み始めた。

10)今や、その関連の50冊程度をめくってきたことになる。その流れにおいて、以前に予約していた、このラマナ・マハリシ本がやってきたということは、自分が3.11以後、どのような変遷をたどっているのか、ということを確認するよい指標となっている。

11)もっとも、この本は写真集であり、翻訳に引用されているマハリシの言葉は、三省訳「ラマナ・マハリシの教え 私は誰か」から部分的に抜粋され、写真のキャプションのように使われており、純粋な意味で、三省本とは言えない。もちろん、生前の三省が、このように使われることを知っていたわけでもなく、この本がでたことも知ってはいない。

12)さりながら、一冊の本として見た場合、この本はなかなか素敵な本である。ナチュラルスピリットという、多少傾向性のある出版社からでているので、妙な味付けを感じないわけではないが、この写真集において、ますますラマナ・マハリシがより身近に感じられるようになったのは事実である。

13)ラマナ・マハルシ、と本書は記しているが、私はマハリシのほうがわかりやすい。

14)それにしても、実にうつくしい人だ。

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2011/08/17

しあわせ節電 鈴木孝夫

【送料無料】しあわせ節電
「しあわせ節電」 
鈴木孝夫 2011/06 文藝春秋 単行本 125p
No.0405★★★★☆

1)私のモットーの一つに「地球は私のものだ。私は地救人だ」という考えがあります。地救とは文字通り「地球を救う」という意味です。
 これまでの私の節約・節電生活はすべてこの「地球を救う」ためのものだったのです。
p89「地救原理で生きる」

2)著者1926年(大正15年)生まれ。だからすでに85歳の御高齢である。

3)おっしゃることは、まったくご尤もなことばかり。まさにその通りございます。

4)「地球人」をタイトルに掲げている当ブログとしては、なるほど「地<救>人」という考え方を大いに取り入れなければならない。そして、実践が必要だな。

5)ご存じの方も多いでしょうが、太陽光発電をしていると電力会社に売電することができます。売電の価格は、大まかにいうと1キロワットが毎時42円程度です。ある新聞の報道では10年ほどで元手を回収できるとありました。ですからわが家では、最初に設置したパネルはすでに回収できていることになります。

 お金の点も重要でしたが、一番良かったと思うことは、家族の節電意識でした。パネルを設置すると部屋の中に、現在発電中の電力を表示するモニターが置かれます。これが、おもしろい。自分の家が今、何ワット発電し、何ワット買っているか一目瞭然になるのです。
p95「今すぐできる節電・節約 孫が率先して節電をする」

6)10年も前から売電制度ってあったのだっけ。42円なり、48円なりの価格で売電できるようになったのは、この数年のような気がしていたのだが。もし私の記憶が正しければ、おことばながら、著者の最初の太陽光パネルは元手の回収はできていないのではないでしょうか。

7)しかし、著者のいう「地救人」ライフスタイルは、もちろん、そこのところにはポイントはない。お金をかけるところにはかける。かけなくてもいいところにはかけない、ということだ。ましてや、原発で夜も明るくオレンジに光る日本列島とは何事か、ということになる。

)私がこの本に書いたようなことを長続きさせるためには、絶対に無理をしてはいけません。私が家電を拾ってきて直すのも、自動車をブレーキをなるべく使わずに動かすのも、それが楽しいからやっているので、続けられもするのです。p123「今こそ日本が世界文明の先頭に立つチャンス ルネサンス的万能人の提言」

9)この本、3.11後に全文書き下ろされて、6月にでた本でありながら、天地人の「天」である地震・津波についてはほとんど触れていない。そして「地」である原発や放射線については、あまり深く突っ込んでいない。この本の主テーマは「人」である精神性についてである。

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いまだから読みたい本ー3.11後の日本 坂本龍一・他

【送料無料】いまだから読みたい本ー3.11後の日本
「いまだから読みたい本ー3.11後の日本」 
坂本龍一+編纂チーム選 2011/08 小学館 単行本 127p
No.0404★★★★☆

1)坂本龍一については、「原発と人間 朝日ジャーナル 2011年 6/5号 週刊朝日増刊」「脱原発社会を創る30人の提言」など、3.11以降の発言にかなり近しい親しみを覚えていた。

2)当ブログは現在、「3.11天地人」カテゴリを疾走中である。「天」としての地震・津波、「地」としての原発事故、そして「人」としての精神性。その中でも、現在は「地」としての原発事故や放射線問題を読み込み中である。

3)しかしながら、当ブログとしての傾向性としては、ほんらいこの「人」をこそ第一義的に読みこむ必要がある。

4)いずれ、この本道に戻って来る必要があるのだが、そのことをしっかりと思い出させてくれる一冊。いずれ戻ってくるとして、巻末に推薦リストがあったので、今後読みこむかどうかはわからないが、アップだけしておく。

「さらに読みたい人のために」 p113

坂本龍一セレクション

「宇宙樹」 竹村真一 2004 慶応義塾大学出版会

「現代政治の思想と行動」 丸山眞男 1964 未来社

「イシュマエル」 ダニエル・クイン 1994 ヴォイス

「歌の祭り」 ル・クレジオ 2005 岩波書店

「悲しき熱帯」 レヴィ=ストロース 1997 中央公論社

「大いなる語りーグアラニ族インディオの神話と聖歌」 ピエール・クラストル 1997 松籟社

「野性哲学」 管啓次郎×小池桂一 2011 講談社

「モモ」 ミヒャエル・エンデ 1982 岩波書店

「カイエ・ソバージュ」 中沢新一 2010 講談社

「技術への問い」 ハイデッガー 2009 平凡社

「成長の限界 ローマクラブ『人類の危機』レポート」 D・H・メドウズ他 1972 ダイヤモンド社

「沈黙の春」 レイチェル・カーソン 2004 新潮文庫

「いのちと放射能」 柳澤桂子 2007 ちくま文庫

「隠される原子力・核の真実」 小出裕章 2010 創史社

「森へ」 星野道夫 1996 福音館書店

「クジラたちの唄」 ロジャー・ベイン 1997 青土社

「水の惑星」 ライアル・ワトソン 1988 河出書房新社

「北欧のエネルギーデモクラシー」 飯田哲也・他 2000 新評社

「海・呼吸・古代形象ー生命記憶と回想」 三木成夫 1992 うぶすな書院

「動的平衡」 福岡伸一 2009 木楽舎

「環境倫理学のすすめ」 加藤尚武 1991 丸善出版

「Unknown Quaritity:まるで未知数なるもの」 ポール・ヴィリリオ 2003 Thames & Hudson

「Intolerable Beauty: Portrais of American Mass Consumpti」 クリス・ジョーダン 2003~5 ネット上の画像

「核に蝕まれる地球 岩波フォト・ドキュメンタリーー世界の戦場から」 森住卓 2003 岩波書店

「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 1984~95 徳間書店

荒川祐二セレクション 以下 6人分割愛 

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帰宅難民なう。 難民A

【送料無料】帰宅難民なう。
「帰宅難民なう。」 
難民A 2011/05 北辰堂出版  単行本  126p
No.0403★★★★☆ 

1)今回の3.11大震災では、首都圏も大混乱した。大きく被災した東北にエネルギーを取られたためではなく、単独で起こったとしても、首都圏での震度も大変なもので、大混乱が起きていたのだ。

2)私の身内も、首都圏で帰宅難民になった。それでも自分の足で帰ったということなので、女性ながら、よく道順がわかったね、と訊いたら、やはりケータイのナビ機能が大いに役立ったらしい。

3)著者、難民Aもまた、首都圏で帰宅難民となった。その時の体験を匿名で4月にまとめ、5月に出版。具体的な、分かりやすいレポートである。

4)今回は私が歩いた江戸川橋~大森間の18キロメートル強ほどのルートを軸にしているが、これをあなたが歩く道・距離と照らし合わせて考えてみて欲しい。p5「はじめに」

5)私が歩いたのも、おおよそ著者と同じ距離である。普段からウォーキングする時は、大体のんびり歩くので、1キロ10分として、10キロを1時間40分ほどで歩く。当日は、10数キロのところを二時間半強で歩いた。

6)私は、被災した直後、直ぐビルの外に出てみると、地下鉄が止まってしまっており、地下道から乗客たちがどんどん上に上がってきていた。地下鉄は諦めた。近くにいた警官に聞いたら、電車も止まっているという。もちろんバスも駄目だろう。なんせ信号機が消灯している。

7)タクシーという手もあったが、タクシーには乗らなかった。道のり約18キロ程度と自分でもすぐ値踏みしたが、すぐ、歩いて帰ろうと決意した。その理由はいくつかあった。

8)タクシーはなかなかつかまりそうになかったし、途中で渋滞に巻き込まれてしまう可能性があった。途中の被災状況を順番にこまかく見ていきたいと思った。そして、一番の理由は、すでにこのコースは自分の足で歩いた経験があったので、今回も、歩いて帰れるだろう、というすぐ判断がついたからだ。

9)私よりもペースが落ちた同僚はスニーカーではなく底が薄い革靴を履いていた。見た目からもあまり運動に適した靴ではないことが分かる。足にかかる負担は私よりも大きいはずだ。p87「地元で気が緩む」

10)私も当日は革靴だった。以前に同じコースを歩いた時は、スニーカーだったので、確かに革靴は快適とは言い難かったが、何年も使い慣れた靴だったので、歩くことは問題なかった。

11)携帯電話のワンセグ機能を使ってテレビを見れば情報は手に入れられたが、この状況下で歩きながら視聴できる状態ではなかったため、また、電池を消耗するのを避けるため、報道を一切見ていなかったというのも、リアルタイムの情報が手に入らなかった理由の一つでもある。p27「毎日新聞社前」

12)私も同じような体験をした。ワンセグを見れば、ニュースを知ることはできただろう。私も、歩きながら、電池の消耗を心配してワンセグは見なかった。

13)ただし、自分では忘れていたのだが、地震の最中、私はすぐに自分のワンセグで、広域におよぶ地震であることは認識していたようだ。これは、ビルの中で、一緒に会議に出席していて一緒に被災した同僚があとから教えてくれた。

14)巨大地震である。そのあと確認すべきは、全体像ではない。ピンポイントで、自宅はどうなっている、家族はどうなっている、である。それはワンセグではわからない。

15)歩きながら、多少の情報は口頭で仕入れたが、ほとんどの人が何が起きているか把握できないでいた。

16)途中で、道端に停車していた職人さんのトラックのカーラジオが大音量で流れていた。それをすこし立ち聞きした。地震後の数十分後のこと。沿岸部に大津波が押し寄せているらしい。それは確認した。しかし、私には津波より、我が家のほうが大事だった。

17)火事になっているかもしれないし、倒壊しているかもしれない。

18)歩きながらも、断片的に入ってくるケータイメールで、私より1時間も前に帰宅していた奥さんから、家は大丈夫だが、家の中はめちゃくちゃだ、ということを知らされた。

19)どのようにめちゃくちゃなのか。

20)何の準備もしていない人がいきなり歩くと決めたとき、疲れが一気に襲いかかってくるのは20キロメートル地点ではなく、15キロメートル地点なのではないだろうか。p80「歩きづらい道」

21)たしかに言えると思う。とくに私の場合は、10キロを超えたあたりから、雪が降り出した。幸い手袋は持っていたし、コートも着て、帽子もハンチィングをかぶっていた。マスクもしていた。だが、雪で真っ白になりながら、歩くのは結構つらかった。

22)走ってみると自転車がいかに便利なものなのかを思い知らされる。p91「自転車で帰る」

23)私は当日は徒歩オンリーだったが、後日、被災地を訪問する時は、自転車を使った。スピードといい、周囲を確認しながら走行する場合には、車より自転車のほうが便利だ。途中まで車で行って、近くになってから折りたたみ自転車を使った時もある。

24)本書における私「難民A」とはあなたのことでもある、とはじめに書かせていただいた。p125「あとがき」

25)まったくその通りだと思う。あの日、私は「難民B」だった。著者に共感する部分が相当ある。ほとんど同じような体験をした、と言えるだろう。

26)ただ、いつもこの通りにいくとは限らない。今回はこうなったけれど、災害はいつどこでどう発生するか分からない。

27)この本を読んで、すくなくとも個人的な体験としての「帰宅難民」だと思っていたが、結構みんな似たような体験をしたのだな、と改めて確認した。

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2011/08/16

放射能のウソ・ホント 食の安全は?身体への影響は? 大谷浩樹

【送料無料】放射能のウソ・ホント
「放射能のウソ・ホント」 食の安全は?身体への影響は?
大谷浩樹・監修 2011/07 東京書店 単行本 192p
No.0402★☆☆☆☆ 

1)私のようなドシロートでも、数十冊の原発本をめくってくると、それなりの基礎知識が身につくようだ。それが正しいかどうかはともかくとして、どの程度の範囲に及ぶ領域なのか、何が問題なのか、とりあえず、どこをカバーすれば、自分なりに納得するのか、そういうことが自然に分かってくるようだ。

2)それは別に原発に限らず、スマートフォンについてであれ、だれか、例えば村上春樹のような小説家についてであれ、あるいはチベット問題であれ、我慢して読み進めてみれば、まずまずの自分なりのフォーマットができてくるものである。

3)だから、現在のところ、当ブログにおいても、それなりの概略図というものが出来上がってきている。それを全体的にチェックする意味では、この本は役に立つ。ほとんどが見開き2ページで一問一答式で構成されており、およそ80以上の項目に渡って、チェックすることができる。

4)しかし、ウソ・ホント、という○×式のこの本に対する私の信頼は極めて低い。この本は、著者の監修、となっているが、本当は誰が書いたのかはわからない。誰かが書いて、細かい数字や大筋のストーリーをチェックしたに過ぎないだろう。

5)むかし、なぞなぞがあった。

6)A駅とB駅は1キロ離れている。線路の上に枕木が、1メートル間隔で置かれている場合、A駅とB駅の間には何本の枕木があるでしょうか?

7)1キロ=1000メートル 1000メートル/1メートル=1000本となるが、始点と終点をどのように数えるかで、慎重な人なら、999本か、1001本、と答えるだろう。

8)ところが、答えは1000本でも、999本でも、1001本でもない。正しい答えは0本である。

9)なぜ?

10)「線路の<上>には枕木は一本もない」からである。

11)なんとも悲しくなるなぞなぞだが、残念ながら、この本にはこの手のトリックが満載されている。

12)そもそも、「放射<能>のウソ・ホント」という、曖昧な問いかけをタイトルにしているところからして怪しい。今回の報道にしても、慣例として使われてきた「放射<能>」という言葉は、ほとんどが「放射<線>」や「放射性<物質>」に置き換えられている。

13)この本は、この慣例的な誤解を利用した形で、上のなぞなぞのような<曖昧>な問いかけに対して、○×(あるいは時には△)という明確な答えを提示しようとする。

14)しかし、そもそもが微妙かつ証明不能な分野について、○×で答えることができないのは当たり前だ。どうしても曖昧な表現になる。それを恣意的に○×で答えようとするから、問いかけそのものの中に仕掛けを作っておかざるをえない。

15)ゆえに、私はこの本を信頼しない。書いてある断片的な知識は面白いのだが、この本は、決して科学的な本ではなくて、恣意的な政治的な本である。ゆえに、この本を抜き書きすることさえ、躊躇する。

16)客観的な立場をよそおった、隠れ原発推進派だ。

17)このような輩が横行するようでは、何時まで経っても、真実は表にでない。真理に到達できない。

18)このような輩が横行するから、脱原発派は、言動がきつくなる。

19)交際を求められた相手が、曖昧な答えを出していると、申し込んだ本人は好かれていると誤解して、距離を詰めようとする。本当は嫌いなのだから、はっきり断ればいい。それをしないと、ずるずると、彼を、彼女をストーカーのような中途半端な立場に追いやってしまう。

20)原発が要らないと思う人は、はっきりとNO!と言おう。中途半端な反応は、推進派に間違ったサインを送ることになる。「この人たち、原発を何処まで許容するかな?」 推進派は、こちらの顔色をうかがっている。

21)いや、原発は駄目だ。NO!だ。隠れ推進派のトリックなぞなぞに引っ掛かっていてはいけない。こいつらのいい加減な態度に、はっきりとNO!と言おう。

22)そもそも、国と大資本が推進派なのだ。脱原発派は、ひとりひとりの国民であり、知識も情報も体験も少ない。そこのところを突かれている。分断され、金でほっぺたを叩かれ、見殺しにされる。

23)脱原発の道は必ずしも容易ではない。だからと言って、許容的な曖昧な態度を取ってはいけない。その曖昧さが、彼らをのさばらしてしまった。駄目なものは駄目なのだ。

24)そろそろ皆んなで、NO!と大声をだそう。

25)ゆえに、この本、0点。

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自然災害最新サバイバルBOOK “自然災害”発生時に生き残るための知恵と選択

【送料無料】自然災害最新サバイバルBOOK
「自然災害最新サバイバルBOOK」 “自然災害”発生時に生き残るための知恵と選択
エイムックエイ出版社 2011/05 ムックその他 135p
No.0401★★★★★ 

1)いわゆるサバイバルBOOKはこれまでもいろいろ見てきたし、3.11以前においても、防災意識は持っていたので、この本によって、始めて知ったということはあまりない。ただ、定期的にこのような本に触れて、忘れかけているようなことを再チェックしておく必要はある。

2)「小さな命を守るために普段から自然に触れておこう」p072は、本当にそうだと思う。わが家では、回数こそ多くはなかったが、子どもたちが0歳児の時から、アウトドアをしてきたので、ひととおりのそれなりの体験があった。

3)体験ばかりではなく、ひととおりのアウトドア用品があったので、今回の3.11大震災においても、心強かった。実際に使用したのは、そのうちの一部なのだが、それでも物置にアウトドア用品があると、いつでも対応できる、という心の余裕が生まれる。

4)今回、この本を借りてきたのは、「原子力発電所事故のリスクと回避術を知る 原発事故の知識」p113が記載されていたからである。135ページの本書におけるわずか1割のページしか割かれていないが、かつてのサバイバルBOOKには、原発災害に着いて書かれることはほとんどなかったので、新しい対応と言える。

5)ましてや、原発災害においては、いわゆるアウトドア・グッズが役に立たないことが多い。役に立たないばかりか、その知識が邪魔して、原発事故被害の渦中に飛び込んでしまうことにもなりかねない。何度もシュミレーションしながら、いざという時のために準備しておきたい。

6)放射性物質は体に付着しても、水で洗い流すことができる。放射性物質に汚染された地域から避難してきたきた人でも、風呂に入れば、放射性物質は落ちてしまうから、「放射能がうつる」ということはあり得ない。p116「放射能・放射性物質・放射線の違い」

7)微妙な表現だな。被災地では風呂に入れないことも多いし、流した放射性物質は排水路で高濃度になる可能性もある。あえてここで「放射<能>がうつる」ということはあり得ない、という曖昧な表現を選んでいる。

8)チェルノブイリの例から、少なくとも居住地から300km圏内にある原子力発電所の一と方角、距離を確認しておきたい。p118「放射能汚染は風で拡散し、雨で降下」

9)東電原発事故現場からは80キロ。もうひとつの原発からは60キロ。まずはこの位置関係を把握はしておいたが、風速や雨となると、これはもう全く能力外。ましてや300キロ圏内の気象を把握しておくなんて無理。こんなことを国民に無理強いするより、早く脱原発したほうが早いだろうになぁ。

10)風速5mでも時速18kmだから、福島原発から200km離れた首都圏に放射性物質がやってくるまえ11時間以上の猶予があることがわかる。p119「放射能汚染は風で拡散し、雨で降下」

11)風速5mなんて、よくあり得る風だ。ましてや11時間も一方的に吹き続くなんてあり得ない。ほとんど、完全予測なんて不可能。これは現場を知らない、卓上の論理だ。一番の対策は、脱原発だ。

12)もし、格納容器本体の爆発だったり、原因が水蒸気爆発だったら、300km圏でも逃げる準備を始めるべきだ。p121「原子力発電所の構造を知る」

13)そんなことは不可能だろうなぁ。大体に政府は直ぐに情報を公開しない。これは、今回の3.11に限ったことではなく、これまでの日本においても、アメリカでもロシアでも同じだった。一般人は何が起きているかわからない。本当に必要なら、政府が責任をもって、即ニュースを流すべきだ。ほんとうの最適の対策は、脱原発しかない。

14)内部被曝が問題となるもうひとつの理由は、外部被曝の心配がないアルファ線の影響もでてくることだ。空気中で2~3cmしか飛ばないアルファ線は、線源が地面に落ちていても人体まで届かない。紙一枚に付いても被曝はしない。
 ところが、これが肺に入ると、状況は変わってくる。アルファ線は生体内では0.025mm(細胞1~2個)程度で止まってしまうが、その間にすべてのエネルギーを放出するから、周囲の細胞に与える影響はベータ線やガンマ線より大きい。
p122「外部被曝と内部被曝の違い」

15)実に困ったことである。これ以上、内部被曝を増やさないためには、政府は情報を速やかに公開すること。そして、もともとの原因である原発を安全に廃炉することである。すべて脱原発するしかない。

16)マスクがなければ、タオルやハンカチ、ティッシュペーパーで口と鼻を押さえる。IAEA(国際原子力委員会)によれば、木綿のハンカチやタオルでも、八つ折にすれば80%以上、エィッシュペーパーも3枚重ねれば90%以上が除去できるそうだ。p123「放射性降下物から逃げ遅れたら」

17)目にも見えない無色透明、無味無臭の劇毒物から、老人や子どもが、テッィシュペーパーを口にして逃げまどう図は、まさに地獄絵図でしかない。100%被害を避けるには、脱原発しかない。

18)・・・・”ホルミシス効果説”で、「低線量被曝はむしろ発がんリスクを抑制するというもの。例えば病原体に対するワクチンが、生体に弱い毒素を与えることで免疫力を活性化させるように、低線量被曝は細胞の修復能力を活性化させ、むしろ発がんリスクを抑える方向に働く、とする考え方である。p125「被曝量はどこまでなら安全?」

19)ホルミシスなどという証明不可能なワクチン効果は、希望する人だけ被曝すればいいのであって、希望しない人に被曝を強要することはできない。そのためには、脱原発して、きちんと管理できる「低線量放射線」だけを、ごく限定的に医療機関で扱えばいいのである。

20)原発の部分だけピックアップしてしまったが、この本は、バランスがよく、カラー写真も豊富で、よくできたサバイバルBOOKとなっている。

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1台7役 手回し充電ライト 携帯レスキューそなえ君 主婦の友社

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「1台7役 手回し充電ライト 携帯レスキューそなえ君」 1台7役 手回し充電ライト
主婦の友生活シリーズ 2011/07 主婦の友社 ムックその他 19p  
No.0400

1)久しぶりに書店の店頭を覗いていたら、こんなものがあった。主婦の友社から、書籍やムックのような形で販売されている。2990円。

2)この手の商品は、今まで何かの景品としてもらったり、電化店のワゴンセールなどで、何時でも目につくのだが、どうもいまいちアイディア商品的ニッチな性格づけで、気に入ったものがなかなかない。

3)プラスチックの質が悪かったり、ラジオがAMしか使えなかったり、スピーカーが雑音を拾ったりと、正直言ってまともなものが少ない。

4)ところがこれは、この時期に主婦の友社がムックとして販売しているものである。そう大きくは外していないだろうと、衝動買い。

5)まぁ、ハズレだったとしても、この手のグッヅは、各部屋や車の中などに、一品転がっていても、邪魔にはならないだろう。

6)使い始めてみたところだが、なかなかよい。一番感動するのは、ケータイやスマフォなどの充電が、この手回しマシンでできること。

7)1分間120回(2回/秒)で手回し充電を3分した場合
<携帯電話>
通話:約30秒 待ち受け:約10分
(*携帯電話機への「充電機能」はあくまでも災害時等の緊急対応用」です。
p17

8)災害時であっても、ケータイでの連絡は、30秒もあれば結構コミュニケーションできる。3分で30秒はちょっと辛いようにも思うが、実際は、被災時は、他にやることも少ないので、手回しを1時間くらい続けることはそれほど、苦痛ではない。

9)1時間手回しで10分間の通話、待ち受け3時間20分は、十分実用になるのではないだろうか。同じくLEDライトは約6時間40分程度使用可能。同じくラジオは1時間手回しすれば1時間40分程度。充分実用になる。

10)AMは当然として、FMラジオは、災害地域FMなどを聞くために、絶対必要。ストラップの中にアンテナが内蔵されていて、感度もまずまず。通常時は、USBでパソコンからフル充電しておくことができる。

11)残念な点は・・・・

・カラーがオレンジ一色で、選択肢がないのがさびしい。緊急時使用と割り切れば、非常時には目立つから、むしろこの色がいいかも

・ラジオのイヤフォンジャックがない。個室で聞く分には問題ないかもしれないが、夜間に家族が寝ている時に使用するとか、避難所で周囲に他人がいる時などは、ボリュームを絞って、スピーカーを耳に当てて聞くことになる。

・ラジオの選局をする時のメモリがよくわからない。実際は、被災時は、1局をずっと聞いていることになるので、頻繁に選局することはないから、これでもなんとかOKか。

・バッテリーの残量がわからない。バッテリーがなくなれば、すぐ手回しをすればいいだけのことだが・・・。

12)被災時、とにかく必要だったのは、ラジオ、ケータイ、懐中電灯。この3つがこの一台が側にあることによってカバーできるのだから、安心度は大きい。

13)この商品を検索していて、似たような商品が販売されていることを知った。こちらは2730円。色も白だから、男性でも常に携帯しやすいかも。

くるくる回して 充電くん 〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト〜
「くるくる回して 充電くん 〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト~」

14)実際どの程度の性能か分からないが、それ程高価なものではないし、いざとなったら、お役立ち度は抜群なので、各部屋用、各家族用に一個づつあっても邪魔にはならないだろう。

15)少なくとも、ラジオを聞いたり、懐中電灯やケータイを使用するために、やっぱり原発は必要だ、などという結論は避けなければならない。小さいとは言え、これは立派な発電所だ。実用に足りている。

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自宅につくる震災対処PCシステム <2>放射線量測定器「ガイガーカウンター」

<1>からつづく 

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「自宅につくる震災対処PCシステム」 <2>節電・停電対策から安否確認まで
日経BPパソコンベストムック 2011/05 日経BP社 ムックその他 129p

1)放射線量測定器「ガイガーカウンター」p45

2)残念ながら、ガイガーカウンターは一般人の必需品になってしまったようだ。ここはひとつ、気に入った一台を手にいれておくべきか。そう思い立って、情報を集めてみようと思うのだが、まだまだ資料が足りない。

3)貧しい情報源だが、その中でも、気になったのは、この本に僅かに見開きページに紹介されていた商品群。これらをネットで検索してみると・・・。

4)BH3080  57800円 → ネット情報なし 

RH800 49800円 → 22800円

SDM2000 39800円 → 22800円

FJ2000 45800円 → 19400円

RM2021 49800円 → 25000円

JB4020 57800円 →  29000

5)この本は6月20日発行になっているが、商品情報は今年4月23日現在の、東京秋葉原での店頭価格ということになっている。

6)それをネットで検索すると、現在は、それぞれに僅か半額程度で流通しているようだ。数カ月で半額にディスカウントされるマーケットというのは、どうも怪しい。そもそもの値付けが正しくなかったのではないか。

7)周囲で購入した人は、やはり4~5万程度で購入しているようだ。早く購入する必要があった人たちはしかたかったとしても、私のような、第二弾、第三段グループは、すこし余裕を持って、品定めをしたい。

8)ネットで検索した限りは、上のリストならJB4020あたりがいいのかな、とも思うし、上のリストにはないが、ロシア製のSOEKS-01M (25600円)なんても気になる。

9)アメリカ製、ロシア製、中国製、がリストアップされているのに、日本製はなぜないのだろうか。それだけ危険度がなかったとは言わせない。それだけ原発の危険性を公表していなかったために、日本国内にガイガーカウンターのマーケットがなかったのだろう。

10)日用品大手のエステーからは10月20日に、希望小売価格15750円で発売になるということだし、宇宙航空研究開発機構(JAXA)がメーカーを通じて8月末にも2万円で販売を始める、ということだ。

11)値段はこの程度で収まるのだろうか。あとは性能。信頼度、誤差、計測の時間、累積放射線量計の有無、消費電力や製品寿命などをチェックして、そろそろ必要な人は入手時期か。

12)本当は、ガイガーカウンター二台持ちになって、誤差などをチェックして、より正しい数値を把握しておくのがいいのだろう。

13)しかしまた、緊急の時期は過ぎているので、ネット上における公共の情報を参考にする程度でも、かなりのことがわかるはずだ。

14)空気や土壌の汚染状態も気になるが、これからは飲料水や食物の汚染が気になる。500ベクレル/1kgとか言われる数値についても、本当は、もっと細かくチェックしたいのだが、こちらの検査機器は個人ではとても購入できるようなものではない。

15)それにしてもである。このような情報が必要になったということ自体、とても悲しいことである。そしてなお、今後はこれらをさらに直視していかなければならないのだ。気の重いことだ。 

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2011/08/15

原発・核事故に備えろ―どう逃げるか? 地球市民として暮らす 林義人・他

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「原発・核事故に備えろ」―どう逃げるか?  地球市民として暮らす
林 義人 (著), 山崎 智嘉 (著) 2000/02 学習研究社 単行本: 160p
No.0399

1)この本をレインボー評価しなければならないことが、悲しい。

2)この本は、1999年9月の茨城県東海村におけるJOC事業所における臨界事故を受けて、その事故検証とともに対策が書かれた本である。すでに10年以上まえに起きた事故であり、それに対して書かれた本である。

3)それにも関わらず、内容が極めて今日的に思える。事故の本質が変わっていないばかりではなく、事故に対する対策が、本質的になんの変化がないことにおどろく。つまり、何にも解決していないではないか、とさえいえる。

4)今回の3.11原発事故は、天災を契機として発生したことであり、その規模は、東海村臨界事故とは比較にはならない。とてつもない大災害となってしまった。しかし、それはすでに予想されたことであり、いずれこのような悲劇的な事故が発生することは予告されており、その結果まで充分シュミレーションされながら、手を打てずにきたのだ。今回の事故は決して天災ではなく、明らかな人災であることを示している。

5)ウランの化合物に放射線を出す性質があることを発見したベクレルは、1896年にラジウムの化合物をポケットにいれていたところ皮膚に紅斑が生じた。このことを聞いたキューリー夫人は同じことを試してみてやはり紅斑ができることを認めている。そして、夫人は白内障や再生不良性貧血などの放射線障害に苦しみ、白血病死した。p67「次々発がんした放射線科学の先駆者たち」

6)そもそも、放射線技術の初期の段階から、その危険性は認識されていたのだ。

7)発明王エジソンもじつはX線が発見されて間もない時代に、それを使った製品を開発しようとしていた一人だった。ところが、エジソンはそのために目に異常が生じ、ダリーという助手にも障害が現われたために開発をあきらめてしまう。医師はダリーの放射線障害として現われた潰瘍を見て「他の病気に比べるべくもない」と言ったという。ダリーの潰瘍はがんに移行して左右の手を切断され、ついに39歳の若さで死亡した。p67「次々発がんした放射線科学の先駆者たち」

8)最初の最初から、このような危険性の中で、人間界は、この危険性をコントロールしようとしてきたのだが、現在のところ、それは不可能という結論がでている。

9)原発事故が起きて放射能に汚染されてもそれだけで即死すうrことはほとんどない。ただし、その後長い間放射線障害に苦しまなければならなくなる恐れもあるし、がんに移行する心配もでてっくる。
 障害を最小限に抑えるうえで大切なのは、できるかぎり被曝量を少なくするということだ。受ける放射能が多くなるほど危険性は多くなってしまうし、被曝量は放射能にさらされている時間に比例して増加する。
p72「一刻も早く逃げろ! 原子力事故から身を守る法 いかに早くにげるかが運命のわかれめ」

10)一般には放射能事故は客観的には把握できない。情報を管理する担当者や政府、あるいは専門家が、適正かつ迅速な指示を出さなければ、一般人は、なにも知らないで、被曝する可能性が高い。今回の3.11原発事故における、彼らの対応は、まったく適正ではなかった、と言える。

11)事故現場から10キロ、10~30キロ、30キロ以上、などのケースについて本書はアドバイスしている。今回も80キロ圏外まで脱出せよ、という指示を出した国もあった。しかしながら、キロ数によって安全が確保されるということではなく、風向きや雨などによって大きく変化する、ということが改めて、確認された。

12)ましてや食物汚染による内部被曝は、キロ数にほとんど関係なく起こりうることが分かり、これからの日本人のみならず、地球人は、みずから作り出した猛毒=放射性物質と共存せざるを得なくなったのだ。

13)小さなポケット線量計でも、5万円という価格なので、一家にひとつというわけにもいかない。近くに核施設や原発のある地域では、町内会などの単位で設置を考えるべきだろう。p95「個人でも買える放射線測定器」

14)ガイガーカウンターについては、別途、購入を考慮中である。遅いと言えば遅いのだが、幸いにして、周囲にすでに購入した人々が多数いるので、それらの人々の計測結果を聞いて参考にしている。

15)現在のところ、かなり高い、という結果になっている。それこそ、ただちに健康に影響がないレベルではあるが、晩発性被害を考慮すれば、その被害はまだまだ予測不可能だ。ましてや、これから放射線の量が増加する危険性も残されているのだ。

16)東海村JOC臨界事故は、この本がでた当時でも、世界の原発事故ワースト4~5位にランクされていた。それでもレベル4の評価だった。今回の3.11原発事故は、レベル7。1986年のチェルノブイリ事故と並び称されているが、今後の検証いかんによって、世界で最大の原発事故として長く記憶されることになるだろう。

17)原発推進派とは誰なのだろう、といぶかってきたが、それは政府そのものだった。国が積極的に原発を推進してきたのだ。いくら原発の危険性を危惧しても、国が推し進める限り、正しい情報が国民に伝わらないのは、当たり前だったのだ。

18)日本では、原発の寿命は30年~40年という想定で設計、建設、運転されてきた。1970年代に建設された原発は、そろそろ引退を考えなければならない時期なのだ。ところが、各地で原発の建設に反対する運動が強くなり新しい原発をつくることは難しくなっているため、今ある原発をできるだけ長く運転しなければならない。p148「原発・核事故はまた起きる1? 延命運転のために毎日が綱渡り」

19)今回の原発事故は、今後、徹底的に検証されなければならないだろうが、まずは、津波が来る前に原子炉が地震で破壊された可能性がある。その後の全電力喪失は津波によって引き起こされたのであろうが、いずれにしても大事故であることにかわりはない。

20)今後、地震大国日本においては、すべての原発が、今回の事故同様の危険性に支えられていると言える。ここで、まず、国が「脱原発」を強く意識しなければ、ほんとうにこの国は終わりなのだ。

21)この本が11年前にでていることから分かることは、日本は過去から何も学ばなかったばかりではなく、事実を直視する勇気さえなかったのだ。

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2011/08/14

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 NHK「東海村臨界事故」取材班

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
「朽ちていった命」 ―被曝治療83日間の記録
NHK「東海村臨界事故」取材班 (編集)  新潮社 2006/09 文庫: 221p
No.0398★★★★☆

1)1999年9月30日に起きた東海村臨界事故では、ウラン燃料では、ウラン燃料の加工作業をしていた大内久氏と篠原理人氏の二人の技術者が大量の中性子線をあびて死亡した。二人とも現代医学の最先端の知恵と技術を動員した治療を受けたが、大内氏は83日目に、篠原氏は211日に最期を迎えた。本書は、岩本裕記者を中心とするNHK取材班が、大内氏に焦点をあてて治療と闘病の経過を追ったドキュメントだ。p216「解説」

2)2002年に単行本として出版されたものが、2006年に改題して文庫化された。

3)ごく微量の放射線をあびることによって、毒が毒を制するような健康法、ホルミシス効果があるとされる。よく行く友人の治療院で、私はこの施術を知らないうちに体験していたのだった。もちろん、希望を聞かれ、受けるか受けないかは任意である。そしてこの施術にかかる医療費は無料である。

4)私は年間に定期健診で最低でも一度はレントゲンの放射線を浴びている。たまに歯科でレントゲン撮影をする時もある。でも、それは、管理された中での、ごく限られた安全な使用法ということになる。

5)かつて、30年以上前には、がんセンターで放射線治療を受けたことがある。若い時期だったので、病状もよく聞かないままだったが、半年の入院過程の上で、放射線を治療として、都合20回ほど浴びているはずだ。その効果があったと見えて、この30年間、再発の兆しはない。

6)私の放射線体験に比すれば、この東海村臨界事故で、二人の技術者たちが浴びた放射線量は、比較にならないほどの莫大なものであった。被曝した段階で「即死」とほぼ同じ意味を持っていた。染色体が破壊され、生命が再生されない状態になった。絶命するまで、83日とか211日とか経過はしたが、それは単に「死」が緩慢に訪れる、というだけのことである。それだけ苦しみも長くなる。

7)今回の3.11事故で外界に放出されてしまった放射線や放射性物質の影響は如何ほどのものになるのか、今のところは定かではない。スリーマイル島やチェルノブイリ、そしてこの東海村など、度重なる原発事故の結末から類推していくしかないが、その影響は膨大なものと推測されている。

8)今回の3.11における原発事故において、施設内における直接の莫大な被曝は、自分のものとして想定することはむずかしかった。しかし、本当にそうだろうか。

9)今回の津波事故でも、沿海部の人間がたまたま所要で内陸部にいたために助かった例がおびただしくある。逆に、内陸部の人間が、たまたま所要で沿岸部にいたために死にいたったケースもよく耳にすることである。

10)原発事故においても、その可能性はない、とは言えない。たまたま、施設の近くを通りかかる可能性はゼロではない。いや、日常的に存在していると言える。

11)今回の3.11に関連する原発事故でも、ほぼ偶然ではあったにせよ、親戚の家族は、原発施設から20数キロ圏内で生活していた。しかも、病院勤務という職業上、すぐその町を離れることはできなかった。一般的に考えても、かなりの量を被曝している可能性がある。

12)思えば、東海村臨界事故の場合でも、あとでわかったことだが、この事故のおこる直前まで、親戚の男性が、この施設の責任ある立場にいた。タイミングさえずれてしまえば、事故の責任を負って逮捕される可能性も十分あった。

13)声は奪われても、顔の表情や体全体で気持ちを伝えてきた大内は、心停止を境に、家族のよびかけにも応えなくなった。もはや機械と薬に支えられて行きていた。
 面会に訪れた家族の言葉が、看護記録に残されている。
 母は息子によびかけた。
 「久、がんばってね」
 父は耳元で語りかけてた。
 「最後までがんばるんだ!」
p146

14)こうして35歳のひとりの男は、妻と小学三年生の息子を残して、この世を去った。

15)がんばろう、とは思う。だけど、すでにがんばるための基礎的な命が失われていた。まさに朽ちてしまったのだ。

16)「汚染はされていますが、ただちに健康に影響のある数値ではありません」というアナウンスを、3.11以降、何回も聞いた。そのアナウンスはそれはそれとして聞いておこう。しかし、このようなアナウンスは「健康に被害を及ぼす可能性がありますので、ただちに避難してください」というアナウンスに、いつ何時でも変わり得るのだ、ということは明記しておかなくてはならない。

17)そしてまた、被曝、即、死へのカウントダウン、となる可能性もある。それは、施設内の限られた技術者達だけの問題ではない。いついかなる時に、私たち自身に降りかかってくるかわからない。

18)この本、コンパクトで、中に4ページ程のカラー写真もついて、一気に読めてしまう。どの施設、どの地域においても、想定外の事故は起こり得る。しかし、その可能性の中でも、人類が生み出した可能性としては、原発や核燃料技術は、もっとも毒と悪を秘めた存在であることは間違いない。

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2011/08/13

こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ ピアズ・ポ-ル・リ-ド

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「こうして原発被害は広がった」 先行のチェルノブイリ
ピアズ・ポ-ル・リ-ド/高橋健次 2011/06 文藝春秋 単行本 405p
No.0397★★★★☆

1)チェルノブイリについて書かれた本の最高峰とされるこの本は、1993年にイギリスのノンフィクション作家によって1993年に英語で出版され、1994年に邦訳された。その時点までのチェルノブイリが書かれているわけだが、今回の3.11大震災を受けて、この6月に解説を加えて新装出版されることになった。

2)この本、最高峰というだけあって、文字数は多いし、二段組みだし、文字は小さいと、途中で投げ出したくなるような本である。ましてや、おびただしい数のロシア人(とその周辺の人々)の名前が乱発されるので、まるで、ロシアの文豪たちの文学作品を読むような、重々しさがある。

3)更に、原発のルーツをたどるために、第二次世界大戦中のソビエト内の政治情勢あたりから語られるので、ホントに重い。実際、この本、すでに一カ月くらい前から手元にあるのに、すこしづつすこしづつしか読み進めることができなかった。

4)ついに文字面を追うのを止めて、今回は、大体の全体像をつかむことでよし、とすることにした。

5)登場してくる単位(レム)などの読み込みも十分ではない。シーベルトやベクレルなどの単位と連動しながら、もっとリアリティを持って、読みなおさなければならないだろう。

6)この本の持っている意味は多義的である。
・ソビエトという国家体制の在り方について。
・国家をささえるためエネルギー政策としての原発の在り方について
・原発と核兵器の関係について
・人間の巨大技術のほころびについて
・放射性物質汚染のおびただしい事実の検証について
・「廃炉」に向けての、今後の努力について
・他

7)チェルノブイリについての本格的な総まとめ的な一冊ではあるが、とっかかりとしての一冊目としてはいささか重すぎる。もうすこし軽めの本で、チェルノブイリの全体像をとらえてから、この本で全体像を組み直すのがいいだろう。

8)1986年当時、チェルノブイリという名前が、ニガヨモギのロシア名であるということで、「ヨハネの黙示録」が話題になった。私はなどは、そちらのほうの話題に共鳴していったので、チェルノブイリを科学的な身近な問題としては、なかなか捉えることができなかった。

9)もし、この25年前の事故を、我が事としてもうすこし積極的に検証していけば、今回の東電原発事故は起きなかったのではなかろうか。すくなくとも、これだけの、原発野放し社会にすることはなかったのではないか、と反省する。

10)今後、二次被害としての健康被害が調査されることになるだろうが、チェルノブイリの事故を対岸の火事として見ていた日本には、このレポートは、参考になる部分が多くある。

11)チェルノブイリ事故を契機として、ソビエトは崩壊していった、とも言われるが、日本もまた3.11を契機として、「よい方に」変化していくことを期待したい。

12)3.11原発を検証するために、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、東海村原発事故など、気が重くなるような事実の連続だが、これらをキチンと把握し、整理しておく必要もあるようだ。

13)なお、チェルノブイリ事故は、人為的ミスにより発生したとされているが、実際には直下型事故で発生した、とするレポートも再読する必要がある。

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「巨大地震」「大津波」「放射能」から身を守る100の方法 東日本大震災でわかった!  主婦と生活社

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「巨大地震」「大津波」「放射能」から身を守る100の方法 東日本大震災でわかった!
主婦と生活社 2011/07単行本 127p
No.0396★★★☆☆

1)こちらは、7月発行の本だけに、地震や津波に比して、より放射能についての記述が多くなっている。120数ページのうち、放射能については30数ページが割かれている。

2)ガイガーカウンターを肌身離さず持ち歩いて、神経質になる必要はない p102

3)そうは言われても、公共によって細かく地域が計測されているのならいいが、あまりにも大雑把な発表だし、同心円状に汚染されているわけではない。ホットスポットなどがある限り、自分で身を守ろうとするなら、ガイガーカウンターくらいは、必要だろう。が、まだ一般家庭や個人用としては高額なものであるし、誤差もかなりあるようだ。

4)車両に付着した放射線が飛散して、健康に影響を及ぼすことはない!p107

5)この表現は微妙だ。あえてここでは「放射<線>」という単語をつかっていることに注意。自宅に帰ったら、玄関の外で、放射性物質をはたき落してから家に入りましょう、などという本もあるのだから、車両に付着した「放射性<物質>」が飛散する可能性はある、と個人的には判断する。

6)先日、南相馬市の東電原発から20キロ圏内まで行ってきた。近くにはコンビニがあり、若い女性が働いていた。20.1キロというエリア内なので、大丈夫なのかな、と思った。妊娠の可能性などがなければいいのだが。できれば、私みたいな初老の男性が働いたほうがいいように思う。ちなみに、停止線にいたのは、男性の中年以上の警官たちだった。

7)帰ってきてから、自宅に戻る前に、洗車場で念入りに洗車してから帰宅した。自宅に持ち込まなくても、地域の排水溝までは持ってきたことになるのだが、まぁ、いまのところは、健康に影響するほどの数値ではない、と言われている。

8)実効線量計数(成人)は、放射性ヨウ素が「22×10の-5乗」(0.000022)、放射性セシウムは「1.3×10の‐5乗」(0.000013)です。
 そのため、仮に1kgあたり2000ベクレルの放射性ヨウ素が検出された野菜を、1kg食べた場合の体への影響は、「2000ベクレル×0.000022=0.044ミリシーベルト」となります。

 暫定規制値は、日本陣の平均的な食生活をもとに、対象の飲食物をすべて1年間とりつづけても、ヨウ素の甲状腺等価線量(甲状腺に対する被曝量)で50ミリシーベルト(実効線量で2ミリシーベルト/年相当)、セシウムの実効線量で5ミリシーべルトを超えないように決められています。p110

9)この数式はもっとキチンと頭にいれておきたいのだが、いまだよく実感がつかめない。1mSv/年以上の放射線を浴びないようにする、と言っておきながら、50mSv/年(なのかな)が安全、と言われても、ちょっと理解があやふやだ。

10)大体において、安全、安全と言われながら、これだけ細かく計算式ができていること自体、もともとは、相当に危険なものなのだ。もともと危険なものなのに、安全、安全、と言いくるめられることに、どうも不信感を抱いてしまう。

11)この本は、「主婦と生活社」の編集によるものである。あまり疑心暗鬼にならず、素直に教えを乞うていればいいのかもしれないが・・・。

12)飲料水の暫定規制値は、放射性ヨウ素131については300ベクレル/kg(乳児は100ベクレル/kg)、放射性セシウム134、137については、200ベクレル/kgと定められています。p112

13)大体において、いきなり「定められています」などと、なんの予備知識もないまま言われても、どうも納得はいかない。消費税は5%と決めれらています。成人は20歳と決められています、と言われているようなもので、それには様々な異論があって、なおかつ、「暫定的」にそう決まっているだけなのである。、予備知識なり、広い議論の中でのコモンセンスとして、理解するまでには、もうすこし時間がかかりそうだ。

14)300ベクレルの放射性ヨウ素131が検出された1kgの水道水を飲んだとすると、成人の場合、体への影響は、「0.0066ミリシーベルト」になります。仮に、成人の1日の平均摂取量である1.65kgを1年間、飲み続けた場合、体への影響は「3.97ミリシーベルト」となります。
 このように、暫定規制値レベルの汚染を受けた水道水を1年間飲み続けても、j放射性ヨウ素の上限値である50ミリシーベルト/年(甲状腺等価線量)には及びません。
p114

15)どうもこの辺の数値やシュミレーションがあやしくていけない。大体において水は1年間飲んで終わるわけでもなければ、水だけ飲んで暮らしているわけでもない。食事をし、空気を吸い、また体表面からの放射線を浴び続けた場合、総合すれば、結局大きな数字になってしまうのではないか。

16)まして不確定要素が多すぎる。個人差も大きく、また、地域や、その食品の製造過程はまちまちだ。一律の平均値で安全と言ってしまうことは、かえって「危険」なのではないか。

17)野菜類(根菜類、芋類を除く)の暫定規制値については、放射性ヨウ素で1kgあたり2000ベクレル、放射性セシウムで500ベクレルと決められています。もし2000ベクレルの放射性ヨウ素が検出された野菜類を、成人の1日の平均摂取量である600g食べた場合、体への影響は「0.0264ミリシーベルト」。仮に1日600gの野菜類を1年間摂取した場合には、体への影響は、「9.63ミリシーベルト」となります。p115

16)決められているかどうかしらないが、外部被曝0.1μSv/h=1mSv/年以下の環境で暮らそうとしている人間にとって、10mSv/年は、かなり大きな数字のように思える。これらは、ひとつひとつ加算されることになるのだ。

17)300ベクレルの放射性ヨウ素が検出された牛乳・乳製品を、成人の1日平均摂取量である200g摂取した場合、体への影響は、「0.0013ミリシーベルト」。
 仮に一日200gの牛乳を・乳製品を1年間摂取し続けた場合には、体への影響は「0.48ミリシーベルト」となります。
p116

18)なんだか、ますます加算されているなぁ。

19)魚介類の暫定規制値は、放射性ヨウ素で1㎏ああり2000ベクレル、放射性セシウムで500ベクレルと決められています。魚の体内に取り込まれた放射性物質は、内臓や頭に集まりやすいとされているため、調理する際には、こうした部位を取り除くようにするとよいでしょう。p117

20)頭や内臓ばかりが汚染されているわけではあるまい。そんな器用なまねはできない。家庭の主婦や主夫は、料亭の板前さんみたいに、ふぐ料理の免許をもっているわけではない。ふぐの毒にあたりたくなければ、最初からふぐは食うな、と言ってもらったほうがいいのではないか。

21)米(玄米)を含め穀類の暫定規制値は、放射性セシウムで500ベクレル/kgと定められています。
 成人の場合、穀類の1日の摂取量は300g。仮に500ベクレルの放射性セシウムが検出された玄米を1日300g、1年間食べ続けた場合、体への影響は「0.71ミリシーベルト」となります。
p118

22)ああ、そろそろいい加減にしてほしいなぁ。先年、中国製の段ボールが入ったシューマイというのがあったが、段ボールが入ったシューマイを、一日10個、一年間食べ続けても、大丈夫ですよ、と言われているのと同じことではないか。

23)段ボールなど食品じゃないのだから、食べたくない。おいしい食品を食べたいのだ。大丈夫、大丈夫、ではなくて、最初から、食べなくてもいいようにすればいいのではないか。ヨウ素やセシウムなど食べたくない。一体、だれが食べさそうとしているのか。

24)必死になって、大丈夫、大丈夫、と国民をなだめすかす前に、このような事態がおこるのを未然に防ぐために、原発をとっくにやめなければならなかったのだ。国民を説得するのではなく、原発を推進する勢力をこそ、徹底的に「規制」しなければならないのではないか。

25)子どもたちが浴びる空間照射線量の上限を「年間20ミリシーベルト」としたあと、「年間1ミリシーベルト以下を目指す」と加えたようだが、こんなのも、なんだかまやかしだなぁ。もともと、ゼロが正しいわけでしょう。自然界にもともとあるものがあるとするなら、まずは、自然界のそのバランスをみだりに変えてしまうことは、神ならぬ人間の行為としては、責任のとれない愚挙といえるのではないか。

26)原発推進派は、猛省しよう。

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2011/08/12

地震 停電 放射能 みんなで生き抜く防災術 東日本大震災から私たちが学んだこと小学館

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「みんなで生き抜く防災術」 地震・停電・放射能 東日本大震災から私たちが学んだこと
小学館防災チーム  2011/04 小学館 単行本 127p
No.0395 ★★★☆☆

1)図書館も復活してみれば、以前の風景にもどりつつある。そして、ごく普通にこの手の本が、震災コーナーをにぎわしているのであった。

2)この本もまた、4月という早い段階で出版されている。地震と停電は、すでに織り込み済みだったが、津波は意表を突かれた。しかし、津波は天災でもあり、とにかく高台に逃げるしかなく、飲み込まれてしまったら、それが運命だったと、受け入れるしかない。

3)それに比して放射能については、いままで準備などまったくしたことがなかったが、これは明らかに人災だ。そして、一回逃げれば済む、という問題ではない。これから、多分人類は、放射能と共存していかなくてはならない段階に入ってしまったといえる。

4)この本においても、120数ページのうち、放射能についての記述は20数ページ。必ずしも、細かく書いてあるわけでもない。基本的なことが書いてあるだけだ。しかし、この放射能についての基本的な知識だけでも、まだまだ身につかない。

5)ベクレル(Bq)
 放射線を出す能力の強さや数量を示す単位。電球に例えると、光の強さそのものにあたるのがベクレル。
p52

5)グレイ(Gy)
 放射線があたった物質が吸収した放射線量の単位。
p53

6)最近は、ガイガーカウンターを携帯して放射線をチェックする人びとが私の周りでも増えてきた。そのおかげで、次第に自分の生活空間のレベルがわかるようになってきた。しかし、ベクレルやグレイなどの単位の対象となると、まだまだ不明なことが多い。

7)シーベルト単位にしても、公に発表されることを参考にすれば足りるようでもあるが、どうも、政府や行政、東電の発表が嘘であったり、後手後手にまわったりしているので、信用ならぬところがある。

8)放射能に対する、新たなる、自分なりの防災スタイル、というものを作り上げる必要を感じる。

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2011/08/11

日本の原発危険地帯 鎌田慧

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「日本の原発危険地帯」
鎌田慧 2011/04 青志社 単行本 337p
No.0394 ★★★★☆

1)この本にも、あとがきが3つある。1982年2月15日。2006年8月6日。そして、2011年3月31日。少なくとも3回はこの本が注目されたことになる。

2)しかし、解説を読むと、さらに、1988年や1996年に、文庫化されたり、シリーズに編入されたりしたというから、かなり歴史的に変遷してきた一冊ということになる。

3)著者は青森出身のフリーライター。「原発暴走列島」を読んだ時も感じたが、鎌田慧という人の語調はかなり鋭い。気鋭のジャーナリストであるなら、そうでなくてはならないが、それにしても、日本の原発反対運動のもっとも核心的な部分をルポし続けてきた人の、人々を見るやさしさと、それらを守ろうとする鋭い視線が、交差する。

4)原子炉の制御がきかなくなって暴走し、閉じ込めらていたはずの放射能が拡散する、という最悪のシナリオは昔からあった。が、しかし、すぐにでも発生する、と考えたひとはいない。p2

5)政府は「緊急事態宣言」を発しながらも、わざわざ「放射能が(原発)施設の外に漏れている状態ではありません」と根拠もなく住民を安心させ、避難指示も3キロ以内の住民にだけだした。半径3~10キロ以内は、「屋内待機」だった。p5

6)いったい、今回の大事故によって、どれくらいの被曝者が発生するのだろうか。三号炉では昨年9月からプルサーマル生産にはいっていたこともあってか、プルトニウムが検出されている。p7

7)その不幸を再現しないためには、原発の支配から脱却するしかない。簡単なことだ。「脱原発」を宣言し、原発から撤去をはかり、代替エネルギーの開発を毅然と進めればいいだけのことだ。それは日本の民主化の道でもある。p8

8)30年も40年も、日本の原発はおなじようなことをずっと繰り返してきた。そして、二つの勢力、推進派と、反対派は、妥協点を見いだすこともなく、ただただ現実に押し流されてきてしまったといえる。ふたつの交わらない平行線を見ているような図式だ。

9)推進派は、あらゆる手を使って推進してきた。反対派は、それこそ石にかじりついても反対してきた。この落差は一体、何なんだろう。

10)推進派は、自分のところに原発をつくればよかったのだ。関東電力など、自らのエリアに一個も原発を建てていない。遠くに遠くに作ってきた。当然、それは危険なものだからだ。

11)反対派は、当然反対してきた。そんな危険なものは要らないからだ。だが、その危険を押し付けようとする勢力は圧倒的な力(権力や金)を持っており、押し付けられそうになっているのは、どちらかというと純朴で清貧な人たちだ。この闘い、ずっと続いてきた。

12)ウソとカネ。これが原発建設のエネルギーだ、とわたしは何度か書いていた。それと地方自治の破壊、である。巻町のケースもまたその例外ではなかった。しかし、それでもここは土地を楯にして、原発の横暴を30年近くも抑えてきた。青森県は東通原発が、30年にわたる住民の抵抗のすえ、ついに工事がはじまろうとするのをみれば、東北電力が時間とカネを惜しみなく使ってなお、原発建設の見通しをたてられないのは、特筆に値する。p301

13)原発というやつ。放射性物質をばらまくから、危険、というだけでなく、住民の自治や尊厳をも、ぶちこわす危険を持っている。

14)これからのもっとも賢明な選択は、まず原発の総点検をはじめ、30年以上がたった原発の撤退、地震対策の徹底、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、これから浜岡原発も危ない。代替エネルギーへのよりはやい転進が必要だ。70年代はじめから、柏崎原発の反対運動のルポルタージュを書いてきた。それ以降、全国の原発地帯をまわって、反対運動の報告を書き続けてきた。その結末が、四基を廃炉にする炉心溶融事故の発生とは、あまりにも悲しい。2011年3月31日 鎌田慧 p337

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2011/08/10

災害ボランティアの心構え 被災地NGO協働センター

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「災害ボランティアの心構え」
村井雅清(被災地NGO協働センター代表) 2011/06 ソフトバンク 新書 206p
No.0393 ★★★★☆

1)「心構え」というタイトルから想像した観念的な内容とはうらはらに、この本は、もっと具体的な活動報告であり、特に今回の3.11東日本大震災における災害直後の貴重なレポートとなっている。

2)特に書き出しから最初の20ページあたりまでは、まさに私の生活空間のことであり、私が見ていた3.11が、実に一面的であり、他方、多くの目が、体が、あの3.11を体験していたのだとということを、あらためて確認した。

3)震災直後のことは、そしてボランティアに関することなども、突発的に内部通信的にツイッターにつぶやき続けたので、今は、ひとつひとつはふりかえらないでおこう。

4)ただ、ボランティア、というものに対しては、すこし整理しておかなくてはならない、と思う。

5)当然のことながら、遠くからのボランティアが到達する前に、さまざまな対災害チームが立ち上がっている。町内会、消防、警察、自衛隊、PTA、商工会、その他の地元ネットワークなど。

6)特に町内会、自治会などは、普段から災害に向けて、連絡網づくりや具体的な救援物資の備蓄など、毎年毎年訓練を続けているところが多い。本来、そのような地元の信頼されて構築されている機能が、まずは働き始めている、ということは忘れてはいけない。

7)ボランティアの「華々しい」活躍は取り上げられるが、震災が起こる前からの地道な活動は、あまり取り上げられることはない。基礎の部分があって、なお、それに追加して出て来るのがボランティア部隊だ。

8)町内会、自治会、などの自治組織に対して、消防や警察は、職業的集団であり、当然、任務として行わなければならない組織である。もちろん、行政も分野ごとに働きだす。

9)ただ、それは、相互扶助の関係があり、当然、今回も多くの地方自治体などが援助に駆けつけてきているが、今回被災した地域もまた、別な場合は、遠く援助に出張してきていたのである。

10)ボランティアとは、私見として言えば、他人を助ける、というよりは、自らの役割を確認することによって、自らの存在意義を再認識する、という意味合いが強い、と思っている。つまり、活動することによって感謝されたり注目されたりすることが目的ではなく、自らの人生の在り方、自分の居場所を確認する、あるいは確認させていただいて、ありがとう、と、ボランティア自らが、周囲に対して感謝する活動、と言ってもいいかもしれない。

11)つまりは、ボランティアとは、専門的なものではなく、また業務的に、なにかをあらかじめ期待されるものではない、と思う。

12)被災地に行ってみたい。それはそれでいいと思う。物見遊山と言われようと、とにかく現地に行ってみないとわからないことが多い。それがボランティアという名目であり、現地で何事もできなかったとしても、もともとが、専門的業務を達成することが目的でないのであれば、何事もできなかったとしても、自分も他人も責めるべきではない。

13)人間生きているかぎり、被災する可能性は、すべての人間にあるのであるし、自分が被災すれば、隣人に助けてもらうことをためらう必要もなく、また隣人が被災していれば、自ら率先して助けることをもまた、ためらう必要はない。

14)しかし、それは相互扶助であるべきで、向こう三軒両隣、助けられたり助けたり、という、お互い様、的感覚が必要であろう。

15)今回、警察に助けられたから、今度は警察を助けよう、というわけにはいかない。今回、自衛隊に助けられたから、次は自衛隊を助けよう、というわけにはいかない。彼らは、特殊な任務についているのであり、一般的な住民は、特殊な訓練も受けていないし、任務を命じられることもないだろう。

16)ボランティア精神を、お互いに、日常生活の中で培っておく、ということはとても大切だとは思うが、専門的「ボランティア」組織、となると、私は、一瞬、ためらうことが多い。そもそも、最初からボランティアに頼らなければならない業務があるとすれば、それは、社会インフラとして、行政なり企業なりが、普段から準備しておかなくてはならないのではないか。

17)私は何も、今回のいわゆるボランティア活動が必要なかったといおうとしているのではない。ボランティアというものの語義が多様に使われ過ぎているのではないか、ということを言おうとしている。

18)この「被災地NGO協働センター」などのような組織の実態はよく知らない。どうも、普段は普通の日常生活があり、いざ身近に災害があったとすれば、すぐ駆けつけてお手伝いする、という組織ではないようだ。さぁ、次はどこで災害があるかな、と常にあちこち見ていて、災害があったら、すぐ救援部隊を送りつける、という組織のようである。

19)これは、地域の消防団などの活動よりは、火の見やぐらに登って、地域を見詰めている消防署の活動により近いように思う。ボランティア、というより、専門家したプロ集団、と言ってもいい。それが無償で行われるとか、カンパや寄付によって支えられている、という側面はあるかも知れないが、この機能は、すでに「ボランティア」と言うネーミングからは外したほうがいいのではないか。

20)つまり、民間救援団体、とでもしておいて、いわゆるボランティアとは切り離したほうがいいように、私は思う。

21)というのも、渾然とした状況の中ではあるが、私には、ボランティアという旗印のもとに、売名行為や示威行動が行われている可能性があるのではないか、という疑念があるからだ。本来、助けられたり助けたりは、人間本来の姿であり、はっきり言って、「大したことではない」。当たり前の行動なのだ。

22)しかるに、ボランティアという美名のもとに、ホームページなどに、こういう活動をしました、などと、細かくレポートしている団体などを見ると、どこか本末転倒していないか、と思う。本来、ボランティアとは、自分が「生かされている」ことを確認する作業なのであって、匿名で、静かに行われてしかるべきである。相手のプライバシーもなにもかまわずに、「助けた、助けた」と大騒ぎするのは、もっての他であろう。偽善とも言える。

23)災害ボランティアというコンセプトが出来上がりつつあるのかどうかしらないが、ボランティアとは、自らが生かされることに感謝するという、心の在り方を言うのであって、役割としての災害ボランティアが常駐している、という図があるとしたら、私はおかしいと思う。

24)せいぜい納得できるのは、災害時において、人々はどのようなボランティア精神を発揮するか、という程度である。

25)なにか、お助けマン的に、ヒロイズムに酔いたいとするなら、ボランティア活動ではない、別な何かを探すべきだと思う。自らがやっているボランティア「活動」を評価してもらいたい、などとは考えるべきではない。ボランティア活動をやっているから、なにか発言する権利がある、という思い違いも横行しているように思う。

26)私も私なりに、いわゆるボランティア、と言う立場になったことはいろいろある。「活動」としてもいろいろな場面に遭遇した。しかし、上に書いたような理由から、敢えて、私は自分のボランティア「活動」を「誇ら」ない。多くを語る必要はないと思う。語るとすれば、自分の中での心象であろうし、他人に対しては、素直にありがとう、という言葉だけだろう。

27)今回も、「ボランティア」、「救援」という名のもとに、さまざまな風景に出くわした。それは前述したツイッターにもつぶやいたし、SNSや当ブログにも少しは書いた。あるいは、あまりにも象徴的な話題もあるが、当事者のプライバシーもあるし、個人情報の保護、守秘義務というものもある。

28)ボランティア精神は素晴らしいものである。大好きであるし、常に忘れず、常に何かの活動に参加していたい。しかし、ボランティアという名前が一人歩きし、あまりに脚光を浴びる状況を私は良しとしない。ボランティア精神は、日陰の存在でいいと思う。静かに、黙々と、人知れず、行われてしかるべき行動だと思う。

29)原発事故によって故郷を去らなくてはならなかった福島の人たちへの支援は簡単ではない。東北の他の被災地の人たちがなんとか復興に向けて動き出す中、福島の人たちは、いつ収束に向かうのかわからない原発事故の様子を見守りながら、不安な避難生活を今なお送らざるをえない。p149「震災をいかに乗り越えるか」

30)著者は還暦を超えた人であるらしい、大学の客員教授も務めているらしい。阪神淡路大震災の時の活動を元に、現在の活動に繋がってきているようである。今回の3.11における特徴は、この「原発事故」にあるだろう。みんな、避難袋リストにも、救援マニュアルにも、「原発事故」は織り込まれていなかった。

31)悲しいことではあるが、今回は、この原発事故から学んだ具体例を、今後の活動に生かしていくしかない。すべての原発が廃炉になるという運命にあるとしても、原発事故が起こる可能性は、今後、何十年と続くのだ。

32)原発事故に関しては、私などの、にわかボランティア精神の仏こころなどでは、何事もし得ないだろう。ここは、専門的知識に習熟したキチンとしたプロ集団が、組織的に、責任を持って、確実に、対処していくべきだろう。

33)この本、5月までに書かれ、6月に発行されている。

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2011/08/09

いま原発で何が起きているのか―特別報道写真・解説集 原発震災の100日

いま原発で何が起きているのか―特別報道写真・解説集 原発震災の100日
「いま原発で何が起きているのか」―特別報道写真・解説集 原発震災の100日 フクシマから日本へ われわれはどう生きるか
共同通信社 2011/06  大型本: 88p Vol.3
No.0392★★★★★

1)印刷物としては、やはり単行本より雑誌などの方がより最新のニュースを伝えてくれる。さらには、文章で綴られたものよりは、より写真の方が、一目で「いま何が起きているのか」が分かりやすい。だが、原発の被害状況は分かっても、無色透明、無味無臭とされる放射線や放射性物質が、私たちの生活に「何を起しているのか」を知ることは、本当は写真でもわからない。

2)この本は不思議な本だ。多分、姉妹本だと思われる同じタイトルの本が、数冊ある。共同通信、河北新報、神戸新聞、信濃毎日、新潟日報、福井新聞、山陽新聞、京都新聞、など多数のバージョンが見られる。これは、全国新聞社出版協議会の合同出版企画によるものらしく、それぞれに少しづつ内容に特徴がありそうだ。

3)「原発震災の100日」ということで、6月26日が発行日となっている。現在はすでに8月になっているので、さらに状況は変化しているわけだが、3.11以降の原発震災については、おおよその流れがわかるようになっている。

4)雨が降った後の(3月)23日には、福島県に続き、東京都の水道水で乳児の基準の1キロ当たり100ベクレルを超えた210ベクレルを検出。戸は、乳児に水道水を飲ませることを控えるように求めた。p44「水、母乳の汚染」

5)このベクレルという奴が、いまだによくわからない。

a)一般人はどうやって測ればいいのか

b)危険域はどこからどこまでなのか

c)取り過ぎればどのような影響がでるのか

d)何時まで続くのか

e)誰が責任を取るのか

f)シーベルトなどの単位との関係・・・などなど

6)見開きページで、「原子炉解体 廃炉への道」の石川迪夫が、日本原子力技術協会最高顧問として登場している。「僕は今でも、原子力は推進していくべきだと思う」(p51)と明記している限り、原発推進派、とスティグマを張っておいていい人物なのだろう。

7)国際放射線防護委員会(ICRP)は、非常時の年間被ばく限度は20~100ミリシーベルトでよいと勧告してきた。その最低の20ミリシーベルトを避難基準に採用したのはあまりに愚策で、放射線を気にしすぎだ。仮に真ん中の50ミリシーベルトにすれば、計画的避難区域はたいていの人が帰れる。そういう知恵が政府には足りない。住民の選択に委ねる方法もある。住民の健康診断はして、農作物も買い上げたらよい。p51「防災の不備、初動にも悔い 冷却目指し 内外から知恵を募れ」

8)ガクっと力が抜ける。こういう発言をする人が、日本原発界の最高顧問なんだな。「住民の選択に委ねる」という責任放棄。放射性物質の危険性もなにも全く知らないドシロートたちが、どうやって自己判断せよ、というのだ。その測り方も、意味もよくわかっていないのに。健康診断をして、農作物も買い上げる、というが、それは、石川迪夫という人、自分で全部経費をだすのだろうか。

9)日本のエネルギーは「冬の時代」に入る。電気料金は高くなる、工業国としての地位も危うくなる。どうするかは国民の選択だ。原子力発電というのはエネルギーの問題でもあるが、科学技術を発展させる根幹の問題でもある。p51「同上」

10)なんという火事場泥棒的感覚。なんという居直り強盗的感覚。これが原発村の感覚なのだ。強制的に避難させられた人々ばかりではなく、見えない恐怖に逃げまどっている国民の姿が見えていない。子どもや、これから生まれてくる子どもたちが見えていない。

11)「フクシマから日本へ われわれはどう生きるか」。このサブタイトルは重い。3.11天地人の、人にかかわる問題である。

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原子力 その神話と現実 高木 仁三郎・他・翻訳

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「原子力その神話と現実」 増補新装版
リチャード・カーティス/エリザベス・R.ホーガン(著)、 高木 仁三郎/ 近藤 和子/ 阿木 幸男 (翻訳) 2011/07 紀伊国屋書店 単行本 251p
Vol.3 No.0391★★★★☆

1)あなたは、本書の中に、原発を擁護する理論を見い出すことはないだろう。その代り、注意深い調査と充分な事実の検討によってもたらされる、あらゆる面での強い反対の意思を見出すだろう。一方、金銭と人間の両方の面において、「原発は高くつく」という圧倒的な証拠を見い出すことになる。それは限定された利益にも値しないのである。2011年5月 pxvi 「新装版刊行にあたって--日本の読者へのメッセージ」シェル・ホロウィッツ

2)この本もまた、旧本の3.11後に復刊された一冊である。英語の原書は1980年に出ており、日本語の翻訳は1981年にでている。

3)最新の情報に疎くなる「読書ブログ」として、ネット情報からは一歩も二歩も遅れた確認作業となりやすい。それにしても、これだけ何冊も「古い」本を連続して掴まされているのは、理由がある。

4)ネットでのSNSなどの発達により、配達される日刊新聞を読まなくなって4年以上が経過した。そして3.11以降、テレビ、ラジオ、インターネット以外の情報源は極めて細くなり、しかも、3.11天地人の中の、天としての地震・津波の被害に対処する必要のほうが緊急であり、当ブログとしては、意識して地としての原発問題を後回しにしてきた。

5)一般書店が今だ復活しないばかりか、いくつかの書店が廃業に追い込まれる中、数カ月して復活してきた図書館ネットワークであるが、ようやく、原発問題を読みこもうとし始まったのは、この数週間のことである。

6)読書ブログとしての当ブログのスタイルは、ネットで図書館の新刊本コーナーを見て、ネットでリクエストして、ネットで到着を確認してから図書館の窓口で本を受取り、自宅で読む、というものである。

7)したがって、本そのものをよくわからないまま自宅に持ち返るということがよく発生する。

8)新刊本コーナーは、常に新着本でにぎわっているが、人気本は常に前からの予約が殺到しており、私の順番が来るまでにはかなり時間がかかる。したがって、予約がはいっていない、すぐ読めそうな本をまずはリクエストしてしまう、という現象がおきる。まずは、質より数で「原発問題」を読み込もうとしている現段階である。

9)しかし、せっかく3.11以降に発行されたことを確認してリクエストしても、これだけ「旧本」をつかまされると、いよいよ、これは行列に並んでも(待ち時間がながくても)、人気本を読むべきだろう、という感じにはなってきた。

10)それにしてもである。原発問題に関しては、なぜにこれだけ「旧本」の復活があるのだろう。5年や10年前の本ではない。10年、20年、30年前の本が、今日的意味を持って、再登場してくるのである。いや、今こそ読まれなければならないのだ、という強い姿勢を見せながら、再登場してくるのである。

11)「ただ今より、放送を中断して・・・・」という言葉が流れると、人々の脈拍は速くなり、息を凝らして、次の言葉を待った。指を唇にやり、ただちにおしゃべりも止まってしまう。皆、前のほうにのり出し、悪いニュースを予想して、危惧しながら、耳を傾ける。p132「放送を中断して・・・」

12)このシーンは、今から30年前に書かれた喩え話である。しかし、この喩え話が書かれた30年後に、私たちは、その現実と遭遇することになった。

13)まず、アナウンサーの言葉を聞いて、聴衆はとまどってしまう。「市の北方にある原子力発電所で一時間前、爆発が起こりました。放射線学の専門家が現在、被害の程度を推測していますが、放射能汚染の可能性のため、周辺地域の避難を行う必要があるかも知れないという報告を市の役人は受けています」p132「放送を中断して・・・」

14)3.11以降、日常的にこの風景にさらされているのは、一地方都市のみならず、列島全体、そして、地球全体だ。

15)しかしながら、アナウンサーの次の発表でまちがいなく、人々の心臓の脈拍は恐怖で速くなるのだった。「私たちの局がインタービューした原子力物理学者の報告によれば、ある天気の状態下では、直径150キロの地域は影響を受けるだろう。原子炉のある地点から80キロ以内のすべての町の住民はもちろん、この市の全住民も影響を受ける可能性がある」。p132「放送を中断して・・・」

16)私も含めて、30年前のこのメタファーとしての警告を、自らのこととして聞いた人間はどれだけいただろう。そして、30年後の今日、この現実を否定できる人間もまたひとりもいないのだ。東電原発からちょうど80キロに位置する我が家ではあるが、もう一方の原発からの距離を見ると、60キロとなる。ましてや、今回の事故においては150キロ圏内どころではない広域にわたって被害がでていることが、すでに科学的に証明され、報告されている。

17)それから必ず、次の言葉が続く。「この地域の住民は冷静に待機し、これからのラジオの速報に耳を傾けるようにしていてください」。p132「放送を中断して・・・」

18)30年前とは違い、2011年の地球人たちは、ツイッターを初めとするネット情報で盛んに情報を集め、自ら情報を発信する。しかし、3.11以前から、キチンと準備ができていたという人はどれほどいることだろう。

19)この発表に準備はできていますか。あなたの町はいかがですか。市の病院と衛生機関は? 民間衛生は? 州政府や連邦政府は? あらゆる面から見て、答えはノーである。この状況は国民生活のすべての分野に及んでいる。明らかに、この重大な災害に対処しうる、もしくは対処し始めうるような計画はつくられていない。p132「放送を中断して・・・」

20)「あらゆる面からみて、答えはノーである」。たしかに準備不足であった。わが家のリスクマネジメントも、3.11天地人としての災害に対する準備はほぼ完ぺきであると思われていたが、原発事故対策は、まったく抜け落ちていた。

21)原発事故がここまで影響を及ぼすなど、誰が想定していただろうか。いやいや、想定はされていたのだ。その証拠のひとつがこの本である。しかし、まことしやかに流布された、原発の安全神話と、事実が知らされない、あるいは事実は知ろうとしないという環境の中で、重大な事故の可能性をまったく予知することができないでいたのである。

22)現在ではまだ原子力の経験は限られているので、原子力問題に関するじかの知識を得る機会をほとんどの保険会社はもっていません。それに加えて、原子力の危険にまつわる保険評価をする部門を手伝う熟練の技術的スタッフを開発した保険会社はほとんどありません。p184「保険と助成金のスキャンダル」

23)今回の3.11被害に対して、民間保険会社が支払った地震保険金は1000億を超えている。現地の一代理店平均にしても数億円から数十億円を支払っている。それもこれも地震保険を日本政府が再保険する形になっているからだ。ただ、原発事故に対する備えはほとんどできていなかった。

24)原子力の大災害の被害は、産業界で以前より知られているものよりも明らかに何倍も大きく、そのことが保険会社に大きな障害となるのです。起こりうる最悪の条件下で大災害の可能性を評価すると、単に何百万ドル、何千万ドルというのではなく、何億ドル、何十億ドルもの被害になると聞いたことがあります。もし、実際にそんな事故が起こり得るとしたら、そんな規模の危険性が許されるべきものかどうかについては、公共政策上で問題にする方が妥当でしょう。p184「保険と助成金のスキャンダル」

25)この30年前の警告が、あまりにもリアリティを持って今日的であることに驚く。つまり、十分に「公共政策上で問題」とされてこなかったのだ。しかも、問題はもっと深刻になってしまっていた。

26)そう言った意味において、この30年前の本をめくることは、大いに意義がある。私の他に予約が入っていなかったのが不思議なくらいだ。既にもう読んだという人も、もう一度、読んで、真にこの問題と面と向き合うべきだろう。

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原子炉解体新装版 廃炉への道 石川迪夫

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「原子炉解体」 新装版 廃炉への道
石川迪夫 2011/04 講談社 単行本 341p
Vol.3 No.0390★★★★☆

1)この時期、このようなタイトルの本が流通しているとすれば、反原発・脱原発派の痛烈な反撃の一発!だろう、と思いがちだが、実は、原発推進派(と思われる)の研究者による技術書であり、しかも1993年4月という早い時期にでていた本である。3.11東日本大震災による原発事故を受けて、この本もまた震災一カ月後の4月に新装版として再刊されている。

2)今後も、耐用年数を迎え廃炉となる原子炉はなくならない。安全な原子炉を造ることが大切だった時代から、安全に原子炉を解体する時代へと移行している。この度のような未曾有の事故を経験した国として、廃炉についての技術と正しい認識を持つことが必要だろう。2011年4月2日 pvii

3)技術者でも研究者でもない一市民としては、原発の理論や仕組みを聞いたところで、どうにもならず、廃炉をしようと思っても、どうすることもできない手の届かない世界のことである。少なくとも「廃炉」しようという動き、研究、技術者には、はるか遠くから、静かに、暖かい称賛の拍手を送る以外に手はないではないか。

4)土壌汚染の問題は、原子炉の解体・除染のように簡単ではない。雨や風によって汚染領域が動き広がるのに加えて、放射性物質が草や木に吸い上げられ、それがまた土壌に帰るというサイクルを繰り返す。そしてその一部が動物の飼料となるという形で薄まりながら拡大していく。

 汚染の状態がはなはだしい場所は、表土を取り換えることで修復することが可能であるが、広く薄く拡大した汚染に対しては、時間経過によって放射能の減衰を待つ以外に方法はない。p298

5)1993年という時代は、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故を体験した後だったが、日本としては東海村や3.11東電原発事故を体験する前だった。その時点からすでにこれだけの認識がされていたのだから、いかに物事の進みが遅いかが分かる。分かっていながら、障害物をよけきれずに激突してしまったのだ。

6)まだ確立した学問とはいえないだろうが、放射線ホルメシスと呼ばれる新しい研究分野の人たちである。「ホルメシス」とはギリシャ語で、毒薬でも少量ならば薬になるという有用性を示す言葉であるらしいが、放射線も同じで大量に被ばくすれば生体を損なうが、微量であれば生体に有益であると主張する研究分野である。p298

7)このホルメシス(=ホルミシス)は、中村仁信「低量放射線は怖くない 日本人の放射線アレルギーを吹き飛ばす!」の根拠となっている考え方だが、著者が言う通り、「まだ確立した学問とはいえない」だろう。また、巨大事故を起こした直後に、科学者たちがもちだすような話題ではないはずだ。

8)この本に書かれていることは寿命を迎えた原子炉をいかに技術的に「安全で安価に」解体するかという真面目な本であり、著者がいうように、他に類書は多くないようだ。しかしこれはあくまでも、事故を起こす前の原子炉についての技術なのである。

9)廃炉工事などでは作業全体の被ばくを考えるうえで、「集団実効線量当量」と呼ばれる「人・ミリシーベルト(人・mSv)」という単位を導入している。たとえば一人あたりの実効線量当量が1ミリシーベルトであったとしても、この作業に10人の人が従事したのと、100人の人が従事したのとでは、工事全体の被ばくの量に10倍の差が生じる。p62

10)この本においては、通常の原発を廃炉する場合の技術や労働について語られている。原発に限らず、工事や現場における危険度はある程度覚悟しなければならない(もちろんゼロをめざさなければならない)ことは理解できるが、その敷地内とか、特殊な任務の人々における危険度である。

11)しかしながら、3.11以降、私たちが被っているのは、広大なエリアにおける無差別な危険度のアップなのだ。ましてや、若い人たちや子どもたち、ひいては胎児、そしてまだ生まれてさえいない未来の地球人たちが、危険にさらされている、ということになる。

12)今後の全ての原発の廃炉においては、本書のような技術や知識は大いに役だろうし、暖かい視線を送りながら、彼らの作業を遠く見守っていくしかない。かたや、3.11以降、このような、おだやかな「廃炉」への試算とかをしている場合ではないだろう、という危機感もつのる。

13)癌や白血病の発病率・死亡率の増加などをもたらす「確率的影響」の方はどうであろうか。多くの研究によって、ある程度まとまった量の放射線を浴びた場合には、その量に応じて癌などの発病率・死亡率が増加することが明らかになている。p65

14)一般人はすべてにおいて、これらの知識が不足している。その立場にある人びとは、責任を持って、指導し、啓発しなければならない。

15)自然に発生した癌と放射線によって発生した癌との間にはなんら差がなく区別がつかないから、微量の放射線を浴びただけではその確率的影響は、もともとの高い自然発生率に隠れてしまうのである。p65

16)総論としての放射性物質による汚染、なかんずく人体への影響を知ることより、今や、各論として、自分に降りかかっている危険度がどれほどのことなのかを知ることのほうが、より緊急の課題となっている。

17)東電原発より80キロ圏におり、常時、屋内や庭などで0.1μSv/hの放射線を浴びている私は、今後、食物などを通じてどのように体内被ばくが加算されていくのだろうか。50代後半という年齢も加味しなければならない。そして、未来ある子どもたちはどうなる。今生まれようとしている孫たちはどうなる。それを知らないでいるわけにはいかない。

18)はたして原子力は人類期待のエネルギー源として活用され続けるであろうか。はたまた、共通の言語を失い崩壊したバベルの塔のように、人類そして高度な科学技術とともに崩れ去ってしまうのであろうか。これは一に国民全体が共通の理解を持とうとするか否かにかかっている。p300

19)原発の問題は、すでに国を超えて地球全体の問題となっている。地球人全体が共通の理解を持たなければならない時期に来ている。旧ソ連、アメリカ、に続いて、それを上回る事故を起こした日本。原発は危険であるから全て「廃炉」にする、という共通の決意を持たなければならない時期に到達してしまったのだ。

20)東電原発事故は、5月経過しても終息の方向が見えていない。これから長い長い廃炉、原子炉解体への道が続く。無力感に襲われるが、諦めるわけにはいかない。

21)著者は1934生まれ(現在77歳)。日本における有数の研究者。他に1950生、1962生、1963生の研究者たちが協力して、この本ができている。 

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2011/08/08

原発労働記(原発ジプシー改題) 堀江邦夫

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「原発労働記」 発ジプシー」改題
堀江邦夫 2011/05 講談社 文庫 364p
Vol.3 No.0389★★★★★

1)かつて1979年に「原発ジプシー」として刊行され、1984年に文庫本化された本が、3.11以降、32(27)年ぶりに、改訂され、タイトルも改題された。

2)著者は1948年生まれ、1978~79年当時、まだまだ30前後の若者だった。原発の在り方に疑問を持ちながら、実際に一労働者として原発の内部に入り、半年あまりに渡って記録した貴重な作品。

3)入り込んだのは、三つの原発。福井県の美浜原子力発電所と敦賀原子力発電所。そして、今回3.11で世界の注目を集めたばかりか、ヒロシマやナガサキと並んで、歴史の中にフクシマとして名前を刻んでしまった、福島第一原子力発電所。

4)原発で働いてみよう、そう思いたった動機は、じつは単純なものだった。「いらだち」。原発の<素顔>が霞んで見えることへのいらだちを、実際にその現場で働きながら自分自身の目と耳で確かめることで解消してみたいと考えたからだ。p9「原発へ」

5)かつて80年代初頭に、福島原発で働いたことがあるという青年にあったことがある。被爆手帳(と言ったと思う)も持っているという。体の一部にしこりができてしまった部分を見せながら、これが証拠だという。私は悪いジョークだと思いつつ、あまりその話を信じなかった。

6)大体、あれほど高度な技術で守られている現場に、必ずしも技術教育を学んだ風もない、今風に言えばフリーター風情が、簡単に働けるわけなじゃないか。当時はそう思っていた。しかし、今回、この本を読んで、あれは本当だっただろう、と改めて慄然とした。

7)また、別な話。3.11以降、沿岸部の古い友人と連絡が取れないことに気がついた。この10数年、ご無沙汰だった。彼は一体どうなってしまっただろう。身近な友人たちに聞いても誰も分からないという。

8)震災後、身辺が落ちついてから、沿岸部の友人宅を訪ねた。大変に変わり果てた風景の中で、ようやく彼の家を見つけることができた。しかも家族も友人も無事であった。よかった、よかった、と思って、近況を聞いてみると、実は、彼は現在、原発の中に仕事を見つけているのだった。

9)この二つの出来事から、私に取っては、原発労働者は、必ずしも無縁で未知数のものではなくなった。すぐそばにいる、ごく身近な存在であることを知った。

10)<従事者について1ヵ月ごとに、非従事者について3ヵ月ごとに外部被ばく線量の評価を行わなければならない>、<従事者等のポケット線量計による外部被ばく線量が1日当たり100ミリレムとなる前、および7日当たり300ミリレムとなる前に留意>・・・p29「美浜原子力発電所」

11)100ミリレム=1ミリシーベルト。一般に民間人が許容される(本当はゼロが好ましい)は年間1ミリシーベルと言われているから、原発労働者(まるで日雇いのように短期に勤務している)は、ほとんど正式な教育を受けないまま、通常なら1年間でようやく認められる量を、たった一日(多分数時間の間に)で被ばくしてしまうのだ。

12)「・・・ところで、私たちは自然界からも放射能を浴びているのです。国連のデータによりますと、地上から50ミリレム、土から30ミリレム、体内から20ミリレムの合計100ミリレム、つまり0.1レムを一年間に浴びます。一方、原子力発電所で働く人たちは、年間5レム以内と決まっており、そのその5倍の25レムほどでも、ほとんど臨床症状はありません・・・・」p49「同上」

13)30年以上前の現場の話であり、当時と同じ状況が現在も続いているのかどうかは知らない。しかし、晩発性障害をも考えれば、上記のような認識はかなり危険であるだろう。

14)放管教育によると、日本人は、年間100ミリレム程度の自然放射線を浴びているという。逆算してみた。2ミリレムを浴びるのには、7日間もかかる。すると私は今日の作業で、7日分の自然放射線量に相当する人工放射線を肉体に受けたことになる。それも、わずか1時間ほどの仕事で、だ。p93「同上」

15)ようやくこの単位に慣れてきた。

0.1マイクロシーベルト/時=1ミリシーベルト/年=100ミリレム=0.1レム、だ。

大体が、これが通常人の境界値だ。これを超える(もちろん限りなくゼロが好ましい)と危ないのだ。

16)きのうの放管教育によると、東電の設定した「計画線量」は、
1日当たり---100ミリレム以下
1週間----300ミリレム以下
3ヵ月間----3009ミリレム(3レム)以下
 たぶン午後からの待機組は、午前中だけで100ミリレムちかくの被ばくをしているのだろう。これは一般人が1年間に浴びる自然放射線量と大差ない。
p156「福島第一原子力発電所」

17)著者は、原発労働者として、民宿に泊まって原発労働に通い、親方にピンはねされたり、マンホールに落ちてけがをするという体験をしながら、実に細かな記録を残している。

18)キャスターの深刻な表情がブラウン管に映る。店内を流れる音楽が邪魔して思うように聞き取れない。それでも、アメリカのスリーマイル島にある原発が28日(1978年3月)に事故を起こし、放射能を含んだ上記が大気中に漏れたらしいというぐらいはわかった。
<ついに起こったか・・・・>  
298p「敦賀原子力発電所」

19)著者は、原発労働者として、スリーマイル島の原発事故のニュースに遭遇している。1986年のチェルノブイリも、2011年のフクシマも、まだまだ起こっていなかった。

20)スリーマイル島原発は事故発生から5年を経た今なお放射性物質の除去作業が続けられている。時事通信が84年1月5日に伝えたところにようと、1)復旧作業は88年まで続き、2)その作業に従事している労働者は少なくとも1万人を超す、3)またその被ばく量は当初の予想を6倍も上まわる1万3000~4万6000人レムにも達する---との見通しを米原子力委員会が明らかにしたという。p323「同上」

21)単純に比較はできないが、ここに書かれているのは、一般人が1年間に浴びるかもしれない許容量の10万倍から50万倍、という途方もない数値となる。ドシロートには、この数値が、一体何を意味しているのか、正確には分からない。

22)この本は、震災後1ヵ月が経過した4月10日にあとがきが書かれている。その中で、著者は、文科省資料などを引用しながら、次のように記している。

23)放射線による被ばく、とりわけ低線量の被ばくについては、<未解明の点>がまだまだ<多く>残っている、<疫学的調査>が必要だ、というのです。p361「跋にかえて」

24)著者の現在の体調は決してよくはなく、「死の淵を過去に二度にわたって彷徨」、「リハビリ難民」(p357)とまで表現しながら、原発労働との関係についてはよくわからない。米国原発内部からの告発者の「変死」などについても触れているあたり、著者における発言の「危険性」は、私などの門外漢の考えが及ぶ範囲ではないのかもしれない。

25)それにしても、当ブログとしては、原発事故→放射性物質の危険性→具体的な事例、となると、まだしっかりした因果関係をつかめないでいる。スリーマイル、チェルノブイリ、東海村臨界事故、などの過去のデータも、もうすこし丁寧におっかける必要があるようだ。

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2011/08/07

原発震災が大都市を襲う 次は首都圏か!? 船瀬俊介

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「原発震災が大都市を襲う」 次は首都圏か!?
船瀬俊介 2011年05 徳間書店 単行本 335p
Vol.3 No.0388★★★★☆

1)ちょっと大げさなタイトルではあるが、出版社が徳間書店であってみれば、読む方も、「ああ、徳間書店か」と、すこしはゆとりを持って、この本をめくることができる。

2)地湧社からでた「巨大地震が原発を襲う チェルノブイリ事故も地震で起こった」(2007/09)に大幅増補改訂されて、3.11後の4月6日に脱稿されて再刊されたものである。

3)3.11後の原発本には増補改訂版がきわめて多い。緊急性を要しながら、すぐには一冊の本としてはまとめられない、という事情もあるだろう。しかし、巨大震災や原発事故がなかったら、永遠にオオカミ少年として葬り去られかねなかった筆者たちの、必死の叫び声もまた、再刊という事実に込められているようでもある。

4)小出(裕章)氏は、わたしにとってもっとも信頼でき原子力専門家である。彼はクーラーも使わない。エスカレーターにも乗らない。その誠実さ、高潔さには頭が下がる。p21「最大級の大惨事 これは犯罪的な人災である」

5)たしかに、菊地洋一「原発をつくった私が、原発に反対する理由」のように、一度は原発建設の場にいながら、後に反原発・脱原発に転じた人物は多いが、小出裕章は、大学で原子力を学んだ時点でその間違いに気づき、その後一貫して脱原発で研究をしてきた人物である。

6)それにしても、クーラーも使わず、エスカレーターにも乗らない、という矜持を保つことは、それなりにカッコいいライフスタイルではある。

7)そもそもレントゲン検査と原発被害をいっしょに論ずること自体が論外で無茶だ。レントゲン検査はその場で終わる。放射能汚染は下手をしたら一生続く。それに、原発被害は、これら外部被ばくより、さらに恐ろしい内部被ばくが襲いかかる。いわゆる「体内被ばく」だ。メディアに登場する専門家たちは一様に「体外被ばく」の注意はする。しかし「体内被ばく」については、口をつぐむ・・・。p240「『ただちに害は・・・?』 悔いても遅い放射能障害」

8)確かに震災直後の報道と、すでに5カ月近く経過している現在では報道の質が変化してきている。少なくとも、この内部被ばくが大変なことになる、ということは、現在、一般的な共通認識になりつつある。

9)メディアが国民に対して行った解説では・・・・
1)2.4ミリシーベルト:一人あたり年間自然放射線の被ばく量。
2)7ミリシーベルト:胸部X線(1回)被ばく量。
3)27ミリシーベルト:福島第一原発で3月20日、隊員、最大被ばく量。
4)100ミリシーベルト:健康に影響が出るレベル。
 ここで解説していた放射線専門学者は「100ミリ浴びても疲労を感じる程度。それでもすぐ回復します」と呑気で無責任なもの。将来の発ガン潜在的な被害については、「まったく触れない」。実に悪質だ。
p249「同上」

10)地震や津波の被害は実にわかりやすい。そのほとんどは直ぐに目に見える形で現われる。それに比較すると、原発事故は、現場での爆発事故などは目に見えるものの、放出された放射性物質の被害は、一般的にはまったく分からない。無味無臭、無色透明で、ドシロートのわたしなどには、何もわからない。誰かが指摘してくれてようやく分かる場合もあるが、すぐにはピンとは来ない。だからこそ、専門家たちの責任は重いと言える。

11)これら高濃度の放射線を浴びると短期で「急性症状」が現われる。
▼150ミリシーベルト:男性は生殖機能が大幅に低下する。
▼500ミリシーベルト:白血球が減少していく。
▼1000ミリシーベルト:悪心(おしん)、嘔吐、脱毛が起きる。
▼7000ミリシーベルト:死亡の可能性が高まる。
 放射能の恐ろしさは、「五感に感じない」ことだ。
p254「同上」

12)放射線治療としてだが、私も被ばくしたことがあるので、疲労感、悪心、嘔吐、脱毛は、自らの体験としてよくわかる。

13)放射線の被ばく量は、物体が吸収したエネルギー量で測る。単にはグレイ。物体は1キロ当たり1ジュール(0.24カロリー)のエネルギー吸収をしたときの被ばく量が1グレイ。4グレイ放射線を浴びると半数の人が死ぬ。つまり、半数致死量となる。8グレイの被ばくでもはや絶望的。(1999/09東海村JCO事故の)三人の被ばく量は大内さん(18グレイ)、篠原さん(10グレイ)、横川さん(3グレイ)。p257「同上」

14)ベクレルやらグレイやら、さまざまな単位がでてきて、しかもスケールが大きいのか小さいのか、はっきりしないので、一般人としてはなかなか実感することができない。

15)食品の暫定規制値(厚生労働省が設けている)1キログラムあたりのベクレル値

放射性ヨウ素 飲料水 牛乳・乳製品 300
         野菜類(根菜、イモ類を除く)2000

放射性セシウム 飲料水 牛乳・乳製品 200
           野菜類 穀類 肉、卵、魚、その他 500 
p264

16)このほか、EUや米国が定めている基準も併記されているが、日本の基準と著しく違っているとは言い難い。

17)3.11東日本大震災において、個人的に我が家が被ったのは、ほとんどが地震被害だった。津波や原発事故などは「想定外」だった。しかし親戚友人知人をたどってみれば、津波被害も実に甚大であった。そして、今となってみれば、原発事故の被害は、大きな死の灰となって我が身に降りかかりつつある。他人事ではない。

18)普段から緊急用の避難袋は用意していたし、今回は幸いにして、その範囲で用は足りた。普段の備えが役に立ったと言える。しかしながら、これかはら移動中や拡大する家族の行動範囲のことを考えれば、津波も原発事故も十分念頭に入れて、万が一に備えていかなければならない、ということになってしまった。

19)非常用食料、水、衣服の替え、などは当たり前として、マスク、ビニールカッパ、放射線測定器、ヨウ素剤などを加えなくてはならなくなったのだ。

20)徳間書店流の、この本のタイトルのようなことが、起きることを願っている人など誰もいない。起きないにこしたことはない。しかし、3.11を考えてみれば、起きないなどと断言できる人もまた、一人もいない。

21)オオカミ少年たちの警告に、何の根拠もないのであれば、それは笑って済ませることができる。しかし、根拠はある。備えあれば憂いなし。そして避けられない天災であってみれば、できるだけ被害を少なくする努力をするしかない。そして、人事でもって避けることができるのであれば、極力努力して避けなければならない。 

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2011/08/06

低量放射線は怖くない 日本人の放射線アレルギーを吹き飛ばす! 中村仁信

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「低量放射線は怖くない」 日本人の放射線アレルギーを吹き飛ばす!
中村仁信 2011/06 遊タイム出版 単行本 125p
Vol.3 No.0388★★☆☆☆

1)どことなく人を喰ったようなタイトルだ。1971年医学部を卒業したということだからすでに70歳に近い年齢の医者なのだろう。医療法人の院長でがん治療に従事している。

2)一般的な読者の無知識を意識してか、放射線と放射能を明確に意図的に区別しており、しかも低量と限定している。怖くない、という。あるいは日本人の放射線アレルギー、と揶揄している。これは著者のテレビ出演を見て出版を勧めた出版社の意図的な編集方針ではあるだろうが、その辺のセンスのお行儀がよろしくない。

3)現在のところ3.11以降、問題になっているのは、放射性物質=放射能であり、情報公開されていない不確定な被ばく量についてなのだ。だから、逆に言えば、「情報公開されていない放射能は怖い」ということにもなる。

4)中村 今回の福島の原発事故では、発表が正しければですが、放射線の量は少ないので遺伝についてはまったく問題はないと思っています。政府の発表は正しいと研究者の間でも言われていますので、信じてよいと思いますよ。p62

5)困ったな、こういう論法では、まったくお話にならない。この「鼎談」は震災後の4月26日に大阪で行われたということになっているが、まったく真実味のない、薄っぺらい本となっている。

6)今回の政府の発表は虚偽が多かったばかりか、後手後手にまわり、正しい情報の隠蔽ばかりか、正しい情報を記録するという努力さえ放棄されていた形跡がある。たとえば、今になって農作物や畜産物の放射能汚染が巨大な被害を生み出している宮城県などでは、知事率先して、風評被害が怖いから、調査しない、とさえ明言していたのである。

7)「研究者」とは誰のことか。多くの研究者は、今回の政府の対応に不満を持っている。

8)現在では日本人の訳30%がガンで死んでいるんですよ。30%と30.9%の差はそれほど大きくありません。p69

9)たしかに昨日、小出裕章講演会を聞いていて、たとえば一定程度の放射線を浴びると将来ガンで死亡する可能性が何十人に1人増える、などという数字があって、はてさて、その程度の数値なのか、とちょっといぶかったことだった。

10)しかし、これはあくまでも実験や計算での話。実際はよく分かっていない。少なくとも、今回の私たちが浴びてしまっている放射線量はまったく明確になっていない。これから何年もかけて調べなくてはならないのだ。放射線治療病棟のような精緻な管理が行われている空間でのことではない。

11)ましてやホットスポットや食物連鎖によって、今後はるかに高濃度の内部被爆を繰り返していく可能性があるのだ。著者や編集者達のオプチミズムは、やはり一般的な国民感情からは外れている。

12)紫外線も放射線も太古からあって、人類はその両方を浴びながら、よいように取り入れて進化してきているので、まったくなくなると不都合が生じるかもしれないというお話でした。
 しかしホルミシスとは、放射線や紫外線がまったくないと生物に不都合が生じるというレベルではなく、微量であれば体によい影響があるというお話です。
p90

13)この開業のお医者さんは、放射線は怖くないばかりか、体によい影響がある、とさえ主張する。そもそも医学的にも放射線治療というものがあり(私も受けた)、有効利用できることはたくさんあるあろうが、今回の原子炉のメルトダウンに伴って、水素爆発で地球上に無差別にノーコントロールで拡散されてしまった放射能汚染のただなかで、こんな「お話」を綿々としているのは、まさにマッドサイエンティストである、と私には思える。

14)中村 ホルミシスは基本的に、長期間持続した、あるいは繰り返しの慢性被ばくです。治療とホルミシスの話とは、ちょっと違うのですが、ガン治療で放射線を使用しています。100ミリシーベルトを週3回、5週間で合計1500ミリシーベルトを全身に照射してガン治療に活かそうという研究があります。

 よく耳にする放射線治療のことでしょうか。

中村 いいえ、これはまったく別のお話です。放射線治療の50分の1位の線量の全身照射ですから。 p115

15)自分もかつて若い時に受けた治療時に、どれだけの放射線を浴びていたのだろうか、と今回の事故後に考えた。上のような話だと、1回で5000ミリシーベル位浴びていたのだろうか。あれを10数回繰り返したと記憶している。

16) 先生はICRP、国際放射線防護委員会の委員を務められたのですね。

中村 はい、1997年から4年間、第3委員会という医療被ばくを検討する委員会に入っていました。 p74

17)世の中にはいろいろな考え方があり、いろいろな組織がありそうだな、ということもわかる。いきなり私のようなドシロートがこの問題を考え始めても、急にはよく理解できないことが多い。しかし、今回は、医療被ばくを検討しているわけではないのである。病院の管理下における「低量」であれば放射「線」は「怖くない」ばかりか、ホルミシス効果がありそうだ、という可能性は残しておこう。

18)しかし、3.11という未曾有の災害の中において、しかも、この災害時を狙ったかのように、このような紛らわしいタイトルでこのような本を出版することの、業界人としてのセンスを疑う。医療人としても、出版人としても。

19)3.11における天地人の中から、あえて地としての原発事故に焦点をしぼり、さらには放射「能」に重点的に注目してやろうというところまできた当ブログではあるが、このような紛らわしい輩が跋扈している3.11以降なのだ、ということは肝に銘じておかなければならない。

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脱原発社会を創る30人の提言 澤夏樹・他

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「脱原発社会を創る30人の提言」
池澤夏樹/坂本龍一 /池上彰 他 2011/07 コモンズ 単行本 335p
Vol.3 No.0387

1)当たり前のことが書いてある本なのに、なぜ今まで、この内容がコモンセンスになってこなかったのだろう。当たり前のことなのに、なぜそうならなかったのだろうか。脱原発の思想の、何処かに大きな欠陥でもあったのだろうか。それともよっぽど推進派が悪事を働いて、脱原発派の意見を無視し続けてきたのだろうか。

2)コモンズという団体が50人に声をかけ、承諾してくれた30人の意見がオムニバス形式で一冊にまとめれている。形としては震災後1ヶ月で発行された「思想としての3・11」に似ているが、こちらは4カ月経過した段階でまとめられているので、かなり方向性がはっきりしている。

3)というか、もともと方向性がはっきりしている人たちが30人まとめられているのだ。きのう講演を聞いてきた小出裕章や、先日の「朝日ジャーナル」増刊「原発と人間」で共感した坂本龍一、先日脱原発を唱えて当選した世田谷区長の保坂展人、あるいは上田紀行、日比野克彦、秋山豊寛、池上彰などの名前が見える。

4)ここに1つのデータがあります(厚生労働省文書、および松井英介監修「放射線被ばくから子どもを守るために)」。2011年6月現在、政府・厚労省が出した「食品中の放射性物質に関する暫定規制値」(単位はベクレル/kg、以下同じ)によれば、放射性セシウムは牛乳・乳製品が200、野菜類・魚介類が500です。現状では、例えば牛乳・乳製品でも199、野菜類・魚介類で499といった規制値ギリギリであれば、「基準内で安全」と判断されます。

 しかし、3.11以前は、セシウムの基準は370でした。チェルノブイリ原発事故のときには、この370でも「基準が緩すぎる」と議論されたものです。ところが、今回の事故を受けた日本政府は、「事故時の暫定基準」として曖昧な根拠のまま、これを500に引き上げました。しかも、測定はあくまでも限られたサンプル調査によるものです。同じ畑でも数mちがえば汚染濃度が異なるような現状では、仮にサンプルが規制値内だとしても、その地域の農産物すべての安全は「見なし」でしか担保できません。

 一方、チェルノブイリ原発事故で今なお放射能被害に苦しむウクライナの規制値は、乳幼児用の飲料水・食品が40、一般用も野菜は40と、日本より大幅に低い数値です。また、ドイツ放射線防護協会は、規制・検査の根拠に不確実性があるため、「乳児・子ども・若者に対しては、4以上のセシウム137を含む飲食物を与えないように推奨する」としています。

 水道水の基準に至っては、WHOが10、ドイツが0.5、アメリカが0.111ときわめて低いのに対し、日本は3.11以前が10、3.11以降は200(乳幼児は100)という超高レベルです。原発が連続して爆発した直後の3月13~15日、および20日前後に大量の放射性物質の降下が確認された首都圏では、水道水の汚染が大きな問題になりました。

 実は、このとき「基準内」とされた首都圏の水道水は、茨城県ひたちなか市で58、東京都新宿区でも5.3に達しており(3月21日)、海外であれば「摂取禁止」のレベルだったのです。現在の日本政府の「暫定基準」の根拠は、国際的に通用しません。p238高橋巌「広範囲で放射能に汚染された『食』」

5)空気中の放射線を計測するガイガーカウンターでさえ十分に出回っていないのに、食品や水道水などの検査機器など一般で揃えることはできない。なになにベクレルなどという、大本営発表にたよるだけであり、また、その基準値を勝手に変更されていたりしたのでは、お手上げである。

6)脱原発、なんて当たり前のことなのに、なぜ現実化しないのか。これだけの事故がおこる前に気づかなければならなかったのに、これだけの、人類史上初めての巨大事故が起きてからでさえ、推進派の強欲は続く。

7)外部被爆であるならば、「身に降る火の粉ははらわにゃならぬ」と粋がっていられるが、内部被爆に至っては、どれほどのツワモノどもでも「獅子身中の虫」となり、自らではどうにもならないことになってしまう。

8)マイクロシーベルトやベクレルとか、なんだか慣れない数値ではあるが、ここは緊急の出来事である。そして、これから多分生きている間はずっと付き合わなければならない数値である。無関心を装わず、キチンと学習していく必要を感じる。 

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3.11から始まったこと ~東京電力福島第一原子力発電所原発震災を生きる私たちへの提言~ 小出裕章講演会

「3.11から始まったこと」 東京電力福島第一原子力発電所原発震災を生きる私たちへの提言~
講師:小出裕章(京都大学原子炉実験所) 2011年8月5日(金)午後6:00-9:00     * 会場:ハーネル仙台 3階

1)どっか行きたいと思った。南へ行こうか、北へ行こうか。途中まで行き先を決めないで高速に乗った。どうやら、北は混んでいるらしい。南にいくことにした。

2)南。3.11後、内陸部の東北道は走ったし、沿岸部の県境までは行ったが、それより南には行っていない。よし、きょうは、南相馬市まで行ってみよう。そんな、蛮勇がわいてきた(笑)。

3)福島に入ったからと言って、別に風景が変わっているわけではない。地続きであるから急に変化はしない。人々の暮らしはあるし、みんな仕事をしている。瓦の修理の必要な家々はある。なるほど、海岸にちかい道になると、津波の影響はある。

4)南相馬市に入って、まもなくすると、立ち入り禁止区域に到達した。そこから海岸線におり、そこからずっと北上して戻ってきた。

5)途中でケータイに連絡が入った。講演会の整理券があるから行かないか、というお誘い。ああ、そうであったか、今日は小出氏の講演会の日であった。

6)3.11以降、原発問題は大変なことになってしまった。ますます直視しなければならない。大変なことなのだが、覚悟しなければならない。

7)講演会は面白かった。非常に分かりやすかった。そして思った通りの内容だった。でも、いくつかの疑問も残った。

8)放射線、放射能、放射性物質、ってそんなに怖いのだろうか。実際のところ、どうなっているのだろう。なかなか実感が湧かない。

9)ガンになる確率が高くなるという。その辺の統計も自分なりに納得しなければならない。

10)子供たちの方が影響が大きいという。子供たち、孫たちを守らなければ。どうしたらいいんだろうな。

11)いろいろな新たなる疑問が増えた講演会だった。

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2011/08/05

外国人が見た東日本大震災 エハン・デラヴィ

【送料無料】外国人が見た東日本大震災
「外国人が見た東日本大震災」 
エハン・デラヴィ 2011/06 武田ランダムハウスジャパン 単行本 207p
Vol.3 No.0386★☆☆☆☆

 

1)この本を評価するのは難しい。難解なことが書いてある、という意味ではなく、どのような表現を使えば、一番公平か、という意味においてだ。私自身の素直な気持ちを書いておけば、これは、あいも変わらずのペテン師による一冊、という表現になってしまう。

 

2)仙台では、被災地のような場所をほとんど見ない。ところが、女川に行ったら、これが被災地ですとしかいいようのない光景。なぜならば、大地自体が震えているわけよ。自然界がショック状態になっていることを、まず全身の細胞でキャッチする。これは人のお墓なんですよ、見えているものが。p175「講演『これからだよ、日本は!』」

 

3)引っ張り出せばきりがないが、卑近な例では、上のような表現がある。この人は仙台のどこを見たのだろう。青葉区か、泉区か、太白区? 宮城野区とか、若林区は見たのだろうか。若林区の荒浜地区や宮城野区の仙台新港周辺などを、見たならば、上のような表現はできない。防風林に引っ掛かった200人の死体のことなど、なんにも分かっていない。

 

4)ことほど左様に、この本全編に、ペテン師特有の異臭が漂う。

 

5)被災者の方に直接話を聞くと、「地震の被害からは必ず復興できる。でも放射能が怖い」と誰もが不安な様子でした。僕はそんな被災者の人たちの心配を取り除こうと、放射能は怖くないと説明しましたが、やはり疑っているようでした。p145「特別インタビュー『放射能の真実』」

 

6)この部分を読んだだけでも、自称「ジャーナリスト」の著者の言説に疑いを持たない人は少ないだろう。連綿と放射能無害説を唱えるこの本は、ぜんぜん「科学的」でないばかりか、デマの集大成でしかない。

 

7)ただ一点、敢えてこの著者を助けたいと思うのは、「意識」をテーマにして語っているあたり。見ている方向は間違っていないと思うが、方法論が間違っている。ウソも方便というが、これだけウソ丸見えでは、方便としてさえ役立たない。

 

8)著者の前著「フォトン・ベルトの真相」他、いくつかをめくってみたが、ぜんぜん感心しない。

 

9)著者は名前をJ・C・ガブリエルと名前を変えつつあるようだ。9.11や2011問題などに、エキセントリックかつ激情的に自説をぶちあげる著者ではあるが、この人はやはり、旧来的ペテン師、あるいは、亜流カルト・リーダー、というカテゴリに分類しておいて間違いないようだ。

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2011/08/04

宮城県気仙沼発!ファイト新聞

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「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 
ファイト新聞社 2011/07 河出書房新社 単行本 119p
Vol.3 No.0385

1)7歳のおんなのこ、吉田りさちゃんたち4人が創刊したかべ新聞。避難所となった気仙沼の小学校にはりだされた。

2)被災後1週間目からスタートし、この本には45号(5月2日)まで紹介されている。編集部員は12名まで増えたが、その後、部員が避難所を出たりした関係で50号で休刊となったようだ。

3)災害地域FMに匹敵するような大活躍。あるいは、なでしこジャパンのワールドカップの優勝のような感動を覚えるような活動だ。

4)わたしは、手がみや、えをかくことが大すきです。

パパやママにかくとよろこんでくれます。

ひなん所の人にも、あげたかったけど

かわいいびんせんがありません。

みんなしらない人だし、元気がないです。

白い、大きな、かみがあったので、

新聞みたいに4コママンガやニュースを

かいて、みなさんに、元気になってほしいとおもいました。

さいしょは吉田新聞にしよーとおもったけど、

元気がでるよーにファイト新聞にきめました。

よんだ人から、ほめられたり、えがおではなしをしてくれたから

わたしも元気になりました。
                       吉田 りさ Photo_2                p10  

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「原子力事故」自衛マニュアル緊急改訂版 ”その時”すべきこと、絶対してはいけないこと 桜井淳

【送料無料】「原子力事故」自衛マニュアル緊急改訂版
「『原子力事故』自衛マニュアル」 緊急改訂版 その時”すべきこと、絶対してはいけないこと
事故・災害と生活を考える会(著)/桜井淳(監修) 2011/04 青春出版社 新書 171p
Vol.3 No.0384★★★★☆

1)この本3.11直後の4月に発行されたものだが、1999/12に発行されていたものを加筆修正したものであり、脱稿したのは3月24日あたりと思われる。したがって、今回の東電原発事故をレベル5のままにしているなど、十分に今回の事故状況が反映されていない。場合によっては、恣意的に読み換えなければならない部分も多い。

2)財団法人日本科学技術振興財団を通じて「はかるくん」という小型のサーベイメータを無料で貸与してくれます。p85「放射線が出ているかどうか見分ける方法は? 専用の測定器が必要だが、貸し出しをしているところも」

3)簡易放射線測定器「はかるくん」はネットですぐ見つかった。ただし、現在は、学校関係など団体のみ申し込めるようだ。

4) 
1)胎児への影響は、子どもと同じかそれ以上
2)妊婦に対しては、子どもと同じ扱いをする。
 p109「母親が被爆すると、胎児にも影響がでるのか 子どもと同様、妊婦も厳重に防御が必要」

5)この本に書いてあることは、3.11以降すでに五か月近く経過しようとしており、アトランダムな形ではあるが、すでに一般の常識になりつつあることが多い。あるいは、こんなトンデモナイことが、常識になってしまった3.11ショックの罪は大きい。

6)
1)すぐに全身を水と石けんで洗う。
2)傷口があれば、特にていねいに洗
 p114「汚染地帯を移動した後は、まず何をすべきか すみやかに身体を洗う」

7)考えてみれば、この科学の粋を究めた技術に対する防衛策は、きわめて原初的な対処しかないことが悲しい。

8)
1)ヨード剤は、放射能を浴びた直後に飲む
2)ヨード剤は、40歳未満の被爆者が対象 
p123「ヨード剤はどういうタイミングで飲めばいいのか 被爆直後に飲むのがポイント」

9)今回、このようなヨード剤は一般住民に適用されたのだろうか。放射性物質の放出さえ秘密裏に行われてしまったのだが、ヨード剤を飲んだりするタイミングは完全に失われてしまったのではなかったか。

10)大陸と日本は近いイメージがありますが、それでも相当の距離があります。たとえば韓国の霊光原発から福岡までは200キロもあります。あるいは広島までは、300キロです。
 これだけ距離があると、放射性物質がかなり大量に放出されたとしても、時間がかかり、拡散して薄くなります。
p167「もし、すぐ近くの国で大事故が起きたら、日本はどうなるか 一刻を争うような大きな影響はない」

11)この本は、「脱原発」と行った看板を大きく振りかざしている本ではない。したがって、すでに常識になりつつある3.11後の惨状についてさえ認識不足のところが多い。少なくとも、200キロや300キロでも、放射性物質は飛ぶ。そして「拡散」するから恐ろしい。「一刻も争うような」情報開示が必要だったのだ。農産物や牛肉、主食たる米の被害状況など、もっともっと早く当事者はその危険性を指摘すべきだった。

12)韓国の原発が事故を起こした時のことを想定している場合だろうか。日本の事故がすでに隣国に迷惑をかけつつあるのである。今回は、他国を含め、人々の心情をこそ優先して、どんどん情報開示すべきである。

13)福島第一原発事故では、原賠法の規定で、政府が東京電力に賠償措置額1200億円を上限に保険金を支払うことになります。それを超えた金額は、一義的には東京電力が負担することになっています。(中略)
 今回の事故は、住民や企業への損害賠償、原発の廃炉などの費用が数兆円規模になると見られています。
p169「原子力事故が起きたとき、国民への補償制度はあるのか 1200億円が限度。それ以上は・・・・」

14)この賠償法は、今回国会と通過してより現実的に改められたようだが、現在の被害状況をみていると、数兆円などという規模ではどうも終わりそうにない。政府が払おうと、東電が払おうと、結局は、国民がひとりひとりツケを回されて払うことになるのである。やっぱり、原発はだめだなぁ。

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地球の家を保つには エコロジーと精神革命<3>  ゲーリー・スナイダー

<2>よりつづく

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「地球の家を保つには」 <3> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

1)3.11以後、1ヵ月半経過して、ブログを再開しようと思い立った時、まず頭に浮かんだのはこの本だった。この本のイメージで、次なる「森の生活」カテゴリが始まった。

2)スナイダーを読み、山尾三省を読んだ。手持ちの本から始め、やがて図書館ネットワークが復活してきたので、ほぼこの二人を完読したと言える。この二人の出会いは、「聖なる地球のつどいかな」(1998)に収められている。

3)スナイダー 電気をつくるのに原子力を使うのは、あまりにも複雑で危険過ぎます。節電をして、もっと安全で効率的に電気をつくるべきです。そのほうがずっと効率的で健康的ですよ。「聖なる地球のつどいかな」p226「科学は美の中を歩む」

4)ようやく図書館ネットワークが復活したのを確認したあと、新刊を読みたくなったが、まだ充実していなかった。なにはともあれ、三陸海岸沿岸部の牡蠣養殖業の畠山 重篤「森は海の恋人」を読みたくなった。そして、「東北を歩く」 結城登美雄を読みたくなった。

5)読書ブログを再開し、昔からの想いを確認し、図書館ネットワークの復興を確かめた。すこしづつ東北沿岸部に想いを馳せたあたりで、「なでしこジャパン」の試合を見た。ワールドカップ優勝で、朝早く起きて、本当に感動した。今でも彼女たちがニュースにでてくると、うるうるする。

6)そこで少し元気になって、そろそろ図書館にも出そろい始めた3.11本を一気読みしてやろう、という、いつもの野次馬根性が湧いてきた。

7)そうこうしているうちに、この書込みで「森の生活」カテゴリも108の定数に到達した。実際の森の生活は、エコビレッジという可能性を見ることはできたが、この社会情勢であり、放射能物質による汚染状況である。東電原発から80キロ圏内における野外活動は、自分一人でも、あるいは他人を誘うことでも、十分熟慮しながらやらなければならない時代に突入してしまった。模様見状態である。

8)しかしながら、ソローの「森の生活」、そしてその後に今日までつづく流れは、3.11以降における一つの確かなビジョンの中に組み込まれてしかるべきものである。

9) エコロジー(ecology)の”eco”(oikos)の意味は”house”。すなわち地上の家を保つこと(Housekeeping on Earth)。 地球の家を保つには」 p226

10)エコ、という言葉はすでに陳腐化しつつある。あまりに安易に使われ過ぎている。しかしながら、原点は「地上の家を保つこと」にある。つまり、私たちのライフスタイルが充分持続可能であることを実践するところにある。

11)せっかくのこの機会であるから、3.11以降にでた本をもう少し読みこんでみよう。そして、天地人の被害の中でも、とくに放射性物質による汚染を含む原発問題をおっかけてみよう。

12)次なるカテゴリは「3.11天地人」となる。

<4>につづく

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わが家も太陽光発電 Asahi original

【送料無料】わが家も太陽光発電
「わが家も太陽光発電」 Asahi original
朝日新聞出版 2010/06 ムックその他 145p
Vol.3 No.0384★★★★★

1)ほんわかムードのムックだが、本気になって太陽光発電を導入しようとするなら、この本は役に立ちそう。

2)阪神淡路大震災直後に検討した時には、いくら補助金があったとしても、まだまだ現実的なプランではなかった。それこそボランティア気分で導入しようとしても、数百万では、一般家庭ではとてもとてもそんな冒険はできなかった。

3)しかし、2009年11月から、余剰電力を1キロワット時当たり48円で買い取ってくれることになってから、かなり現実的な話になってきた。申込時から10年間の限定とは言え、その10年間で十分初期投資を回収できそうだ。この制度は、現在でも続いているのだろうか(あとで調べよう)。

4)初期的な補助金もついているらしい。これは各都道府県や自治体での違いがあるので、自分の予定地の状況を調べなくてはならないが、それでも夢がある。

5)太陽光パネルには、いろいろな種類があるらしい。

・単結晶シリコン

・多結晶シリコン

・アモルファスシリコン

・ハイブリッド型

・CIS、CIGS

6)単結晶シリコンは転換効率は高いが、コストが高くつく。中国のサンテックパワーや東芝が扱っている。多結晶シリコンはシャープ、京セラ、三菱電機などが製品化していて、コストを抑えているが、変換効率は下がるらしい。いずれ導入するなら、これらの違いはキチンと自分なりに整理しなければならない。

7)製造時のエネルギーは1年半から2年で回収できるといわれており、それ以降はすべて収支がプラスになるわけです。p79「太陽電池は本当にエコなのか」

8)ほとんどボランティア意識がないと導入できない太陽光発電システムである。本当にエコなのかどうかを確認しておく必要はある。

9)10年で元を取るのはまだ難しいのが正直なところ。ただ、12~15年という期間があれば、十分回収可能な時代に入ったと言えそうです。p82「最終的に設置コストは回収できるの?」

10)今回の事故で、本当に原発が全て廃炉となり、代替の持続可能なエネルギーに変換しなければならない、と明確になるのなら、わが家も太陽光発電を導入するだろう。ほとんどそれしかない。一家のライフスタイルで考えるなら、当然のコストだと考えることができる。

11)通常、一般家庭に載る太陽光発電のシステムは、出力3~4キロワット程度です。それに対し、1メガワットの発電所となると250~330倍の規模ですから、その並はずれた大きさがわかると思います。p70「日本でも増え始めたメガソーラー発電所」

12)一般家庭ではギリギリの経済性だが、工場などの製造用としてのメガソーラーはどうなのだろう。光がなくなる夜になれば発電しなくなるのだから、安定しないのはしかたないが、バッテリーなどの周辺技術がリーズナブルに提供されるようになれば、もっともっとメガソーラーが普及してしかるべきだ。

13)3.11東日本大震災で被災した沿岸部も、瓦礫かたづけが進行し、準備のできたところから次第に復興プランができあがりつつある。そのプランの中にはメガソーラーを基本的な構造として組込んでいるものもでてきている。

14)自然エネルギーには可能性もあるが限界もある。当然のことだ。しかし、今回、とにかくこれだけの事故を起こした原発はだめでしょう。コストばかりか、汚染源として増え続けるのは倫理的にも問題がある。そろそろ、太陽光発電をシンボルとする持続可能なエネルギーを本気になって考え導入するべき時期に来ていると言える。

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2011/08/03

よくわかる太陽電池 斎藤勝裕

【送料無料】よくわかる太陽電池
「よくわかる太陽電池」 入門ビジュアルテクノロジ-
斎藤勝裕 2009/02 日本実業出版社 単行本 174p
Vol.3 No.0383★★☆☆☆

1)よくわかる、といわれながら、よくわからない。この本、つまりは、よくわかるシリーズの中に加えられた一冊で、よくわかりにくいものを「よくわかるシリーズ」として刊行しているらしい。

2)たしかに二色刷りのイラストを多用し、ホントに分かろうとすれば、分かるようにできているのだろうが、原発のそのシステムに似て、もう、最初から分かろうというモチベーションが湧かない(スミマセン)。

3)しかし、例えば車であるとか、パソコンであったりしても、同じことなのではないだろうか。エンドユーザーたる私たちは、その仕組みはほとんど解明しようがない、というのが本当のところだろう。

4)昔のゲルマニウムラジオや真空管アンプなどであるなら、すこしケのある人なら、すぐ自作したくなっただろう。自作することによって、部品の特性が分かり、途中で失敗しながら、結局は全体を理解し、すこし自分なりに改良を加えたりして、お気に入りの一品を作り上げたはずである。

5)しかし、っ現在のパソコンも自作とはいうものの、10個くらいのパーツを汲みあげるだけのブロック工作になっており、ひとつひとつの整合性を縦横気にしながら組み立てれば使えるようなもので、決して、その仕組みを完全に理解したわけでもなく、自分でよくわかったわけでもないはずだ。

6)車に至っては、現在において自作する人などいないだろう。自作しても公道を走れるようにな代物を作ることは、ほぼ不可能だ。

7)したがって、この本のように、太陽電池について「よくわかる」ようにならなかったとしても、あえて自己嫌悪に陥らないことにする。要は、車やパソコンと同じように、その商品やシステムを自分なりに把握して、自分の生活に組み込めればそれでいいのだ。

8)と、そこまで割り切ってしまうと、この本はほとんど読むところがない。なるほど~、技術革新されているのね~、程度で終わってしまう。

9)この本では太陽電池、という言葉が使われているが、当ブログでは太陽光発電、という言葉を採用する。意味はほとんど同じなのであろうが、「電池」というと乾電池を思い出し、さも蓄電池とセットになっているイメージがある。

10)現在の太陽光発電の欠点は、蓄電が出来ず、また余った電力をコントロールできない、というところだ。

11)わが家が真剣に太陽光発電を検討したのは、今から15年前、阪神淡路大震災の翌年であった。古い旧宅と取り壊して改築することになり、マイホームの設計にとりかかった。震災の直後であったので、住宅メーカーも耐震構造を常に気にしていたし、私たちも見栄えよりも中味を真剣に考えた。

12)構造的には、ほとんど満足できるものであった。今回のマグニチュード9の巨大地震においても、地盤や地域による違いもあったのだろうが、ほとんど被害はなかった。正確に言えばあったのだが、近隣の似たようような住宅に比べると被害は確かにすくなかった。

13)あの当時、太陽光発電を真剣に考えた。安い物ではなかったが、住宅ローンの一部に組み込んでしまえば、なんとかその負担は圧縮できたはずだ。

14)当時は、たしかシャープあたりが技術的に世界一で、システム的には300万円くらいした(今とあまり変わらない)。すでに当時でも補助金制度があって、申し込めば100万円くらい補助されたはず。差額200万円。

15)40前後の、働き盛りとは言え、二人の育ちざかりの子供たちを抱えながら、借金額を200万円増やすのは、なかなか考えものであった。考えてみれば乗用車が一台増えたようなものだし、耐用年数は20年とも30年とも言われたわけだから、まったく採用できない、というものでもなかった。

16)しかし、熟慮の末、結局、太陽光発電にしなかったのは、当時はまだまだ現実味が薄かったからである。

17)まず、一般の電力は導入しなければならなかった。そしてさらに、太陽光パネルを屋根に乗せたとしても、その電力のメーターなどは別途設置しなければならなかった。そして、自宅内の回線であろうと、太陽光で発電してものは、別の配線を使って使用せよ、というものだった。余った電力を電力会社で買い取るなんてシステムは夢のような話だった。

18)仮に太陽光発電で100%が賄えたと仮定しよう。わが家の平均電力使用量は、家族の増減や季節で安定しないが、ほぼ一万数千円というところ。あれから15年が経過したわけだから、12カ月*15年*1万数千円≒200万円、ということになり、見事減価償却はした、ということになる。

19)しかし、現実には、太陽パネルだけでは電力は賄えなかったわけだし、この15年間で停電したのは、今回の3.11を含めてわずかに2回。このために別電力システムを予備として作っておく、というのは、個人の一般家庭ではあまりにもムダであったということになる。

20)しかしながら、5~6年前から、余った電力を電力会社が買い取ってくれるシステムができ、夜間の為に蓄電するシステムもできつつあるように聞く今日、もう一度、真剣に自分のライフスタイルに組み込めるかどうか考える時期が来ているように思う。

21)今回、3.11の大震災で、わが家も4日半の停電に見舞われた。電気が来なけりゃ来ないで、なんとかサバイバルしていくしかないのだが、その間、4年ほど前に太陽光発電を始めた隣の家に助けられた。

22)隣家では、停電していても、テレビを見、ご飯を炊き、シャワーを浴びていた。私は、ケータイに充電してもらったくらいではあるのだが、あの4日半、隣家がうらやましかったのは確かだ。

23)引き続き、太陽光発電をフォローしてみよう。

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自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解  石川 憲二

【送料無料選択可!】自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解 (単行本・ムック) / 石川 憲二 著
「自然エネルギーの可能性と限界」風力・太陽光発電の実力と現実解石川 憲二 著 2010/07 オーム社 単行本 p190
Vol.3 No.0382★★★★☆

1)この本、ちょうど一年前に出た本である。したがって、3.11についてはは何も触れていない。どっちかというと牧歌的な、かと言って結構シビアな現実感を持って「自然エネルギー」を見詰めている。

2)自然エネルギー、つまり持続可能なエネルギーを主テーマにしている限り、原子力発電は論外、といわんばかりにほとんどが触れられていない。

3)自然エネルギーの可能性に触れながら、やんわりと、あるいはグサリとその「限界」も指摘しているのだから、原発に最後の最後まで触れないでいて、自然エネルギーも駄目だな、と思わせたら、つまりはアル・ゴアの「不都合な真実」のような、隠れ原発推進派、ということになってしまう。

4)本書の目的はそうではないだろう。3.11以降の今日、この本が改訂されるとすれば、もっと自然エネルギー寄りの表現が多くなるに違いない。要は、自然エネルギーを推進するにしても、より現実的な路線を見据えていかなければならない、ということで、「可能性」を評価する目もしっかり持っている。

5)漠然と、自然エネルギー地水火風、とした場合、まだまだ日本はエネルギー大国だと思わせられる。火山大国の日本は、小さな温泉の数ほど地熱発電の可能性があるのではないか。水力発電は古いシステムのように思われているが、日本のような山国でしかもすぐに海岸線のあるような国では、実は水力発電は非常に効率がよい。

6)この水力発電は、昼夜を問わない安定感があり、しかも、いままで使われてきたシステムを再利用していけるメリットがある。場合によっては、より小型化した水力発電システムも構築されていく可能性がある。

7)地水火風の火となれば、火力発電と来てしまうが、枯渇エネルギーを源とする化石燃料の火力発電は、この際、この本では話題にはしていない。当ブログでは、この火は、あえて「太陽光発電」と読み換えよう。

8)メガソーラーシステムなどで、一気に注目されている太陽光発電だが、今後大量生産され、一般に普及したからと言って、必ずしも万能のシステムではないことは各方面から指摘されている。コストも安くない。

9)しかしながら、今回の原発事故をかんがみ、通常の地球人の感覚なら、「反原発・脱原発」になるのは当たり前のことだ。安いと言われる原発発電コストだが、野菜農家を補償し、牛肉畜産農家を補償し、米生産者を補償し、地域から避難してしまった人々を補償し、なおかつ、廃炉の後の数百年単位の後処理のコストを考えれば、今回、地球人は、しっかりと、脱原発を決意するしかない。

10)そういう前提に立って見れば、ましてや持続可能エネルギーを源とする限り、コストなどは、原発に比べればはるかに安価なものとなる。そう言った意味では、太陽光発電には、まだまだ夢がある。

11)地水火風の風で言えば、風力発電ということになる。こちらもシンボリックではあるが、あまり効率のよいものではないということになるが、地産地消を考え、適材適所を考えれば、何もすべてを風力発電にする必要もない。必要なところにそれを設置すればよいことになる。

12)つまりは、国は、原発を推進したいがために、他の地水火風の可能性を封じてきたのであって、原発は「X」である、とはっきり認識すれば、政策としては、いくつもグッドアイディアが出てきそうなものである。

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プルトニウム発電の恐怖 プルサ-マルの危険なウソ 小林圭二他

【送料無料】プルトニウム発電の恐怖
「プルトニウム発電の恐怖」 プルサ-マルの危険なウソ
小林圭二/西尾漠 2006/10 八月書館 単行本 173p
Vol.3 No.0381★★★★★

1)震災で長く閉鎖されていた図書館が復活し、カウンター近くの紹介本コーナーにあった一冊。温暖化問題をテーマにした本が紹介されていたことはあったが、原発問題本がこのコーナーにあることは珍しい。多分初めてのことだ。

2)野菜、牛肉に続いて、主食であるコメでさえ、放射性物質による汚染の検査が実施されることになった2011年。まさにこんな状況になることを、本当に心配していた人たちがいた。

3)プルサーマルは、プルトニウムで燃料を作り、今の原発(軽水炉)で燃料の一部として使うことです。その計画については、主に危険性に集まっています。プルサーマルによって原発の危険性は確実に増大します。しかし、問題は危険性だけにとどまりません。国際道義上の問題より基本的です。p9「まえがき」

4)今回の東電原発事故は、決して津波被害でメルトダウンしたわけではなく、地震そのもので崩落してしまった可能性が高い。国や東電が明確な情報を開示しない限り明言はできないが、設計やその震度から考えて、十分あり得ることだ。

5)だとするなら、浜岡原発が津波対策ができた後に復活する、などという事態になるとすれば、とんだ茶番劇ということになってしまう。

6)少なくとも活断層に囲まれた日本列島では、原発がある海岸線、いずれにおいても地震は起きうる。マグニチュード8以上と予測されて、今回の3.11はマグニチュード9であったわけだが、原発立地のいずこにおいても、これらの地震が起きる可能性は十分あるのである。

7)原発技術が科学の先端を行くものだったとするなら、地震予知もまた科学の先端を行くものだ。ましてや地震は周期的にやってくるということは歴史的にも明確に記録されている。

8)プルトニウムはもともと地球にはありませんでした。それが最初に人の手で作られたのは原発を作るためです。人類初のプルトニウム利用は、第二次世界単線中、アメリカが原発に落とした原爆でした。一瞬にして数万の住民が殺害され、最終的に約10万人が犠牲になります。しかし、戦後の世界はその未曾有の犠牲よりも破壊力の巨大さに注目しました。大国は鮮烈な核兵器開発競争を繰り広げ、アメリカ以外にソ連、イギリス、フランス、中国が相次いで書くを保有するに至ったのです。p9「同上」

9)日本が国としてプルサーマル(日本の造語)計画にこだわるのは、非核三原則を堅持する姿勢を見せながら、実は、常に、国として、核兵器を開発する技術と能力を誇示する狙いもあったはずである。

10)つかいみちもないまま核兵器1000発分のプルトニウムを毎年取り出そうというのが、六ヶ所再処理工場の計画です。そんな工場を強引に操業させようとすることに、世界に目が厳しくなるのは当然でしょう。また、日本で再処理ができるなら、他の国の再処理が許されない道理はないことになります。六ヶ所再処理工場を動かすことは、他の国にも再処理という核兵器への抜け道をひろげていく役割を果たすのです。p33「プルサーマルのなぜ」

11)この本は共著である。著者紹介だけでも10人のプロフィールが書いてある。いわゆる反原発、脱原発の人々の手になるもので、引用されている文章を拾いあげたら、もっと多くの人々の意見が反映されている。

12)2006年の10月という段階で出された本だが、2011年の3.11については、ほとんど、この本に予言されていたと言ってもいい。今回のマグニチュード9の地震。そして1000年に一度といわれる津波、その大自然の脅威に驚き、なお同時に起きてしまった原発事故で、ようやくその危険性に目覚めた人たちが多い中、このような事故が起きることは、すでに、明確に心ある人々によって指摘され続けてきた。

13)過去の地震活動をみると、東海地震は100年~150年を周期として起きてきたのですが、1845年の安政東海地震以降、静寂を保っており、今や152年(2006年で)経過しています。満期を過ぎ、蓄積されているエネルギーには利息がたっぷりついているはずです。p87「浜岡原発にプルサーマルなど論外!」

14)これだけの指摘をされつつ、強引に進められてきた原発行政。3.11という未曾有の体験を、原発立地である地元のみならず、日本列島全域、やがては地球全体に広げ、未知数の悪影響を与えてしまうことになる。

15)これだけの体験をしつつ、なお原発神話をかざしながら、過去を反省しようとしない国があったとしたら、その国は当然滅亡することになるだろう。そのような国の暴走をとめなかった国民がいたとするならば、結局は、責められるべきは国民ということになろう。

16)そしてその被害は、国を超えて地球全体に及び、時代を超えて子子孫孫に持ち越される。

17)私たちの側は、「狙われる現地」に脅えることなく、各地の闘いの成果に自信をもってプルサーマルを拒否し、六ヶ所村再処理工場の運転を止めていきたいと思います。本書がその一助になることを祈っています。p173「あとがき」

18)ガイガーカウンターを片手に、もう一方の片手に我が子を抱いて、放射能降りしきる空の下を、右往左往している現段階ではあるが、実際には、問題の根はまだまだ深い。自らが今置かれている状況を把握するためにも、もう少し視野を広く取り、具体的に効果的な行動を選択していく必要がある。

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2011/08/02

原発暴走列島 鎌田慧

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「原発暴走列島」
鎌田慧 2011/05 アストラ 単行本 223p
Vol.3 No.0380★★★★★

1)この3月末に加筆され、5月に発行された本ではあるが、初出は1977~2009年にそれぞれ出版された6冊の本からの抜粋を改稿し、また、書き下ろしが加えられた本である。

2)3.11後の緊急を要する出版であってみれば、タイムリーにドキュメントとしてまとめることはむずかしい。また、原発問題は、必ずしも新しいものではなく、一般的には大きな話題にならなかったとしても、一貫して問題視する人びとによって告発され続けてきた。

3)だから、原発に関して言えば、あえて3.11以後に特筆すべきことなど、本当は少ない。3.11原発事故など、起こるべくして起きていることなのだ。そう言った意味において、実に啓発的な強烈な角度で原発問題をえぐりだす一冊である。

4)原発を平和時の「軍需産業」として、産業発展の「起爆剤」にする。それが財界首脳の原発にたいする位置づけだった。原発にまつわるキナ臭さは、核武装の軍需産業へ転換するのでないか、という怖れとともにある。p5「はじめに」

5)原発問題は、核兵器や、沖縄の基地問題、イスラエルや中東の領土問題などと並んで、一地球人たる個人では、どうにもならない問題である。考えても無駄で、現状を受け入れて、なんとか自分の居場所を確保していかなければならないような、実に不愉快で、直視することができないような問題だ。

6)それは反対して方向性が変更になる、という程度の問題ではなく、正視すれば正視するほどその課題の問題点が果てしなく見えてきて、いても立ってもいられなくなるほどの難問である。であるがゆえに、なんの解決策も見つけることができない個人においては、ついつい目をそむけ、だんまりを決め込むことが多くなってしまうテーマである。

7)しかし、それでいいのか。この本を読んでいると、心底からそう改心させられる。これだけの事実があり、これだけの間違いがまかり通っている。瞬間的なことではなく、ずっと、少なくとも50年近くに渡って、トンデモないことが起き続けているのだ。なんとかしなくちゃならないことは、多くの人は気付いている。しかし、ほとんど、どうにもならないところまで、物事は進行してきているのだ。

8)わたしが原発を批判するのは、そのすべてが不正だからである。コスト高なのに安いと強弁する建設過程であれ、危険そのものを安全と言い抜ける運転時であれ、大惨事寸前を「異常なし」と発表する事故対応であれ、すべて一貫してウソである。ウソと不正が原発推進のエネルギーだった。
 こうした体質だからこそ福島原発のような大事故が起きても、いっこうにきちんとした情報がでてこない。それは国際機関がいら立つほどだ。
p154「東電の発表はウソだらけ」

9)著者は1938年青森県生まれのルポライター。70年代初めから原発問題に取り組んできたという。よく聞く名前のようでもあるが、詳しくは知らない。しかし、この本(実は著書6冊のダイジェスト+書き下ろし)を読んでいると、実に、原発がいい加減に推進されてきたかがよくわかる。

10)時には、著者の舌鋒が激しすぎるので、もうすこし穏やかな表現でもいいのではないか、と思いたくなるが、推進派のまるでいい加減なやり方と、大勢の無関心派(時には私もこの範疇にはいる)の居眠り状態を告発するには、この程度の激しい口調がちょうどよいのかもしれない。

11)じゃあ、どうすればいいのか。一個人にできることなど限られている。これだけのブラック団に対抗することなど不可能に思える。ほとんどお手上げである。

12)だがしかし、今回の3.11天地人において、「身に降る火の粉は払わにゃならぬ」。他者を盲信し、無思考状態になってはいけない。すくなくとも、直視する勇気が必要だ。できる範囲で情報を取り込み、自分なりに整理してみる必要がある。

13)この本、そういった意味では、この日本列島における原発史の問題点の要所をまとめて教えてくれる。そしてまた、腹の底から原発や推進派に対する怒りをプロボークしてくれる一冊である。

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2011/08/01

災害そのとき人は何を思うのか 広瀬弘忠他

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「災害そのとき人は何を思うのか」 

広瀬弘忠/中嶋励子 2011/07 ベストセラーズ 新書 190p
Vol.3 No.0379★★★☆☆

1)3.11天地人の中では、この本は人の範疇にはいる。災害・リスク心理学を専門とする人びとの、3.11を受けての、調査を含むレポートではあるが、より人に焦点が合っており、これまでの研究や学説を紹介する形になっている。

2)災害心理学は、災害時における人間の心理や行動を研究するだけでなく、人間や社会のあり方が、実際に、災害の被害を大きくしたり小さくしたりするメカニズムを明らかにしようとする学問分野である。p3「はじめに」

3)人間を量としてとらえようとしている限り、旧来の心理学的傾向性が強く、必ずしも、「思想としての3.11」のように、思想、哲学、宗教の方への探究が進むわけではないのであるが、地としての原発事故が、早期に解決方法に向かわず、右往左往してしまっている現状への鋭い指摘となっている面はある。

4)人は災害を恐れる半面、災害が起こることを期待してしまう傾向がある。この感情を「ウェイティング・ディザスター」と呼ぶ。
 災害は害のみを与えるものではないという考え方がある。台風やハリケーンは渇水を防ぎ、地震や火山の噴火も新しい生命の胚胎を生み出し、落雷によって火災が起きれば、森林の枯れ木が燃えるが、新しい木が芽吹く。
p77「災害を待つ心理」

5)誤解を恐れず、この際だからメモしておこう。震災直後、街全体が、さまざまな非日常の風景に見舞われたのだが、ことのほか気になったのは、普段、引きこもりとか、孤立したライフスタイルを持っている人たちが、割とニコニコ(表現が違うかもしれない)と人々の中にでてきたことである。

6)普段からの日常があまりにも息苦しく、居場所を失って引きこもりになっている人たちもいるかも知れない。そのような人々にとって、普段と違う風景は、なにか別の可能性のある世界として見えていたのではないか。社会が平静を取り戻すと、次第に彼らの姿もみえなくなったように思うのだが・・・。

7)2012年に何事かのシンボリックなものを見ている人たちもいる。2011年のこの震災を彼らは彼らなりに見つめているのだろう。

8)人は生き残るようにプログラミングされている。生存が危ぶまれているような過酷な状況に置かれても、なんとかして生き抜こうという習性を持っている。飢餓や災害など、これまでに経験したことのない、または想像したことのない生死にかかわるような危機的状況においては、たとえ他者を犠牲にしてでも自分だけは助かろうと、あらゆる手段を用いて生き残ろうとする。p110「『パニック』の心理」

9)この本、なかなか面白いのだが、どうも一般的な常識について、学術的なカタカナ用語を冠することによって、整理されていくだけで、ここ、というところのズバリな突っ込みが少ない。

10)パニックを過度に恐れる必要がないのは、われわれだけではなく、情報を提供する側も同様である。大きな災害や事故の際、大勢の人びとに混乱を起こすまいとして、すなわち「パニック」を起こすまいとして、情報の発信を遅らせたり、事実を過小に伝えたりすることがしばしばある。
 これを「エリートパニック」と呼んだりする。
p130「同上」

11)すでに死亡しているのに、子供達が駆けつけてくるまでの二次災害を恐れて「チチキトク」のような電文を打つ心理に似ているだろうか。それにしても、今回の原発事故にせよ、中国の電車事故にせよ、情報が開示されないのは、発信側の都合によるように思う。「パニック」のエネルギーが自らに向かうのを恐れているかのようだ。

12)多くの災害は人間の行動や心理と深く結びついている。私たちは複雑にからみ合った関係を解きほぐしていく必要があるのだ。p187「あとがき」2011年6月30日

13)どうにか理解しようと、あちこち抜き書きしてみるのだが、いまいちフィットしない。3.11天地人のうち、人の分野に入るのは、今しばらく時間がかかりそうだ。まずは天である地震・津波を把握し、地としての原発事故全体像を捉え、その後にこそ人としての3.11が見えてくるのかもしれない。

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原発と人間 朝日ジャーナル 2011年 6/5号 週刊朝日増刊

週刊朝日増刊 朝日ジャーナル 原発と人間 2011年 6/5号 [雑誌] 
「原発と人間」 朝日ジャーナル
週刊朝日増刊2011/ 6/5号 雑誌 
朝日新聞出版 p146 
Vol.3 No.0378

1)3.11以降、2週間で書かれた川村湊「福島原発人災記」、1カ月後にまとめられた河出書房新社「思想としての3・11」に比較すれば、この雑誌に書かれた記事が、1ヶ月半~2カ月後にまとめられただけあって、極めて方向性が明確にだされた印刷物となった。

2)3.11を包括的にとらえることはなかなか難しい。当ブログは敢えて、「3.11天地人」としてとらえたい。天は地震や津波。地は原発事故。人は、地球人としての意識の在り方。この雑誌においては、天や人はとりあえずおいておいて、地に焦点をぴったり合わせた。それだけに、論調もかなり強く、明確だ。

3)執筆陣はざっと数えて40弱。ほとんどが3.11以前から原発問題について論評してきた人たちだ。なんとも煮え切らない西澤潤一や、一般人としての坂本龍一などの文章も寄せられている。坂本龍一の文章は、一般人としての私等の気持ちをもっとも代弁してくれている。もし私が求められるなら、こう書くしかないだろう、というお手本のように思う。

4)その他は、ほぼすべて、専門家たちと言っていいほどの執筆陣である。もちろん3.11以後、わずか2カ月しか経過していない段階とは言え、河出書房新社「思想としての3・11」よりはるかに的確な指摘が随所に見られる。

5)「原発を知るためのブックガイド106選」(p86)なんてものもついてはいるが、今はあえて過去の本を読むよりも、3.11以降に出された本のほうが真実味があり、また緊迫性がある。

6)広瀬隆、小出裕章、田中三彦、故・高木仁三郎、吉岡忍、などの面々が並ぶ。ひとつひとつが数ページの短い文章になっているので、食い足らない部分も多いが、また、一気に読みやすくもある。

7)天としての地震津波は敢えて甘受しなければならない配剤だ。人としてのスピリチュアリティや意識は、ある意味、各個人のまったくの自由だ。しかし、地としての「原発事故」は、相手や「敵」がいるだけ、文章がまとまりやすい。

8)それでは「原発事故」の何処に今後焦点を合わせていけばいいのか。行政か、電力問題か、農産物や電力不足にあえぐ工業などの、他の産業に対する影響か。

9)身に降る火の粉ははらわにゃならぬ。まずは、今後、多分死ぬまで、年間1ミリシーベルトの放射線を浴び続けることになる我が身のことから始めなくてはならない。自分は一体、どのような境遇におかれているのか、そこのところがまだ把握しきれていない。

10)今日も、巨大津波に襲われた仙台平野の沿岸部に行ってきた。実感として、瓦礫の撤去はかなり進んだという印象を持った。トラック群がかなり活躍したのだ。もちろん、まだまだ爪跡は大きい。だが、あの荒れた田んぼにも、緑の草が覆うようになった。まるでグリーン・ベルトにさえ見え始めた。

11)天としての地震津波はあまりに過酷ではあったが、甘受し、またそれに立ち向かっていく体制を調えて、立ち上がることしかない。いままでの歴史の中でも、もっとも巨大な被害であったとしても、長い時間をかけながら、人々は、その嘆きを、いつかは喜びに変えるだろう。

12)人としての精神性は、どれほど傷つき、あるいは命さえ奪われたとしても、所詮は、人間としての営みの限界性がある限り、これもまた甘受しなければならない運命というものがある。その限界性の中で、人は自らの意識を磨き上げる。

13)しかし、地としての「原発事故」は、どうにも腑におちない。この悲劇を甘受して、ひたすら嘆きの連鎖に逃げてしまうことも、ひとつの可能性としてはある。しかし、もし、今回のこのことを、「3.11という思想」としてとらえ、「原発と人間」として焦点を絞り、「福島原発人災」と明瞭に位置付けることができるなら、これは、人類として、必ずや克服しなければならない課題として浮上する。

14)気は重く、余りに課題は膨大だ。そして今までの経過から考えると、無力感にさえ襲われる。だが、天の下にあり、人として子孫にその命をつないでいく者であったとするならば、地における今回のこの課題は避けては通れない。 

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