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2011/08/03

自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解  石川 憲二

【送料無料選択可!】自然エネルギーの可能性と限界 風力・太陽光発電の実力と現実解 (単行本・ムック) / 石川 憲二 著
「自然エネルギーの可能性と限界」風力・太陽光発電の実力と現実解石川 憲二 著 2010/07 オーム社 単行本 p190
Vol.3 No.0382★★★★☆

1)この本、ちょうど一年前に出た本である。したがって、3.11についてはは何も触れていない。どっちかというと牧歌的な、かと言って結構シビアな現実感を持って「自然エネルギー」を見詰めている。

2)自然エネルギー、つまり持続可能なエネルギーを主テーマにしている限り、原子力発電は論外、といわんばかりにほとんどが触れられていない。

3)自然エネルギーの可能性に触れながら、やんわりと、あるいはグサリとその「限界」も指摘しているのだから、原発に最後の最後まで触れないでいて、自然エネルギーも駄目だな、と思わせたら、つまりはアル・ゴアの「不都合な真実」のような、隠れ原発推進派、ということになってしまう。

4)本書の目的はそうではないだろう。3.11以降の今日、この本が改訂されるとすれば、もっと自然エネルギー寄りの表現が多くなるに違いない。要は、自然エネルギーを推進するにしても、より現実的な路線を見据えていかなければならない、ということで、「可能性」を評価する目もしっかり持っている。

5)漠然と、自然エネルギー地水火風、とした場合、まだまだ日本はエネルギー大国だと思わせられる。火山大国の日本は、小さな温泉の数ほど地熱発電の可能性があるのではないか。水力発電は古いシステムのように思われているが、日本のような山国でしかもすぐに海岸線のあるような国では、実は水力発電は非常に効率がよい。

6)この水力発電は、昼夜を問わない安定感があり、しかも、いままで使われてきたシステムを再利用していけるメリットがある。場合によっては、より小型化した水力発電システムも構築されていく可能性がある。

7)地水火風の火となれば、火力発電と来てしまうが、枯渇エネルギーを源とする化石燃料の火力発電は、この際、この本では話題にはしていない。当ブログでは、この火は、あえて「太陽光発電」と読み換えよう。

8)メガソーラーシステムなどで、一気に注目されている太陽光発電だが、今後大量生産され、一般に普及したからと言って、必ずしも万能のシステムではないことは各方面から指摘されている。コストも安くない。

9)しかしながら、今回の原発事故をかんがみ、通常の地球人の感覚なら、「反原発・脱原発」になるのは当たり前のことだ。安いと言われる原発発電コストだが、野菜農家を補償し、牛肉畜産農家を補償し、米生産者を補償し、地域から避難してしまった人々を補償し、なおかつ、廃炉の後の数百年単位の後処理のコストを考えれば、今回、地球人は、しっかりと、脱原発を決意するしかない。

10)そういう前提に立って見れば、ましてや持続可能エネルギーを源とする限り、コストなどは、原発に比べればはるかに安価なものとなる。そう言った意味では、太陽光発電には、まだまだ夢がある。

11)地水火風の風で言えば、風力発電ということになる。こちらもシンボリックではあるが、あまり効率のよいものではないということになるが、地産地消を考え、適材適所を考えれば、何もすべてを風力発電にする必要もない。必要なところにそれを設置すればよいことになる。

12)つまりは、国は、原発を推進したいがために、他の地水火風の可能性を封じてきたのであって、原発は「X」である、とはっきり認識すれば、政策としては、いくつもグッドアイディアが出てきそうなものである。

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