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2011/08/18

原発報道とメディア 武田徹

【送料無料】原発報道とメディア
「原発報道とメディア」
武田徹 2011/06 講談社  新書 255p
No.0408★★★★★

1)この本、タイトルから類推するよりは、きわめて真面目で、当ブログ好みの一冊である。何でこんなタイトルにしたのだろう、どうしてサブタイトルを付けなかったのだろう、といぶかしむ。しかしながら、このような本を書けるひとだからこそ、このようなベタなタイトルが似合うし、サブタイトルなどで、人を釣る必要もないのだろうと思った。

2)著者は1958年生まれ53歳のジャーナリスト。ジャーナリスト教育にもたずさわる。当ブログもタイトルに「ジャーナル」と名付けている限りは、ジャーナリズムに無関心ではいられない。

3)ブログという機能が与えられて、著者のいうところの「一人ジャーナリズム」の可能性を探った時期がある。ただ、広義におけるジャーナリズムのニュースソースを個人ではほとんど確保することができない。

4)当ブログが、最終的に「読書ブログ」と自己規定せざるを得なかったのは、所詮「個人」とは言え、他のメディアに依存せざるを得なかったことと、まとまった量の責任ある情報に対峙するなら、本というメディアを対象にすることによって、書き手としてのこちらが逆照射されることがあるだろう、と意味あいからだった。

5)3.11以降、書店や図書館は壊滅し、読書どころではなくなった。メディアを通して入ってくるニュースよりは、目の前の事実のほうが重くなった。

6)私がツイッターを活用し始めたのは、3.11直後、バラバラになっていた家族への連絡に使えると思ったからだった。

7)奥さんはすぐ傍らにいてくれたものの、二人の子どもは、西関東と北海道にいた。子どもの婚約者は北関東にいた。メールや断片的な通話で、互いの無事を確認したものの、刻々と変化する状況を子どもたちに伝える必要があった。

8)さらには、遠く離れた友人たちが、近況で安否を気遣ってくれていた。彼らに対して、なんらかの情報発信が必要であった。

9)そこで注目したのがツイッターだった。短い文章で、断片的ではあるが、とにかく書いておいておけば、こちらが生存していることだけでも確認してくれるだろう。

10)最初、ネットが通じなかったので、スマートフォン(IS01の8円運用)を使うことにした。実際は、家庭内WiFiでしか使っていなかったのだが、simを入れて、ようやく書き出すことができたのだった。

11)例えば、宅急便が動き出したとか、ガソリンが何時から充分に手にいれることができるようになりそうだとか、親戚の誰さんのところは、現在このような状況である、とか、さまざまなニュースがあった。これらは当然、公のメディアでは情報をつかむことができない。

12)ネット上でこちらを気遣ってくれる人があれば、自分のツイッターをフォローしてくれ、と伝え、情報をツイッターに一元化していった。

13)その過程で、なぜかフォロワーが一日に10名程度づつ増えていって、結局600名ほどにフォローされることになった。

14)私自身は、せいぜい人間関係というものは、双方向であるなら200人が限度であろう、という想いを持っている。200人ではあっても、6次の隔たりや、80対20の法則などから推し量るに、地球全体の情報を集め、地球全体に情報を発信するには、200人で十分であるはずだ、という想いがある。

15)初期的にはツイッターは大いに役立ってくれたが、ほぼ2カ月後には、ツイッターの活用を減速させた。いくつかの理由が重なったが、一つは、ツイッターが第一義的に活用される段階は終わった、ということだった。つまり、ツイッターの特性の活用はそこまでだったということになる(こまかいことはいずれレポートする)。

16)さて、この本、極めて真面目な本で、当ブログとして、★5の評価にするかレインボー評価にするか悩んだ。いずれ再読、精読したい、という想いと、いずれ、もっと自分のテーマに即した方に舵をとるために、この本はここまでにしておこうという気持ちが、二つにわかれた。

17)最後までそのような想いをもちながら最終章「それでもジャーナリストになりたいあなたへ」p207になってしまった。よし、ここを読んでから評価しよう、と思ったが、結局、決断できなかった。

18)この本全体はとても秀抜であると思う。また、最終章も、きわめて興味深い。当ブログがかつて追っかけてきたテーマが満載されている。

19)だが、私はすでに「ジャーナリストになりたい」とは思っていない。ジャーナリスト的センスを身につけた人間にはなりたいとは思うが、ジャーナリト(ネット上の、自称であっても)になりたい、と、今は思わない。

20)ジャーナリズムはまずは一人の仕事である。そこに賛同してくれる人が加わり、二人ジャーナリズムに、そして更に多くが集まると社会運動にもなるのかもしれない。しかし、とにかく、最初は一人で始めるしかないし、賛同者が現われて自分の主張が社会的な運動に発展した時にも、それが排他的な共同体と化して自分たちと異なる価値観に不寛容になったとしたら、リベラル・アイロニストはそれと袂をわかたなければならない。もしかしたらまた一人からやりなおさなければいけないかもしれない。p249 2011/06/01「あと書きにかえて」

21)私は、すでに、ある矩をこえて、社会全体に情報を発信しよう、などという高邁な精神は失っているようだ。また社会全体をこまかくフォローしてみよう、というデリカシーも失いつつあるようだ。

22)私は、ジャーナリストになりたい、と今は思わない(小さい時の長い間の夢ではあったが)。今は、ただ、全うな地球人に成りたいと思う。一人でできる限り自活し、家族を愛し、子どもや孫たちに囲まれ、山や海にあそびたい。友人も少しは必要だ。仕事も必要だ。それらを達成するには、私には、ゆるくつながった200人程度の相互交流で充分だ。

23)その中でも、密接な人間関係は40~50人程度にとどまるだろう。そして日常的には、10指に満たないコアなふれあいがあれば、私の地球人としての生活は成り立つだろう。

24)ツイッターで何万人もフォローし、何十万人にフォローされていることを、さも自慢するかのごとくの「有名人」を見ると、背筋が寒くなる。

25)ことほど左様に、ジャーナリズムに関心はあるけれども、著者のいうような高邁な精神のもとにジャーナリストになりたいとは思わない。一人の地球人として、必要な情報を受取り、一人の地球人として、身近な情報を発信できるスピリットとメディアを持っていれば、それで済むのではないか、と思う。

26)3.11以降、もっとも気になる部分として残ってしまった「原発事故」問題。私は私なりに、自分の生活を成立させるために、今後もメディアやジャーナリズムと付き合っていこうと思う。しかし、それ以上の夢はもてないでいる。

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