原発暴走列島 鎌田慧
「原発暴走列島」
鎌田慧 2011/05 アストラ 単行本 223p
Vol.3 No.0380★★★★★
1)この3月末に加筆され、5月に発行された本ではあるが、初出は1977~2009年にそれぞれ出版された6冊の本からの抜粋を改稿し、また、書き下ろしが加えられた本である。
2)3.11後の緊急を要する出版であってみれば、タイムリーにドキュメントとしてまとめることはむずかしい。また、原発問題は、必ずしも新しいものではなく、一般的には大きな話題にならなかったとしても、一貫して問題視する人びとによって告発され続けてきた。
3)だから、原発に関して言えば、あえて3.11以後に特筆すべきことなど、本当は少ない。3.11原発事故など、起こるべくして起きていることなのだ。そう言った意味において、実に啓発的な強烈な角度で原発問題をえぐりだす一冊である。
4)原発を平和時の「軍需産業」として、産業発展の「起爆剤」にする。それが財界首脳の原発にたいする位置づけだった。原発にまつわるキナ臭さは、核武装の軍需産業へ転換するのでないか、という怖れとともにある。p5「はじめに」
5)原発問題は、核兵器や、沖縄の基地問題、イスラエルや中東の領土問題などと並んで、一地球人たる個人では、どうにもならない問題である。考えても無駄で、現状を受け入れて、なんとか自分の居場所を確保していかなければならないような、実に不愉快で、直視することができないような問題だ。
6)それは反対して方向性が変更になる、という程度の問題ではなく、正視すれば正視するほどその課題の問題点が果てしなく見えてきて、いても立ってもいられなくなるほどの難問である。であるがゆえに、なんの解決策も見つけることができない個人においては、ついつい目をそむけ、だんまりを決め込むことが多くなってしまうテーマである。
7)しかし、それでいいのか。この本を読んでいると、心底からそう改心させられる。これだけの事実があり、これだけの間違いがまかり通っている。瞬間的なことではなく、ずっと、少なくとも50年近くに渡って、トンデモないことが起き続けているのだ。なんとかしなくちゃならないことは、多くの人は気付いている。しかし、ほとんど、どうにもならないところまで、物事は進行してきているのだ。
8)わたしが原発を批判するのは、そのすべてが不正だからである。コスト高なのに安いと強弁する建設過程であれ、危険そのものを安全と言い抜ける運転時であれ、大惨事寸前を「異常なし」と発表する事故対応であれ、すべて一貫してウソである。ウソと不正が原発推進のエネルギーだった。
こうした体質だからこそ福島原発のような大事故が起きても、いっこうにきちんとした情報がでてこない。それは国際機関がいら立つほどだ。p154「東電の発表はウソだらけ」
9)著者は1938年青森県生まれのルポライター。70年代初めから原発問題に取り組んできたという。よく聞く名前のようでもあるが、詳しくは知らない。しかし、この本(実は著書6冊のダイジェスト+書き下ろし)を読んでいると、実に、原発がいい加減に推進されてきたかがよくわかる。
10)時には、著者の舌鋒が激しすぎるので、もうすこし穏やかな表現でもいいのではないか、と思いたくなるが、推進派のまるでいい加減なやり方と、大勢の無関心派(時には私もこの範疇にはいる)の居眠り状態を告発するには、この程度の激しい口調がちょうどよいのかもしれない。
11)じゃあ、どうすればいいのか。一個人にできることなど限られている。これだけのブラック団に対抗することなど不可能に思える。ほとんどお手上げである。
12)だがしかし、今回の3.11天地人において、「身に降る火の粉は払わにゃならぬ」。他者を盲信し、無思考状態になってはいけない。すくなくとも、直視する勇気が必要だ。できる範囲で情報を取り込み、自分なりに整理してみる必要がある。
13)この本、そういった意味では、この日本列島における原発史の問題点の要所をまとめて教えてくれる。そしてまた、腹の底から原発や推進派に対する怒りをプロボークしてくれる一冊である。
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