日本の原発危険地帯 鎌田慧
「日本の原発危険地帯」
鎌田慧 2011/04 青志社 単行本 337p
No.0394 ★★★★☆
1)この本にも、あとがきが3つある。1982年2月15日。2006年8月6日。そして、2011年3月31日。少なくとも3回はこの本が注目されたことになる。
2)しかし、解説を読むと、さらに、1988年や1996年に、文庫化されたり、シリーズに編入されたりしたというから、かなり歴史的に変遷してきた一冊ということになる。
3)著者は青森出身のフリーライター。「原発暴走列島」を読んだ時も感じたが、鎌田慧という人の語調はかなり鋭い。気鋭のジャーナリストであるなら、そうでなくてはならないが、それにしても、日本の原発反対運動のもっとも核心的な部分をルポし続けてきた人の、人々を見るやさしさと、それらを守ろうとする鋭い視線が、交差する。
4)原子炉の制御がきかなくなって暴走し、閉じ込めらていたはずの放射能が拡散する、という最悪のシナリオは昔からあった。が、しかし、すぐにでも発生する、と考えたひとはいない。p2
5)政府は「緊急事態宣言」を発しながらも、わざわざ「放射能が(原発)施設の外に漏れている状態ではありません」と根拠もなく住民を安心させ、避難指示も3キロ以内の住民にだけだした。半径3~10キロ以内は、「屋内待機」だった。p5
6)いったい、今回の大事故によって、どれくらいの被曝者が発生するのだろうか。三号炉では昨年9月からプルサーマル生産にはいっていたこともあってか、プルトニウムが検出されている。p7
7)その不幸を再現しないためには、原発の支配から脱却するしかない。簡単なことだ。「脱原発」を宣言し、原発から撤去をはかり、代替エネルギーの開発を毅然と進めればいいだけのことだ。それは日本の民主化の道でもある。p8
8)30年も40年も、日本の原発はおなじようなことをずっと繰り返してきた。そして、二つの勢力、推進派と、反対派は、妥協点を見いだすこともなく、ただただ現実に押し流されてきてしまったといえる。ふたつの交わらない平行線を見ているような図式だ。
9)推進派は、あらゆる手を使って推進してきた。反対派は、それこそ石にかじりついても反対してきた。この落差は一体、何なんだろう。
10)推進派は、自分のところに原発をつくればよかったのだ。関東電力など、自らのエリアに一個も原発を建てていない。遠くに遠くに作ってきた。当然、それは危険なものだからだ。
11)反対派は、当然反対してきた。そんな危険なものは要らないからだ。だが、その危険を押し付けようとする勢力は圧倒的な力(権力や金)を持っており、押し付けられそうになっているのは、どちらかというと純朴で清貧な人たちだ。この闘い、ずっと続いてきた。
12)ウソとカネ。これが原発建設のエネルギーだ、とわたしは何度か書いていた。それと地方自治の破壊、である。巻町のケースもまたその例外ではなかった。しかし、それでもここは土地を楯にして、原発の横暴を30年近くも抑えてきた。青森県は東通原発が、30年にわたる住民の抵抗のすえ、ついに工事がはじまろうとするのをみれば、東北電力が時間とカネを惜しみなく使ってなお、原発建設の見通しをたてられないのは、特筆に値する。p301
13)原発というやつ。放射性物質をばらまくから、危険、というだけでなく、住民の自治や尊厳をも、ぶちこわす危険を持っている。
14)これからのもっとも賢明な選択は、まず原発の総点検をはじめ、30年以上がたった原発の撤退、地震対策の徹底、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、これから浜岡原発も危ない。代替エネルギーへのよりはやい転進が必要だ。70年代はじめから、柏崎原発の反対運動のルポルタージュを書いてきた。それ以降、全国の原発地帯をまわって、反対運動の報告を書き続けてきた。その結末が、四基を廃炉にする炉心溶融事故の発生とは、あまりにも悲しい。2011年3月31日 鎌田慧 p337
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