原発死 増補改訂版 一人息子を奪われた父親の手記 松本直治
「原発死」 増補改訂版 一人息子を奪われた父親の手記
松本直治 2011/08 潮出版社 単行本 277p
Vol.3 No.0430★★★★★
0)加藤哲夫さんが昨日26日未明に亡くなった。当ブログとしては、1991年の「スピリット・オブ・プレイス」シンポジム関連で、登場を願っている。ご自身のブログで闘病記を綴っておられた。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
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1)この本もまた1979年にでていた本である。今回の3.11を経て、増補改訂版が出版された。
2)著者は1912年(大正元年)生まれで、すでに1995年に83歳で亡くなった方である。若い時代は従軍記者として活動し、その時代を振り帰った「大本営派遣の記者たち」という著書もある。書き出しでは「67歳になるいっかいのコラムニスト」と自己紹介しているが、新聞記者、編集局長、新聞社取締役、相談役、というジャーナリスト歴を持っている方である。
3)一人息子が希望して電力会社に勤め、原発に出向する中で、舌ガンになり、不幸にして1974年に31歳で亡くなられた。その死因について疑問を持った著者が、ひとつひとつ検証して行くなかで、彼から一人息子を奪ったのは、原発の放射線である、という確信に至る。
4)しかし、そのことを証明するのもまた、難しいことではあった。
5)死亡診断書を書きながら、死に立ち会った医師が行った。主治医は非番である。
「東海村におられたんでしたね。あそこにおれば、いやほど放射線を浴びる。強烈ですねえ、全身がガンです。
その医師は内科医長だが、がんセンター科長でもあった。
「やっぱり原発にやられたんですかねえ」p180「雪が見たい」
6)「原発労働記」(原発ジプシー改題)、「朽ちていった命」(被曝治療83日間の記録)、「原子力 その神話と現実」(高木仁三郎他・翻訳)などを初めとして、当ブログがめくってきた原発関連本リストの中に、またこの本も一冊加わることになった。
7)驚くことではあるが、原発関係の本は、実に再出版された本が多い。3.11後、電力も失われ、書店も壊滅し、図書館ネットワークも寸断された。気力も失われ、読書もままならない状態ではあった。この一カ月ほど、その遅れを取り戻そうと、意識して3.11以後に出版された本を読むようにしているのだが、原発や放射線に関しては、かなりの比率で、再出版本が多い。感覚で言うと、2冊に1冊は、かなり前に出された旧本である。
8)それだけ、原発や放射線問題は、ずっと前から常識化した問題であったのだが、あまりに圧殺されてきてしまった、という経緯があるのではないか。3.11の原発事故を受けて、改めて、再読する必要がでてきた、ということなのだろう。
9)原発はなぜ恐ろしいのか。原発の発する毒性は人間の想像力をはるかに超え、その毒性は一万数千年を経ても消えることはない。原発によるプルトニウムは俗に「耳かき一杯で百万人を死に至らしめる物質」をたえず放射し、垂れ流している。
私の息子のいた敦賀原発は、原発の代表地区だが、すべての都市から、あるいは人口密集地から百キロメートルは離れて建てられている。人間への放射線の被害をできるだけさけるためである。それは死の灰が1年間に300キロワットも作られていく。
わずか1グラム(耳かき一杯)で百万人の人を殺すことができるといえば、とても都会地で建設することは不可能である。原発が放つ毒性を扱えば、確実にガンになる。一粒のプルトニウムが肺に入っただけで、ほとんどの人は肺ガンになる。口から入るから舌ガンにも罹りやすい。p148「原子力発電所の実体」
10)今から30年以上前に書かれたこの文章は、いわゆる「推進派」から見れば、ちょっと待ってくれ、という内容を含んでいる。しかし、彼らに反論の余地を与えたとしても、一般人が昔から、このような恐怖を原発に抱えてきたことは間違いない。
11)原子力の平和利用について、放射線量を原行の20分の1に引き下げようとするライナス・ポーリングの提案に1万1千名の科学者が賛同している。しかし、日本では「札束で学者の頬っぺたを叩いて目を覚まさせるのだ」という政界の実力者によって、放射線基準はそのままである。p183「雪が見たい」
12)ここでライナス・ポーリングの名前がいきなり飛び出してきて、ドキッとした。
13)3.11の膨大な災害を受け止めきれず、呆然とする中、当ブログではその局面を「天地人」の3つに集約しようとしてきた。天に属するのは、地震と津波、地に属するのは原発と放射線。
14)原発と放射線に対抗しうる、個人の行動としては、せいぜいガイガーカウンターで周囲をチェックし、自宅の屋根に太陽光発電を乗っけてみるか、といったアイディアが浮かんでくる程度だ。
15)地震・津波に関していえば、あまりにその甚大な被害にただただたじろぐだけだが、避難袋をチェックしてサバイバル意識を心掛け、未来ビジョンとしては、エコシティあたりに夢をつなぐことが精いっぱいだ。
16)当ブログ、3.11直前はエコビレッジというキーワードを探っていた。エコライフ→エコハウス→エコビレッジ→エコタウン→エコシティ、という規模による関連が、もしあるとするならば、今回の震災後の復興案と目されるのは、エコシティくらいの大きなビジョンである。数万から数十万の人々が暮らす共同体である。
17)しかしながら、個人ととして取り組むにはあまりにも大きな規模であり、時間もかかる。まずは、自らの生活を見直し、エコライフ→エコハウス→エコビレッジへの想い、あたりのところで終わってしまうのが実情だろう。
18)それであったとしても、3.11天の巻、地の巻の、結論方向の道筋だけは見えてくる感じがする。
19)それに比して、3.11人の巻は、まだ、3.11後の当ブログの読書としては、まだまだ見えてきていない。瞑想やスピリチュアリティという単語が浮かんでは消えるが、どうもいまいち繋がらない。
20)3.11直後に、まずは読書を再開しようとして、ゲーリー・スナイダーや山尾三省を読み始めた。この辺にヒントがあるだろう。その後、東北や、沿岸部というキーワードから、結城登美雄や畠山重篤の近況を思った。今後、レイチェル・カーソンやビル・マッキベンを思いつつ、宮沢賢治やヘンリー・D. ソローなどの「古典」からも多くを学んでいく必要があるだろう。
21)3.11というものが、現実的すぎるほど超現実であることを思えば、当ブログ「3,11人の巻」においても、観念的であったり抽象的であっては意味がない。より実存的であり、より行動的であるには、どうあればいいのか。人間としていきるには、どうあればいいのか。ふたたび、みたび、おなじテーマに、今また投げ出されている。
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