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2011/08/08

原発労働記(原発ジプシー改題) 堀江邦夫

【送料無料】原発労働記
「原発労働記」 発ジプシー」改題
堀江邦夫 2011/05 講談社 文庫 364p
Vol.3 No.0389★★★★★

1)かつて1979年に「原発ジプシー」として刊行され、1984年に文庫本化された本が、3.11以降、32(27)年ぶりに、改訂され、タイトルも改題された。

2)著者は1948年生まれ、1978~79年当時、まだまだ30前後の若者だった。原発の在り方に疑問を持ちながら、実際に一労働者として原発の内部に入り、半年あまりに渡って記録した貴重な作品。

3)入り込んだのは、三つの原発。福井県の美浜原子力発電所と敦賀原子力発電所。そして、今回3.11で世界の注目を集めたばかりか、ヒロシマやナガサキと並んで、歴史の中にフクシマとして名前を刻んでしまった、福島第一原子力発電所。

4)原発で働いてみよう、そう思いたった動機は、じつは単純なものだった。「いらだち」。原発の<素顔>が霞んで見えることへのいらだちを、実際にその現場で働きながら自分自身の目と耳で確かめることで解消してみたいと考えたからだ。p9「原発へ」

5)かつて80年代初頭に、福島原発で働いたことがあるという青年にあったことがある。被爆手帳(と言ったと思う)も持っているという。体の一部にしこりができてしまった部分を見せながら、これが証拠だという。私は悪いジョークだと思いつつ、あまりその話を信じなかった。

6)大体、あれほど高度な技術で守られている現場に、必ずしも技術教育を学んだ風もない、今風に言えばフリーター風情が、簡単に働けるわけなじゃないか。当時はそう思っていた。しかし、今回、この本を読んで、あれは本当だっただろう、と改めて慄然とした。

7)また、別な話。3.11以降、沿岸部の古い友人と連絡が取れないことに気がついた。この10数年、ご無沙汰だった。彼は一体どうなってしまっただろう。身近な友人たちに聞いても誰も分からないという。

8)震災後、身辺が落ちついてから、沿岸部の友人宅を訪ねた。大変に変わり果てた風景の中で、ようやく彼の家を見つけることができた。しかも家族も友人も無事であった。よかった、よかった、と思って、近況を聞いてみると、実は、彼は現在、原発の中に仕事を見つけているのだった。

9)この二つの出来事から、私に取っては、原発労働者は、必ずしも無縁で未知数のものではなくなった。すぐそばにいる、ごく身近な存在であることを知った。

10)<従事者について1ヵ月ごとに、非従事者について3ヵ月ごとに外部被ばく線量の評価を行わなければならない>、<従事者等のポケット線量計による外部被ばく線量が1日当たり100ミリレムとなる前、および7日当たり300ミリレムとなる前に留意>・・・p29「美浜原子力発電所」

11)100ミリレム=1ミリシーベルト。一般に民間人が許容される(本当はゼロが好ましい)は年間1ミリシーベルと言われているから、原発労働者(まるで日雇いのように短期に勤務している)は、ほとんど正式な教育を受けないまま、通常なら1年間でようやく認められる量を、たった一日(多分数時間の間に)で被ばくしてしまうのだ。

12)「・・・ところで、私たちは自然界からも放射能を浴びているのです。国連のデータによりますと、地上から50ミリレム、土から30ミリレム、体内から20ミリレムの合計100ミリレム、つまり0.1レムを一年間に浴びます。一方、原子力発電所で働く人たちは、年間5レム以内と決まっており、そのその5倍の25レムほどでも、ほとんど臨床症状はありません・・・・」p49「同上」

13)30年以上前の現場の話であり、当時と同じ状況が現在も続いているのかどうかは知らない。しかし、晩発性障害をも考えれば、上記のような認識はかなり危険であるだろう。

14)放管教育によると、日本人は、年間100ミリレム程度の自然放射線を浴びているという。逆算してみた。2ミリレムを浴びるのには、7日間もかかる。すると私は今日の作業で、7日分の自然放射線量に相当する人工放射線を肉体に受けたことになる。それも、わずか1時間ほどの仕事で、だ。p93「同上」

15)ようやくこの単位に慣れてきた。

0.1マイクロシーベルト/時=1ミリシーベルト/年=100ミリレム=0.1レム、だ。

大体が、これが通常人の境界値だ。これを超える(もちろん限りなくゼロが好ましい)と危ないのだ。

16)きのうの放管教育によると、東電の設定した「計画線量」は、
1日当たり---100ミリレム以下
1週間----300ミリレム以下
3ヵ月間----3009ミリレム(3レム)以下
 たぶン午後からの待機組は、午前中だけで100ミリレムちかくの被ばくをしているのだろう。これは一般人が1年間に浴びる自然放射線量と大差ない。
p156「福島第一原子力発電所」

17)著者は、原発労働者として、民宿に泊まって原発労働に通い、親方にピンはねされたり、マンホールに落ちてけがをするという体験をしながら、実に細かな記録を残している。

18)キャスターの深刻な表情がブラウン管に映る。店内を流れる音楽が邪魔して思うように聞き取れない。それでも、アメリカのスリーマイル島にある原発が28日(1978年3月)に事故を起こし、放射能を含んだ上記が大気中に漏れたらしいというぐらいはわかった。
<ついに起こったか・・・・>  
298p「敦賀原子力発電所」

19)著者は、原発労働者として、スリーマイル島の原発事故のニュースに遭遇している。1986年のチェルノブイリも、2011年のフクシマも、まだまだ起こっていなかった。

20)スリーマイル島原発は事故発生から5年を経た今なお放射性物質の除去作業が続けられている。時事通信が84年1月5日に伝えたところにようと、1)復旧作業は88年まで続き、2)その作業に従事している労働者は少なくとも1万人を超す、3)またその被ばく量は当初の予想を6倍も上まわる1万3000~4万6000人レムにも達する---との見通しを米原子力委員会が明らかにしたという。p323「同上」

21)単純に比較はできないが、ここに書かれているのは、一般人が1年間に浴びるかもしれない許容量の10万倍から50万倍、という途方もない数値となる。ドシロートには、この数値が、一体何を意味しているのか、正確には分からない。

22)この本は、震災後1ヵ月が経過した4月10日にあとがきが書かれている。その中で、著者は、文科省資料などを引用しながら、次のように記している。

23)放射線による被ばく、とりわけ低線量の被ばくについては、<未解明の点>がまだまだ<多く>残っている、<疫学的調査>が必要だ、というのです。p361「跋にかえて」

24)著者の現在の体調は決してよくはなく、「死の淵を過去に二度にわたって彷徨」、「リハビリ難民」(p357)とまで表現しながら、原発労働との関係についてはよくわからない。米国原発内部からの告発者の「変死」などについても触れているあたり、著者における発言の「危険性」は、私などの門外漢の考えが及ぶ範囲ではないのかもしれない。

25)それにしても、当ブログとしては、原発事故→放射性物質の危険性→具体的な事例、となると、まだしっかりした因果関係をつかめないでいる。スリーマイル、チェルノブイリ、東海村臨界事故、などの過去のデータも、もうすこし丁寧におっかける必要があるようだ。

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