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2011年9月の45件の記事

2011/09/30

なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎 クライン孝子

【送料無料】なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎
「なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎」
クライン孝子 2011/09  海竜社 単行本 221p
Vol.3 No.0477★★★☆☆

1)長くドイツなど海外に在住する、1939年生まれのご高齢の「国際ジャーナリスト」を称される方の一冊なれど、ヒネた読者のひとりとしては、なんだか主旨一貫しない本だな、と感じる。

2)日本人よ、世界を良く見てみなさい、と「教えて」くださるのはうれしいが、その比較される日本というものの認識がやや違っているので、この人の語る「世界」も、すこしずれているのではないか、と疑念が沸き起こる。

3)本の主旨としては、ご本人も脱原発だし、日本も近未来的には脱原発するしかないでしょう。だけど、ドイツなど一部を除いて、原発まっしぐらなのよ。エネルギーのない日本は原発にしか頼れないでしょ、とおっしゃっている。

4)この人の矛盾は、「国際ジャーナリスト」という肩書を自らに許しているところにある。

5)「国」に頼るかぎり、戦争が必要であり、核兵器、核武装が必要になり、原発が当たり前のエネルギー源とならざるを得ない。

6)逆に言えば、原発を廃止し、核兵器をなくし、戦争をなくしていくには、「国」をなくすしかないのだ。

7)この方のハートは「地球」にあり、ひとりの「地球人」として発想しておられるが、頭脳における情勢の分析は「国際ジャーナリスト」としての「国」から離れられない。ハートと頭が分裂しているのだ。

8)しかし、この分裂は、彼女ひとりのものではないだろう。この地球を生きる多くの人々の上に起きている悲劇である。

9)当ブログがこれまで進んできて、大きくぶち当たっているのは「国」という幻想の存在である。国の為に、とか、国家間競争とか、仮想概念を使うことによって、差別がおこなわれている。国家という最も価値の高い大義を振りかざしながら、そこで徹底的に差別され、収奪されているのは、個人としての、ひとりひとりの人間の命である。

10)「原子力は唯一日本が自給可能なエネルギー」(p200)と言ってみたり、「日本よ、なでしこJAPANに続け!」(p216)と言ったりする矛盾は、この方の時代感覚のずれに生じる「国家」観のせいであろう。

11)21世紀において、すくなくとも、今日の人間の生活の仕方において、「家」というものの考え方は大きく変わってきている。家長がおり、親族が同じエリアにかたまって暮らしている、という戦前のスタイルはとうになくなっている。そのようにしたい、と思う傾向は残っているが、実際はそう強要はできなくなっているし、そうしなくても生きていけるスタイルができあがってしまっている。

12)「家」が崩壊している今、「国家」もまた風前の灯と化した概念なのである。「国」があって、「国民」があって、「国際」社会がある、というスタイルには、よくもわるくも、もう戻れないのだ。

13)これからは、「地球」に対峙する「人間」が存在する、というモデルから、全てのことを書きなおしていく必要がある。

14)「国」の中心をなす「天皇」制はどうであろうか。「国」の「国技」たる「大相撲」はどうであろうか。「国民主権」とされる民主主義の糜爛状態はどうであろうか。立て直し、復活させようとしても、もう時代遅れなのだ。

15)よくもわるくも、日本「国」の「国技」としての「大相撲」は廃れていくだろう。そして変わって登場してくる(登場させられている)のは、「サッカー」だ。今や、ワールドカップの大騒ぎを見ても、「地球」技としてのサッカーがその地位を受け継ぎ始めている。

16)クライン孝子は、この本のエピローグで「日本よ、なでしこJAPANに続け!」と発せられている。しかし、そうだろうか。違和感を覚える。ドイツにいる彼女は、たしかに日本に向けてエールを送りたくなるのはわかる。しかし、彼女がエールを送るべきなのは、「日本」なのだろうか。

17)いずれ、日本という「国」はなくなるのだ。それは、アメリカという国がなくなり、中国という国がなくなる、という意味と一緒だ。日本は、アメリカの何番目かの州になることもないだろうし、中国の東端の辺境になることもないだろう。

18)行政や、地理上の区分けとしての地名として、日本や中国やアメリカという固有名詞は残るであろう。しかし、それは便宜上のものである。AさんとBさんの個性を尊重するがゆえに互いに名前で呼び合うことはあっても、二つの個性を戦わせるために名前をつけているわけではない。

19)私は誰か? という問いに対して、ひとりひとりの人間の「意識」に、明確な答えはあるはずはない。「私」はいないのだから。ひとりひとりの自らの「意識」の煮詰めが悪いから、地域や国家という概念を持ち出す輩が横行し、自らの煮詰めが足らない人々が、その概念に振り回される。

20)私は誰か? という問いを突き詰めていくことによって、国はなくなり、原発も、戦争もなくなる。人は、少なくとも21世紀においては、せめて「地球」というひとまとまりの形あるものに最善の「意識」を寄せていく必要がある。

21)そこに行くしか、数多ある難問の解決策はない。この方の本は、なかなか視点がユニークだ。しかし、この本の中に、解決策はない。この方も方向性を見失っている。煮詰めが足らない。

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2011/09/29

原子力村の大罪 小出裕章他

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「原子力村の大罪」 
小出裕章/西尾幹二・他 2011/09 ベストセラーズ 単行本 255p
Vol.3 No.0476★★★★☆

1)どういう組み合わせで、これら7人の文章が一冊になったか知らないが、タイトルの「原子力村の大罪」というほど、「原子力村」はクローズアップされていない。原子力村を知りたければ、山岡淳一郎「原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜」のほうが鬼気迫る。

2)「原発のない世界へ」の小出裕章、「福島原発の真実」の佐藤栄佐久あたりはレギュラー出演としても、南相馬市市長の桜井勝延の「東電からもらったのは被害だけ!」あたりは身につまされる。

3)西尾幹二、恩田勝亘、星亮一、という人たちがどういう人たちなのかよくわからないが、7人の最後に登場する玄侑宗久こそ、いかにも「禅的生活」のような蘊蓄話にでもなるのかな、と思ったがそうではなかった。

4)考えてみれば、玄侑宗久もまた福島人として被災しているのであった。語られていることは、現地における被災者としての叫び声だ。

5)いまひとつ焦点の定まらない本ではあるが、ここにおいて、何事かを叫ばずにはいられない、という腹の中から込みあげてくる、各人の憤怒のエネルギーを感じる一冊である。

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2011/09/27

今日から始める山歩き これだけは知っておきたい初心者のための安心マニュア ブルーガイド編

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「今日から始める山歩き」 これだけは知っておきたい初心者のための安心マニュアル
ブルーガイド編 2011/04 実業之日本社単行本 182p
Vol.3 No.0475★★★★☆

1)歩く、というのは人間生活の基本をなす重要な活動だ。「地球の歩き方」なんてシリーズもあるし、「ウォーキング」はダイエットだけではなく、健康を維持するための根幹をなす活動である。時には、「帰宅難民」として歩くことがふいに必要になる時もあるし、脳は歩いて鍛えなさい、なんて人もでてくる。

2)それでも、生活の中に、キチンと歩くこと組み込むことは意外に難しい。

3)山歩きとは、小さな一歩一歩の歩行を何万回と繰り返して大きな山に登り、そして降りてくる行為です。その一歩一歩にベテランと初心者で大きな違いがあるはずはありません。しかし、少しだけ違いがあるのです。この少しだけの違いが積み重なって、山を歩くための「コツ」となるのです。p180「あとがき」

4)普段の生活の中では、ついつい車を初めとする乗り物に頼りがちになり、ついつい歩くことをサボってしまう。いざ一万歩を歩こうとすると、かなりの思いがないとスタートできない。

5)この前の震災の時などのように、普段歩いているコースだと、大体の時間配分が分かるので、帰宅難民になったとしても、比較的勇気を持って歩きはじめることができる。

6)旅行会社やスポーツ用品店が主催するツアー登山に参加するのは、何かと不安が大きいものです。そこでおすすめなのが、街歩きから始めることです。登山の基本は歩くことです。観光地やサイクリングロードを半日程度歩けば、歩くことに自信がつきます。p3「大自然のなかで味わう喜び」

7)車で山越えなどをすると、ここで少し歩いてみようかな、と思わないでもないが、準備不足があって、せいぜい車を止めて、思いっきり背伸びをする程度で終わってしまう。街中のウォーキングもいいが、街の風景ばかりでは、すこし物足りない。たまには大自然の中を歩きたい。

8)山に入ったら携帯電話の電源はOFFにしておくことです。携帯電話は、電源が入っている待ち受け状態では、常に最寄りのもっとも強い電波を探して内蔵のアンテナが回転する仕組みになっています。

 尾根上を歩いているときなどに電源が入っていると、等距離にある電波局のなかからもっとも強い電波を探してアンテナは常に回転することになってしまいます。

 このために、通話しなくても、通常ではありえないくらい早くバッテリーが消耗してしまいます。いざというときにバッテリー切れで通話できないなどということにもなりかねません。p135「携帯電話の注意 山ではバッテリーの消耗が早い」

9)これは3.11でも体験した。町中の基地局が壊滅したために、ケータイがアンテナを求めて、あっという間に消耗してしまった。スイッチオフにしてたために、知人からの受信もできない、ということもあった。ひとつひとつの工夫の組み合わせが必要だ。

10)なんやかんやとこの本を読んでいくと、人間としてのサバイバル力を普段から高めるには、「山歩き」を目標にして、お手軽アウトドアをちょっぴりづつ初めておくのもいいなと思う。3.11以降に出た本ではあるが、この本にはそのことに触れた部分はない。

11)自然観察を含めた「野性の実践」のためには、まずは歩くことから始めてみる必要があるようだ。

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電気に頼らない涼しい生活 ちょっとした工夫で夏も快適に過ごせる! 加藤清彦他

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「電気に頼らない涼しい生活」 ちょっとした工夫で夏も快適に過ごせる!
加藤清彦/黒部和夫・他  2011/06  河出書房新社 単行本 189p
Vol.3 No.0474★★★☆☆

1)暑さ寒さも彼岸まで。9月後半になれば、さすがに朝晩は肌寒くなり、掛け布団は必要となる。これからはむしろ風邪をひかないように、暖房を考えなければならない季節になってきた。

2)この本は6月にでた本だから、節電モードで、この夏さをどう過ごそうか、という対策本として作られている。

3)もともと、夏は暑いもので、昔からいろいろ工夫はされていた。別に今新しい対策などない。涼しく過ごすためにはまずはエアコン、というスタイルになって久しいが、近年の省エネモードが、今年は、さらに原発事故で節電モードに加速度がついた。

4)ポケットチーフのメリットは、ネクタイの代わりに、相手の視線を上に上げてくれること。仕事の話をしているとき、相手の目線は首もとに集まってきます。そのとき、普段しているネクタイがないと目線が下がり印象もどすんと下がってしまい、心理的にもポジティブになれません。それを補うにはポケットチーフが有効です。p76「ノーネクタイをラフに見せないポケットチーフ」

5)小泉政権の期間中、功罪はさまざまあれど、クールビズとしてノーネクタイを推進したことはとても大きな功績であったと、私は思う。もともとネクタイは嫌いなのだが、どうしても他に方法がなくて簡単にネクタイをしてしまう。それを簡単に取りはらってくれた。

6)ましてや、今年などは、クールビズとして5月~10月の半年間がノーネクタイで過ごせるのだから、いっそ、一年間ノーネクタイにしたっていいじゃないか、と思う。そして、このポケットチーフは、一年間使えるのではないか、と思う。

7)その他、いろいろなアイディアが書かれているものの、特に目新しいものは、この本はない。

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もしも、IH調理器を使っていたなら 家族の命の損得勘定を 船瀬俊介

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「もしも、IH調理器を使っていたなら」 家族の命の損得勘定を
船瀬俊介  2010/11  三五館  単行本 106p
Vol.3 No.0473★★★☆☆

1)太陽光発電を調べていくと、エコキュートやIH調理器が、当たり前のようにセットとなって話題となっている。我が家では、そちらの方向に進むことはほとんど考えていないのだが、いちいちセットで話題がでてくるので、気にはなっていた。

2)この本、3.11の半年前にでた本だが、徹底的にIH調理器を批判しまくっている。船瀬俊介という人の著書リストを見ていくと、1999年の「買ってはいけない」がトップにでてくるので、なるほど、この辺あたりが出自の人なのかな、と思う。

3)「原発で作った電気でお湯を沸かすのは、バターをチェーンソーで切るようなもの」と、世界的な自然エネルギーの権威であるE.ロビンズ博士は語っています。p105「あとがき」

4)3.11以後なら、この人は、電力行政全体を一体どのように表現しているのだろう。

5)風力、水力、地熱をはじめ、太陽光発電などを含め、この国の電力行政は、ある大きなシナリオのもとに進んでいた。その中核を占めていたのが原発である。その原発がこのような事故を起こし、他の50以上ある原発の同じような脆弱性と危険性が暴露されてしまったのだから、ビジネスモデル全体が見直されなければならない。

6)その中においても、この本の主テーマであるIH調理器は、この本を読む限り、いいところは一つもない。もともと導入する気はなかったが、ますます困ったものだと思う。そしてまた、自分で使わなくとも、世の中にどんどん増えていた(過去形にしておこう)、としたら、これは大変なことだな、と思う。

7)ただし、この手の本は、他の意見も参考しながら読まなければならないので、この本一冊だけでは、IH調理器を「断罪」することはできない。

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2011/09/22

原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜 山岡淳一郎

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「原発と権力」 戦後から辿る支配者の系譜
山岡淳一郎 2011/09 筑摩書房  新書 238p
Vol.3 No.0472★★★★★

1)どうも政治という奴は面倒くさい。ずるい奴はどこまでもずるく、損な奴はどこまでも馬鹿を見る。そう考えてしまうと、もう、アホくさくて、政治のことなど追っかける気もなくなる。鴨長明の方丈庵よろしく、森の中に小さなエコハウスでも作って、静かに暮らしたりするほうが、よっぽどいい。

2)だが、鴨長明自身は、次の文章で「方丈記」を締めている。

)----私が今、この草庵を愛する気持ちも、罪科となろうというものだ。静かな生活に執着するのも。往生の障害になろうであろう。どうして、これ以上、役にもたたない楽しみを述べて、もったいなくも最後に残ったわずかな時間をむだにしようか。いやいや、そうしてはいられないのだ。「方丈記 鴨長明 現代語訳付き」簗瀬一雄訳p114

4)自然にフェードアウトして終了させようとしていた当ブログだが、3.11を体験し、次なるカテゴリを「3.11からを生きる」と決めた以上、地震・津波、原発・放射線の現実から目を離すことはできなくなった。それは数年の単位ではなく、最低でも2~30年以上かかるプロジェクトであり、すでに50代も後半になっている我が身にとってみれば、残りの人生全てということになる。

5)それはまた、ウジ虫の湧くような「政治」の話も、決して避けては通れないのだ、ということを意味する。覚悟しなければならない。

6)「3.11」をどう後世に語り継ごうかと悩んだ。
 たどり着いたのが、「原発は何処からきて、何処へいこうとしているか」という根本的なテーマだった。原発を国策として推進してきた権力の系譜を書こうと決めた。
p234「あとがき」

7)この本においては、3.11を体験したあとの時点で、これまでの原発の歴史を振り返ることができる。なるほど、と思うところがおおい。

8)中曽根(康弘)は、福島第一の事故直後、雑誌のインタビューに応えている。

 「福島第一原発周辺の住民の生活、職業、子どもの将来に影響がでるような事態になったことは、本当に遺憾千万です。日本の今後の発展のエネルギー事情を考えれば原発政策は持続しなければなりません。今回の事故をよく点検し、今後の生かす必要がある。また、事故の詳細な情報を海外にも提供すべきです。それが世界の『公共財』である原子力に対する日本の責任です。

 新規の原発建設は難しいでしょう。国のエネルギー政策は国民と歩むものです。今の状況が国民に理解され、納得されるまでは、軽挙はできないと思います。安全の再点検を十分にし尽くして再起・継続を図るべきです」(『アエラ臨時増刊号 原発と日本人』2001年5月15日号)

 負けを十分意識しながらも、93歳の大勲位受賞者はなかなかそれを認めようとしない。しかしさすがに世論の変化に抗しきれないとみたのか、2011年6月、太陽光発電の普及を目指す会議に寄せたビデオメッセージで「原子力は人類に害を及ぼす面もある」と認めた。そして「太陽エネルギーをうまく使う。日本を太陽国家にしたい」と言った。

 風見鳥は健在だ。「太陽国家」も明日の風向き次第でどう変わるか知れたものではない。p173「権力の憧憬 間の轍『核燃料サイクル』」

9)吉田茂、岸信介、正力松太郎、中曽根康弘、田中角栄、といった日本の政治家が軒並み登場する。特に「青年将校」中曽根康弘が、日本の原発に大きく関わったことが記されている。

10)民主党名の原発推進の上げ潮を巧妙に利用したのが、仙谷由人だった。
 2010年のゴールデンウィーク中、国家戦略担当相の仙谷は、ベトナムの首都ハノイで前原誠司国土交通省相と落ち合った。原発を「パッケージ型インフラ」としてベトナム政府に売り込むためだった。
p218「21世紀ニッポンの原発翼賛体制」

11)自民党政治家ばかりが原発に関わってきたわけではない。政権をとった民主党でもまた、継続した推進力が働いていたのであった。

12)反原発を唱えても、なかなか脱原発できない理由がほのかに見えてくる。

 

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2011/09/20

原発の真実 フライデー増刊

FRIDAY (フライデー)増刊  2011年6月 29 日号 完全保存版原発の真実 [雑誌]
「原発の真実 」 完全保存版
フライデー増刊  2011年6月29日号 講談社; 不定版
Vol.3 No.0471★★★★☆

1)普段はあまりこの手の週刊誌には手がのびないのだが、一冊余裕があったので、図書課のカウンターにあったものをとりあえず借りてきた。メモしないまま返そうと思っていたのだが、どうも、心残りになりそうなので、メモを残すことにした。

2)昨日、都内で反原発の集会があった。主催者発表6万人が集結した。

3)3.11のことを考えていると、三省の三つの遺言を思いだす。

4)まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も う一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。

 自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。

 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。

 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。山尾三省「南の光のなかで」

5)東電原発の爆発、そして放射性物質の膨大な汚染を考えると、第一の予言と第二の予言は、まさにその通りだと思う。

6)そして第三の遺言はさらに重いと思われる。戦争をするために、国家はあり、国家のために原発があった、と言う図式がほのかに見えてくる。

7)「国家」という括りがなければ、戦争などしなくてもいいのだ。人と地球は、ダイレクトに共存していければ、戦争もなく、原発もいらず、水もきれいで、内部被曝などを恐れずにすむはずなのだ。

8)しかし、その実現はそう簡単ではなく、三省も「南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来」と祈っている。

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9)「フライデー」のこの号には、広瀬隆小出裕章広河隆一佐藤栄佐久鎌田慧森健、河野太郎、海江田万里、と言った人々の中に武田邦彦の名前も見える。

10)自戒を込めて言えば、私も今回の事故が起きるまでは、福島原発の軽水炉は水を使っているから、放射性物質など出るわけがないと思いこみ、高温の燃料棒が酸化して大量の水素を発生させる可能性を見逃していました。p96武田邦彦「安全基準を見直せ」

11)人生において過ちを正す事に憚る事無かれ、とは言うものの、この人物の後出しジャンケンと面の皮の厚さは見上げたもんだ、と思う。

12)少なくとも、原発は事故さえ起こさなければいい、というものではなく、その廃棄物を永遠に処理できないという致命的な欠陥がある。その欠陥を知りながら、原発を推進せざるを得なかったのは、私利私欲が根本にあるとは言え、まずは「国家」という幻想を維持するための武力が必要であったことが大きな原因としてある。

13) 山本義隆「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」にあるごとく、「脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならない」し、本来、脱原発・反原発は、脱国家、反国家でなければならない。そして、脱戦争、反戦争でなければならないと思う。

14)地球人として生きる、という決意は、ただごとではないな、と今さらながらに痛感する

15)当ブログにおける「3.11天地人」カテゴリも、定量の108まで、あと10数記事を残すだけとなった。このカテゴリを締めるには、最後にどんな本がくるだろうか。次なるカテゴリは「3.11からを生きる」としようと思う。

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暴走する原発 チェルノブイリから福島へこれから起こる本当のこと 広河隆一

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「暴走する原発」 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと
広河隆一 2011/05 小学館 単行本 223p
Vol.3 No.0470★★★★★

1)現「DAYS JAPAN」編集長、フォトジャーナリスト、広河隆一の震災後の単行本。と言っても、刊行されたのは震災後一カ月程度の段階であり、情報も十分でなく、また単行本を書けるほどの余裕もなかったはずだ。

2)本書は、巻頭の50ページと、巻末の20ページほどが書き下ろされているが、中味は、著者が1996年に出した「チェルノブイリの真実」の一部が加筆訂正されたものである。

3)著者の最近著は「福島 原発と人びと」(岩波書店2011/08 )である。合わせて読む必要があろう。

4)14日夜、東京電力は電話で枝野幸男官房長官と海江田万里産経相に「全員撤退したい」と申し入れたが、両氏は拒否。15日の午後4時、首相は清水正孝東電社長を呼び、「撤退はありえない」と通告した。この日文科省は浪江町で汚染が拡大しているという報告をしている。p37「チェルノブイリから福島へ」

5)東電の作業員たちが全員撤退したとしたら、一体どうなってしまっていたのだろう。少なくとも、原発から80キロ圏の私が、今、こうしてここでブログを書いている、なんてことはあり得なかったかもしれない。私も何処かへ「撤退」しなければいけなかっただろう。だけど、何処へ?

6)震災直後、停電のなか、ニュース源はほとんどがNHKラジオだった。テレビもネットも壊滅していた。停電は3月16日なって終わったが、この間に大変な放射性物質がばらまかれていたことになる。

7)震災後、原発に異常があると知って、情報は不足していたが、まずは、水道が動いているうちに飲料水を確保した。出来るだけ外出を控え、「屋内退避」を心掛けた。やむを得ず外出する時は、マスクをした。

8)それが本当に正しかったかどうかは、いまだに分からないが、それでも、まずはそう行動するしかなかった。自主判断だった。

9)メディアはなぜに原発産業にひざまずき、屈服するのか。大株主であり、大広告主だからか。電力会社の宣伝をになう電気事業連合会が、「朝日ニュースター」への私(広河隆一)と広瀬隆氏の起用に抗議してスポンサーを降りたことも、メディアと原発の関係を表わしている。p45「同上」

10)巻末で広瀬隆が「特別寄稿 広河隆一氏に期待する」(4月27日記)を寄せている。

11)その10日後の3月23日、彼が主宰する「DAYS JAPAN」の講演会が早稲田奉仕園で開かれ、彼(広河隆一)の現地報告と、私(広瀬隆)が福島第一原発の事故解析をおこなった。その時、私が聴衆に行ったのは、「広河隆一と広瀬隆が揃って話をするということは、日本にとって最悪の事態ですよ」という言葉であった。p221広瀬隆「特別寄稿 広河隆一氏に期待する」

12)私はこの二人を、ひとりの人物であると長いこと混同していた。たしかにこの二人は、日本における「反原発」の最右翼だろう。

13)福島原発事故の後、私たちが従来のエネルギーに対する考え方を変え、政策転換することなしに、「国民の福祉」や「経済の安定」や「危機管理」のスローガンを出しても空虚である。p201「おわりに、そして、福島へ」

14)3.11直後は、原発事故よりむしろ津波被害に目が行っていて、福島のことなど考える余裕はなかった。そちらはそちらでなんとかやってくれ、という気持ちが強かった。しかし、震災後半年が経過して見れば、地震・津波被害の上の、さらに原発・放射線の恐怖が、重く、のしかかる。3.11とはかくも膨大で、今後の地球の未来を決定づけるような出来事である。

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2011/09/19

リアルタイムメディアが動かす社会 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平 八木啓代他

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「リアルタイムメディアが動かす社会」 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平
八木啓代/常岡浩介/上杉隆/岩上安身/すがやみつる/浅井哲也/郷原信郎/津田大介 2011年09月 / 東京書籍 単行本 399p
Vol.3 No.0469★★★★☆

1)3.11以降半年を経て出た本ではあるが、3.11とは直接には関係ない。ただし、リアルタイムメディアが主テーマなので、当然、3.11と、3.11以後の、社会、国際情勢に対峙する日本国内の事情が多く語られている。

2)もとの講義は明治大学の学部間の共通科目として2011年度前期に開講されたもの。このようなオムニバス形式の本は、主旨がバラバラで両論併記になっていることがよくあるが、この本は、企画が一つの講義であるということと、ネットを含めて、その聴衆が学生である、という前提であるため、割と主旨は一貫している。

3)以下、アトランダムに読み進めたが、順不同でその印象をメモしておく。

4)一番面白かったし、最初に読んだのは、漫画家すがやみつるの「メディアとしてのネットワーク」(p221)。ネットにくわしいとは聞いていたが、まとめて彼の文章を読んだのは初めてだったので、新鮮な印象。電気や通信の歴史から語り始め、ツイッターやフェイスブックまでの時系列を、自らの実体験として語る力量はすばらしい。

5)そして05年、54歳の時にインターネットを使った早稲田大学の通信過程に入学しました。09年からはそのまま大学院の修士課程に入り、11年に終了して、今は早稲田大学で後輩の学部生の卒業指導の手伝いをしています。p224「漫画家からインターネットへ」

6)すごいな。あこがれる。

7)次に読んだのは岩上安身の「リアルタイムメディアが拓くジャーナリズムの新たな可能性」p185。この本におけるもっとも中核の部分となるか。岩上は、前福島県知事の佐藤栄佐久のインタビューなどをものにし、秀抜な動画情報をネットで配信している。

8)p151の上杉隆「原発事故報道と『記者クラブ』問題」は、内容的には「報道災害〈原発編〉 事実を伝えないメディアの大罪」と、かぶる。3.11においては、私個人は原発・放射能問題よりも、地震・津波問題の方が、先決優先課題だったので、あまりに原発に偏ったジャーナリズムは、タイミングよく読み込むことができなかった。

9)ただ、上杉は、かなり注目すべきポジションをキープしているので、当ブログとしては、いずれ日をあらためて、彼の全作品を再読する必要があるのではないか、と思っている。

10)津田大介「リアルタイム報道とメディア」p359は、すでに彼の「Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流」(2009/11)や「未来型サバイバル音楽論」(2010/11)、あるいは解説を書いているタラ・ハント「ツイッターノミクス」(2010/03)などを、当ブログとしてすでに読み込み済みであり、まぁ、予想できるような内容であった。

11)友人のミュージッシャンが、福島でライブをやりたい、実際に瓦礫をみてやりたいんだけど、独りよがりな、現地の人に望まれていないのに行くのは嫌だと言う。p395

12)「その必然性を作ってくれと言われ、すごく無理難題だなと思いながら」(p395)そのセッティングに協力した津田は、6月11日、いわき市のコンビニでそのライブを実現させた。その前日、彼はメールで私を招待してくれた。以前、講演会で名刺を渡しておいたからだが、残念ながら、当日は東京で知人の結婚式があり、ライブに参加はできなかった。

13)いずれにせよ、その実行力はすごい。

14)その他、いずれの方もパワーのある講義録であった。

15)当ブログにおける新しい地球人の3要素として、システムエンジニア(IT技術者)、ジャーナリスト(表現者)、セラピスト(瞑想者)を上げ、その融合を目指しているが、ここに来て、前者二つの要素の融合がリアルメディアによって、徐々に実現しているかに見える。

16)三つめの要素についてはまだまだだが、3.11という新しくもヘビーなテーマを与えられた今、リアルタイムメディアを通して、さらなる融合に進む可能性があるのではないか、と期待し始めている。さて、リアルメディアが「瞑想」を始める日は来るだろうか。

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石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命 東日本大震災医師たちの奇跡の744時間 久志本成樹他

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「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」 東日本大震災医師たちの奇跡の744時間
久志本成樹・監修 2011/09 アスペクト 単行本 180p
Vol.3 No.0468★★★★☆

1)図書館に行くと、一番目立つところに、3.11直後の現地の状況をこれみよがしにアップしたグラビア誌が各種多数陳列されている。長いこと被災して閉鎖されていた図書館にしてみれば、ようやく買いそろえた資料なので、貴重といえば貴重なのだが、私は、今は見たくない。

2)事故直後に、言語に言い表せないと言われた惨状である。視覚的な画像での記録は、のちのちには極めて貴重な資料とはなるだろう。

3)しかしながら、震災後半年も経過してくると、言語に言い表せられないものであったとしても、なお、当事者の言葉として残そうとする動きもでてきている。被災地の教育現場からの言葉として「3・11あの日のこと、あの日からのこと」などが出始めた。十分なものとは言えないが、これからだんだん更なる言葉が綴られることになるだろう。

4)さてこちらは、医療の現場からの当事者たちの声である。

5)自然災害の被害予測を完全にすることは不可能である。自然のパワーが人智を超えることもあるからだ。しかし、準備することは可能である。宮城県沖地震の対策があったから、その記憶が被災地に残っていたから、対応できた部分は大きかったということを忘れてはいけない。p018「宮城県では2日前に地震が起きていた」

6)さまざまな記録が残り、対策もされていた。にも関わらず、それを乗り越えてくるのが大自然である。

7)小さな島が点在する美しいリアス式海岸を持つ気仙沼市にも、津波が押し寄せた。避難所にいた女性に話を聞くと「最初の津波は海の水が壁のようにやってきた。次に来た津波は火の海となってやってきた」と当時の様子を話す。p020「同上」

8)多分、このような表現は、歴史書にも残ってはいないではないだろうか。

9)そのとき助けてくれるのは、政治家でも、政治でも、行政でもなく、まず「医療」である。
 地震の規模も、津波の大きさも、すべてが想定外とされた東日本大震災。その津波の最前線で、医師たちは医療システムを構築し、体系化し、多くの命を救っていったのである。
p021「同上」

10)福島県南相馬市や青森県むつ市などで、その医療活動をした者も身内にいる。県内においても、その現場にいた知人もいる。しかし、あえてまとまった言葉としては聞いていない。いずれ話してくれるのを待つのみだ。

11)この本においては、宮城県内の3つの病院の関係者が、まずはその言葉を記した。

12)石巻管内(女川町・東松島市を含む)には17台の救急車が活動していた。しかし、津波で12台が流され、わずか5台で搬送をしていたのである。しかも、道路の多くは津波で寸断され、活動できる範囲は限られていた。実際、震災当日に運ばれてきた患者は99人しかいなかった。p023「石巻赤十字病院 混乱する医療チームをひとつにまとめあげる」

13)今回の震災では、その規模の割合すれば、初期の緊急患者が少なかったとされる。地震の被害が少なかったせいだが、むしろ、津波の被害者はほとんどが即死状態であったか、存命していても、そこまで救助に行けなかったケースが多かったと思われる。

14)停電のため、病院内の電源は重油による仮設電源に頼っている。その重油も残りが少なくなってきていた。非常用の仮設電源が切れてしまえば、入院患者に影響が出てしまう。
 医療スタッフは、まず市内のガソリン販売会社に掛け合った。
p077「気仙沼市立病院 透析患者を大規模・長距離搬送する」

15)当時、どこの現場で、どのようなことが起きていたか、という記憶は、記録されなければ、次第次第に薄れていく。

16)テレビ局がヘリコプターを飛ばし、海岸線を中継しはじめていた。津波に襲われる若林区の田畑が映され、市内を流れる名取市を遡上する生き物のような濁流もオンエアされた。しかし、東北大学病院ではトリアージの準備が忙しく、津波の映像を見るスタッフはほとんどいなかった。p107「東北大学病院 後方支援として、すべての患者を受け入れる」

17)トリアージとは、「多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること」wilipediaより

18)外傷患者は少なく、多くの重度の低体温症が運び込まれた。しかし、命の危険をともなう患者は少なかった。これだけの巨大な地震、津波にもかかわらず、現場に運ばれる患者の状態は、阪神・淡路大震災やそれ以降のにDMATが出動したケースとは異なっていた。p145「崩壊した医療システムを、どうやって機能させたのか?」

19)DMATとは「災害派遣医療チーム」のこと。wikipediaより

20)東日本大震災での経験を残したい。残さなければいけない。そう考えていました。それは私個人の記録ではなく、東北大学病院として、宮城県として、未曾有の災害を経験した現場の医療体制全体の記録を残すことによって、今後も起こるであろう災害医療に役立てなければいけない、とそう考えたのです。

 しかし、被災地で医療を現在進行形でおこなっている状況で、その思いを具体化することはなかなかできないでいました。p178「おわりに」

21)この本に記されていることは、決して十分な内容ではないだろう。また、医療当事者でなければわからない苦労や体験ということもあろう。時には守秘義務やコンプライアンスに関わる内容もあるに違いない。

 しかし、それでもなお、このような形で記録が始まったことに注目したい。読書ブログとしての当ブログは、このような本がでているのだ、ということも、今後十分見つめながら、3.11以後をどう生きるのかを考えていきたい。 

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2011/09/18

3・11あの日のこと、あの日からのこと 震災体験から宮城の子ども・学校を語る みやぎ教育文化研究センター

【送料無料】3・11あの日のこと、あの日からのこと
「3・11あの日のこと、あの日からのこと」 震災体験から宮城の子ども・学校を語る
みやぎ教育文化研究センター/日本臨床教育学会 2011/09  かもがわ出版 単行本 159p
Vol.3 No.0467★★★★☆

1)3.11以降に発行された本を見ると、ほとんどの本にあの日の2時46分の体験を書いている。ひとりひとりがそれぞれで、まさに日本列島に「STOP!」の掛け声がかかったようなものだった。

2)もし可能ならば、そのような体験の部分だけを全部抜き書きして一冊にしたら、結構な「文学」になるのではないか、とさえ思った。

3)当ブログでは、趣向はちょっとちがうが、各本にでている「オム・マニ・パドメ・フム」だけを抜き出してみたりしたことがある。これはこれでかなり興味深いものだった。

4)この本は、宮城県内の教育関係者がその3.11体験をつづったものである。

5)どのような体験をしましたか、なんてことはなかなか聞けない。話していただけることを、ただただ拝聴するだけである。

6)あの日の3月11日午後2時46分、私は学校の図書館にいた。
 2日前の入試のときにも地震が来ていたので、今度もまたかと思った。だが、いやに激しくて、しかも長い、これ以上ここにいては危ない、逃げないと!
 3階の図書館から他の職員と一緒に階段をくだり、避難所になっているグランドに走った。ネットを支えるコンクリートの柱が目に見えて揺らいでいる。柱から離れろ!
 しばらくして、やっと揺れは収まった。図書館の鉄製の書棚が4台は同じ方向へなぎ倒されていた。また円形の回転書棚はみごとに横になっていた。本の洪水の様相だった。
p125「野球場にアメーバのように水が」

7)図書館や書店勤務の人々は同じような体験をしただろう。学校の関係者は、もっと広範な立場にあったことだろう。

8)いかに「自然は人間に無関心」であろうと、自然に生かしてもらっている者としての深い関心と、そこに生きる喜びと、同時に自然への畏怖の念をもたなければならないと思う。そのうえで、2万人以上の犠牲者、十数万人の避難民を作った試練の事実を経て、学校が、教育がどう変わらなければならないか、何が変わらなければならいないかを考えずにすますわけにはいかない。p7「はじめに」

9)気仙沼の小学生たちが避難所で作った「ファイト新聞」にも心打たれた。

10)3.11からをいかに生きるか。問われるのはこれからだ。

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原発破局を阻止せよ! 広瀬隆

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「原発破局を阻止せよ!」 
広瀬隆  2011/08 朝日新聞出版  単行本 191p
Vol.3 No.0466★★★★★

1)去年2010年8月に出た広瀬隆著「原子炉時限爆弾」は、当初ほとんど見向きもされなかった。「この本の内容に危機感を持ってくれた」ただひとりのジャーナリスト(p191)週刊朝日の記者・堀井正明の編集によって、震災後、本著のタイトルの連載が「週刊朝日」で始まった。

2)本著には若干のイントロとともに、3月25日号~8月19日号までの連載記事が大幅加筆(p10 )されて一冊の本として収録されている。

)「著者15年ぶりの反原発書!」という帯の文句にひかれて購入したのが、その年(2010)の8月に広瀬さんが出した「原子炉時限爆弾---大地震におびえる日本列島」(ダイヤモンド社)だった。p7「まえがき--広瀬さんとの出会い」堀井正明

4)私自身は、広瀬隆と広河隆一を混同していたために、どうもこのお二人は反原発のイメージがつよく、まさかこの本は著者の「15年ぶりの反原発書」だとは思わなかった。

5)内容的には、広瀬隆「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン」(2011/05)と重なるが、こちらは週刊誌に掲載された順に時系列に読んでいくことができるので、原発事故の進行状態が分かる。

6)3.11震災後、書店も図書館も壊滅したため週刊誌など見る機会もなかったが、もともと、わが読書ライフには週刊誌はほとんど入っていない。たまに銀行や歯医者の待合室で手にする程度だ。

7)ごくごく最近になって、図書館で週刊誌のバックナンバーを手にして一気読みしてみたりするが、あまり得手ではない。この記事が連載された週刊朝日も手にとってみたが、他の記事に気が散って、あまり読めなかった。やはり、一冊の本として読めるのはうれしい。

8)これは明白な犯罪です。私は、日本人全員に問いかけたい。放射能の放出を止めてくれと祈るだけでいいのか、もっともっと心からの怒りの声を上げるべきなのではないのか、と。p52「廃棄物の保管は東電本社ビルで」

9)著者は本をだすだけではなく、法的処置も辞さない。

10)ルポライターの明石昇二郎氏と私・広瀬隆は、このままでは次の大事故が誘発されるのをおそれ、それを食い止めるため、7月8日に、(中略)福島県内の児童の被曝安全説を振れ回ってきたことに関して、それを重大なる人道的犯罪と断定し、業務上過失致傷罪にあたるものとして刑事告発した。p164「事故の責任者を刑事告発した理由」

11)「原発のない世界へ」の小出裕章ご本人は、冷房エアコンも電子レンジも使わないという。長崎の沿岸部にある、「もう原発にはだまされない」の藤田祐幸邸は「パッシブソーラーシステム」を導入して省エネに努めているという。1997年の段階だが、ゲーリー・スナイダーは、山尾三省との対談「聖なる地球のつどいかな」の中で、森の中の電源として太陽光発電システムを使っている、と話している。

12)さて、広瀬隆は何を使っているのだろう。

13)現在ではエネファーム(エネルギーを生み出す農場)の名で市販され、わが家ではすでに6年近く使用している。大変バランスよく熱を供給し、一石二鳥の「電気も起こせる給湯器」である。
 
 エネファームのすぐれた特徴は、光化学スモッグの発生原因となるような有害物質がまったく出ないことだ。出るのは水だけ、という完璧なクリーン発電機である。

 家庭に設置でき、都会では都市ガスを使い、都市ガスが来ていない地域ではLPガスを使って、電機とお湯をふんだんに生み出すエネファームは、「電気は買う時代から、つくる時代へ」という新時代をリードする発電機のエースである。エネファームを使うと年間5~6万の光熱費を削減できるのだから、10年間で50~60万円が戻ってくる計算になる。

 これに太陽光発電と太陽熱温水器を組みあわされたデュアルソーラー住宅も発売されている。一般家庭の電力使用のほぼ全量をまかなうことができ、高熱費を55%削減できるようになっている。p157

14)いずれの方法であろうと、3.11以降においては、原発以外であれば、素晴らしいように見えてくるが、ここでの試算は、必ずしも鵜呑みにはできない。石井彰著「脱原発。天然ガス発電へ 大転換する日本のエネルギー源」でもエネファームを取り上げていたが、一般家庭にエネファームが普及しないのは、まだまだコストが高いからである。

15)6月24日号においては、日経新聞3月23日号の記事「(ビル)ゲイツ氏、東芝と次世代原発」という記事を引用しながら、「次世代原子炉TWR」、「ペブル・ベッド型原子炉」、「トリウム溶融塩炉」、「海底原発」、「地下原発」にもふれながら、なお、全否定する。

16)以上いずれも、これまでの原発とは異なる点をアピールするが、核分裂のエネルギーを利用する原理に変りない。ならば・・・・放射性廃棄物はどうする?p134「新型炉が続々登場 安全な原発とは 新技術導入でも出続ける廃棄物」

17)著者には著者のスタンスがある。太陽光発電や風力発電、あるいは電気自動車などを評価しないばかりか、ほとんど有効なものと見なしていないところなどは、どうも納得はいかない。だが、こと「原発」について考え、とにかくこの「放射能」から逃れるには、著者のいうところのより現実的な方策を探るのは正しい方向性であろうと思う。

18)時にはエキセントリックに感じられる著者の本と風貌だが、むしろ、彼からみれば、なぜ日本人は、この期に及んでもエキセントリックにならずにいられるのか不思議だ、ということになろう。

19)「原発破局を阻止せよ!」。ちょっと過激なスローガンではあるが、より現実を考えれば、そうするしかないのだ。

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2011/09/17

災害ボランティア・ブック 週末は東北へ 平凡社編

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「災害ボランティア・ブック」 週末は東北へ
平凡社編 2011/09 単行本 87p
Vol.3 No.0465★★★★★

1)この本を借り出してきたのは、ボランティアという切り口で何事かメモしておきたい、と思ったからだった。しかし、どうもうまくまとまらない。そんなこんなで、この本をめくっていると、この本はなかなかよくできていると思った。実際にボランティアに行った人々の、総括であり、次のボランティアへの伝言でもある。

2)単にボランティアというより、この本は「災害」ボランティアについての本だった。そしてその中においても、「東日本震災」災害ボランティア、という範疇のボランティアである。

3)ボランティアという言葉が含んでいる意味は広い。一概にボランティアという単語で括りきれないほどの広い世界を持っている。

4)町を訪れた方たちは異口同音に「被災地の様子を知っているつもりだったが、これほどひどいとは思わなかった」とおっしゃいます。観光でもけっこうです。皆さん、ぜひ一度この地に立って、惨状をご覧になってください。

 津波の恐ろしさを目に焼き付けて、周囲に広め、防災について考えるきっかけにしていただきたいと考えています。岩手県山田町町長 岩崎喜一 p12「一度この地に立ち、現状を見て、伝えてほしい」

5)現地では、ボランティアという名前で、偽医者事件も起きている。補助金を不正に受け取ったなどと報道されている。一部ではあろうが、このようなこともある。

6)ボランティアは強制されてするものではなく、自分の意思のもとに自己責任で活動するのが原則です。p26「ボランティアはすべて自己完結で」

7)日本社会の中では、これらの活動は、もっともっと成熟していく必要があるだろう。

8)現地に駆け付けて復興の手伝いをしたいと願う人は多い。とはいえ、時間的制約や体力面から、被災地でのボランティア活動に参加できる人ばかりではない。p54「被災地に行かなくてもできること」

9)「週末は東北へ」・・・・・・。なかなかいいコピーだね。

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よくわかる最新火力発電の基本と仕組み 火力発電の原理と現状を基礎から学ぶ 火力原子力発電技術協会

【送料無料】図解入門よくわかる最新火力発電の基本と仕組み
「よくわかる最新火力発電の基本と仕組み」 火力発電の原理と現状を基礎から学ぶ
火力原子力発電技術協会 2011/09  秀和システム 単行本 215p
Vol.3 No.0464★★☆☆☆

1)石井彰「脱原発。天然ガス発電へ 大転換する日本のエネルギー源」のインパクトが強かったため、なんだぁ、それじゃあ、ひたすら持続可能な代替エネルギーなど考えなくたっていいじゃん。我が家の太陽光発電も大したメリットがないしなぁ、と思った。

2)期待すべきは、最新の天然ガスの火力発電なのである。東京都も東京湾に原発1発分にあたる天然ガス火力発電所を作ると発表した。

3)そんなこともあって、この9月にでたばかりのこの本には「最新の天然ガス火力発電」について書いてあるに違いない、と期待したのだが・・・・・。はずれだった。

4)よくみると、この本「火力<原子力>発電技術協会」が著者となっている。どんな協会なのか知らないが、原発について明確な「脱」を宣言している団体ではないだろう。

5)それにしてもだな、この本、この9月、つまり3.11以降半年目に出た本なのに、3.11、東電原発事故については、まったく触れられていない。かなり無責任な感じがする。

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太陽電池のしくみ サイエンス徹底図解 瀬川浩司他

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「太陽電池のしくみ」 サイエンス徹底図解
瀬川浩司/小関珠音 2010/05 新星出版社 単行本 183p
Vol.3 No.0463★★★★☆

1)震災で、大型家電店が長い間閉鎖していた。震災後数カ月にして、ようやくこの頃、復興開店にこぎつけた店がほとんどだ。

2)久しぶりに行ってみると、太陽光発電コーナーが大きくスペースを取っている。他の商品が揃わないので、空きスペースを太陽パネルなどで埋めている、という感もないではないが、各メーカーのパンフレットは揃っている。ただ、店頭では受付だけで、関連会社や下請けに見積もりを獲らせる、というシステム。店頭での見積もりはほとんどできない。

3)キャンペーンのチラシなどもあるが、ざっと見て価格的には各社それほど大きな違いはない。

4)ネットでの数社見積もりというところに2件リクエストしておいた。それぞれ2社づつ、近場の工事店が現地を見て、見積もりを出してきた。

5)4社のプランは、はっきり言って、各社似たり寄ったり。あとは工事方法やパネルのメーカー、工事店の住所などが違ってくるだけだ。

6)もう一社、通販で破格の値段を出していたところがあったので、こちらも現地見積もりを頼んでおいた。さすがに込みあっていて、1週間から10日ほどかかります、ということだったので、いいですよ、と答えておいた。

7)しかし連絡が来たのは2週間経過してから。しかも、現地に行けないので、自宅の立面図と平面図をファックスで会社に送ってほしい、とのこと。それを見て見積もりを出すと。そして、実際に現地見積もりに来るのは最初から換算すると、2カ月後になるという。

8)なるほどなぁ、とは思ったが、これでは実質、交渉停止でしかない。いちおう見積もりだけでも取っておこうかな、とは思ったが、工事を依頼できるような状況ではないだろう。

9)当ブログの最初の目論見は、先行投資100万で、10年で回収できないか、というところにあった。唯一この通販会社が工事費込み105万円、ローン手数料(48回まで)金利ゼロというプランを出していた。

10)瓦屋根の場合は別途別料金とか、カラー表示のパネルはつかない、4年ごとの定期検査は有料など、たしかに不安要素はあるにしても、ほとんど唯一当ブログの願いを叶えてくれそうなプランだったので、ちょっと残念だった。

11)こうしてみると、ざっくりと考えると、4人暮らし、3kwのパネルで、初期投資150万、金利3%で、15年で回収、というのが実質的状況である。これではいくら売電という保証があったにせよ、家計の経済状況だけ考えるのであれば、メリットはない、と断定せざるを得ない。

12)今回シュミレーションしてみて、いろいろ自分の消費電力の在り方が分かった。我が家では月500kwhの電気を使い、夏と冬の電気量が高く、春秋は少ない。我が家では過去15年間のデータを取ってあるので、その動きがなかなか面白かった。家族の数の動向、成長の過程、あるいは、今後の予想家族数など、いろいろプランニングして見るのは、おもしろかった。

13)2007年から日本とドイツで量産が開始されたのがCIS/CIGS太陽電池と呼ばれる、化合物半導体系太陽電池です。p66「シリコンを使わない化合物半導体系太陽電池」

14)私はこれがいいと思った。値段が安い。ただ、実際に話を聞いてみると、同じ発電量に対して、屋根の面積を広く必要とする。我が家の場合、真南に向かった27度(5寸勾配)の切妻屋根であるのに、ロフトの屋根の位置などから、充分な面積が取れないのであった。

15)市場は6941MWと拡大し、2005年と比較してほぼ4倍に到達しましたが、日本企業は上位10社のうちシャープと京セラの2社しか入っていません。Qセルズ(独)やファーストソーラー(米)といった欧米企業だけでなく、サンテックパワーとはじめとした中国企業群が躍進しています。p90「太陽電池の生産の国別・メーカー別シェア」

16)メーカー選びも大切だ。カナダやドイツなどのメーカーは寒冷地につよいというセールストークだが、それは本当か。中国製はやはり性能が悪いのか。

17)ただ、パネル自体が安くなっても、工事全体のうちに占める工賃がかなりのウエイトなので、大量生産したからと言って、日本では今後劇的に安くなる、ということは期待できにくい状況にある。100万を10年で回収は、まだまだ夢であるようだ。実質的に普及するのは、50万を5年で回収、という時代がこないとだめだろう、という感触。

18)システム・インテグレーター 顧客のニースに合わせた太陽光発電システムを供給するために、たとえば太陽光発電システムを中心に、オール電化、蓄電池、電機自動車、家電など、異なるさまざまなシステムを、正しく機能させつつ、それらを一括して企画から保守まで請け負う知識・技術を持つ者のこと。p116「顧客に最適解を提供するシステム・インテグレーター」

19)現在の我が家が必要なのは、このシステム・インテグレーターであろう。ドイツなどでは、このシステムが機能し始めているというが、日本では、この役目を各工事店が負っているので、公正な情報は受けにくい。信頼できる有能な太陽電池システム・インテグレーターが闊歩する時代がくれば、太陽光発電システムも、もっともっと一般的になるにちがいない。

20)10年間で太陽電池の投資を回収・・・ただし、4人家族が必要とする太陽電池システムは、185万円よりも高い場合が多い。さらにパワーコンディショナー(20万~40万円/台)は、10年から15年の間で買い替えが必要になることも。また定期的メンテナンス費用につても、留意が必要。p122「一般家庭における太陽電池導入の採算性は?」

21)この本は昨年の5月にでた本だから情報は古い。基礎数字を入れ替えて、現金で導入したとしても10年で回収はまだできない。金利3%と考えると完全にアウト。

22)メガソーラー発電導入計画・・・・合計14万KWの発電ができるメガソーラー発電所を建設するためには、約400万m2のスペースが必要とされる。また電気事業連合会はメガソーラー発電の導入計画と同時に、電気自動車の導入も発表した。2020年度までに電力10社合計で業務用車両1万台を導入する予定である。p156「国内のメガソーラー計画」

23)ここでの文言は、3.11以前のものである。現在なら、当然、脱原発を前提として、電気自動車の導入計画も、大きく見直される必要があるだろう。

24)この本、一年半前にでた本ではあるが、よくまとまっている。

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ルポ原発難民 粟野仁雄

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「ルポ原発難民」 
粟野仁雄 2011/09 潮出版社 単行本 254p
Vol.3 No.0462★★★☆☆

1)名取市の閖上町。ゆりあげとよむ。ずいぶん難しい読み方である。道路標識のローマ字を見て初めて知った。この地域は壊滅状態だった。廃墟の中で野良猫の写真を撮っていたら、「写真なんか撮ってて面白いですか」と若い男性が不快そうな顔をこちらに向けた。家族で大破した家の片付けをしていた。それを撮影していたわけではなかったが、よそ者が被災地の写真を撮っているのはいい気がしないのだろう。「猫、好きなもので」と、食べかけのコンビニ弁当のトンカツを与えてた。腹をすかしていたのだろう。ぱくついた。p194「不屈の東北魂---宮城県名取市、気仙沼再訪」

2)この本を読んでいて、最初の最初から、この9月になって出た本としては、一体、どういう目的で出版されたのだろう、と、疑心いっぱいになった。

3)この地区は、私の住まいから最短距離の沿岸部である。私も3.11以降、なんどか歩いている。この地区は、飢えた猫など撮影しなくても、360度、どこにレンズを向けても「絵」になる地区である。ただし、私は一切シャッターを押していない。

4)震災後、青森、岩手、宮城、福島、山形、茨城、千葉、と、私なりに被災地の惨状を目にしてきた。もともとカメラマン・スピリットのない私には、レンズを向け、シャッターを押す力はない。ひたすら、みずからの瞼に、その絵を焼き付けるだけだ。

5)震災後、消息不明だった石巻の友人を訪ねるために車を走らせた。幸い、彼の家は一部床上浸水で助かったが、地域は壊滅状態だった。彼の家族も一部の方を除いて、最小限の被害は留まっていた。

6)メカ好きな友人ではあるが、3.11以後、デジカメで撮った写真は一枚だけだという。いつもは見上げている道端の送電線に、ワカメが引っ掛かっていたという。あそこまで津波がきたのだ、という記録のために撮影したという。

7)このタイトルもいただけない。「不屈の東北魂」。なんだか、よそさまから「がんばろう!東北」と軍歌を歌われているようだ。そもそも著者にとって東北は「最も縁の薄い日本」(p7)だった。東北、という一語で片づけるほど、この地域の細かい違いを分かっていない。

8)拙著に関してはこんなこともあった。
 「あの時は確かにそう言っていましたけど、今はもう私のことは書かないでほしいんですけど。地元では今後、いろいろあるもので・・・・」
p252「あとがき」

9)本書を読んでいて、最初の最初から気になったことがあった。次々と取材した一般人の実名と年齢が記録されているのである。情緒的な売文に、信ぴょう性を与えるがごとくに、ことごとく記録された実名は、数えてはいないが、100人をくだらないのではないか。

10)現地では最初、年配者の、いわゆる、ズーズー弁と呼ばれる東北弁には苦労した。「火の海」が「死の海」に、チリ地震は「つるずすん」と聞こえた。p249「あとがき」

11)今時、このような差別的表現が許されるのか。すくなくともアトランダムに読んできた3.11関連の本100冊以上の中で、このような表現をしたのは、唯一この本だけである。山浦玄嗣『ケセン語入門』でも勉強して、出直したらよかろう。

12)でなかったとしても、せっかく仙台にきているなら、「東北を歩く」結城登美雄のような人に、この地をあるく優しいまなざしを教わったらよかっただろうに、と思う。兵庫生まれで阪神淡路も体験されたというこの方だって、自分の地元をこのように表現されたら、いい気はすまい。

13)阪神・淡路大震災の時、東京では「地震サバイバル、首都が襲われたらどうする」などの報道が多く、私は不快感をもっていた。西宮氏で被災した作家の藤本義一氏は「こっちの災害をまるで東京のリハーサルのように扱っている」と怒り、同じく西宮市の作家小田実氏(故人)も「瓦礫の下に犠牲者が呻吟している時に、ある放送局は東京にあてはめますと、シュミレーションを駆使し、地震学者が嬉々として解説しているのはどういうことなのか」と憤っていたのを思い出す。東北の人たちにも似たような思いがあるのではなかろうか。p234「被災地は東京の踏み台ではない」

14)あります。大いにある。特に、私なんぞは、著者あなた自身につよく感じる。

15)この本「ルポ原発難民」とは言いつつ、原発に触れていたのは最初の3分の1ほどだけである。第一部「原発」につづいて、第二部「津波」、第三部「復興」、となっている。すこしはぐらかされた気分であった。

16)知、情、意、で言えば、この本は、情緒的に「被災地」をペットとともに歩いただけである。客観的になデータをもとにして記録したわけでもなく、復興に向けてのビジョンを提示しているわけでもない。バランスを欠いた一冊である。

17)十年前の秋、通信社を追われて路頭に迷っていた時に拾ってくださったのが当時、「潮」の編集長だった南晋三様だった。p254「あとがき」2011/08

18)はぁ、自分の出版社から出す本に、身内に対して最高級の敬語を使い、「様」とまで呼ばせることを許す、この出版社とはいかなるものか。そういえば、この出版社は、某宗教団体系だったなぁ。

19)インターネットのブログなどで被災者自身が想いを発信できる時代だ。よそ者の私が勝てるわけもない。評論家や論客にはなれず、現場に何度も行かなくては書けない物書きはしんどい。p254「同上」

20)しんどいなら来なくてもいいですよ。頼んでまで書いてくれなんて、被災地のだれも言ってはいない。物など書く前に、まずは、泥搔きボランティアの皆さんに頭を下げて、そのスピリットを教えてもらったらいいのではなかろうか。

21)京都大学原子炉実験所では小出(裕章)氏のほか、、今中哲二、海老沢徹、小林圭二、瀬尾健(故人)、川野眞治の各氏ら「京大六人組」といわれた反骨学者たちが長年、市民と語りあう「原子力安全問題ゼミ」を定期的に開いてきた。筆者も一時はよく、このゼミにも参加していたが、原子力ネタでは飯が食えず、サボっていたらこの事態となってしまた。p232「阪神から東北へ、東海村から福島へ」

22)この人、正直なひとなのだろう。他人の災害で「飯を食って」いる、というのも正直なところだろうが、どうも表現が豊かではない。

23)この本、最後に小出裕章研究室を訪ねるあたりで、ようやく一冊の本としてまとまりを持ったが、どうも焦点がさだまっていない。一体、何の目的でこの本を作ったのだろうか。そのことが最後まで気にかかった。

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2011/09/16

原発のない世界へ 小出裕章

原発のない世界へ
「原発のない世界へ」
小出 裕章 (著) 2011/9 単行本  192p 筑摩書房
Vol.3 No.0461★★★★★

1)実際に8月に講演を聞いてきたから、とても身近な感じがする。内容的にも、講演で聞いたことと大差はない。

2)最近の皆さんは「脱原発」と言うのです。でも僕は「脱原発」ではない。一貫して「反原発」なのです。国と巨大産業とが結託して、その圧倒的な力で住民たちをブルドーザーで押しつぶように進めてきた原子力というものに、僕は抵抗しているだけなのです。そのような原子力に反対する、ということが僕の動機。それだけなのです。p20「放射能汚染下に生きる」

3)40数年を反原発一筋に生きる、というのもただごとではない。

4)僕が原子力に夢を持っていた頃は、旧七帝大と言われた全国7つの国立大学すべてに原子核工学科か、原子力工学科があった。自分で言うのもおかしいけれど、当時の花型学科でしたよ。しかし、今となっては原子核だ、原子力だというと、最低の学生もこなくなったし、7つの国立大学からは原子核工学科も原子力工学科も一つ残らずなくなってしまいました。

 大学における原子力は、20年くらい前から衰退していたのです。原子力なんてこれからは駄目だということが歴然としてきていたので、学生たちは全く学びに来なくなったのです。だから、原子力化を推進している人たちはものすごく焦っていますよね。これから先を支える人材がいなくなってしまうから。p36「同上」

5)これはこれでただごとではない。「廃炉」のプロセスを何十年どころか、何万年もやってもやっていかなくてはならないのに、それを専門とする人材がいなくなってしまう可能性があるのだ。

6)海が汚れることで、海産物が汚れるでしょう。福島県の漁業はおそらく崩壊します。p39「同上」

7)原発がない世界へ、ときれいごとを言ってみても、原発震災後にしてみれば、どこかの大臣がふともらしてしまったように、「死の町」が残されてしまうだけなのではないか。

8)原発は電気が足りようが、足りなかろうが、即刻全廃すべきものです。福島原発の悲劇を見ながらそう思うことができない人がいるとすれば、私は不思議です。p138「これからの原発の危険性」

9)物質文明の暴走に気がつかなくなってしまっているのか。

10)六ヶ所再処理工場は、原子力発電所が1年間に放出する放射能を1日で放出します。もしその工場が本格的に動き始めれば、環境が放射能で汚染されることは避けられません。p150「同上」

11)自分が今やっていることの意味さえ見失ってしまっている。

12)原子力発電はいうまでもなく大きな危険を抱えている。もし、大事故が起これば、被害を免れ得る人はいない。当然、私は原子力発電に反対である。しかし、原子力発電がなくなれば、それで望むような社会ができるわけではない。原子力発電を廃絶させることは、望ましい社会のを築いていくための一つの課題であり、基本的な目標を忘れずに、一つ一つの選択をしたい。p171 2000/2/11「反原発という生き方」

13)図書館の小出裕章本は大人気だ。複数冊入っているのに、どれもリクエストでいっぱいだ。だが、単に彼をヒーローのように受け止めるのではなく、ひとりひとりが、自らの「生き方」の中に組み込んでいく必要がある。

 

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福島原発の真実 佐藤栄佐久

【送料無料】福島原発の真実
「福島原発の真実」
佐藤栄佐久 2011/06 平凡社 新書 253p
Vol.3 No.0460★★★★★

1)求めに応じて本書を書こうと決意したのは、福島原発事故後の原発政策、ひいては震災後の福島、そして日本のあり方について、これから私たちは真剣に考え、議論しなければならないと思うからだ。いままでのように、上から下りてくるものをただ受け入れるのはやめよう。

 個人が考え、地域で議論し、それを市町村に、さらに県に、そして国に-----。これこそが新しい国のあり方であり、地方自治のあり方でもある。

 そこで、本書はその議論のたたき台とすべく、なるべく客観的な記述を心がけた。私自身の心の動きを除いて、事実関係や会議でのやりとりは、できる限り議事録や新聞記事などで跡付けを行った。 p250「あとがき」

2)福島原発の歴史、なかんづく18年の長きにわたり著者が福島県知事を務めた間の原発行政の在り方については、貴重な資料となろう。著者自身は、身内の関与したとされる汚職事件で辞任し、その裁判はまだ最高裁で争われている最中なので、第三者としては、いたずらな判断はできない。まずはその経過について書かれているだろう「知事抹殺--つくられた福島県汚職事件」(2009)を参考にしたい。

3)隣県における長期政権を務めた著者については、ほとんど関心を持ったことはなかった。全国ニュースで時折流れる近況を知るのみで、他県のことは他県のこととして、知らなかった。

4)今回、東電原発事故が起きて、あらためて、わが家からわずか80キロのところに、この原発村があることを知り、改めてその危険度を認識した。

5)2006年に起きた、このいわゆる汚職事件も、長期政権だから、このようなことが起こるのも仕方ないのかな、とも思っていた。

6)震災後、3月20日に撮影されたとされるこのビデオも、私自身は一度見たが、原発・放射線より、地震・津波から我が身を守るために必死だったため、最後まで見ることなく、本日まできた。

7)正直言って、本書を見るまで、この人、どこまで信用できる人なのだろう、とすこし眉唾であったことは確かである。もともと自民党の人ではあるし、原発推進派の人であったはずである。

8)財政構造は、発電所が立地している自治体はともに固定試算税比率が高く、福島県全体の町村平均が14%あるのに対して、福島第一原発1~4号機が立地する大熊町47.5%、5、6号機が立地する双葉帳25.9%、福島第二原発1、2号機が立地する楢葉町35.8%、3、4号機立地する富岡町36.1%、広野火力発電所1~4号機が立地する広野町49.2%(現在は5号機も稼働)という結果になった。双葉群全体の平均は38.8%である。p125「国との全面対決」

9)先日読んだ菅野典雄著「美しい村に放射能が降った」の飯舘村などは、多分、原発からの固定資産税などは受け取れていないだろう。もちろん、村民が原発関連の従業員である、ということはあるだろう。逆に言えば、地元においては、その危険性を感じていても、財政問題から、なかなか反原発へと舵を取ることはできなかった面もある。

10)こんなハプニングがあった。平山(新潟県02年当時)知事が、「(発電所)立地県の苦労を知って欲しい。山手線を動かすのは、信濃川の水で動く発電所だ」と訴えると、今まで聞き役に回っていた石原都知事は「それなら、夜はクマしか通らない道路が誰の税金でできているか考えてほしい」と発言し、報道によると会場が「湧いた」のだという。p131「石原都知事の暴言」

11)あの男性にはほとほと嫌気がさしているが、最近の報道によれば、都が主導で、東京湾に天然ガスによる100万キロワット級の発電所を計画しているという。

12)天然ガスこそ脱原発の主力だ、という本も読んだ。よいニュースだと思う。おっしゃる通り、エネルギーも地産地消へと向かうのはよいことだ。しかし、それをなにかのパワートリップのテコとして使おうとするのが、この人物の悪いくせだ。たかが100万キロワットくらいで大きい顔するな、と、少しは言ってみたい。

13)思えば仙台湾にある140万キロワット級の火力発電所も今回被災している(下記写真)。ところがどうしたことか、地元にいても、このニュースはほとんど伝わってこない。もちろん、それなりの地域への汚染などの影響もあるだろうが、原発ほどの影響はない。修理し、いずれ再稼働することになるだろう。もちろん、跡地も利用可能だ。

Photo

14)昨日、夜のNHKテレビニュースで、日本原発の「父」とさえ言われる中曽根康弘が、アナウンサーのインタビューに答えていた。本編は一時間数十分あったそうだが、放送されたのは編集された10分くらい。これだけの大きな原発事故が起きたあとにおいても、御本人の意見は、背筋を伸ばしたまま、「これからも悪いところはなおして、原発は必要だ」、という主張だった。

15)日本原燃は民間会社だが、資源エネルギー庁が管轄する、国策会社のようなものだ。経産省はまた嘘をついた。核燃料サイクルは最初から破綻しているのに、嘘を重ねてプルサーマルを押し通し、再処理や安全対策にあえて「不作為」を決め込んだ経産省の存在。それこそが、福島原発事故の「元凶」である。

 「あり得ないことが起こる」というのは、「起こるべくして起きている」のだ。p235「原発事故の『元凶』」

16)長く反原発・脱原発を唱えてきた小出裕章藤田祐幸広瀬隆という人たちでさえ、今回の原発震災については、起こる前に脱原発を実現できなかったことを、自らの努力が足りなかったように強烈に反省している。いくら知事という立場で、比較的協力的ではなかったにせよ、原発をその立場で「止める」ことができなかったことに、18年も福島の知事を務めた立場の人間としては、責任がないとは言えない。

17)このまま原発を利用していくにせよ、脱原発に舵を取り、廃炉が決定したにせよ、私たち21世紀に生きる地球人すべては、原発と放射線と付き合っていかざるを得ないことになってしまった。いまさら、誰かを「元凶」呼ばわりしてババ抜きしていてもしかたない。

18)求めに応じて本書を書こうと決意したのは、福島原発事故後の原発政策、ひいては震災後の福島、そして日本のあり方について、これから私たちは真剣に考え、議論しなければならないと思うからだ。いままでのように、上から下りてくるものをただ受け入れるのはやめよう。p250「あとがき」

19)まさにおっしゃるとおりです。当ブログも今後、この問題からは目を離すことはない。

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2011/09/15

いのちと環境 人類は生き残れるか 柳澤 桂子

いのちと環境: 人類は生き残れるか (ちくまプリマー新書)
「いのちと環境」 人類は生き残れるか 
柳澤 桂子 (著) 2011/8 筑摩書房 新書 222p
Vol.3 No.0459★★★★☆

1)最近のわが読書はどうもオーバーイーティングである。3.11以後、長い間書店や図書館が閉鎖されていため、読書をする習慣が一時途絶えていた。その後、徐々に復活してきたことをいいことに、どうも最近は、多めに本を取ってしまい、手には取ったものの、よく読めないままに、ブログにメモをすることもなく返却する本もだんだんでてきている。

2)震災ショックや夏の暑さのために中止していたが、以前からダイエットのために続けていたウォーキングも復活し始め、図書館までの往復一万歩の旅が復活し始めた。

3)足で歩く速度でみれば、津波災害の蔭に隠れて、あまり語られない地震災害だが、実は、街道沿いの家々やビルを見ていると、実にそうとうに被害が多いことが分かる。工事業者も不足していたためか、ここに来て、ようやく工事がはじまっているところも多い。

4)ああ、ここもやられている、あ、ここもだ。歩くたびに驚かされる。そして、驚いたことに、わが図書館もまたふたたび一部を残して修理工事のために閉鎖となってしまったのである。思えば、復活した書店も多いが、いつも行っていた書店も、じつはあちこちで復活不能のまま放置されていたり、閉店されていたりする。

5)そんな中、図書館の受付で、数少ない書籍数の中から、よく中味も確かめないまま借りてきたのがこの本だった。地震・津波や原発・放射線問題はそろそろ一区切りつけようと思い始めた時に、この本のタイトルはなかなかよい曲がり角に思えた。

6)しかし、正直言えば、あまり論理的思考が優れていない私としては、前半の「科学的」アプローチはとびとび読むことになった。「おむつ」に関する考察はおもしろかったし、原発反対の主旨ももっともだと思った。だが、彼女がもと研究室にいた時に、マウスに肝ガンをつくる実験をする場面などがでてくるに及んで、これはこれで問題があるぞ、と思い始めた。

7)1938年生まれのすでに古希を迎えられた方である。彼女がどのような業績をお持ちの方かは存じ上げないので、まぁありきたりのよくある本ではないだろうか、と、ブログにメモもしないでこの本も返すことになるのかな、と思い始めていた。

8)運のいいことに、私は病気で苦しんでいる間に、意識の成長と成熟、そして進化と思われることを全部体験しました。生命科学者であった私は、神経についても勉強していましたので、自分になにが起こったのかということを理解したくて、調べ考えました。p195私の神秘体験「人類の未来に向けて」

9)残りの後半、とくに最後部に到って、なにげなく飛びだした「意識」という単語に、ふと気がついた。彼女が描こうとしていたのは、むしろ、ここからだったのだ。

10)ちょうど、対談のためにいらしてくださった徳の高いお坊様にこの話をしましたら、私のたどり着いた状態は大悟と呼ばれるものだとおっしゃいました。大悟というのは、深い悟りの境地です。p199「同上」

11)この方、他にも著書があり、なにやら気になる本もあるようだ。当ブログが、「意識をめぐる読書ブログ」であらんとするならば、この本に出会ったのは必然であったようにも思う。科学者でありながらこの方もまた「センス・オブ・ワンダー」をお持ちの方である。

12)今すぐみなさんにできることがあります。まず自分の意識レベルを上げるような勉強をしてください。いい芸術に触れることをお勧めします。特に優れた文学を読みよく考えてください。あなたの周囲の人の意識レベルを上げるような会話をして下さい。

 私の生涯の残りの時間は少なくなりました。神経も若い頃のように活発には働きません。これからますます悪くなるでしょう。私の人生の終わりに際して、これから地球に生きる生物に、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。p212「おわりに」

13)この本を書き終えて校正をしているところで、著者は3.11に遭遇した。出版はこの8月になってからではあるが、本文はほとんどが3.11前に書かれたものであり、まさに、この事態を予測したように、そっと静かに書かれた、強力な一冊である。

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 自分のブログを見ていたら、彼女の翻訳本をすでに読んでいたことがわかった。

  「よく生きる智慧」柳澤 桂子 2008/12 小学館

 読んだ当時の感触はあまりよくなかったようだが、ここにメモしておく。2011/9/19

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野草で楽しむ散歩術 岡本信人

【送料無料】野草で楽しむ散歩術
「野草で楽しむ散歩術」 
岡本信人 2010/04  ぶんか社 単行本 175p
Vol.3 No.0458★★★★☆

1)もし自分がいつも散歩しているすぐそこの街角で「ECOシティ」プロジェクトが進行中なのだとするならば、白隠禅師がいうごとく、当処即ち蓮華国、この地を離れてどこかに行こうとする必要などない。

2)そう思うと、歩く道端の草たちでさえ、なにやら親しく話しかけてくる。

3)野草を採るには、いったいどこに行ったらいいのでしょう? 登山靴を履いて、ステッキやコンパスを持って、始発電車に乗ってどこか山奥まで行かないといけないのでしょうか? 山菜やキノコを採るならば、そういうことも必要になるでしょうが、野菜採りの場合はそんなに身構えることはありません。家からほど近い、街角にもたくさんの種類の野草を見つけることができるのです。p16「街角、土手、小川、さまざまな場所で野草を採ろう!」

4)著者は、野草を見て楽しむばかりか、採ってきて食べてしまう達人である。野草とはいても毒草もあり、アクもある。除草剤がかかっているかもしれないし、犬たちのマーキングの場所に生えていたかもしれない。私は、そう簡単に野草を食べる気にはなれない。

5)とは思ったが、よくよく考えてみれば、我が家の駐車場の脇の小さな空き地にも、フキノトウやブルーベリー、コンフリー、シソ、ローズマリー、セイジ、タイム、ホワイトベリー、トウガラシ、などなどが生息している。その幾つかは、わが食卓に毎年載っているのだった。

7)この本は全頁アート紙にカラー印刷されていて、きれいな図鑑になっている。図鑑をみただけでは、なかなか見分けることはできないが、すくなくとも、このような感性を持って散歩することができれば、なお楽しいだろうな、と思う。

8)ECOシティなんていう「ホトケ」ばかり作っても、そこに住む魂をも考えないといけない。此の身即ち仏なり。なにか素晴らしい存在を求めることではなく、自らのなかに神秘をみつけていくこともまた、ひとつの「センス・オブ・ワンダー」ではあるだろう。

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センス・オブ・ワンダー レイチェル・L. カーソン

センス・オブ・ワンダー
「センス・オブ・ワンダー」 
レイチェル・L. カーソン (著), 上遠 恵子 (翻訳) 1996/07 単行本: 60p
Vol.3 No.0457★★★★★

1)子どもたちの世界は、いつも生き生きして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

 もしもわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。p23

2)もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても、親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。

 例えば子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。

 子どもと一緒に風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと。そうした音に耳をかたむけているうちに、あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。p26

3)人間を超えた存在を意識し、おそれ、感嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法にすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。

 わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活の中で苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなるよろこびへ通じる小道を見つけ出すことができると信じます。p50

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2011/09/14

自衛隊もう1つの最前線 3.11東日本大震災ドキュメント 毎日ムック

【送料無料】自衛隊もう1つの最前線
「自衛隊もう1つの最前線」 3.11東日本大震災ドキュメント
毎日ムック  2011/06  毎日新聞社 ムック 96p
Vol.3 No.0455 ★★★★☆

1)自衛隊を最初に意識したのは小さな子ども時代だろう。街道を隊列を組んで走っていく自衛隊の車列を見送りながら、ばあさん達から、悪いことすると連れていかれるぞ、と脅かされたものだ。自衛隊は怖い、という意識を刷り込まれていたといえる。

2)しかしそれは、悪いことをするとお巡りさんがくるぞ、と脅かされるのと同じことで、鬼がくるとか、なまはげがやってくるなんていうのと、同じような効果が狙われていたのだろう。

3)最初にヘリコプターに乗ったのは、中学生の時。友人の父親が航空自衛隊に勤めており、その航空祭のイベントで乗せてもらったのだった。初めて自分の生まれた家を空からみた。

4)同じころ、博覧会で自衛隊の活躍ぶりを見た。ゴムボートで水難の住民を救っているようなパネルが展示されており、自衛隊とは、そのような活動をする団体だと思っていた。

5)高校になると、70安保の反戦ムードが高まった。高田渡の「自衛隊に入ろう」という歌がはやった。皮肉な歌だったが、ひょっとすると、今、この唄を聞いても、この歌詞のまま受け取る若い人たちがいるかもしれない。いまじゃ、皮肉の意味をなしていないかも。

6)成人して、カウンセリングを学んだ時、協会から派遣されて、自衛隊駐屯地の嘱託外部カウンセラーとして、5年間、駐屯地に通ったことがある。ゲートで「先生」と呼ばれ、基地内で、隊員や家族のカウンセリングを担当するのは、ちょっとこそばゆかった。

7)自衛隊やお巡りさんになろうと思ったことはないが、子供たちの就職を考えていた時、公務員志向が強くなり、自衛隊になりたいという希望が増えていることを知った。

8)今回、3.11の復旧作業のなかで、着実に地道に活動する自衛隊の皆さんの姿をあちこちで拝見した。すなおに、ありがとうございます、と頭が下がった。

9)佐々淳行「自衛隊は嫡出子になった」p44などは、ちょっとオーバーかなとは思うが、とにかく自衛隊は難しい位置にある。

10)ボランティア活動などもおおきく取り上げられているが、自衛隊のような組織的な活動があってこその復旧復興活動だった。お仕事とは言え、ごくろうさまです。ありがとうございます。

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ECOシティ 環境シティ・コンパクトシティ・福祉シティの実現に向けて 丸尾直美他<1>

【送料無料】ECOシティ
「ECOシティ」 環境シティ・コンパクトシティ・福祉シティの実現に向けて <1>
丸尾直美/三橋博巳他 2010/05  中央経済社  単行本 246p
Vol.3 No.0454 ★★★★☆

1)3.11被災地の復興案として、エコシティ、エコタウンの文字が躍る時がある。その傾向性、そのニュアンスから、私などは率先して耳をそばだてたくなる。一体、それはどんなことなのだろう。

2)本書は、魅力あるECOシティの構想であり、その実現を目指す。それは

(1)環境にやさしくて、公害がなく、景観が美しい環境シティである。

(2)福祉に配慮して、人々が住みやすい環境を整えた福祉のまちである。

(3)便利で経済的に効率的な職住近接のふれあいのあるコンパクトシティである。 p1「はじめに」

3)当ブログにおいては、このジャンルの本を「エコビレッジ」というカテゴリでひとまとめにしようとしている。ビレッジであろうと、シティであろうと、タウンであろうと、エコと称されるかぎり、それほど大きな違いはないだろう、と、ざっくりとまとめている。

4)この概念において、読書を進めようとするのだが、必ずしも関連書籍は多くない。ましてや3.11以降となると、網羅的で再録的な記録はあるが、まだ具体性に欠き、説得性に不足しているものがほとんどだ。この本は3.11以前、ちょうど一年前に発行された本である。

5)海外の事例なども多く紹介され、国内の試みなどもいくつか紹介されている。形式としては、5人の学者によるオムニバス状なので、すこし学術的で、読み物としては堅苦しい。

6)「コンパクトシティ--東北からの挑戦--」として、13程の市町村名が上がっている。青森県三沢市や、岩手県久慈市とともに、わが宮城県仙台市も紹介されている。

7)3.11においては、これら多くの自治体が被災している。とくに岩手県久慈市などは、大打撃である。私もその現地の状況をかいま見ることができたが、ただただ言葉を失うだけだった。

8)しかし、もし3.11以前から、このようなECOシティづくりに着手していたとすれば、復興案では必ずや積極的な提案がされるはずであり、今後のその経過を期待を込めて見詰めつづけていきたいものだと思う。

9)(あすと長町)
 仙台都市圏南部に位置する長町は、仙台市基本計画において、仙台を支える広域拠点として位置付けられている。その中核を担うのは「あすと長町」である。

 あすと長町は、生活拠点機能と芸術、文化、産業などの高次な都市機能が集積する複合型の広域拠点の形成を目指した土地区画整理事業であり、施工者は独立行政法人都市再生機構である。

 中心となるJR東北本線の長町駅の東口には、交通の要所として駐輪場や、バス、自家用車の乗り換え機能を集約する交通広場が整備される予定である。

 2006年度には都市づくりの基本的な方向性の方針として、「創造と交流 仙台市都市ビジョン」が策定された。ここでは、(1)「創造都市」、(2)交流都市、(3)機能的集約型都市の形成、(4)「杜の都」の再構築、の4つの基本的な方向性が示されており、持続的な発展が可能なコンパクトな都市構造への転換を勧めることが必要であることが指摘された。p147「コンパクトシティ--東北からの挑戦--」

10)期待せずしてこの町の名前がでたのはうれしい。あすと長町についての、私の個人的な印象は次のとおり。

11)そもそも元国鉄の貨物列車操作場の資産売却にともなう広大な敷地と近隣の乱開発の住宅地との連動した区画整理事業であり、その動きはすでに30年の歴史がある。

12)JRや地下鉄網に隣接した広大な敷地は、他に多くなく、副都心構想のなかで、老朽化した市役所を移転する計画もあった。

13)バブル期からの計画で、一時、コンサートホールなども案としてはでていたが、立ち消えになった。今では、その一角に、老朽化した私立病院の移転が決まっているようだが、着工の槌音はまだ聞こえない。

14)遺跡発掘調査などもあり、広軌道の幹線が開通したのは、ほんの数年前のことである。区画整理された広い土地の入札が行われたが、この数年の度重なる不況のなか、入札はなんども不調となって、いまだに販売先がきまらない大型土地がごろごろ余っている。

15)したがって、土地の販売金をあてにした区画整理事業は、遅々としてすすまず、一時は、怪しい中華街の高層ビル導入の話まででてきたが、さすがにこれは中止になった模様。

16)そんなこんなしているうちに、あちこち狭いところから虫食い的開発が進んでおり、かならずしも、本書におけるECOシティとか、コンパクトシティなど、絵に描いたようなプランが進んでいるとは思えない。

17)そして3.11。仙台市としては、若林区の沿岸部が大きく被災した。沿岸部に建てることができなかった仮設住宅は、区を超えた太白区のこの土地に何百件かが設置されることになった。

18)仮設住宅は、法的には2~3年でなくなることになるのだろうが、場合によっては、もっと長期化する可能性もある。

19)しかしながら、考えてみれば、3.11以降におけるコンパクトシティ構想が議論されるとするならば、この「あすと長町」における実体調査は、なかなか興味深いものになるのではないか、と思える。

20)実は、この地域は、1級河川を挟んだ、わが住まいの隣接地域にあり、いつもお世話になっている公立図書館はこのエリアに存在している。

21)いつもウォーキングでこのエリアを通りながら、どんな町ができるのかな、と楽しみにしているのだが、そこに「ECOシティ コンパクトシティ」などのコンセプトが入っているとすれば、これから何年、何十年とかけて見詰めつづけていく価値はあるな、と思い始めた。

22)「創造と交流」の文化機能とうまくマッチするかどうかはともかくとして、実はこのエリアの隣接地域にあのダダイスト糸井寛治が住んでいる。知る人ぞ知る存在だけに、すでに90歳にならんとするダダカンではあるが、最後の最後のパフォーマンスを、このエリアの「文化的施設」で、いつか披露してくれるのではないか、と心密かに待ち望んでいる(怖れおののいてもいるw)。

23)この本は、3.11より1年前に、それぞれの研究経過発表の場を作った、というような本なので、あまり今日的ではない。三沢市や久慈市などの被災地の再調査なども含め、今後の長期的なアドバイスと調査が期待される。

<2>へつづく

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地域発・防災ラジオドラマづくり 知恵と絆で高める防災力 長坂俊成他

【送料無料】地域発・防災ラジオドラマづくり
「地域発・防災ラジオドラマづくり」 知恵と絆で高める防災力
長坂俊成/坪川博彰 2011/03  日本放送出版協会 単行本 204p
Vol.3 No.0456★★★★☆

1)発行年月日はまさに2011年3月になっているが、巻末の「おわりに」が書かれているのは2月28日。まさか、その直後に、3.11大震災が起ころうとは、本の制作に関わった人たちにとっても、思いもよらなかっただろう。

2)震災直後に避難所に行くと、数少ない情報の中で、被災者たちは、自分たちの地域のニュースが少ないことに憮然としていた。外から見ていると必ずしもそうではないのだが、当事者たちにとってみれば、もっと密度の濃い情報が必要だったのだ。

3)他の地域などどうでもいい、とまでは言わないが、今、眼の前の問題について知りたいという要望を、マスメディアは叶えてくれなかった。

4)数週間すると災害地域FMが各地で立ち上がり始めた。被災地においては乾電池携帯ラジオは必需品だ。ケータイやスマホのワンセグはすぐに乾電池がなくなりやすい。ラジオは片手間に長時間聞いていることができるし、情報が細かい。

5)さて、この本は、防災FM局のたち上げ本ではない。平常時に防災意識をたかめるためのシュミレーションを、ラジオドラマ作りの中でやろうということである。

6)山下 私が避難所施設の山下です。避難施設の安全は確認いたしました。中につめて入ってください。

小野 まず上の倉庫からゴザを出して場所を決めますので、手伝ってください。

森川 俺たちは家が壊れている訳ではないし、余震が恐く、電気、水道も食糧も準備してないので、ここに来ただけで寝泊まりする訳でもない。大東町内会はまず鵠中に行けと言っている。もらいにきただけだ。上から重い物を持って来るのはやりたくない。

小野 非常時なので、あなたのような若い力が必要なんです。お願いします。

・・・・・・・・ p92「防災ラジオドラマの事例紹介」

7)私たちも3.11の夜一晩だけ避難所の小学校の体育館にお世話になったが、実は私たちの地区でも似たようなトラブルがあったようなのだ。あとから回覧板がまわって来て分かったのだが、実は、私たちの地区は、小学校の体育館に避難する前に、いちど地区の児童公園にあつまり、町内会の役員の先導で団体で小学校にいくことになっていたのだ。

8)かたや、小学校の方では、どんどん校庭に車で避難する人たちがやってきて、それを見かねた小学校の校長先生が、体育館を開けてしまったという。実際は、防災担当者の要望で小学校の先生が体育館を開けるという順番になっていたのだ。

9)今となっては、どちらが正しいかはわからない。私は児童公園にいくことなど考えていなかったし、実際、児童公園で集まっている人たちなどいなかった。なにはともあれ命が助かればいいのだが、しかし、これはもっと事前から話し合っておくべきだったことなのだろう。

10)私たちの地区では、非常時の炊き出しのシュミレーションを兼ねて、毎年、芋煮会を公園でやっていて、それは大いに役立った。避難所の開設などについては、この本に書いてあるような防災ラジオドラマの脚本づくりなどをやっていれば、もっともっと非常時の手続き順番をみんなで確認できていたかもしれない。

11)なるほど、こういう防災力もあるんだな。

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原子力事業に正義はあるか 六ケ所核燃料サイクルの真実 秋元健治

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「原子力事業に正義はあるか」 六ケ所核燃料サイクルの真実
秋元健治 2011/06 現代書館 単行本 277p
Vol.3 No.0453★★★★★

1)この6月に刊行された本ではあるが、以前より企画されていた本で、特に青森県・六ヶ所村、なかんずく核燃料サイクル基地についての長期間にわたる歴史のレポートである。

2)巻末の11頁にわたる「年表」を見ただけでも、その屈折した歴史が浮かび上がる。1962年から2011年までの40年間にわたり、六ヶ所村で展開された事どもは、いち辺境での出来事、として片づけられない、国家的な「策謀」が渦巻く記録と言える。

3)今日、あえて原子力というシステムで電気をつくりだす必要はないし、放射性廃棄物をリサイクルしてまた使おうなどというできもしない構想に執着し続ける価値もない。原子力に関係した広範な産業で職についている人びと、原子力施設の懐柔策としての金を生活の糧としている人びとのうえにも原子力災害の脅威がおよぶことを忘れてはいけない。

 すでに日本の経済社会に強固に組み込まれた原子力であるが、その方針の転換が模索されるべきだし、それは可能なことだ。原発や核燃料サイクルについての正しく客観的な理解が、その第一歩となる。p275「おわりに」

4)今日において、電気をつくるのに、原発でなければいけない、ということがないかぎり、その事業に正義があるわけでない。

5)技術的に、その廃棄物の処理が、人類の手には負えない、という事実が判明しているかぎり、この事業に正義があるはずはない。

6)反対運動をする人々の勢力を押し切って、矛盾と差別と謀略において推進される事業に、正義があるはずがない。

7)地震国日本において、どのような人智を配置したとしても、それを上回る天の配剤があるかぎり、天に唾するビジネスモデルに、正義などあるわけがない。

8)これほどの結果を見ているのに、なお、延命を図ろうとする原発推進派に、心ある人間の生命を感じることはできない。すでにモンスター化した人間もどき達に、正義を持たせるわけにはいかない。

9)1991年、六ヶ所村での反核いのちの祭りに、子どもたちと参加したことがある。

10)あれから20年。いまだに六ヶ所村問題は解決しない。何が足りなかったのだろう。なぜに、こんな不正義がいつまで続くのだろうか。

11)ふと気付いてみれば、身内のものが、六ヶ所村ちかくの大きな公立病院の責任者になっていた。3.11では、やはり別の身内のものが南相馬市の病院に勤務していた。なんという配剤。決して他人事ではない。無関心であってはならない。

12)国家権力 NO!

 人種差別 NO!

 絶望 NO!

 憎しみ NO!

 必要なものはやさしさ 

13)原発震災。すでにそれはじまってしまった。だが、これは終わりではない。次から次へと、その危険は、すぐそこまで迫っている。

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FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン 広瀬隆

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「福島原発メルトダウン」 FUKUSHIMA
広瀬隆 2011/05 朝日新聞出版 新書 238p
Vol.3 No.0452★★★★★

1)この2ヵ月弱の間、気を取り直して、なんとか震災関連の書物に目を通してきた。地震・津波関連で10冊ほど、原発関連で20数冊放射能関連で20冊弱サバイバル関連で10冊強、そして、その救いとして、太陽光発電関連が20冊弱エコビレッジ関連が20冊弱、これらを、ふらふらと読みこんできたわけだが、その「努力」もこの一冊でぶっ飛んでしまうようなインパクトを感じる。

2)いやいや、これまで読み込んできた「予備知識」が役だっていると考えれば、決して無駄ではなかっただろう。ただ2010/08にでた著者による「原子炉時限爆弾」と本書の間に3.11を挟んで考えれば、本当に恐ろしいことが起きてしまったのだ、という脱落感がますます強くなる。

3)本を読む「面白さ」で言えば、前世期後半、一世風靡した五島勉の「ノストラダムスの大予言」に匹敵する筆致である。五島勉のほうは、世紀末が近付き、結局は「破局」が明確にならないまま、いつの間にか姿を消して、雨散霧消してしまった。だが、広瀬隆のほうは、ますます信ぴょう性を増すどころか、ずばりその「大予言」が当たってしまった、ということになる。

4)そしてまた、さらに恐ろしいことには、広瀬隆の「大予言」はまだまだ序曲に過ぎないのである。

5)----「10年後に、日本という国があるだろうか」と尋ねられれば、「かなりの確率の高い話として、日本はないかもしれない」と、悪い予感を覚える。・・・・・この先にはまったく報じられない、とてつもない巨大な暗黒時代が待ち受けているのだ。その正体は、想像したくもないが、人知のおよばない地球の動きがもたらす「原発震災」の恐怖である----p13「原子炉時限爆弾」からの引用部分

6)私は著者の本をまともに読んだことはない。かつて「赤い楯」(1991)というロスチャイルドの謎を追ったかなり分厚い上下本を購入したが、結局は挫折して、いまでも書棚に飾っている、という始末である(汗)。

7)かなりの信ぴょう性はあるのだが、結局は陰謀論をおっかける読書には限界があり、数年、はまったものの、早々に切り上げた記憶がある。

8)だからどうしても、そのイメージの関連で著者を見てしまう部分があり、多少は間引いて読まないと、不用意に巻き込まれてしまう危険性を感じる。

9)政府や保安院や、放射線専門家と称する御用学者たちは、「流言蛮語に気をつけてください」、「デマを信用しないでください」と発言して、”放射能安全論”をあらゆるテレビ局を通じて、何度も何度も国民に語りました。p100「放射能との長期戦」

10)著者の本が流言蛮語やデマであると名指しで指摘されたわけではないが、上の発言をしたような人物たちは、暗に著者の存在をうとましく思っていたことは間違いない。

11)流言蛮語を垂れ流し、デマを飛ばしていたのが、菅直人内閣だったと認めたのです。これは、国民の健康、とりわけ幼い子供たちや青少年に対して、彼らを守るべき政府として、おそるべき重大な、取り返しのつかない犯罪です。p100「同上」

12)流言蛮語やデマの定義はまず置くとして、著者の震災後2カ月におけるこの発言を、震災後6カ月経過した現時点で比べてみれば、広瀬隆の大予言のほうが、むしろマトモな指摘であった、といえる部分は多い。

13)地震は大地の動きであり、大地とは地球そのものです。そこで、地震を知るためには、まず地球の構造を知る必要があります。p113「巨大地震の激動期に入った日本」

14)あまりの複雑に入り混じった震災の爪跡に、当ブログでは、まずは、地震・津波と、原発・放射線を二つに分けて把握しようとしてきたが、著者においては、「原発震災」として、ひとくくりになっている。原発が危ないのは、人為的ミスとか、経営的破綻とかではなく、地震があるから原発があぶないのだ、というワンセットなのである。

15)地震の激動期にある日本列島では、福島第一原発事故が「最後の原発震災」なるどころか、むしろ、次の原発震災が起こる可能性のほうが、はるかに高い。その筆頭候補に挙げられているのは、やはり浜岡原発です。p138「同上」

16)この大予言が、ノストラダムスのようにメタファーやファンタジーであって欲しい、とさえ願う。

17)福島メルトダウン事故後に、謝る人間が出ていますが、謝ってすむことではありません。とてつもなく陰湿な、まったく安全性を考えていない集団です。国民の命より、原子力産業が存在することによって金もうけを考える人間たちが、みな、原子力専門家として大学教授をつとめ、放射線の専門家として、たった今も、大嘘を語り続けています。p148「『浜岡原発』破局の恐怖」

18)当ブログにおいては、3.11を天地人と捉え、天としての地震・津波、地としての原発・放射線を捉えてきたが、人としての問題点では、このような、命より金や国家を優先しようとする生き方を糾弾したい、と思っている。

19)浜岡原発は即刻、止めるべきです。議論をしている時間はありません。大地震の到来は、刻々と迫っています。全国の原発54基はすべて地震の危険性のある場所に立地していますが、その危険度・緊急度において浜岡原発以上のところはありません。東海地震がごく近い将来起こることは、100パーセント間違いない事実だからです。p160「同上」

20)浜岡原発に津波用の防御壁をつくって再開するなど、著者にとってはまさに無知そのもの、ということになる。

21)放射能汚染地帯に走るプリウスなど、何の意味もありません。ほとんどの日本の企業経営者は、あまりにも基本的な思考力が欠けています。もうすでに、原発の深夜電力に依存する電気自動車の未来は、オール電化住宅と共に、完全消滅しました。p161「同上」

22)先日、わがプリウスを駆って、東電原発から20キロ圏の「放射能汚染地帯」まで走ってきたが、個人的には、意義なる体験ではあったが、まさに後の祭りとなってしまった。電気自動車はこれから開発は続くだろうが、取ってつけたような「オール電化」はたしかに妥当性を失い始めている。

23)ソフトバンクの経営者である孫正義氏は、原発反対の見解を表明しています。これが、最も自然な人の発想です。p161「同上」

24)ネット上では、孫さん、と尊称をつけてまでもてはやされている人物ではあるが、当ブログでは必ずしも評価は高くない。広大な農業地帯に太陽光パネルを展開するような計画は、地元としては滑稽に思える。光だけがほしいのであれば、もっと農業に適さない地域に展開すべきだと思う。

25)日本に原発は、まったく必要ないのです。マスコミに流布するド素人のような無知な停電論議は、もういい加減にやめるべきです。日本人の生活と企業に必要なのは、原発でも放射能でもなく、電気なのです。原発ばかりを宣伝して国民の生活を脅かし、テレビ界を支配して、なおかつ政治家の腐敗、官僚の腐敗をはびこらせる電力会社に頼らずに、電気が使えるようになるなら、それほど好ましいことはないと思いませんか?

 今、日本人が助かるために急いで求められているのは、この国民一人ずつの意識の改革なのです。事実を知ることです。p227「完全崩壊した日本の原子力政策」

26)実際にはひとりひとりの国民には決定権も実行力も与えられていない。せいぜいネットでつぶやくか、直接デモで叫ぶくらいでしかない。

27)原子力と人間が共存するということは、地球科学から考えて、あり得ないことなのです。p237「同上」

28)たしかにそう思う。

29)絶望的になってはいけません。原発を全廃すれば、私たちに、初めて新しい未来の日本が輝き始めます。p237「同上」

30)脱原発で全てが丸く収まるとは思わないが、脱原発できれば一段はクリアすると思う。しかしながら、「廃炉」に向けての道すじは長い。私たちの世代は一生この問題と付き合っていかなくてはならない。

31)立て板に水の、あるいみ香具師的な論法だが、当ブログは「一人ずつの意識の改革」の上からも、当ブログなりに思索を深めたい。

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2011/09/13

脱原発。天然ガス発電へ 大転換する日本のエネルギー源 石井彰

【送料無料】脱原発。天然ガス発電へ
「脱原発。天然ガス発電へ」 大転換する日本のエネルギー源
石井彰 2011/08  アスキー新書/角川書店  新書 191p
Vol.3 No.0451★★★★☆

1)3.11以降、原発に代わる代替エネルギー論議が盛んに行われているが、基本的には専門家たちが責任を持って実体ある変革を遂げていけばいいわけで、それが巨大なプロジェクトであればあるほど、一市民、ひとりの地球人として関われる範囲など、どんどん遠く離れていく。

2)それをいいことに、この期に及んでも原発推進派のゴリ押しはいまだに続いており、他の勢力にしても、結局はパワートリップの繰り返しとなっており、一市民としては、何が何やらわからん、というのが正直なところだ。

3)原発がこれまで担ってきたエネルギーの代わりになるのは何か? 太陽光発電や風力発電など再生可能エネルギーばかり注目されているが、経済性を無視した空論が多すぎる。低コストで、しかもCO2排出量の少ないエネルギーは、天然ガスを使った火力発電しかない。表紙見返し

4)ああ、そうですか、それではお任せしますので、そのようにしてください。となってしまう。

5)太陽光発電システムを我が家に導入する場合、どれだけのコストがかかるか数社の見積りを、現場を見た上で作ってもらった。正直に言えば、どこも似たようなもので、はっきり大差はないと言える。

6)車で言えば、軽自動車なら、ダイハツにするのか鈴木にするのか、はたまた本田か三菱か、という悩みになるだけだ。軽がいやなら、リッターカーか3ナンバーか、と選択肢を広げてはいけるが、あとは予算枠をどれだけとれるかにかかってくる。

7)だが、探せば、一定程度のパワーを持っていながら、技術革新でより安価なシステムもないわけではなく、CISの通販扱いチャネルなどは、コストキラーでなかなか魅力的ではある。

8)しかし、それも、太陽光などほとんど効果ないよ、と言われれば、最初っから考えるだけムダなわけで、では、エネルギー問題はすべてあなた様にお任せします、と丸投げしておくことにこしたことはない。

9)日本は今後、エネルギーをどう利用していくべきか。私が考える最も有効な策は、実は「省エネルギー」である。皆さんは、省エネルギーと聞くと、「これ以上の節電を強いるのか」とお怒りになるかもしれないが、実は、日本にはまだ十分な省エネをする余地が残されている。
 日本には、電気を発電している電力会社など、エネルギーの供給サイドに膨大なエネルギーの無駄遣いがあるのだ。
p162「省エネは再生可能エネルギー以上にCO2削減に貢献する」

10)エネルギーの無駄遣いシステムは、高度成長期からバブル期への「使い捨ては美徳である」文化が抜け切れていないからで、日本のような無駄遣い国家は多いに反省しなければいけない。無駄遣いさせることによって「成長」する経済モデルなど、とにかく早く脱却しなければならない。

11)家庭用の燃料電池コージェネシステムは、エネファームの商品名ですでに販売されている。エネファームは、都市ガス・LPガス・灯油などから水素を取り出して発電する燃料電池(中略)。

 ただ、エネファームの泣き所はやはり価格だ。エネファームで1台当たり300万円前後の初期投資がかかる。エネファームの場合、100万円程度とかなり高額な補助金はでるが、それでも約200万円程度の負担は必要。個人の家庭で導入するには、若干敷居が高い。広く導入されるためには、もう一段、二段の価格低下が必要だろう。p183「これからのエネルギー需給。世界、そして日本の進路は?」

12)阪神淡路大震災の翌年に我が家を改築した時に、導入を考えた太陽光発電システムは、今のエネファームのような状態にあった。300万に対して100万の補助がでた。ローンの支払いがさらに増えるわけだから、大変な重圧だが、あの時、導入していたら、初期投資は回収しただろうか、と考えてみる。

13)金利や使用状況、売電システムを総合したとしても、まずはトントン。自己満足はできるが、経済的には大きなメリットはなにもなかった、と言える。

14)当ブログは、もともとは「意識をめぐる読書ブログ」である。ひとりの人間として何ができるか。とくに精神性を高める上で、どのようなライフスタイルが求められるのか、というあたりを探っている。

15)本書のような天然ガスに対する期待感などは、その話を聞いてみれば分からないわけではないが、ああ、そういう立派な方法があるのなら、お任せします、と言いたくなる。

16)もっと言うなら、分かっているなら、さっさとやってくれ、とさえ言いたい。少なくとも、個人ではどうしようもない世界のことである。

17)広瀬隆は、原発問題と、電源問題は切り離して考えてくれ、と言う。原発はとにかく直ぐ停止。停止しても現在のままで電力は不足しない。とにかく原発は危険である。そして、将来に対する電源問題は、あとでゆっくり議論して、すこしづつ安全なシステムを作って行けばいい、ということになる。

18)そう言った意味では、天然ガス発電は確かに、大きな切り札である。

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19)9月14日夜、テレビのニュースで、東京都が東京湾に原発一基分の発電量を持つ天然ガスの発電所を設置する計画を立てたという。国に対するイニシアチブをとるためだとか、送電線の問題で電気量が30%上がるとか、東京の6%の電気量を賄えるだとか、断片的なニュースだったが、良いニュースだと思った。

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「脱原発」成長論 新しい産業革命へ 金子勝

【送料無料】「脱原発」成長論
「『脱原発』成長論」 新しい産業革命へ
金子勝 2011/08 筑摩書房 単行本 187p
Vol.3 No.0450★★★★☆

1)広瀬隆のような人に言わせると

・すべての原発をいますぐ止めろ

・原発を止めても電力は不足しない

・原発を止めても今のままのライフスタイルを維持できる

・あれこれ議論している場合ではない

・一般人が危険を感じないのは情報が開示されていないからだ

・代替エネルギーで有効なものはほとんどない

・今のまま、とにかく原発をとめるべきである

ということになる。充分な読み込みではないが、一読者としてはそう読める。

2)それに比して、まずはこちらの金子勝の本は、タイトルからして「成長論」とある。そもそも脱原発を語るのに、「成長」をセットアップしなければならないところが、ちょっとさびしい。また「新しい産業革命へ」のサブタイトルもまた、多少は受けを狙ったコピーだろうが、これをセットしないと、「脱原発」を語れないのだろうか。

3)ガレキの山が散在する東北沿岸部の街々は、防災機能を強化したうえで世界最先端のスマートシティを目ざした町作りを行う。港や海岸には風力発電や太陽光発電を設置し、中山間地にはバイオマス発電や小水力発電を普及させる。そして、いち早くスマートグリッドによるネットワーク型送配電網を整備するのである。p167「東北スマートシティを」

4)なかなかの上から目線である。その案に必ずしも反対するものではないが、では、誰が、何時まで、どんな方法で達成するか、が問われてくる。すくなくとも、大学やマスコミで活躍する程度の存在に、それだけの責任ある案を実行するだけの力はあるのか。

5)こんな人に「ガレキの山が散在する東北沿岸部」などと一言で片づけてもらいたくない。私なら、まずは「限りなくゴミを排出し続ける首都圏」をまずは「スマートシティ」にしてほしいと思う。東京の街の中に、風車を立て、小水力発電を設置せよ。全ての建物に太陽光発電システムを導入し、スマートグリッドによるネットワーク型送電網を整備する必要があるのは、まずは首都圏だ。

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原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島<1> 広瀬隆

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「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島<1>
広瀬隆 2010/08  ダイヤモンド社 単行本 308p
Vol.3 No.0449★★★★★

1)日本における反原発・脱原発思潮の急先鋒。あるいは世界においても有数な論客でもあるだろう。

2)「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」。この本が出たのは昨年の8月。今となっては、単なる時限爆弾だったらよかったのに、とさえ思う。火力発電所とか、石油コンビナートが時限爆弾で破壊されたりしても、これだけの恐怖は巻き起こさなかっただろう。

3)なぜこれほどまでに原発が蔓延してしまったのだろうか。「いのち」が優先なのか、「国」が優先なのか。

4)正直言って、一年前にこの本をまともに読めるほどに私は危機感をもっていなかった。今だって、よくわからないというのが本当だ。専門家や技術者たちが、きちんと運営してくれていたら、なにも私のようなドシロートがこのような専門分野に首を突っ込む必要などないだろう、と思っていた。

5)彼は、代替エネルギーさえ考える必要ないという。すぐに原発は止めることができるし、止めなければならない、という。

<2>につづく

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2011/09/12

福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと 山本義隆

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「福島の原発事故をめぐって」 いくつか学び考えたこと
山本義隆 2011/08  みすず書房  単行本 101p
Vol.3 No.0448★★★★★

1)山本義隆。知る人ぞ知るビックネームである。世が世ならば、菅直人に代わって首相になったかもしれない人物だ。すくなくとも、右大臣くらいにはなっていただろう。その「業績」については詳しくは知らないが、私の把握は、元「反乱軍の総大将」だ。

2)その彼は、どうやら反乱軍「未遂事件」のあとは、予備校の教師として長く務めてきているようだ。山尾三省なども一時予備校教師として生計を立てていたが、私個人は、そのようなライフスタイルを好まないばかりか、予備校という存在そのものを認めたくない。(しかし、これは個人的な極論であろう)

3)みすず書房の編集部から雑誌「みすず」に原発事故についてなにか書いてくださいと依頼され、なんとか原稿を書いたのですが、すこし長くなってしまいました。連載にでもしてもらえるかと思っておそるおそるお渡ししたのですが、いっそのこと単行本にしましょうと言われました。そんなつもりは毛頭なかったので少々面食らったのですが、有難くお受けいたしました。2011/07/24 p101「あとがき」

4)「福島の原発事故をめぐって   いくつか学び考えたこと」のタイトルどおり、この本は、体験をもとに書かれたわけではない。巻末に「註」として残されている50冊あるいはそれ以上の参考文献を読みこみながらの所感である。

5)逆に言えばまた、当ブログも同じような作業のサイクルに入ってしまっている。当ブログは、なでしこジャパンのワールドカップ優勝のあとに読み込み始めたのだから、圧倒的に少ないが、それでも、巻末の参考文献は、すでに当ブログで読みこんだ本と一部重複している。

6)当ブログがこのまま読み込みを続ければ、多分、読書人としては、ほとんど著者と同じような意見にたどり着くはずなのである。

7)端的に、日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワー・ポリティックスから生まれたのであった。岸(信介)にとって「平和利用」のお題目は、鎧の上に羽織った衣であった。p12「原子炉平和利用の虚妄」

8)そもそもの1953年あたりからの始まりを押さえておく必要がある。

9)とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。p24「その後のこと」

10)このようなまともな、的を射た思想がなぜ小数派のそしりを受け、傍流として無視されてきたのだろうか。政治的な立場は異なれど、菅直人のような瞬間的政治的なトップに立つ存在が日本に生まれながら、その政治力学を充分使い切れなかった事態に、著者はどのような想いを持っているだろう。

11)原発周辺に住む何万・何十万のという人たちにたいして、原発という未完成技術の発展のための捨て石になれという権利は誰にもない。そもそも福島原発周辺の人たちは、その受益者ですらないのだ。p58「基本的な問題」

12)この辺は贔屓の贔屓倒しであろう。後半で福島県知事を18年務めた佐藤栄佐久にも触れているが、長年、地方自治体の長として、その策謀を事実上「容認」してしまった事実は残る。容認せざるを得ない小さな自治体は全国に山とある。

13)いわゆる反乱軍のアジテーションは分かりやすい。直接聞くものの情動に訴えかけてくるがゆえに、どこかデフォルメされている論理が多い。もし、著者がこの国の首相に上り詰めることがあったとしたら、さて、菅直人より、もっと素晴らしい政治家であっただろうか。

14)「技術が自然と競争して勝利を得ることにすべてを賭ける」と語るベーコンにとって、自然研究の目的は「行動により自然を征服する」ことにあった。これは1602年の「ノヴム・オルガヌム」の一節であるが、そこには「技術と学問」は「自然にたいする支配権」を人間に与えるものと明記されている。p66「化学技術の出現」

15)アリストレスの「オルガヌム」、ベーコンの第二の「オルガヌム」、ウスペンスキーの第三の「オルガヌム」(ターシャム・オルガヌム)、を思い出した。

16)福島県の前知事・佐藤栄佐久は、プルトニウムをふくむ燃料(MOX)を福島原発の通常炉で燃焼させる国のプルサーマル計画を一度は認めたが、その条件を東京電力と国に反故にされ、以後、原発推進に反対を表明し、国の政策に抵抗し、東京地検特捜部により汚職事件をでっち上げられ政治生命を断たれた。p83「原発ファシズム」

17)佐藤栄佐久著「福島原発の真実」は近々読み込み予定。諸説はいろいろあるが、「でっち上げ」とか「原発ファシズム」とか、語意は強いが、そう表現されるに妥当性はある。

18)3月11日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた。

 今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。p91「同上」

19)同感である。

20)日本人は、ヒロシマとナガサキで被曝しただけではない。今後日本は、フクシマの事故でもってアメリカとフランスに次いで太平洋を放射性物質で汚染した第三番目の国として、世界から語られることになるであろう。この国はまた、大気圏で原発実験をやったアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。p93「同上」

21)私には今回の事故を地名で呼び習わすことができない。せいぜい東電原発事故としか言えない。かつのて麻原某が起こした事件を「麻原集団事件」としか言えないのと似ている。私にとっては、それらの呼称はまったく別な意味を持っているのである。

22)こうなった以上は、世界中がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで率先して脱原発、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきだろう。p94「同上」

23)その言やよし。されど、これは「元」「反乱軍の総大将」という立場だから言えるのである。「現」「アメリカ大統領」であるオバマは、「脱原発・脱原爆」でノーベル賞を受賞したが、現実的には、原発推進、原爆路線堅持のスタイルを誇示せざるを得ない立場に追いやられているのである。

24)元「反乱軍の総大将」のアジテーションは分かりやすい。だが、それは反乱軍だからこそ許されるロジックであり、結局は、雑なポピリズムでしかないのではないだろうか。

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2011/09/11

原発廃炉に向けて 福島原発同時多発事故の原因と影響を総合的に考える エントロピー学会

【送料無料】原発廃炉に向けて
「原発廃炉に向けて」 福島原発同時多発事故の原因と影響を総合的に考える
エントロピー学会 2011/08  日本評論社 単行本 238p
Vol.3 No.0447★★★★★

1)3.11を受けて4月27日に行われたエントロピー学会のシンポジウムの収録が基本となってできた一冊。トップバッターの広瀬隆の講義がするどくえぐる。

2)4号機の主任生計者が田中三彦さんです。田中さんは私の親友です。田中さんは日立を退社して、原子炉の危険性を技術面から語り続けています。p8「津波にも地震にも弱かった福島第一原発」

3)当ブログでは田中三彦訳は「量子の公案」(1987)、「スピリチュアル・マシーン」(2001)、「感じる脳」(2005、などを読んできた。彼はもともと原発の人であった。

4)ちょうどその夜(3月13日)、私の友人のフォトジャーナリスト広河隆一さんが病院から電話をかけてきて「大変だ、俺たちが持っていった放射線計測器の針が振り切れた。チェルノブイリよりすごいぞ」というのです。3.4キロも離れているところまで放射性物質が飛んできているのです。p32「福島の事故が生んでしまった大量の放射能被曝者」

5)私はどうも長い間、この広瀬隆と広河隆一の違いがよくわからないできた。まるで、村上春樹と村瀬春樹を長い間混同していたのと同じような現象だった(笑)。

6)図表22は京都大学の小出裕章さんがジョン・ゴフマンの資料をグラフにしたものですが、このグラフのとおり、子どもたちがいちばん危ないわけです。p32「子どもたちや妊婦を被曝から守れ」

7)先日、小出裕章講演会「3.11から始まったこと」に参加してきた。

8)上杉(隆)さんや孫正義さんたちが今手を組んでいろんなかたちで、単なる市民運動でない多彩な活動をしていることに期待しています。p38「原発を止めても電力の心配はいらない」

9)当ブログにおける上杉隆の評価は高くない。また最近はメガソーラーで物議を醸している孫正義についても、よくわからないところがあるので、必ずしもお気に入りではない。しかし、この期に及んで何かをしようとする姿勢はまなばなくてはならない。

10)原発は全部止めてもまったく問題ないのです。停電は起こりません。図表25は元慶応大学の藤田祐幸さんが描いた1965年~2007年までの日本の発電設備容量を示したグラフです。p39「同上」

11)藤田祐幸もう原発にはだまされない」は読みやすく、分かりやすく、説得力があった。これらの人々は、いわゆる「脱原発ネットワーク」で強く繋がっているようである。

12)菅井益朗「飯館村の放射能汚染調査に参加して」p143もなかなか興味深かった。先日読んだ飯館村村長・菅野典雄美しい村に放射能が降った」も、息を飲むような臨場感でいっぱいだった。

13)室戸武「原発廃炉の経済学」p157も生々しい。地球温暖化問題のキャンペーンは、もともとが原発推進が根っこにあったという指摘などは、ほんとに何を信じたらいいのだ、と思わせる。

14)原発推進派からの石川迪夫「原子炉解体 廃炉への道」を読むにつけても、原発廃炉はただ事ではなく、莫大な時間と経費を必要とする。

15)いずれにせよ、よくもわるくも、私などの50歳以上の年配男は、生きている限りは一生、この原発問題からは目を話すことはできないのだ、と覚悟するしかない。

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原発・放射能図解データ  野口邦和他

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「原発・放射能図解データ」
野口邦和・監修 プロジェクトF・文 2011/08 大月書店 単行本 157p
Vol.3 No.0446★★★★☆

1)よくまとまった本である。今の段階では、この本を一冊頭の中にいれておけば、まずは3.11のアウトラインは把握している、ということになる。きれいな図解、イラスト、簡潔な記事が理解を速める。

2)・・・しかし、と思う。この本、本書のために結成された環境問題ライター女性4人からなる集団でつくられている。その後、専門家に監修してもらっている。

3)他の技術書ならともかくとして、こと原発においては、知識や事実の理解が問われるのではなく、自らがどう行動するのか、どう行動してきたのか、が問われる場面が多い。

4)後だしジャンケンで、事故後に私は脱原発派だ、みたいなポーズをとる人は少なくない。このような人々は何の力にならないことが多い。

5)そもそも、自分がどう理解し、どういう意見を持っていようと、日本の電力事情の場合、とにかく原発で作った電力を買わなくてはならないシステムができあがっている。ケータイ電話のように契約会社を選ぶことはできない。

6)100%、地域の電力会社から買電するしか方法はないのである。そのために0:100で、ひとりひとりの意見が圧殺されてきた。脱原発をいくら唱えたところで、原発を減らすことができないファシズムが横行してきたのである。

7)それをいいことに、原発問題に対しては無関心を装ってきた人も多い。そしてまた、事故が起きてから、いかにも良識的な顔をして、原発に対するマトモそうな意見を出してくる人もいる。

8)この本は、よくできた本だと思う。そしてまた、この本の関係者たちも、きっと良識的に行動してきた人たちなのだろうと、推測はする。しかしながら、ものごとは、一冊の本だけが立派でもどうしようもない。

9)今、ここに来て、人間としてのひとりひとりの生き方が問われている。それは、当然、私自身も問われていることになる。

10)わかった風な顔をして、このような本を何冊も読み連ねてても、結局は、原発にお世話になるしか道が残されていないのでは、最初からこんな本を読んでいても切りがない、ということになりかねない。

11)このような本がでてくることは良いことだ。このような本を読めるのは幸せだ。しかし、本当に問われるのはその後のことである。このような状況をどう変えていけるのか、どうすれば解決できるのか。そこへの道筋をつけるのは、ひとりひとりの実存であるし、具体的な行動である。

12)でなければ、結局は無い物ねだりのクレーマーに成り下がってしまう可能性がある。

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もう原発にはだまされない 放射能汚染国家・日本 絶望から希望へ 藤田祐幸

【送料無料】もう原発にはだまされない

「もう原発にはだまされない」 放射能汚染国家・日本 絶望から希望へ
藤田祐幸 2011/08  青志社 単行本 366p
Vol.3 No.0445

1)この本を信頼する理由を3つあげるとすれば・・

・この8月に発行された最新刊で、情報が新しいこと

・書いている本人が、真剣に原発問題に取り組んできたこと

・いたずらな希望ではなく、具体的な代替アイディアを提示していること

に集約できる。

2)なでしこジャパンのワールドカップ優勝以来、重い腰を上げて、原発関連本の読み込みをしてきた。7~80冊を読み込んでみたところ、きわめて興味深い本も多いが、以前に発行された旧本も多かった。もちろん再読する価値はあるのだが、いまいち3.11を踏まえたリアリティが不足していた。震災後に書かれたものは緊急性を優先して、ドキュメンタリータッチで、まとまりが悪い本もあった。

3)3.11以降に、以前に発行されたものや絶版になっていたものを増補再刊した本も多い。しかし、この本は巻末に収録された資料は以前のものだが、本文はすべて3.11書き下ろされたものであり、大きなタイムラグを感じない。

4)1986年夏に著者のスクーリングを受けたことがある。チェルノブイリ原発事故の直後であり、K大キャンパスの中での強烈な脱原発の講義には、大いに共感した。その彼は現在、長崎の森の中で農業をしながらパッシブソーラーシステムの家で暮らしている。そんなライフスタイルに、有言実行の力強さを感じる。

5)本書において著者は、必ずしも太陽光発電システムを過大評価はしていない。地熱や風力にも重きを置いていない。むしろ、ガス発電や小水力発電に現実的な可能性を見る。夢想的ではなく、きわめて現実的に「希望」を語る。まだまだ絶望するべきではない。

6)私たちこの太陽系の第三惑星の上で暮らしている、すなわち限定された世界で暮らしているわけで、昔から自然の中で共存共生しながら暮らし、その自然を消費し尽くすのではなく、その状態を維持しながら、あるいは豊かにしながら次の世代に譲渡り渡してきました。 

 そのおかげで私たちは生きてきているわけですから、この与えられた自然をより豊かなものにして次の世代に残すのが、私たちの責務なのです。それを放射性物質で汚染して譲り渡すというのは人間としてやってはいけないことです。

 だから放射能汚染問題というのは、哲学の問題でもあります。それを原子の問題に矮小化してはなりません。p257「おわりに」

7)各論はともかくとして、とにかくこの点をキチンと把握しておかなければならない。

8)原子力の本質的な危険性を理解できる科学者として、原発に抵抗する農民や漁民、市民の側に立つ科学者が一人や二人いてもいいだろうと思い、自分の立身出世のための、そして興味本位の研究を一切放棄し、「市民科学者」への道をとることを決断したのは、スリーマイル島原発事故の直後のことでした。p65「なぜ、福島の悲劇を食い止められなかったのか」

9)(チェルノブイリ事故の)放射性物質の影響が出始めているではと私たちは心配を募らせていましたが、なかなか真相が見えてきません。「行くしかない」現場主義をとる私はそう決断し、現地に入ることにしました。1990年の春のことでした。p80「同上」

10)私は千葉に生まれ、東京と神奈川に居を移しながら、最後は三浦半島の小網代の森の豊かな自然の中に暮らしておりました。(中略)

 だんだん定年が近くなりまして、「ここから先の人生、放射能の恐怖におびえて暮らすのは嫌だ。私の耕す畑に放射性物質が降ってくるのはいやだ」そういう想いが非常に強くなりました。生まれてこのかた関東を出たことがなかった私は、浜岡のはるか風上の長崎県の角力灘に面した海辺の小さな村に引っ越す決断をしました。p113「同上」

11)私たちは今まで、この原発の事故が起こったときには大変なことになると訴え続けてきましたが、私たちは社会的には、完全に浮いていました。「あの人たちの言うことは変だよね」とか「国賊」とか「非国民」などと言われたこともあります。p158「放射能は子どもの未来を奪うのか」

12)ちなみに私が長崎に建てた家は、パッシブソーラーシステムというシステムを使っています。これは屋根が集熱板になっていて、屋根の表面に空気の層を作り、その空気の層を直接太陽で加熱することによって、夏場には60~80度くらいの温度の高い空気が作れます。その空気を夏にはお湯を沸かすのに使い、冬にはその温まった空気を室内に送り込んで暖房に使います。p223「原子力にかわるエネルギーは何か」

13)私たちが80年代ごろから主張し続けているのは、「エネルギーは等身大の技術体系で確保すべき」ということなんです。(中略)人間の手でコントロールできる等身大の技術体系をを使えばいいのです。p236「同上」

14)エネルギーの「地産地消」を行えばいいです。言い換えれば大規模にコンピューターシステムを使って国家レベルでエネルギーをコントロールするのはもうやめましょう、ということです。それよりも各地域が自由に楽にエネルギーを活用していけば、なにかトラブルが起きた時でもその地域だけで問題を解決できる小規模なシステムになるのです。p250「同上」

15)この本、割と分厚くて、最初はどぎまぎするが、全文が「ですます」帳のインタビュー形式にまとめられており、重厚な内容ではあるが、一気に読めてしまう。そして著者がいうところの「絶望から希望へ」の意味もよくわかる。実現可能な脱原発の提言のひとつがここにある。

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2011/09/10

PRAY FOR JAPAN - 3.11 世界中が祈りはじめた日

【送料無料】PRAY FOR JAPAN -3.11 世界中が祈りはじめた日ー 
「PRAY FOR JAPAN 」 -3.11 世界中が祈りはじめた日ー
prayforjapan.jp 2011/04 講談社  単行本 119p
Vol.3 No.0444 ★★★★☆ 

1)3.11から半年が経過した。

2)宮崎県からドラゴン・フルーツの詰め合わせが300箱届いた。名前は聞いたことあったが、今回、初めてこういう果物があることを意識した。被災地にドラゴンフルーツ6トン 国富の農業・河野さん宮崎日日新聞9月9日朝刊

201109080908kenou

  河野通賢さん、規須子さん、どうもありがとうございます。被災地の多くのみんなが感謝しています。

3)そのうちの15箱が我が家の担当になり、県南部の仮設住宅に運んだ。

4)ひと箱ひと箱の中に、小学生や中学生たちが書いた被災地への手紙が入っていた。

5)被災地のいちご農家の人は、来年はいちごを出荷するぞ、とハウスを建てた。塩害で苗は育たず、病害がついてしまったという。

6)被災地支援で無料になった高速道路を走っていった。

7)ちょうど、農家の人はお昼休みで仮設住宅に帰ってきた。

8)3人暮らしで四畳半ふたつ。押し入れも棚もないので、思ったより広くない。それでも、体育館のような避難所よりずっといいと言う。

9)いつまでも後ろを見ていても仕方ないだろう、と言う。

10)津波は、全てを流してしまった。先祖の位牌や写真も何処に流されたか分からない。お寺もやられた。墓も倒された。津波は、お墓を倒し、先祖のお骨も全部持っていってしまったという。

11)高速道路から海岸の方を見ると、夏には雑草も生えて緑化してきたかな、と思っていた沿岸部だったが、塩害のせいか、早々と枯れ始まった。もう、緑という感じではない。二ヶ月くらい早めに初冬が訪れてしまったか、と思うような風景。

12)「沈黙の春」。レイチェル・カーソンはそう表現したが、本来は「実りの秋」であるはずのこの地、今年は、「沈黙の秋」になってしまっている。

P1010208_2

13)みんな、祈ってくれてありがとう。

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東日本大震災復興への提言 持続可能な経済社会の構築 風見正三他

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「東日本大震災復興への提言」 持続可能な経済社会の構築
伊藤滋/奥野正寛・他 2011/07 東京大学出版会 単行本 362p
Vol.3 No.0443★★★☆☆ 

1)本書全体を通して見ると、採り上げられたトピックスは広範囲にわたり、各提言が必ずしも整合的なあるいは統一的なアプローチや理念に基づいているとはいえないかもしれません。pii「はしがき」

2)この本には50人の「アカデミック」な「提言」が乗っている。出版されたのは7月だが、それぞれ書かれたのは震災後の1~2カ月後のことなので、混乱がそのまま反映されている。

3)正直いって、この手のオムニバス形式の本は苦手である。誰かお気に入りの作家が書いているとか、とりあえず一つのテーマについて各方面の意見を知りたいとか言う場合は、それなりに興味深いのではあるが、どうも混乱はそのまま散乱するし、結局はよくわからん、という結論に達することが多い。

4)良く見ると、持続可能な「経済社会」の構築、となっている。それぞれ「経済」の専門家たちの提言となっているのだ。持続可能なエネルギーとか、持続可能な資源とは言うが、持続可能な「経済社会」とは、ふむ~、なんかちょっと修飾矛盾な感じがする。熱い氷とか、冷たい火、などと言った落ち着かなさを感じる。

5)トップを飾るのは風見正三。当ブログとしては「コミュニティビジネス入門 地域市民の社会的事業」を読んだきりだが、被災地にある大学の教員でもあるので、いつか縁があったら、話をしてみたい、とは思っていた。

6)読者の方々には、震災復興という大きなテーマに対して多面的な視点からアプローチするという本書の特徴を、ご理解いただきながらお読みいただければ幸いです。pii「同上」

7)確かにこの手の本の読み方はむずかしい。なにかヒントがないかな、と気軽に読むにはいいかもしれないが、これこそ直ぐに役だつ、という即効性のある説得力のある提言を見つけることは難しい。

8)とくに、緊急な状況にある被災地において、網羅的にこの本を読める人は少ないだろう。

9)書き手側としては、とにかくこの段階で、このような本に、こう書いておいた、というアリバイ証明にはなるだろう。

10)私自身は、断片的な知識のモザイク状態のこの一冊を、真面目に読みこむ気にはなれなかった。

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レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題 多田満

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「レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題」
多田満 2011/07 東京大学出版会 単行本 190p
Vol.3 No.0442★★★★★

1)当ブログにおけるレイチェル・カーソンの読み込みは十分ではない。「沈黙の春」「『沈黙の春』を読む」、上岡克己「レイチェル・カーソン」 のわずか3冊のみ。図書館の関連リストをググッてみただけでも、重版を含め40冊近く彼女についての本があるのだから、まだまだ偏った読書ということになる。

2)正直言って「沈黙の春」のような科学書(化学書)は苦手である。科学的な視点はとても大切だとは思うが、理詰めで合理的に物事を煮詰めていく科学者的探究は、なかなかできない(まぁ、あまりすきでもないのだ)。だから、「沈黙の春」ですこし辟易した。

3)でも、「センス・オブ・ワンダー」のような本ならば、かなりの共感を持って読書できる。

4)当ブログにおいて、3.11以降の発行された新刊本をほぼ70冊ほどめくってみた。そのほとんどは、図書館における新刊本コーナーにあった本をランダムに掴んで読みこんできただけなのだが、驚いたことに、「「地震津波」「原発放射線」関連で、新刊本と称されて販売されている本の5分の1は再刊本だった。

5)切迫した状況の中で、今こそ読まれるべき本というのはにわかに作ることはできず、ほぼ絶版になっていた本が、装いも新たに書店や図書館に新刊として並んでいる、という状況なのである。

6)ここまでアバウトに読み込んできた「地震津波」「原発放射線」関連本は、この程度読み込めば、まぁまぁ大体のアウトラインはわかる、というところまで来た。当ブログ「3.11天地人」と銘打ったカテゴリも現在65冊目。あと約40冊程度読めば、この志向性としての読書は十分だろうと思われる。

7)次なるカテゴリは、「3.11人の巻」としようかと思い始めている。3.11を踏まえたうえでの、人間としての生き方、とりわけ当ブログのタイトルにもしているように、地球人としてどう生きるか、というところにテーマを絞りこんでいく必要を感じている。

8)さて、この本、3.11以降に発行された本にも関わらず、3.11については、何も触れられていない。ひょっとすると、すでに3.11以前に校了となっており、たまたまた3.11がおきてしまったために出版だけが遅れていた、という本なのかも知れない。

9)あるいは、レイチェル・カーソンはすでに50年前に亡くなった人だから、3.11などとはまったく無関係である、と割り切って、彼女だけにターゲットを絞りこんだのだろうか。

10)いやいや、そんなことはあるまい。彼女こそ、いかにも今日的存在である。3.11以降、もっとも読まれなくてはならない本のトップを飾るべき作家である。

11)坂本龍一も「いまだから読みたい本ー3.11後の日本」の中で25人の中の一人として取り上げている。

12)人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚愕する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつに過ぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。

 わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。

 たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへと通ずる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。

 鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン---夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ---のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです(カーソン、1996)。 p115「『センス・オブ・ワンダー』に学ぶ---自然とともに生きる」

13)彼女の言葉は科学者の論説というより、詩人のやわらかい感性として受けとめることができる。この本は、レイチェル・カーソンを今日的に読み直すことによって、さらなる私たちの生き方への問いかけをしている。

14)その過ちをなおすにはどうするか。もう一度、自分たちの仲間であり、生活基盤である「自然」を見つめなおし、「自然」との付き合い方を学びなおすことである。その第一歩が「自然に対する感性」を身につけることである。私は「センス・オブ・ワンダー」からカーソンのそのようなメッセージを感じる。読者のみなさんはどうであろうか。鈴木善次p168「レイチェル・カーソンの思想と環境教育」

15)この度の3.11においては、厳然たる大自然の現実に対峙せざるを得ず、また、今後なされなければならない復旧や復興の作業はあまりにも巨大である。しかしながら、あえて、そのことにかまけて、3.11だけにこだわってしまってはいけない。3.11もまた現実ではあるが、それをもまた含んだ形での大いなる存在こそが大自然なのであり、大宇宙なのである。

16)そのことを忘れないためにも、もう一度、レイチェル・カーソンを読み直す必要がある。

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2011/09/09

超巨大地震に迫る 日本列島で何が起きているのか 大木聖子他

【送料無料】超巨大地震に迫る
「超巨大地震に迫る」 日本列島で何が起きているのか
大木聖子/纐纈一起 2011/06 日本放送出版協会 新書 205p
Vol.3 No.0441★★★★★ 

1)地震関連リスト

「彩雲 虹の都 あるいは 地震の予兆?」 2006.12.15当ブログ日記

「モンゴル帝国と長いその後」興亡の世界史(第09巻)杉山正明 2008/02 講談社

「NHKスペシャル MEGAQUAKE 巨大地震」―あなたの大切な人を守り抜くために!NHKスペシャル取材班 (編集), 2010/02 主婦と生活社ライフプラス編集部

「超巨大地震に迫る」 日本列島で何が起きているのか 大木聖子他 2011/06 日本放送出版協会

「原子炉時限爆弾」 大地震におびえる日本列島 広瀬隆 2010/08  ダイヤモンド社

「東日本本大震災緊急シンポジウム」iTunes U by 関西大学社会安全学部 2011/03/30講演 2011/8/31公開

 「地震関連リスト」を作ろうと思った。ところがふりかえってみても、ほとんど、地震を単独のテーマとして書いてある本はほぼ皆無である。「地震+津波」あるいは「地震→津波」としてセットになっており、3.11においては、「津波」は絶対外せないもののようだ。しかしながら、「津波→地震」というふりかえり作業も必要なはずであり、今のところ、当ブログの読書としては、この本が唯一の3.11以降の「地震」主テーマ本である。

2)図書館に行ったら、入口付近のお勧め本コーナーの分類がされていた。

地震・津波

原発・放射能

防災・備え

まちづくり・環境

生活情報・相談

の5つ。

3)当ブログの分類に近い部分も多い。

3.11天の巻 地震・津波 → 防災・備え & まちづくり・環境

3.11地の巻 原発・放射能 → 生活情報・相談

3.11人の巻 ? → ?

4)しかし、どうも、「人の巻」のおさまりが悪い。「人の巻」ということで、当ブログは何を言いたいのか・・・・・?

5)あるいは、図書館は、当ブログが「人の巻」の部分で言わんとしようとしていることをフォローアップしていないのではないか。

6)3.11人の巻 → 防災・備え & まちづくり・環境 & 生活情報・相談 と見ることもできないこともない。でも、それでは、当ブログとしては不満足である。

7)死。生きるとは何か、死ぬとは何か。この突き詰めこそ、当ブログが「3.11人の巻」で求めようとするテーマであるが、かと言って、その突き詰めはこれからの作業になる。

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8)本書が地震というものを理解するのを助けることで、日本人が地震を正しく恐れられるようになることを切に願う。奪われた多くの命、たくさんの被災者の大切な思い出や故郷への想い、それらを地震の科学に携わる者として守ることができなかった無念を込めて本書を綴っていきたい。p21「ドキュメント3.11」

9)著者たちは地震の研究者たちであり、当然、正確な地震予知を期待される立場にある。しかし、それは達成されていない。あるいは、「正確な地震予知」はほぼ不可能なのである。

10)好きなことを続けてきた挙句、連日人様に罵倒され、憔悴しきって言葉もなく帰宅する自分の姿を見せ続けていたことを、このとき初めて申し訳なく思った。p204大木「あとがきにかえて」

11)基本的に、自然界は、人智を超えているのである。人智を超えているがゆえに、自然は神秘としてとらえられ、神としてさえ崇められるのである。科学は自然界のメカニズムをたくさん解明した。これからも期待され続けている。しかし、解明しつくされるということはない。すくなくとも、地震発生の完全把握はいかな研究者の最先端でも無理なのである。

12)それから1年後の3月11日、テレビに映し出された三陸の惨状に私は言葉を失った。あの子たちは生きてくれているだろうか。一人ひとりの名前をインターネットで検索しながら、自問を繰り返した。私は、いつか君たちが津波にあったときに絶対に生き延びられるように、と思って講義をしただろうか。結局私だって、巨大津波が来襲することを現実的に考えていなかったのではないか。自分の不甲斐なさに愕然とした。p202大木「同上」

13)備えや防災は必要であるが、自然界はそれを超える。

14)日本では地震が起きることなど誰でも知っているのに、いまだ対策のとられていない家屋や家具が無数に存在していることがそのいい証拠だ。つまり、「気づき」を与えることで防災へのアクションに結びつくという考えは、完全ではないにしろ、棄却されなければならない。p150「防災----正しく恐れる」

15)備えや防災を超えたところにあるものを、人間として全うに見詰めること、そこにこそ、当ブログの「3.11人の巻」があるようだ。

16)3月11日の地震で東京では全壊家屋も半壊家屋もほとんどなかったが、多くの児童の保護者が会社や外出先から帰宅できない事態が発生した。交通機関がストップし、道路は大渋滞を起こし、いわゆる帰宅難民が大量に発生した。電話等での連絡がとれず、中には深夜まで帰宅できないケースも多く見られた。p175「同上」

17)震源地のほど近くに生活していた私などは、あまり首都圏のことなどに想いを馳せなかったが、今回の震災では、さまざまな影響がでた。この帰宅難民というのも、実に新しい災害の形態であろうと思う。

18)現象面ばかりに振り回される人間界ではあるが、津波→地震、という根源への探究が必要である。その点、この本は、3.11以降に発行されている本としては、貴重な一冊となる。

19)しかしまた、地震→自然→地球→宇宙、という大いなるものへの回帰の道をも見詰めつづけていく必要がある。そしてまた、そのプロセスに対峙する、人間という存在、私という意識をこそも、解明していく必要があるのだ。

20)当ブログ「3.11人の巻」が今後現出してくるとすれば、そこにこそテーマを絞りこむ必要がある。

 

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2011/09/08

美しい村に放射能が降った 飯舘村長・決断と覚悟の120日 菅野典雄

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「美しい村に放射能が降った」 飯舘村長・決断と覚悟の120日
菅野典雄 2011/08  ワニブックス  新書 205p
Vol.3 No.0440

1)東電原発事故から放出された放射性物質による汚染で、全域が計画的避難指示区域に指定された飯館村。近隣の地域に住む私たちは、何か手助けができることはないのか、と考えたりするが、少なくともこの本を読む限り、手助けをされるべきなのは私たちのほうなのではないか、と痛感する。

2)果たして「クオリティライフいいたて」をさらに本質的に進めるに、ふさわしい表現とは何か。それが「スローライフ」だった。過剰な都市化とは異なる「地産地消や心の豊かさ」を目指す生き方。私は、この言葉にこそ、飯館村が次に目指す道が表現されていると思った。

 ところが、「五次総」のスローガンとして「スローライフ」を提唱したところ、たいへんな反対にあった。多くの村民が「スロー」という言葉の響きに嫌悪感を抱いたのだ。私は「スローライフ」の本当の意味を説明したが、「スロー」を「怠ける」と誤解した住民から理解を得るのは、なかなか難しい。p116「合併か、村独自の道を歩むか」

3)村民6100人の、東北福島の小さな村であり、断片的に報道される放射性物質による汚染で、「全村避難」の飯館村のイメージはあまりにも悲惨である。あまりにひどい過疎にさらに危険が舞い降りた・・・という印象ではあったが、いやいや、それはかなり違った先入観だった。

4)そんなとき、村民の一人がふと口にした言葉があった。
「そのスローライフって、までい、ってごどなんじゃねーべか」
 これには私も驚いた。までい----左右に揃った手を意味する真手(まて)の方言。「丁重に」、「大事に」、「思いやりをもって」という意味で昔から飯館村の暮らしの中で使われてきた言葉に「スローライフ」と同じ、あるいは、それ以上の意味が含まれていたとは。
p116「同上」

5)までい、は私の地域でも使われている。丁寧なとか、十分なとかいう意味がある。あの人はまでいな人だ、とか、これはまでな仕事だなぁ、とか言う。

6)この本、当ブログでいうところの「原発」分類や「放射線」分類の本ではなく、「エコビレッジ」分類の一冊だ。

7)飯館村でもっとも放射線量の高かった地区、長泥で住民に向けて説明会を行っているとき、村民の一人から電話があったのだ。そこで伝えられたのが、菅総理の発言。
 「(汚染された地域には)今後、10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくると、そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけない」

 これを電話で伝え聞いたとき、私は両目からあふれる涙を止めることができなかった。
 「これが一国をつかさどる人の言葉なのか。まったく悲しくてならない。直ちに抗議する」と言ったのは、偽わざる本心である。
p155「10年、20年住めないのか」

8)までいな村=飯館村はすでに、立派な独自のエコビレッジであった。それこそ、他の多くの地域から見ても、お手本になるような人間の生活の場だ。それが、仮設住宅に毛の生えたような、名前ばかりの「エコタウン」に住まわなくてはならなくなるなんて、なんという悲劇であろうか。

9)この本、原発事故がなくても立派な一冊の本になるような内容を持っている。事故後、大変忙しい立場にいる村長である。それか数カ月過ぎたとは言え、村長自身がこれだけの本を一冊書き上げることができるだろうか。誰かほかのライターが聞き書きしたのではないか、と察する。

10)しかし、この本を読み進めていくと、これだけの勉強家でアイディアマンの村長のことである。本当に自分で書いたと言われても、素直に納得できる。

11)この「エコ」の考え方も、私たちの毎日の生活からは、どうもピンとこないところですので、もう一歩噛みくだいて次のように話を付け加えています。

 これまでの大量生産、大量消費、大量破棄の暮らし方で日本は発展してきたわけですが、そのような暮らし方をもう少し見直してみる必要がある時代になってきているということが、「までいライフ」の一つの大きな柱であります。
p128「『までいライフ』は続くはずだった」

12)近隣に住む国民として、ひとりの地球人として、この地域の今後の進路に心を砕き、できることがあるならば、なにかさせていただくという心構えは大切だろう。しかし、何かできないか、という自責の念があるとするなら、何も飯館村にばかり心を飛ばす必要もないかもしれない。まずは、自分の生活の場から「までいライフ」を始める、そのことがとても大切なのではないか。

13)「避難生活はいつまで続くのか?」、「先が見えないので不安・・・」との声。私としては2年ぐらいで順次村に戻れるようしっかり努力します。p176「未来を見据える『までいな希望プラン』」

14)「『東北』共同体からの再生」「『東日本大震災・原発事故』復興まちづくりに向けて」、 「東日本大震災復興への提言」、などの本が乱立している。「外部」からの口舌の徒による「がんばろう!東北」なら、いくらでもある。しかし、この菅野典雄村長のような、現場のリーダーによる決意は心強い。

15)小なりといえども、政治家である。この本だけではわからない反対派の意見もあることだろう。しかし、期限を区切り、自分が責任を持ってやる、と言い切るところは、一国をつかさどる首相などを遥かに上回るリーダーシップである。

16)当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり  「白隠禅師坐禅和讃」p202

17)放射能の雨が降ろうが、風評被害の風が吹こうが、基本は当処即ち蓮華国である。「本質的な意味で、飯館村は『明るい農村』だったのだ。」p57

18)そして、村ばかりがあっても、それはたんなるもぬけの空だ。そこにこそ此の身即ち仏なり、を宣言する全うな地球人が生きていく必要がある。

19)結城登美雄「東北を歩く」などには、この飯館村の「までいライフ」のことはキチンと収録されていたのだろうか。再読して再確認してみよう。

20)までいな村のまでいなライフ。そこにまでいな人達が生きている、ということの発見が、皮肉にも3.11の裏の功績である。

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2011/09/07

災害時帰宅支援ハンドブック 万一の際に帰宅難民にならないための「モノ」「ノウハウ」「サービス」 別冊Goods press 

【送料無料】災害時帰宅支援ハンドブック
「災害時帰宅支援ハンドブック」 万一の際に帰宅難民にならないための「モノ」「ノウハウ」「サービス」
別冊Goods press 2011/05 徳間書店 ムック 64p
Vol.3 No.0439★★★★☆

1)基本的には首都圏の30歳をピークとする若い世代をターゲットとするサバイバルブックである。Be-pal編集「命を守る防災サバイバルBOOK」に準じた内容だ。難民A 「帰宅難民なう。」 のような体験をしたスタッフもいることだろう。そのような体験がもととなって、教訓としてこの一冊ができている。

2)大晦日の夜がそうであるように、携帯電話は大勢が一度に利用すると直ぐに回線がパンクする。東日本大震災時にTwitterで情報をキャッチし続けられたのは、スマートフォンをポケットWiFiやWiMaxなど、利用者が比較的少ない、”代替通信手段”につないでいたユーザーたちだ。p46「通信がマヒしても情報は切らさない! WiFiルーターを持ち歩く」

3)大晦日の夜と、災害時の通信状態はまるで違う。災害時には、そもそも通信回線が制限される。そして基地局が破損している可能性もある。つながる基地局を探して電波を飛ばすため、ケータイやスマートフォンの電池はすぐなくなる。30分も放置していたら、電池はあっという間になくなる。

4)ポケットWiFiだろうが、ツイッターだろうが、繋がり続けた、なんてところは、被災度が軽いところである。

5)「津波てんでんこ」。まずは自らの命の確保が大切。情報なんて二の次、三の次。

6)「トラブルが発生しやすいと想定されるエリア」p12という地図は東京都だけが書いてある。なるほど、この本のタイトルは「災害時 帰宅支援ハンドブック」だった。帰宅困難な状況が生まれるのは大都市である。

7)いずれにせよ、時々、みずからの防災意識をブラッシュアップしておくことは必要であろう。本当に被災時にこのようなハンドブックが「役立つ」ようであれば、普段から能天気でなにもしていなかった、ということになる。

8)オールカラーでコンパクト、お手軽できれいなハンドブックではあるが、内容的には、どうということのない、当たり前の本である。

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2011/09/06

「東北」共同体からの再生 東日本大震災と日本の未来 増田寛也他

【送料無料】「東北」共同体からの再生
「『東北』共同体からの再生」 東日本大震災と日本の未来
川勝平太/東郷和彦/増田寛也 2011/07  藤原書店 単行本 178p
Vol.3 No.0438★★★★★

1)静岡県知事、元オランダ大使、前岩手県知事、三人の鼎談が軸となっており、基本的には、「外部」からの「がんばろう!東北」である。

2)言っていることは正しそうだし、共感できる部分も多い。しかし、それを誰がいつまで実行するのか、責任と主体はどこにあるのか、そこが見えないことには、結局は絵に描いた餅でしかない。

3)宮城県は仙台平野に優良な農地がいっぱいあって、そこが今水浸しになっている。そこの農業も絶対に再建する。もちろん二次産業、三次産業も大事ですが、やはり沿岸では一次産業が一番の生業であって、陸に上がったら漁師さんたちは生きていけません。ですから水産業と農業は再建させる。p53増田「『減災』の重要性」

4)いかにもこれじゃ、東北の一次産業が大震災でつぶれてしまったような言い方だ。実際には、結城登美雄の「東北を歩く 小さな村の希望を旅する」などに見るように、東北の一次産業など、とっくに見放されているのだ。地震や津波での災害から立ち直ることはできるだろう。しかし、その前に、根本的に、国家経済システムの中で、農業、漁業、林業、畜産業などは、すでに辺境に置き去られている。

5)増田 菅さんは大震災の後、被災地について、記者会見で山を削ってエコタウンを造り、そこに移って、漁港に通勤するといってましたが、見てわかるとおり、そもそも三陸沿岸の漁民の生活というのはエコで、クーラーもほとんどつかいません。(中略)
 
 あらためて総理がいうまでもありません。総理に本当にやって欲しいのは、電気を大量消費している東京でエコタウンを実現することですよ。
p116「東北は元来エコだった」

6)その菅元首相をひきずり落として、次から次へと責任のたらいまわし。増田本人だって、東京生まれの東京そだち、言っている本人が東京をエコタウンを実現しなければ、所詮、口舌の徒でしかない。自立して、復興しなければならないのは、都市文明だ。廃棄物や原発を辺境に押し付けるシステムを改めなければ、東北共同体うんぬんをするのは、あまりにおこがましい。

7)1990年、衆参の国会議員が全会一致で、首都機能がスケール・メリットよりもデメリットが大きくなりかねないので、過密・一極集中の解消や、防災を実現するために、日本で一番いいところを探そうということを決めて、法律を設けて調査委員会を立ち上げ、10年ほどかけて那須野が原を第一候補に選んだという経緯があります。栃木県と福島県の県境です。そこに9千ヘクタールぐらいの土地がある。川勝p65「首都機能移転の可能性」

8)まぁ、こんな話も実現性はゼロだろう。石原慎太郎などが邪魔して、ぜんぜん動かなくなった。今更、またオリンピック誘致だとか始めているが、ますます東京一極集中化を図っているだけで、すでに賞味期限が終了した前近代的なアイディアしか浮かばないようだ。

9)「コンパクトシティー」という、「都市機能と集合住宅を中心部に集約した利便性の高い街」を提案、「それぞれのコンパクトシティーは徹底した防災や省エネを実施したうえで、先端的な特色をもたせる」「外国の資金やノウハウ、人材を持ってくることを考えてほしい」「もちろん、土地所有など私権の大幅な制限が必要です。困難ですが、成功すれば全国のお手本になります」という・・・(後略)東郷p143「現場・地方政治・国民の底力」

10)コンパクトシティー化すべきは、東京を初めとする首都圏である。理想を他者に押し付けて、自らはのうのうと甘い汁を吸う。昔からズルイ奴らは、どこまでもズルイ。

11)この本は面白い。鼎談は震災後1ヵ月で行われているが、本ができるまで、さまざまな手が加えらていて、示唆している部分は多い。しかし、その面白さは、戯画化された面白さだ。現実味が薄く、他人まかせ、他人に丸投げのプロジェクトである。

12)「東北」共同体、「再生」、という美辞麗句。責任ある人びとが、自らの手を汚さず、他人の庭の設計図の図面を引いている。楽しいだろうなぁ・・・・・・。

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2011/09/05

今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電<2>  ニュートンムック

<1>よりつづく

【送料無料】今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電
「今こそ知りたい最新ガイド太陽光発電」 <2>NEWTON別冊
ニュートンムック 2011/08 ニュートンプレス ムック 159p

1)前回は、書店の立ち読みだったが、やっぱり気になって一冊購入することにした。

2)一番気になったところは、CISに関する部分。

3)多結晶シリコン太陽電池をおいかけるように開発が進められてきたのが、化合物系太陽電池のCIS太陽電池だ。p8「CIS太陽電池の本格市場参入がはじまった」

4)CIS太陽電池に関しては、ソーラーフロンティア社が宮崎に世界最大の工場を新たに建設し、2011年4月から本格運用をはじめた。この工場の稼働によって、同社のCIS太陽電池の年間生産能力は約1ギガワットとなり、CIS太陽電池が市場に大量投入されることになった。p8「CIS太陽電池の本格市場参入がはじまった」

5)日テレのテレショッピングソーラーフロンティアの、2.4kw発電で105万円コースが話題になっている。付属品や工事費込みで、ローン手数料込み。なかなか魅力的なコースではあるが、8m×4mの屋根の面積が必要だ。誰でも、何処でも、というわけにはいかないようだ。

6)ソーラーフロンティアの社員(技術戦略企画部)がインタビューに答えている。

7)櫛谷(勝己)---これから太陽電池企業のコスト競争といういうのは、ますます激化していくでしょう。つまり、企業は技術とコストの両方の競争力がなければいきていけません。競争力がなければ、その市場から撤退しなければいけないのです。

 現時点ではCIS太陽電池は圧倒的な小数派です。ギガワットレベルの生産能力をもっているのは弊社だけですが、弊社だけが生き残ればよいというものではありません。多結晶シリコン太陽電池のように、多用なメーカーが参入してこそ、CIS太陽電池の競争力が生まれ、その未来が開けてくるのだと思います。p50「化合物系太陽電池の本格生産がはじまった」

8)CISは生産コストや技術の先進性などから、今後の主流になるのではないか、と個人的に感じたのだが、必ずしも、そうとも言えないようだ。かつてのマーケット事情、例えばビデオのVHSとベータの競争や、ウィンドウズとマックの競争、インターネットエクスプローラーとネットスケープの競争、などなどが思いだされる。必ずしも良いものだけが残るとは限らない。

9)CIS太陽電池は、結晶シリコン太陽電池より、太陽光の領域が広いという特性をもつ。また、結晶シリコン太陽でとはことなり、影の影響にも相対的に強い特性ももっている。こうした特性から、1年間の総発電量は従来の結晶シリコン太陽電池と比較して約8%多くなる。

 薄膜であるCIS太陽電池は、結晶シリコン太陽電池と比較して約100分の1のうすさである。そのため、資源の消費をおさえることもできる。ソーラーフロンティアの生産工程はシンプルになっているため、生産工程全体で消費するエネルギーもおさえられている。p98「CIS太陽電池の大量生産を開始 ソーラーフロンティア」

10)総額100万円、初期投資を10年で回収、を目標とする当ブログの目論見は、はからずも日テレ+ソーラーフロンティアの販売戦略で叶えられることになる。しかしながら、このコースの弱点は、屋根の面積に制限があること。今のところ、残念ながら、我が家の屋根は若干だが、外れてしまうことになる。複数見積もりを取る中で、その点は克服されるかもしれない、といろいろ画策中。

11)太陽電池の性能指標の一つである「変換効率」は、現時点でこそ単結晶シリコン、多結晶シリコンが優位に立っているが、化合物系をはじめとして、シリコン系を含む各太陽電池すべてにまだ発展の余地があるとみられている。そのタイプの太陽電池も今後、大きな活躍が期待されている。p140「各太陽電池のメリットとデメリット」

12)個人的には、多結晶 VS CISと見ているが、勝ち馬に乗りたい消費者心理から言えば、もうすこし模様眺めしていたい気分だ。一回決定すれば、人生一回の決定となるだけに、なかなか悩ましい選択肢ではある。

<3>につづく

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2011/09/04

命を守る防災サバイバルBOOK<2>  Be-pal編集部

<1>よりつづく

【送料無料】命を守る防災サバイバルBOOK
「命を守る防災サバイバルBOOK」 <2>
Be-pal編集部 2011/05 小学館 単行本 96p

1)サバイバル関連一覧

「地域発・防災ラジオドラマづくり」 知恵と絆で高める防災力 長坂俊成他 2011/03  日本放送出版協会

「自宅につくる震災対処PCシステム」 節電・停電対策から安否確認まで 日経BPパソコンベストムック 2011/05 日経BP社

「自然災害最新サバイバルBOOK」 “自然災害”発生時に生き残るための知恵と選択 エイムックエイ出版社 2011/05

「震災に負けない!Twitter・ソ-シャルメディア「超」活用術」 新しい情報インフラを考える会 2011/05 エクスナレッジ

「原発・大震災サバイバルブック」週刊朝日臨時増刊 2011/5/25

「帰宅難民なう。」 難民A 2011/05 北辰堂出版

「災害時ケータイ&ネット活用BOOK」 「つながらない!」とき、どうするか? 西田宗千佳他 2011/05 朝日新聞出版

「命を守る防災サバイバルBOOK」 Be-pal編集部 2011/05 小学館

「災害時帰宅支援ハンドブック」 万一の際に帰宅難民にならないための「モノ」「ノウハウ」「サービス」 別冊Goods press 2011/05 徳間書店

「1台7役 手回し充電ライト 携帯レスキューそなえ君」 主婦の友社 2011/07 

「くるくる回して 充電くん」 携帯充電機能付ダイナモラジオライト~ 2011/8

「停電・震災に備えるPC管理術 データ」 ネットワークを守る安心環境を構築せよ 橋本和則 2011/07 技術評論社

「ITで実現する震災・省電力BCP完全ガイド」 システム視点で事業継続計画を見直す 日経BPムック 2011/07

「地震の準備帖」 時間軸でわかる心得と知恵 国崎信江 2011/08 NHK出版

「災害ボランティア・ブック」 週末は東北へ 平凡社編 2011/09

「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」 東日本大震災医師たちの奇跡の744時間 久志本成樹他 2011/09 アスペクト

「3・11あの日のこと、あの日からのこと」 震災体験から宮城の子ども・学校を語る みやぎ教育文化研究センター 2011/09  かもがわ出版

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2)太陽光発電の無料見積りを頼んだら、営業マンが来た。すでに10数年のキャリアのある電工マンだが、自分が設置した太陽光発電システムはすでに200台くらいになるらしい。

3)自宅の屋根にも取り付けていたが、今回の震災で家ごと流されたという。聞いてみれば、自宅は岩手県の沿岸部。海岸線から100mということだから、想像するに余りある。

4)父親は流され、ようやく一月ほど前に海の中で発見されたという。遺体の損傷は激しく、入歯と身に着けていたケータイで身元が判明したという。

5)家も流されたので、現在は仮設住宅住まい。ああ、こういう人たちも、今は、たちあがって、まずは自分の仕事をしようとしているのだな。

6)がんばろう!東北、のかけ声にも、もう、これ以上、なにをどうすればいいのか、というつぶやき。

7)それでも、彼は、なかなか優秀な技術者のようにお見受けした。発注するかどうかはともかくとして、我が家における太陽光発電の模索は、ただ単にシステムを屋根に乗っける、ということだけではないな、と再認識。

8)実際、営業の話を聞いてみると、なかなか複雑なシステムで、いままで普及しなかったのにはそれなりに理由がある、と思う。だが、首相もかわり、一段と、「脱原発依存」が強まりつつあるなか、太陽光システムは、もっともっと一般的になっていいはずだと、と今さらに思う。

9)一時順調に再開された図書館だが、ここに来て、また10日ほどお休み。本格的に内部を修理するらしい。そこで、いつもいかない別の図書館に行って、また、この本を見つけてきたので、借り出してきた。

10)この本、暗くないのがいい。

11)アウトドアの道具を使いこなしたり、スキルを身につけておくと、不測の事態の際に、l極度にあわてたり、不安に襲われたりすることが、少なくなるはずです。p2

12)たしかにそう思う。正直言って、巨大震災においては、シロートのサバイバル知識など、こっぱみじんにぶっ飛ばされて、本当は何にも役立たないことも多いのではあるが、本当に紙一重のところで生死を分けたことを考えてみれば、やはり普段から、サバイバルなアウトドア体験は、絶対にしておくべきだと、思う。

13)この本は明るい。BE-PAL誌の感覚で、暗くならずに震災を考えることができる。むしろ、ゲーム感覚で震災と取り組むことさえできるかもしれない。

14)本当に震災の直撃を受け、肉親を失い、財産の全てを失った人たちに対しては、何にもならないかもしれない。が、それでもやはり、「命を守るサバイバル」意識は持ち続けなければならない。

<3>につづく

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2011/09/03

3.11後の放射能「安全」報道を読み解く 社会情報リテラシー実践講座 影浦峡

【送料無料】3.11後の放射能「安全」報道を読み解く
「3.11後の放射能『安全』報道を読み解く」 社会情報リテラシー実践講座
影浦峡 2011/07 現代企画室  単行本 193p
Vol.3 No.0437★★★★★

1)この本は読むタイミングによっては、評価は大きく分かれる。とにかく早く急いで結論を知りたいのであれば、この本はまどろっこしい。だが、さまざまな意見を聞いて、情報の荒波に疲れてしまった後に、その情報をひとつひとつ整理するプラットフォームが欲しいのなら、この本は、適格といえる。

2)3.11以後、とにかく情報が限られていた。情報が限られていたというより、得なければならない情報が多すぎた。新聞、雑誌、週刊誌と言った情報は途絶え、テレビ、ラジオの情報もままならない。ケータイ、メールやツイッターと言ったネット情報も、いまひとつ信ぴょう性がないまま、数週間が経過した。

3)そもそも全体像が見えなかった。原発事故などは現在進行中であり、各人各様の意見を言うため、何が本当なのか、分かっている人は、ほとんどいなかった、とさえいえる。

4)3.11以後、まずは「てんでんこ」で、自分の身柄の安全を確保した。次に家族、その次、親族や知人。まずは地震・津波からの身の安全を確認したあとは、住居の確認だった。壁にひびが入ったなんてのは序の口で、完全に流出したとの情報がどんどん入ってきた。

5)この時点では、原発事故は気にはなったが、まずは後回しだった。自分は80キロ圏に住んではいるが、ここよりさらに原発に近い人々も多くいる。もっと遠くにいる人々も、第一次産業においてはすでに風評被害を受けていた。

6)数カ月が経過し、書店や図書館がボツボツと復活し始めたのをきっかけに読書生活が戻ってきた。最初は「原発事故」を直視することができなかった。優先順位としてては、原発がトップに来ることはなかった。原発の情報など、専門家か、それが第一義的に大事だ、と思える人にまかせることにした。

7)そうこうしているうちに、やっぱり原発や放射線を整理しようと思い始まった。私の場合は、そんな気分になったのは、なでしこジャパンがワールドカップで優勝してからだから、7月の中旬、震災後4カ月も経過してからだった。

8)それから、借り出しできるところから順番に3~40冊目を通してみた。原発関連リスト放射線関連リスト、それぞれに、断片的な知識と、さまざまな意見があることを教えてくれた。リクエストしていてもまだ来ない本がまだまだあるし、関連で読み込まなければならない本が今後もでてくるだろう。

9)しかし3.11を「読み解く」とすれば、放射線問題だけに関わっているわけにはいかない。そろそろ、全体を整理して、当ブログなりに原発・放射線関連の「3.11地の巻」の中間報告を出しておかなければいけない。そういうタイミングでこの本を読むとするなら、なかなか素晴らしい視点を与えてくれるのがこの本である。

10)情報の整理はともかくとして、ではそれに対して「自分は何ができるのか」、「何をすべきなのか」と問うてみる。ガイガーカウンターなどで放射線量に敏感になる。放射線測定室を活用する。太陽光発電で自前のエネルギー問題を考える。などなどの方向性はでてきた。

11)ガイガーカウンターについては、すでに知人のもので周囲を計測して、公の発表との違いについては、把握した。個人的には、まもなく発売されるE社のものが安価でよさそうなので、購入予定。

12)内部被曝に関しては、知人たちによる「みんなの放射線測定室」運営に期待している。こういう動きにどのように参加できていくのか、検討中。

13)太陽光発電については、数社の見積をとりつけているところ。テレビ会社系列の企画による国内メーカーのCISパネルがいいのではないか、と思案中。

14)本書は、2011月のブログ上で公開した一連の「社会情報リテラシー講座」を全面的に改稿し、一冊にまとめたものです。p178「あとがき」2011/05/29

15)社会情報は時々刻々と変化しつづけている。

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2011/09/02

エネルギー総選挙  電力の政権交代が起きる日 日経ビジネス

Photo
「エネルギー総選挙」 電力の政権交代が起きる日
日経ビジネス 2011/07/11号 雑誌 特集20p
Vol.3 No.0436★★★☆☆

1)この雑誌、店頭には並んでいない。通販による定期購読100%の雑誌だ。年50冊、ほぼ週刊誌並みに自宅に送られてくる。私も以前、何ヵ月か購読したことがあったが、読み切れないので止めてしまった。

2)今回、知人宅に行ったら、やっぱり読み切れないのか、包装されたまま何カ月分も重ねられていた。

3)震災後、図書館も書店も壊滅してしまったので、週刊誌さえ読む気になれなかったが、さらに定期購読の雑誌など、見向きもされなくなった状況はよくわかる。

4)あとは捨てるだけだから、読むなら持って行っていいよ、というので、何十冊かもらってきたが、私もあまり読めないまま廃棄することになりそう。

5)この雑誌、なんで面白くないのかな。「日経」という視点が面白くないのか。「ビジネス」というテーマがいけないのか。「定期」、「購読」がいけないのか、とにかく何冊も続けて読むどころか、雑誌一冊を読み切ることさえ、気力を集めきれない。

6)その中でも最近号の中から、一冊だけメモしておこう、とこの号を抜き出した。

7)7月11日号だから、6月後半に編集された特集なのだろうが、あの当時なら、菅直人前政権が、「脱原発依存」をテーマに総選挙をする可能性もあった。だから、「日経ビジネス」も、多少は冷やかし気味に、この特集を組んだのだろう。

8)見開きカラーページなので、きれいで、読みやすいのだが、おざなりな内容で、これ、と言った抜きん出たものがない。

9)このような雑誌は、基本的に、誰が書いた記事か分からない。署名があったとしても、どんな人がどのような生き方をかけてその主張をしたのか、ということがほとんど見えない。今日、こう言ったとして、明日になると、また別なことを言うかもしれない。

10)提示された情報を利用することは可能なのだろうが、誰がどう生きているのか、ということが見えない。利にさとい人々が、こちょこちょ動いているだけで、心に響いてくるものがない。

11)「日本は原発に依存してきた」p25、「『原発がもっとも安い』のウソ」p29、「電力市場に競争を起こす 発送電分離しかない」p34、「電力自由化への覚悟」p36、などなど、テーマとしてはおもしろそうなのだが、いまいちリキがなく、説得力がない。

12)・・・・、別にこんな雑誌まで手を伸ばさなくても、他にいっぱい読む本はあるしなぁ・・・・・。

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2011/09/01

「東日本大震災・原発事故」復興まちづくりに向けて 学芸出版社

【送料無料】「東日本大震災・原発事故」復興まちづくりに向けて
「『東日本大震災・原発事故』復興まちづくりに向けて」 私たちは何ができるのか!? 第一戦の研究者、実践者に支援への構えと基本的視座を問う 
学芸出版社(京都) 2011/07 単行本 238p
Vol.3 No.0435★★★★☆

1)エコビレッジ関連リスト

「地球の家を保つには」 エコロジーと精神革命 ゲーリー・スナイダー 1975/12 社会思想社

「パーマカルチャー」 農的暮らしの永久デザイン ビル・モリソン他 1993/09 農山漁村文化協会

「森は海の恋人」 畠山重篤 1994/10 北斗出版

「環境時代の農村整備」 エコビレッジの提案  農村生態系計画研究会 1996/08 ぎょうせい

「聖なる地球のつどいかな」 山尾 三省・他 1998/07  山と溪谷社

「人工社会」 エコビレッジを訪ね歩いて リック・タナカ (著) 2006/03 幻冬舎

「パーマカルチャーしよう!」 愉しく心地よい暮らしのつくり方 糸長浩司・他 2006/09 自然食通信社

「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する 結城登美雄2008/07 新宿書房

「ECOシティ」 環境シティ・コンパクトシティ・福祉シティの実現に向けて 丸尾直美他 2010/05  中央経済社

「パーマカルチャー菜園入門」 自然のしくみをいかす家庭菜園 設楽清和 2010/08 家の光協会

「世界のエコビレッジ」 持続可能性の新しいフロンティア ジョナサン・ドーソン 2010/09 日本経済評論社

「がんばろう!日本 災害復興計画」 リベラルタイム 2011/06 リベラルタイム出版社

「東日本大震災・原発事故」 復興まちづくりに向けて 2011/07 学芸出版社

「『東北』共同体からの再生」 東日本大震災と日本の未来 増田寛也他 2011/07  藤原書店

「東日本大震災復興への提言」 持続可能な経済社会の構築 伊藤滋・他 2011/07 東京大学出版会

「美しい村に放射能が降った」 飯舘村長・決断と覚悟の120日 菅野典雄 2011/08  ワニブックス

「『脱原発』成長論」 新しい産業革命へ  金子勝 2011/08 筑摩書房

「脱原発。天然ガス発電へ」 大転換する日本のエネルギー源 石井彰 2011/08  アスキー新書

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2)この本、なかなか面白そうなのであるが、結局よくわからない。

3)表紙に載っている名前だけでも40名以上、何処かでシンポジウムをやったようであるが、いつ、どこでどういうタイトルでやったかよくわからない。

4)「私たちは何ができるのか!?」とサブタイトルでうたっているが、この「私たち」が曲者だ。数なくとも、この40数人の中には、「被災者」として語っている人はいないし、「東北人」として語っている人もいない。

5)敢えていうなら、「関西人」であり、「阪神・淡路大震災」体験者であり、沿岸部住民に対する、大都市市民という姿勢で語らているものがほとんどだ。

6)総論として結論されるものは何もなく、各論も、それぞれが好き勝手に話しているようでもあり、百花繚乱のにぎわいではあるが、大輪の花を咲かせているものはない。

7)3.11以後、1ヵ月から3ヵ月の間に語られたものだから、よくまとまっていないのは当然だとしても、むしろこれは、関西人であり、阪神・淡路大震災体験者であり、大都市市民だからこそ、語り得ることができた、ということもできる。

8)東北人であり、3.11被災者であり、沿岸部住民なら、こんな意見すら語ることはできないだろう。

9)そう言った意味においては、あとあとになってふりかえった時、すでにこの時点でこのような提案がされていたのだ、という貴重な資料には成り得る。

10)さて、当ブログにおける「私たち」とはなにか。地球人であり、震災をサバイバルするものであり、グローバルに生活する個人である。

11)その「私」たちは何ができるのか。

12)町づくりに関連したキーワードを見てみますと、エコシティ、コンパクトシティなどカタカタで表される言葉が多いのですが、これが、復旧を超えた新しい町のイメージのように思えます。p192五十嵐敬喜「地域自治とまちづくり条例イン東京 11/04/17」

13)エコビレッジ、エコタウン、エコシティ、エコなんたら、と似たような言葉が乱立している。それぞれ概念としてはキチンと確立したものではない。当ブログでは、いずれの意味を含めた上で、あえてエコビレッジ、という単語を選んでいきたい、と思う。

14)3.11以前にそのテーマにとりかかりつつあったということもある。それとスケールとして、個人からシティまでのジャンプには大きなギャップがある。

15)まずはエコライフ、エコハウス、などを経ながらエコビレッジにたどり着くのが精一杯、ということでもある。

16)当ブログにおける「3.11天地人」における「地の巻」の「原発・放射線問題」を集約していくと、個人で対応できるのは、ガイガーカウンター購入であり、放射線測定室運営であり、節電と太陽光発電システム設置程度のことである。

17)せいぜいその程度のことでもあるが、逆にこの辺をしっかりやっていくことしか前は見えてこないだろう、と感じる。

18)さて、当ブログ「3.11天の巻」である「地震・津波」問題を集約していくと、防災袋の点検、サバイバル訓練、そしてエコビレッジの実践、ということになるのではないだろうか。

19)地震が3月11日に起きて以来、何かをしなければならない、何をすれば良いのだろうと考えてきました。これは、私も含め多くの人がそう思ったことだと思います。p108敷田麻美「復興まちづくの基本」

20)総論として、各個人が感じたことにそれほど大きな違いはない。しかし、各論としての各個人個人の対応は千差万別あってあたりまえなのだ。

21)計画論における自然との共生は、その核心部分です。今回の東日本大震災からの復興で、この自然との共生をいかにデザインするかが、厳しく問われています。p24室崎益輝「復興計画の戦略とデザイン」

22)3.11以前から問われていることではあるが、今回、あらためて強烈に突きつけられたテーマである。

23)最終的にどんな町がいいのかを申し上げると、人と人のつながりがあって、自然のゆとりがあり、自然との共生ができる町こそが本当の安全な町と言えるでしょう。p23室崎益輝「同上」

24)当ブログにおいても、ふたたび、このテーマに向けてのアプローチを再開しよう。

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