原発のない世界へ 小出裕章
「原発のない世界へ」
小出 裕章 (著) 2011/9 単行本 192p 筑摩書房
Vol.3 No.0461★★★★★
1)実際に8月に講演を聞いてきたから、とても身近な感じがする。内容的にも、講演で聞いたことと大差はない。
2)最近の皆さんは「脱原発」と言うのです。でも僕は「脱原発」ではない。一貫して「反原発」なのです。国と巨大産業とが結託して、その圧倒的な力で住民たちをブルドーザーで押しつぶように進めてきた原子力というものに、僕は抵抗しているだけなのです。そのような原子力に反対する、ということが僕の動機。それだけなのです。p20「放射能汚染下に生きる」
3)40数年を反原発一筋に生きる、というのもただごとではない。
4)僕が原子力に夢を持っていた頃は、旧七帝大と言われた全国7つの国立大学すべてに原子核工学科か、原子力工学科があった。自分で言うのもおかしいけれど、当時の花型学科でしたよ。しかし、今となっては原子核だ、原子力だというと、最低の学生もこなくなったし、7つの国立大学からは原子核工学科も原子力工学科も一つ残らずなくなってしまいました。
大学における原子力は、20年くらい前から衰退していたのです。原子力なんてこれからは駄目だということが歴然としてきていたので、学生たちは全く学びに来なくなったのです。だから、原子力化を推進している人たちはものすごく焦っていますよね。これから先を支える人材がいなくなってしまうから。p36「同上」
5)これはこれでただごとではない。「廃炉」のプロセスを何十年どころか、何万年もやってもやっていかなくてはならないのに、それを専門とする人材がいなくなってしまう可能性があるのだ。
6)海が汚れることで、海産物が汚れるでしょう。福島県の漁業はおそらく崩壊します。p39「同上」
7)原発がない世界へ、ときれいごとを言ってみても、原発震災後にしてみれば、どこかの大臣がふともらしてしまったように、「死の町」が残されてしまうだけなのではないか。
8)原発は電気が足りようが、足りなかろうが、即刻全廃すべきものです。福島原発の悲劇を見ながらそう思うことができない人がいるとすれば、私は不思議です。p138「これからの原発の危険性」
9)物質文明の暴走に気がつかなくなってしまっているのか。
10)六ヶ所再処理工場は、原子力発電所が1年間に放出する放射能を1日で放出します。もしその工場が本格的に動き始めれば、環境が放射能で汚染されることは避けられません。p150「同上」
11)自分が今やっていることの意味さえ見失ってしまっている。
12)原子力発電はいうまでもなく大きな危険を抱えている。もし、大事故が起これば、被害を免れ得る人はいない。当然、私は原子力発電に反対である。しかし、原子力発電がなくなれば、それで望むような社会ができるわけではない。原子力発電を廃絶させることは、望ましい社会のを築いていくための一つの課題であり、基本的な目標を忘れずに、一つ一つの選択をしたい。p171 2000/2/11「反原発という生き方」
13)図書館の小出裕章本は大人気だ。複数冊入っているのに、どれもリクエストでいっぱいだ。だが、単に彼をヒーローのように受け止めるのではなく、ひとりひとりが、自らの「生き方」の中に組み込んでいく必要がある。
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コメント
「ひとりひとりが、自らの「生き方」の中に組み込んでいく必要がある」ほんとにその通りですね。メディアの流れに流されず、きちんと生きることは実に難しいことと思いますが。
投稿: kyou-sin-an | 2011/09/16 23:11