原発の真実 フライデー増刊
「原発の真実 」 完全保存版
フライデー増刊 2011年6月29日号 講談社; 不定版
Vol.3 No.0471★★★★☆
1)普段はあまりこの手の週刊誌には手がのびないのだが、一冊余裕があったので、図書課のカウンターにあったものをとりあえず借りてきた。メモしないまま返そうと思っていたのだが、どうも、心残りになりそうなので、メモを残すことにした。
2)昨日、都内で反原発の集会があった。主催者発表6万人が集結した。
3)3.11のことを考えていると、三省の三つの遺言を思いだす。
4)まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も う一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。
これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。
第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。
自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。
遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。
南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。山尾三省「南の光のなかで」
5)東電原発の爆発、そして放射性物質の膨大な汚染を考えると、第一の予言と第二の予言は、まさにその通りだと思う。
6)そして第三の遺言はさらに重いと思われる。戦争をするために、国家はあり、国家のために原発があった、と言う図式がほのかに見えてくる。
7)「国家」という括りがなければ、戦争などしなくてもいいのだ。人と地球は、ダイレクトに共存していければ、戦争もなく、原発もいらず、水もきれいで、内部被曝などを恐れずにすむはずなのだ。
8)しかし、その実現はそう簡単ではなく、三省も「南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来」と祈っている。
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9)「フライデー」のこの号には、広瀬隆、小出裕章、広河隆一、佐藤栄佐久、鎌田慧、森健、河野太郎、海江田万里、と言った人々の中に武田邦彦の名前も見える。
10)自戒を込めて言えば、私も今回の事故が起きるまでは、福島原発の軽水炉は水を使っているから、放射性物質など出るわけがないと思いこみ、高温の燃料棒が酸化して大量の水素を発生させる可能性を見逃していました。p96武田邦彦「安全基準を見直せ」
11)人生において過ちを正す事に憚る事無かれ、とは言うものの、この人物の後出しジャンケンと面の皮の厚さは見上げたもんだ、と思う。
12)少なくとも、原発は事故さえ起こさなければいい、というものではなく、その廃棄物を永遠に処理できないという致命的な欠陥がある。その欠陥を知りながら、原発を推進せざるを得なかったのは、私利私欲が根本にあるとは言え、まずは「国家」という幻想を維持するための武力が必要であったことが大きな原因としてある。
13) 山本義隆「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」にあるごとく、「脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならない」し、本来、脱原発・反原発は、脱国家、反国家でなければならない。そして、脱戦争、反戦争でなければならないと思う。
14)地球人として生きる、という決意は、ただごとではないな、と今さらながらに痛感する
15)当ブログにおける「3.11天地人」カテゴリも、定量の108まで、あと10数記事を残すだけとなった。このカテゴリを締めるには、最後にどんな本がくるだろうか。次なるカテゴリは「3.11からを生きる」としようと思う。
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