FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン 広瀬隆
「福島原発メルトダウン」 FUKUSHIMA
広瀬隆 2011/05 朝日新聞出版 新書 238p
Vol.3 No.0452★★★★★
1)この2ヵ月弱の間、気を取り直して、なんとか震災関連の書物に目を通してきた。地震・津波関連で10冊ほど、原発関連で20数冊、放射能関連で20冊弱、サバイバル関連で10冊強、そして、その救いとして、太陽光発電関連が20冊弱、エコビレッジ関連が20冊弱、これらを、ふらふらと読みこんできたわけだが、その「努力」もこの一冊でぶっ飛んでしまうようなインパクトを感じる。
2)いやいや、これまで読み込んできた「予備知識」が役だっていると考えれば、決して無駄ではなかっただろう。ただ2010/08にでた著者による「原子炉時限爆弾」と本書の間に3.11を挟んで考えれば、本当に恐ろしいことが起きてしまったのだ、という脱落感がますます強くなる。
3)本を読む「面白さ」で言えば、前世期後半、一世風靡した五島勉の「ノストラダムスの大予言」に匹敵する筆致である。五島勉のほうは、世紀末が近付き、結局は「破局」が明確にならないまま、いつの間にか姿を消して、雨散霧消してしまった。だが、広瀬隆のほうは、ますます信ぴょう性を増すどころか、ずばりその「大予言」が当たってしまった、ということになる。
4)そしてまた、さらに恐ろしいことには、広瀬隆の「大予言」はまだまだ序曲に過ぎないのである。
5)----「10年後に、日本という国があるだろうか」と尋ねられれば、「かなりの確率の高い話として、日本はないかもしれない」と、悪い予感を覚える。・・・・・この先にはまったく報じられない、とてつもない巨大な暗黒時代が待ち受けているのだ。その正体は、想像したくもないが、人知のおよばない地球の動きがもたらす「原発震災」の恐怖である----p13「原子炉時限爆弾」からの引用部分
6)私は著者の本をまともに読んだことはない。かつて「赤い楯」(1991)というロスチャイルドの謎を追ったかなり分厚い上下本を購入したが、結局は挫折して、いまでも書棚に飾っている、という始末である(汗)。
7)かなりの信ぴょう性はあるのだが、結局は陰謀論をおっかける読書には限界があり、数年、はまったものの、早々に切り上げた記憶がある。
8)だからどうしても、そのイメージの関連で著者を見てしまう部分があり、多少は間引いて読まないと、不用意に巻き込まれてしまう危険性を感じる。
9)政府や保安院や、放射線専門家と称する御用学者たちは、「流言蛮語に気をつけてください」、「デマを信用しないでください」と発言して、”放射能安全論”をあらゆるテレビ局を通じて、何度も何度も国民に語りました。p100「放射能との長期戦」
10)著者の本が流言蛮語やデマであると名指しで指摘されたわけではないが、上の発言をしたような人物たちは、暗に著者の存在をうとましく思っていたことは間違いない。
11)流言蛮語を垂れ流し、デマを飛ばしていたのが、菅直人内閣だったと認めたのです。これは、国民の健康、とりわけ幼い子供たちや青少年に対して、彼らを守るべき政府として、おそるべき重大な、取り返しのつかない犯罪です。p100「同上」
12)流言蛮語やデマの定義はまず置くとして、著者の震災後2カ月におけるこの発言を、震災後6カ月経過した現時点で比べてみれば、広瀬隆の大予言のほうが、むしろマトモな指摘であった、といえる部分は多い。
13)地震は大地の動きであり、大地とは地球そのものです。そこで、地震を知るためには、まず地球の構造を知る必要があります。p113「巨大地震の激動期に入った日本」
14)あまりの複雑に入り混じった震災の爪跡に、当ブログでは、まずは、地震・津波と、原発・放射線を二つに分けて把握しようとしてきたが、著者においては、「原発震災」として、ひとくくりになっている。原発が危ないのは、人為的ミスとか、経営的破綻とかではなく、地震があるから原発があぶないのだ、というワンセットなのである。
15)地震の激動期にある日本列島では、福島第一原発事故が「最後の原発震災」なるどころか、むしろ、次の原発震災が起こる可能性のほうが、はるかに高い。その筆頭候補に挙げられているのは、やはり浜岡原発です。p138「同上」
16)この大予言が、ノストラダムスのようにメタファーやファンタジーであって欲しい、とさえ願う。
17)福島メルトダウン事故後に、謝る人間が出ていますが、謝ってすむことではありません。とてつもなく陰湿な、まったく安全性を考えていない集団です。国民の命より、原子力産業が存在することによって金もうけを考える人間たちが、みな、原子力専門家として大学教授をつとめ、放射線の専門家として、たった今も、大嘘を語り続けています。p148「『浜岡原発』破局の恐怖」
18)当ブログにおいては、3.11を天地人と捉え、天としての地震・津波、地としての原発・放射線を捉えてきたが、人としての問題点では、このような、命より金や国家を優先しようとする生き方を糾弾したい、と思っている。
19)浜岡原発は即刻、止めるべきです。議論をしている時間はありません。大地震の到来は、刻々と迫っています。全国の原発54基はすべて地震の危険性のある場所に立地していますが、その危険度・緊急度において浜岡原発以上のところはありません。東海地震がごく近い将来起こることは、100パーセント間違いない事実だからです。p160「同上」
20)浜岡原発に津波用の防御壁をつくって再開するなど、著者にとってはまさに無知そのもの、ということになる。
21)放射能汚染地帯に走るプリウスなど、何の意味もありません。ほとんどの日本の企業経営者は、あまりにも基本的な思考力が欠けています。もうすでに、原発の深夜電力に依存する電気自動車の未来は、オール電化住宅と共に、完全消滅しました。p161「同上」
22)先日、わがプリウスを駆って、東電原発から20キロ圏の「放射能汚染地帯」まで走ってきたが、個人的には、意義なる体験ではあったが、まさに後の祭りとなってしまった。電気自動車はこれから開発は続くだろうが、取ってつけたような「オール電化」はたしかに妥当性を失い始めている。
23)ソフトバンクの経営者である孫正義氏は、原発反対の見解を表明しています。これが、最も自然な人の発想です。p161「同上」
24)ネット上では、孫さん、と尊称をつけてまでもてはやされている人物ではあるが、当ブログでは必ずしも評価は高くない。広大な農業地帯に太陽光パネルを展開するような計画は、地元としては滑稽に思える。光だけがほしいのであれば、もっと農業に適さない地域に展開すべきだと思う。
25)日本に原発は、まったく必要ないのです。マスコミに流布するド素人のような無知な停電論議は、もういい加減にやめるべきです。日本人の生活と企業に必要なのは、原発でも放射能でもなく、電気なのです。原発ばかりを宣伝して国民の生活を脅かし、テレビ界を支配して、なおかつ政治家の腐敗、官僚の腐敗をはびこらせる電力会社に頼らずに、電気が使えるようになるなら、それほど好ましいことはないと思いませんか?
今、日本人が助かるために急いで求められているのは、この国民一人ずつの意識の改革なのです。事実を知ることです。p227「完全崩壊した日本の原子力政策」
26)実際にはひとりひとりの国民には決定権も実行力も与えられていない。せいぜいネットでつぶやくか、直接デモで叫ぶくらいでしかない。
27)原子力と人間が共存するということは、地球科学から考えて、あり得ないことなのです。p237「同上」
28)たしかにそう思う。
29)絶望的になってはいけません。原発を全廃すれば、私たちに、初めて新しい未来の日本が輝き始めます。p237「同上」
30)脱原発で全てが丸く収まるとは思わないが、脱原発できれば一段はクリアすると思う。しかしながら、「廃炉」に向けての道すじは長い。私たちの世代は一生この問題と付き合っていかなくてはならない。
31)立て板に水の、あるいみ香具師的な論法だが、当ブログは「一人ずつの意識の改革」の上からも、当ブログなりに思索を深めたい。
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