原子力事業に正義はあるか 六ケ所核燃料サイクルの真実 秋元健治
「原子力事業に正義はあるか」 六ケ所核燃料サイクルの真実
秋元健治 2011/06 現代書館 単行本 277p
Vol.3 No.0453★★★★★
1)この6月に刊行された本ではあるが、以前より企画されていた本で、特に青森県・六ヶ所村、なかんずく核燃料サイクル基地についての長期間にわたる歴史のレポートである。
2)巻末の11頁にわたる「年表」を見ただけでも、その屈折した歴史が浮かび上がる。1962年から2011年までの40年間にわたり、六ヶ所村で展開された事どもは、いち辺境での出来事、として片づけられない、国家的な「策謀」が渦巻く記録と言える。
3)今日、あえて原子力というシステムで電気をつくりだす必要はないし、放射性廃棄物をリサイクルしてまた使おうなどというできもしない構想に執着し続ける価値もない。原子力に関係した広範な産業で職についている人びと、原子力施設の懐柔策としての金を生活の糧としている人びとのうえにも原子力災害の脅威がおよぶことを忘れてはいけない。
すでに日本の経済社会に強固に組み込まれた原子力であるが、その方針の転換が模索されるべきだし、それは可能なことだ。原発や核燃料サイクルについての正しく客観的な理解が、その第一歩となる。p275「おわりに」
4)今日において、電気をつくるのに、原発でなければいけない、ということがないかぎり、その事業に正義があるわけでない。
5)技術的に、その廃棄物の処理が、人類の手には負えない、という事実が判明しているかぎり、この事業に正義があるはずはない。
6)反対運動をする人々の勢力を押し切って、矛盾と差別と謀略において推進される事業に、正義があるはずがない。
7)地震国日本において、どのような人智を配置したとしても、それを上回る天の配剤があるかぎり、天に唾するビジネスモデルに、正義などあるわけがない。
8)これほどの結果を見ているのに、なお、延命を図ろうとする原発推進派に、心ある人間の生命を感じることはできない。すでにモンスター化した人間もどき達に、正義を持たせるわけにはいかない。
9)1991年、六ヶ所村での反核いのちの祭りに、子どもたちと参加したことがある。
10)あれから20年。いまだに六ヶ所村問題は解決しない。何が足りなかったのだろう。なぜに、こんな不正義がいつまで続くのだろうか。
11)ふと気付いてみれば、身内のものが、六ヶ所村ちかくの大きな公立病院の責任者になっていた。3.11では、やはり別の身内のものが南相馬市の病院に勤務していた。なんという配剤。決して他人事ではない。無関心であってはならない。
12)国家権力 NO!
人種差別 NO!
絶望 NO!
憎しみ NO!
必要なものはやさしさ
13)原発震災。すでにそれはじまってしまった。だが、これは終わりではない。次から次へと、その危険は、すぐそこまで迫っている。
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