福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと 山本義隆
「福島の原発事故をめぐって」 いくつか学び考えたこと
山本義隆 2011/08 みすず書房 単行本 101p
Vol.3 No.0448★★★★★
1)山本義隆。知る人ぞ知るビックネームである。世が世ならば、菅直人に代わって首相になったかもしれない人物だ。すくなくとも、右大臣くらいにはなっていただろう。その「業績」については詳しくは知らないが、私の把握は、元「反乱軍の総大将」だ。
2)その彼は、どうやら反乱軍「未遂事件」のあとは、予備校の教師として長く務めてきているようだ。山尾三省なども一時予備校教師として生計を立てていたが、私個人は、そのようなライフスタイルを好まないばかりか、予備校という存在そのものを認めたくない。(しかし、これは個人的な極論であろう)
3)みすず書房の編集部から雑誌「みすず」に原発事故についてなにか書いてくださいと依頼され、なんとか原稿を書いたのですが、すこし長くなってしまいました。連載にでもしてもらえるかと思っておそるおそるお渡ししたのですが、いっそのこと単行本にしましょうと言われました。そんなつもりは毛頭なかったので少々面食らったのですが、有難くお受けいたしました。2011/07/24 p101「あとがき」
4)「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」のタイトルどおり、この本は、体験をもとに書かれたわけではない。巻末に「註」として残されている50冊あるいはそれ以上の参考文献を読みこみながらの所感である。
5)逆に言えばまた、当ブログも同じような作業のサイクルに入ってしまっている。当ブログは、なでしこジャパンのワールドカップ優勝のあとに読み込み始めたのだから、圧倒的に少ないが、それでも、巻末の参考文献は、すでに当ブログで読みこんだ本と一部重複している。
6)当ブログがこのまま読み込みを続ければ、多分、読書人としては、ほとんど著者と同じような意見にたどり着くはずなのである。
7)端的に、日本における原子力開発、原子炉建設は、戦後のパワー・ポリティックスから生まれたのであった。岸(信介)にとって「平和利用」のお題目は、鎧の上に羽織った衣であった。p12「原子炉平和利用の虚妄」
8)そもそもの1953年あたりからの始まりを押さえておく必要がある。
9)とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。p24「その後のこと」
10)このようなまともな、的を射た思想がなぜ小数派のそしりを受け、傍流として無視されてきたのだろうか。政治的な立場は異なれど、菅直人のような瞬間的政治的なトップに立つ存在が日本に生まれながら、その政治力学を充分使い切れなかった事態に、著者はどのような想いを持っているだろう。
11)原発周辺に住む何万・何十万のという人たちにたいして、原発という未完成技術の発展のための捨て石になれという権利は誰にもない。そもそも福島原発周辺の人たちは、その受益者ですらないのだ。p58「基本的な問題」
12)この辺は贔屓の贔屓倒しであろう。後半で福島県知事を18年務めた佐藤栄佐久にも触れているが、長年、地方自治体の長として、その策謀を事実上「容認」してしまった事実は残る。容認せざるを得ない小さな自治体は全国に山とある。
13)いわゆる反乱軍のアジテーションは分かりやすい。直接聞くものの情動に訴えかけてくるがゆえに、どこかデフォルメされている論理が多い。もし、著者がこの国の首相に上り詰めることがあったとしたら、さて、菅直人より、もっと素晴らしい政治家であっただろうか。
14)「技術が自然と競争して勝利を得ることにすべてを賭ける」と語るベーコンにとって、自然研究の目的は「行動により自然を征服する」ことにあった。これは1602年の「ノヴム・オルガヌム」の一節であるが、そこには「技術と学問」は「自然にたいする支配権」を人間に与えるものと明記されている。p66「化学技術の出現」
15)アリストレスの「オルガヌム」、ベーコンの第二の「オルガヌム」、ウスペンスキーの第三の「オルガヌム」(ターシャム・オルガヌム)、を思い出した。
16)福島県の前知事・佐藤栄佐久は、プルトニウムをふくむ燃料(MOX)を福島原発の通常炉で燃焼させる国のプルサーマル計画を一度は認めたが、その条件を東京電力と国に反故にされ、以後、原発推進に反対を表明し、国の政策に抵抗し、東京地検特捜部により汚職事件をでっち上げられ政治生命を断たれた。p83「原発ファシズム」
17)佐藤栄佐久著「福島原発の真実」は近々読み込み予定。諸説はいろいろあるが、「でっち上げ」とか「原発ファシズム」とか、語意は強いが、そう表現されるに妥当性はある。
18)3月11日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた。
今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。p91「同上」
19)同感である。
20)日本人は、ヒロシマとナガサキで被曝しただけではない。今後日本は、フクシマの事故でもってアメリカとフランスに次いで太平洋を放射性物質で汚染した第三番目の国として、世界から語られることになるであろう。この国はまた、大気圏で原発実験をやったアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。p93「同上」
21)私には今回の事故を地名で呼び習わすことができない。せいぜい東電原発事故としか言えない。かつのて麻原某が起こした事件を「麻原集団事件」としか言えないのと似ている。私にとっては、それらの呼称はまったく別な意味を持っているのである。
22)こうなった以上は、世界中がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで率先して脱原発、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきだろう。p94「同上」
23)その言やよし。されど、これは「元」「反乱軍の総大将」という立場だから言えるのである。「現」「アメリカ大統領」であるオバマは、「脱原発・脱原爆」でノーベル賞を受賞したが、現実的には、原発推進、原爆路線堅持のスタイルを誇示せざるを得ない立場に追いやられているのである。
24)元「反乱軍の総大将」のアジテーションは分かりやすい。だが、それは反乱軍だからこそ許されるロジックであり、結局は、雑なポピリズムでしかないのではないだろうか。
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