レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題 多田満
「レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題」
多田満 2011/07 東京大学出版会 単行本 190p
Vol.3 No.0442★★★★★
1)当ブログにおけるレイチェル・カーソンの読み込みは十分ではない。「沈黙の春」、「『沈黙の春』を読む」、上岡克己「レイチェル・カーソン」 のわずか3冊のみ。図書館の関連リストをググッてみただけでも、重版を含め40冊近く彼女についての本があるのだから、まだまだ偏った読書ということになる。
2)正直言って「沈黙の春」のような科学書(化学書)は苦手である。科学的な視点はとても大切だとは思うが、理詰めで合理的に物事を煮詰めていく科学者的探究は、なかなかできない(まぁ、あまりすきでもないのだ)。だから、「沈黙の春」ですこし辟易した。
3)でも、「センス・オブ・ワンダー」のような本ならば、かなりの共感を持って読書できる。
4)当ブログにおいて、3.11以降の発行された新刊本をほぼ70冊ほどめくってみた。そのほとんどは、図書館における新刊本コーナーにあった本をランダムに掴んで読みこんできただけなのだが、驚いたことに、「「地震・津波」、「原発・放射線」関連で、新刊本と称されて販売されている本の5分の1は再刊本だった。
5)切迫した状況の中で、今こそ読まれるべき本というのはにわかに作ることはできず、ほぼ絶版になっていた本が、装いも新たに書店や図書館に新刊として並んでいる、という状況なのである。
6)ここまでアバウトに読み込んできた「地震・津波」、「原発・放射線」関連本は、この程度読み込めば、まぁまぁ大体のアウトラインはわかる、というところまで来た。当ブログ「3.11天地人」と銘打ったカテゴリも現在65冊目。あと約40冊程度読めば、この志向性としての読書は十分だろうと思われる。
7)次なるカテゴリは、「3.11人の巻」としようかと思い始めている。3.11を踏まえたうえでの、人間としての生き方、とりわけ当ブログのタイトルにもしているように、地球人としてどう生きるか、というところにテーマを絞りこんでいく必要を感じている。
8)さて、この本、3.11以降に発行された本にも関わらず、3.11については、何も触れられていない。ひょっとすると、すでに3.11以前に校了となっており、たまたまた3.11がおきてしまったために出版だけが遅れていた、という本なのかも知れない。
9)あるいは、レイチェル・カーソンはすでに50年前に亡くなった人だから、3.11などとはまったく無関係である、と割り切って、彼女だけにターゲットを絞りこんだのだろうか。
10)いやいや、そんなことはあるまい。彼女こそ、いかにも今日的存在である。3.11以降、もっとも読まれなくてはならない本のトップを飾るべき作家である。
11)坂本龍一も「いまだから読みたい本ー3.11後の日本」の中で25人の中の一人として取り上げている。
12)人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚愕する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつに過ぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへと通ずる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン---夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ---のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです(カーソン、1996)。 p115「『センス・オブ・ワンダー』に学ぶ---自然とともに生きる」
13)彼女の言葉は科学者の論説というより、詩人のやわらかい感性として受けとめることができる。この本は、レイチェル・カーソンを今日的に読み直すことによって、さらなる私たちの生き方への問いかけをしている。
14)その過ちをなおすにはどうするか。もう一度、自分たちの仲間であり、生活基盤である「自然」を見つめなおし、「自然」との付き合い方を学びなおすことである。その第一歩が「自然に対する感性」を身につけることである。私は「センス・オブ・ワンダー」からカーソンのそのようなメッセージを感じる。読者のみなさんはどうであろうか。鈴木善次p168「レイチェル・カーソンの思想と環境教育」
15)この度の3.11においては、厳然たる大自然の現実に対峙せざるを得ず、また、今後なされなければならない復旧や復興の作業はあまりにも巨大である。しかしながら、あえて、そのことにかまけて、3.11だけにこだわってしまってはいけない。3.11もまた現実ではあるが、それをもまた含んだ形での大いなる存在こそが大自然なのであり、大宇宙なのである。
16)そのことを忘れないためにも、もう一度、レイチェル・カーソンを読み直す必要がある。
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