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2011/09/30

なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎 クライン孝子

【送料無料】なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎
「なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎」
クライン孝子 2011/09  海竜社 単行本 221p
Vol.3 No.0477★★★☆☆

1)長くドイツなど海外に在住する、1939年生まれのご高齢の「国際ジャーナリスト」を称される方の一冊なれど、ヒネた読者のひとりとしては、なんだか主旨一貫しない本だな、と感じる。

2)日本人よ、世界を良く見てみなさい、と「教えて」くださるのはうれしいが、その比較される日本というものの認識がやや違っているので、この人の語る「世界」も、すこしずれているのではないか、と疑念が沸き起こる。

3)本の主旨としては、ご本人も脱原発だし、日本も近未来的には脱原発するしかないでしょう。だけど、ドイツなど一部を除いて、原発まっしぐらなのよ。エネルギーのない日本は原発にしか頼れないでしょ、とおっしゃっている。

4)この人の矛盾は、「国際ジャーナリスト」という肩書を自らに許しているところにある。

5)「国」に頼るかぎり、戦争が必要であり、核兵器、核武装が必要になり、原発が当たり前のエネルギー源とならざるを得ない。

6)逆に言えば、原発を廃止し、核兵器をなくし、戦争をなくしていくには、「国」をなくすしかないのだ。

7)この方のハートは「地球」にあり、ひとりの「地球人」として発想しておられるが、頭脳における情勢の分析は「国際ジャーナリスト」としての「国」から離れられない。ハートと頭が分裂しているのだ。

8)しかし、この分裂は、彼女ひとりのものではないだろう。この地球を生きる多くの人々の上に起きている悲劇である。

9)当ブログがこれまで進んできて、大きくぶち当たっているのは「国」という幻想の存在である。国の為に、とか、国家間競争とか、仮想概念を使うことによって、差別がおこなわれている。国家という最も価値の高い大義を振りかざしながら、そこで徹底的に差別され、収奪されているのは、個人としての、ひとりひとりの人間の命である。

10)「原子力は唯一日本が自給可能なエネルギー」(p200)と言ってみたり、「日本よ、なでしこJAPANに続け!」(p216)と言ったりする矛盾は、この方の時代感覚のずれに生じる「国家」観のせいであろう。

11)21世紀において、すくなくとも、今日の人間の生活の仕方において、「家」というものの考え方は大きく変わってきている。家長がおり、親族が同じエリアにかたまって暮らしている、という戦前のスタイルはとうになくなっている。そのようにしたい、と思う傾向は残っているが、実際はそう強要はできなくなっているし、そうしなくても生きていけるスタイルができあがってしまっている。

12)「家」が崩壊している今、「国家」もまた風前の灯と化した概念なのである。「国」があって、「国民」があって、「国際」社会がある、というスタイルには、よくもわるくも、もう戻れないのだ。

13)これからは、「地球」に対峙する「人間」が存在する、というモデルから、全てのことを書きなおしていく必要がある。

14)「国」の中心をなす「天皇」制はどうであろうか。「国」の「国技」たる「大相撲」はどうであろうか。「国民主権」とされる民主主義の糜爛状態はどうであろうか。立て直し、復活させようとしても、もう時代遅れなのだ。

15)よくもわるくも、日本「国」の「国技」としての「大相撲」は廃れていくだろう。そして変わって登場してくる(登場させられている)のは、「サッカー」だ。今や、ワールドカップの大騒ぎを見ても、「地球」技としてのサッカーがその地位を受け継ぎ始めている。

16)クライン孝子は、この本のエピローグで「日本よ、なでしこJAPANに続け!」と発せられている。しかし、そうだろうか。違和感を覚える。ドイツにいる彼女は、たしかに日本に向けてエールを送りたくなるのはわかる。しかし、彼女がエールを送るべきなのは、「日本」なのだろうか。

17)いずれ、日本という「国」はなくなるのだ。それは、アメリカという国がなくなり、中国という国がなくなる、という意味と一緒だ。日本は、アメリカの何番目かの州になることもないだろうし、中国の東端の辺境になることもないだろう。

18)行政や、地理上の区分けとしての地名として、日本や中国やアメリカという固有名詞は残るであろう。しかし、それは便宜上のものである。AさんとBさんの個性を尊重するがゆえに互いに名前で呼び合うことはあっても、二つの個性を戦わせるために名前をつけているわけではない。

19)私は誰か? という問いに対して、ひとりひとりの人間の「意識」に、明確な答えはあるはずはない。「私」はいないのだから。ひとりひとりの自らの「意識」の煮詰めが悪いから、地域や国家という概念を持ち出す輩が横行し、自らの煮詰めが足らない人々が、その概念に振り回される。

20)私は誰か? という問いを突き詰めていくことによって、国はなくなり、原発も、戦争もなくなる。人は、少なくとも21世紀においては、せめて「地球」というひとまとまりの形あるものに最善の「意識」を寄せていく必要がある。

21)そこに行くしか、数多ある難問の解決策はない。この方の本は、なかなか視点がユニークだ。しかし、この本の中に、解決策はない。この方も方向性を見失っている。煮詰めが足らない。

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