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2011/09/17

ルポ原発難民 粟野仁雄

【送料無料】ルポ原発難民
「ルポ原発難民」 
粟野仁雄 2011/09 潮出版社 単行本 254p
Vol.3 No.0462★★★☆☆

1)名取市の閖上町。ゆりあげとよむ。ずいぶん難しい読み方である。道路標識のローマ字を見て初めて知った。この地域は壊滅状態だった。廃墟の中で野良猫の写真を撮っていたら、「写真なんか撮ってて面白いですか」と若い男性が不快そうな顔をこちらに向けた。家族で大破した家の片付けをしていた。それを撮影していたわけではなかったが、よそ者が被災地の写真を撮っているのはいい気がしないのだろう。「猫、好きなもので」と、食べかけのコンビニ弁当のトンカツを与えてた。腹をすかしていたのだろう。ぱくついた。p194「不屈の東北魂---宮城県名取市、気仙沼再訪」

2)この本を読んでいて、最初の最初から、この9月になって出た本としては、一体、どういう目的で出版されたのだろう、と、疑心いっぱいになった。

3)この地区は、私の住まいから最短距離の沿岸部である。私も3.11以降、なんどか歩いている。この地区は、飢えた猫など撮影しなくても、360度、どこにレンズを向けても「絵」になる地区である。ただし、私は一切シャッターを押していない。

4)震災後、青森、岩手、宮城、福島、山形、茨城、千葉、と、私なりに被災地の惨状を目にしてきた。もともとカメラマン・スピリットのない私には、レンズを向け、シャッターを押す力はない。ひたすら、みずからの瞼に、その絵を焼き付けるだけだ。

5)震災後、消息不明だった石巻の友人を訪ねるために車を走らせた。幸い、彼の家は一部床上浸水で助かったが、地域は壊滅状態だった。彼の家族も一部の方を除いて、最小限の被害は留まっていた。

6)メカ好きな友人ではあるが、3.11以後、デジカメで撮った写真は一枚だけだという。いつもは見上げている道端の送電線に、ワカメが引っ掛かっていたという。あそこまで津波がきたのだ、という記録のために撮影したという。

7)このタイトルもいただけない。「不屈の東北魂」。なんだか、よそさまから「がんばろう!東北」と軍歌を歌われているようだ。そもそも著者にとって東北は「最も縁の薄い日本」(p7)だった。東北、という一語で片づけるほど、この地域の細かい違いを分かっていない。

8)拙著に関してはこんなこともあった。
 「あの時は確かにそう言っていましたけど、今はもう私のことは書かないでほしいんですけど。地元では今後、いろいろあるもので・・・・」
p252「あとがき」

9)本書を読んでいて、最初の最初から気になったことがあった。次々と取材した一般人の実名と年齢が記録されているのである。情緒的な売文に、信ぴょう性を与えるがごとくに、ことごとく記録された実名は、数えてはいないが、100人をくだらないのではないか。

10)現地では最初、年配者の、いわゆる、ズーズー弁と呼ばれる東北弁には苦労した。「火の海」が「死の海」に、チリ地震は「つるずすん」と聞こえた。p249「あとがき」

11)今時、このような差別的表現が許されるのか。すくなくともアトランダムに読んできた3.11関連の本100冊以上の中で、このような表現をしたのは、唯一この本だけである。山浦玄嗣『ケセン語入門』でも勉強して、出直したらよかろう。

12)でなかったとしても、せっかく仙台にきているなら、「東北を歩く」結城登美雄のような人に、この地をあるく優しいまなざしを教わったらよかっただろうに、と思う。兵庫生まれで阪神淡路も体験されたというこの方だって、自分の地元をこのように表現されたら、いい気はすまい。

13)阪神・淡路大震災の時、東京では「地震サバイバル、首都が襲われたらどうする」などの報道が多く、私は不快感をもっていた。西宮氏で被災した作家の藤本義一氏は「こっちの災害をまるで東京のリハーサルのように扱っている」と怒り、同じく西宮市の作家小田実氏(故人)も「瓦礫の下に犠牲者が呻吟している時に、ある放送局は東京にあてはめますと、シュミレーションを駆使し、地震学者が嬉々として解説しているのはどういうことなのか」と憤っていたのを思い出す。東北の人たちにも似たような思いがあるのではなかろうか。p234「被災地は東京の踏み台ではない」

14)あります。大いにある。特に、私なんぞは、著者あなた自身につよく感じる。

15)この本「ルポ原発難民」とは言いつつ、原発に触れていたのは最初の3分の1ほどだけである。第一部「原発」につづいて、第二部「津波」、第三部「復興」、となっている。すこしはぐらかされた気分であった。

16)知、情、意、で言えば、この本は、情緒的に「被災地」をペットとともに歩いただけである。客観的になデータをもとにして記録したわけでもなく、復興に向けてのビジョンを提示しているわけでもない。バランスを欠いた一冊である。

17)十年前の秋、通信社を追われて路頭に迷っていた時に拾ってくださったのが当時、「潮」の編集長だった南晋三様だった。p254「あとがき」2011/08

18)はぁ、自分の出版社から出す本に、身内に対して最高級の敬語を使い、「様」とまで呼ばせることを許す、この出版社とはいかなるものか。そういえば、この出版社は、某宗教団体系だったなぁ。

19)インターネットのブログなどで被災者自身が想いを発信できる時代だ。よそ者の私が勝てるわけもない。評論家や論客にはなれず、現場に何度も行かなくては書けない物書きはしんどい。p254「同上」

20)しんどいなら来なくてもいいですよ。頼んでまで書いてくれなんて、被災地のだれも言ってはいない。物など書く前に、まずは、泥搔きボランティアの皆さんに頭を下げて、そのスピリットを教えてもらったらいいのではなかろうか。

21)京都大学原子炉実験所では小出(裕章)氏のほか、、今中哲二、海老沢徹、小林圭二、瀬尾健(故人)、川野眞治の各氏ら「京大六人組」といわれた反骨学者たちが長年、市民と語りあう「原子力安全問題ゼミ」を定期的に開いてきた。筆者も一時はよく、このゼミにも参加していたが、原子力ネタでは飯が食えず、サボっていたらこの事態となってしまた。p232「阪神から東北へ、東海村から福島へ」

22)この人、正直なひとなのだろう。他人の災害で「飯を食って」いる、というのも正直なところだろうが、どうも表現が豊かではない。

23)この本、最後に小出裕章研究室を訪ねるあたりで、ようやく一冊の本としてまとまりを持ったが、どうも焦点がさだまっていない。一体、何の目的でこの本を作ったのだろうか。そのことが最後まで気にかかった。

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