原発と権力 戦後から辿る支配者の系譜 山岡淳一郎
「原発と権力」 戦後から辿る支配者の系譜
山岡淳一郎 2011/09 筑摩書房 新書 238p
Vol.3 No.0472★★★★★
1)どうも政治という奴は面倒くさい。ずるい奴はどこまでもずるく、損な奴はどこまでも馬鹿を見る。そう考えてしまうと、もう、アホくさくて、政治のことなど追っかける気もなくなる。鴨長明の方丈庵よろしく、森の中に小さなエコハウスでも作って、静かに暮らしたりするほうが、よっぽどいい。
2)だが、鴨長明自身は、次の文章で「方丈記」を締めている。
3)----私が今、この草庵を愛する気持ちも、罪科となろうというものだ。静かな生活に執着するのも。往生の障害になろうであろう。どうして、これ以上、役にもたたない楽しみを述べて、もったいなくも最後に残ったわずかな時間をむだにしようか。いやいや、そうしてはいられないのだ。「方丈記 鴨長明 現代語訳付き」簗瀬一雄訳p114
4)自然にフェードアウトして終了させようとしていた当ブログだが、3.11を体験し、次なるカテゴリを「3.11からを生きる」と決めた以上、地震・津波、原発・放射線の現実から目を離すことはできなくなった。それは数年の単位ではなく、最低でも2~30年以上かかるプロジェクトであり、すでに50代も後半になっている我が身にとってみれば、残りの人生全てということになる。
5)それはまた、ウジ虫の湧くような「政治」の話も、決して避けては通れないのだ、ということを意味する。覚悟しなければならない。
6)「3.11」をどう後世に語り継ごうかと悩んだ。
たどり着いたのが、「原発は何処からきて、何処へいこうとしているか」という根本的なテーマだった。原発を国策として推進してきた権力の系譜を書こうと決めた。p234「あとがき」
7)この本においては、3.11を体験したあとの時点で、これまでの原発の歴史を振り返ることができる。なるほど、と思うところがおおい。
8)中曽根(康弘)は、福島第一の事故直後、雑誌のインタビューに応えている。
「福島第一原発周辺の住民の生活、職業、子どもの将来に影響がでるような事態になったことは、本当に遺憾千万です。日本の今後の発展のエネルギー事情を考えれば原発政策は持続しなければなりません。今回の事故をよく点検し、今後の生かす必要がある。また、事故の詳細な情報を海外にも提供すべきです。それが世界の『公共財』である原子力に対する日本の責任です。
新規の原発建設は難しいでしょう。国のエネルギー政策は国民と歩むものです。今の状況が国民に理解され、納得されるまでは、軽挙はできないと思います。安全の再点検を十分にし尽くして再起・継続を図るべきです」(『アエラ臨時増刊号 原発と日本人』2001年5月15日号)
負けを十分意識しながらも、93歳の大勲位受賞者はなかなかそれを認めようとしない。しかしさすがに世論の変化に抗しきれないとみたのか、2011年6月、太陽光発電の普及を目指す会議に寄せたビデオメッセージで「原子力は人類に害を及ぼす面もある」と認めた。そして「太陽エネルギーをうまく使う。日本を太陽国家にしたい」と言った。
風見鳥は健在だ。「太陽国家」も明日の風向き次第でどう変わるか知れたものではない。p173「権力の憧憬 間の轍『核燃料サイクル』」
9)吉田茂、岸信介、正力松太郎、中曽根康弘、田中角栄、といった日本の政治家が軒並み登場する。特に「青年将校」中曽根康弘が、日本の原発に大きく関わったことが記されている。
10)民主党名の原発推進の上げ潮を巧妙に利用したのが、仙谷由人だった。
2010年のゴールデンウィーク中、国家戦略担当相の仙谷は、ベトナムの首都ハノイで前原誠司国土交通省相と落ち合った。原発を「パッケージ型インフラ」としてベトナム政府に売り込むためだった。p218「21世紀ニッポンの原発翼賛体制」
11)自民党政治家ばかりが原発に関わってきたわけではない。政権をとった民主党でもまた、継続した推進力が働いていたのであった。
12)反原発を唱えても、なかなか脱原発できない理由がほのかに見えてくる。
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