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2011/10/06

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ<2> 飯沼勇義

<1>からつづく

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <2>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社単行本 208p

1)いやはや、とてつもない本である。あらためて読み直して、そのインパクトの強さに、心底、打たれる。圧倒される。驚愕の一冊である。

2)この本、図書館にリクエストするとすぐ読める。不人気本だからではない。大人気だからだ。この数カ月前に出版されたばかりなのに、すでに20冊ほどが図書館に入っている。そのほとんどは貸し出し中だが、すぐ読み終わったものが戻ってくる。

3)当ブログとしても、図書館が復活以来、意識して「3.11本」を100冊以上めくり続けてきたが、ついぞ、この本を超える本は無かった。地震や津波を「天」とし、原発や放射線を「地」とした。これらについてのテーマ本は数多ある。しかし、「人」に触れているものは少ない。人間としていかに生きるのか、そのことについて総合的にアプローチし、破綻なく全体が丸く収まっている本は少ない。

4)現在のところ、残念ながら、というべきか、唯一この本だけが、「3.11天地人」を象徴してくれる一冊である。

5)そこには「人」として生きた著者の姿がある。そして、後塵を拝する若輩の私たちに、「人」として生きる道を教えてくれる。

6)ここで「荒脛巾(あらはばき)の神」について簡単に説明しよう。津波から話がそれるようだが、決して無関係ではない。
 この神は日本人祖霊の最古の神で縄文時代から継承されてきた日本古来の源神だった。

 荒脛巾は二つの神が一対となって初めて機能してきた。「荒」は荒神と言って男神であり、光と熱を大地へと送りとどける太陽が男神である。それがのちの「荒神信仰」だった。もう一つ、地上にもたらされた太陽の恵みを大地が受容し、あらゆる生きものたちを生み、繁殖させる女神、それが「脛巾神(はばきかみ)信仰」である。

 熱日高彦神社は「伊具郡衙(ぐんが)」にあった頃の鎮守神といわれてきたが神社であるが、もっと古い時代には「伊具国造」がここにあった。それは縄文時代にあった世界でも最も古いという由緒ある社である。p42「予言された津波 古代の神々と津波」

7)10数年前から、古老より聞いて阿武隈川流域にあるこの熱日高彦神社の存在を知り、参拝もしていた。しかし、この本でもって初めて、その意義を知った。そして、石巻の日高見の誉れを語るものは多いが、この阿武隈流域の古社の希少性も初めて知った。なるほど、しかも、これには「津波」にまつわる大きな話がバックにあったのだ。

8)仙台平野への6回にわたる大規模津波によって、船が航行できる津波水系というべき巨大運河がここにあったことがわかっている。

 その規模は、岩沼~名取一帯で、東西距離は太平洋沿岸から西方丘陵地までは約4.5キロメートル。大衡で約2.0キロメートル、三本木で約3.0キロメートル、古川で約4.0キロメートルと海岸から丘陵に到る東西線は、その地域によってみな違うが、広域の仙台平野から大崎平野の古川に至る南北線は、約百キロメートルにわたって津波水系による運河が自然に形成されていたのである。

 特に東西線で大きな水系を有していたのは、岩沼~名取地方と古川から60キロメートル地方である。広大な海水がこの地方を覆っていた。津波によってできた巨大運河だったともいえよう。p44「同上 古代の神々と津波」

9)こちらはもろに私の生地にかかわる話だが、生家の屋号には「島」がつき、近隣からとついできた祖母の生家の屋号にも「島」がついている。実際、幼い時に遊んだ近くの田畑の中には、7つの島状の遺跡があった。思えば、平野部から切り立っていく丘陵部にも、次から次へと「島」の地名がついている。これは、巨大津波による浸水で、できた海岸線の名残りだったのだ。うすうすとは聞いてはいたが、今回の3.11の事実と、この本によって、ますます明確になってきた。

10)この地方を襲った津波の大きさは、仙台平野一連の歴史津波市場、最大のものであり、地震寝ネルギーを全量放出したと考えられるのである。その津波の波及域は仙台・名取の山岳丘陵下にまで達した。

 この津波は長徳2(西暦996)年に起こった巨大地震(宮城県沖と関連する海溝型の震源地と連動した)による津波で、これを仙台・名取熊野堂津波という。p59「西暦996年(長徳2年)(仙台・名取熊野堂津波=長徳地震)

11)う~む、まさにここで語られているものは、私の住むこの地の話である。

12)ところで、宮城県名取市には熊野新宮寺という名刹が存在する。(中略)当時、東北一円に強い熊野信仰が広まったのだが、その背景には一連の大規模な津波が深く関わっていると考えられる。津波と、更に加わった洪水、飢饉、疫病の流行による災いから人々を救済し、極楽浄土へと導いてくれるのが、熊野信仰であった。名取熊野信仰が東北一円にまで拡まったということは、この地方に住むあらゆる人々が、津波の地獄から這い上がり、極楽浄土を求める強い祈願があったことを意味してはいないだろうか。p60「同上 東北の津波信仰と津波」

13)熊野本宮社熊野新宮社熊野那智神社今熊野神社などの古社がすぐ近くにある縁を以前より感じていたが、なるほどそうであったか、と漠とした今までの思いが明確になってきた。

14)今回被災した閖上(ゆりあげ)地区の名前の由来は、海岸線に仏像が「揺り上がった」とこころから付いたとするものがある。その仏像は丘陵地帯にある高館の熊野那智神社に奉納された、と聞いたこともあった。津波と熊野信仰、ますます信ぴょう性は高まる。

15)慶長16(1611)年10月28日、東北地方の太平洋岸に大地震、津波が発生した。この津波は、午前10時頃から午後2時頃まで来襲し、午後5時までには収まった。そして、この津波によって仙台平野一帯は浸水し、平野の耕地、住家は殆ど冠水した。p70「同上 慶長津波と仙台平野の津波伝説」

16)自分の先祖はこの地に400年ほど前から住んでいると聞いているが、まさにこの慶長津波はちょうど今から400年前のこと。我が先祖はこの津波と何らかの関係があるだろう。菩提寺の墓石には、こまかく年代が刻まれているのだが、いままで気にもしたことがなかった。今度、もうすこし丁寧に参拝してみよう。

17)大自然の背後には、はっきりと目には見えない威力が存在していると、縄文人たちは感じとっていた。万物を生み育てると共にすべてのものを破壊する恐るべき大自然の力。そこに私たちは寄り添って生きていくことしか許されないと蝦夷たちは感じとっていたのである。p181「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」

18)著者は「津波学」の構築を訴える。それは、単に津波のメカニズムや予知に偏ったものではなく、「自然科学の分野と人文科学的領域に跨(またが)ったきわめて統合された学」p207(「あとがき」)と見定めている。

19)おそらく、現在よりさらに効率のよいエネルギー変換率が30パーセントを上回る太陽光発電法を用い、その電力を高性能電池で蓄電する方法が最も正解だろうと考えられる。p198「同上」

20)原発、火力、水力、シュールガス、風力、潮力、地熱、など、多くの発電方法に思いをはせながら、著者は太陽光に一番期待しているかのようである。しかし、さらに、進化した発電法に展望をさぐる。

21)東日本大震災直後の2011年4月、英科学雑誌「ネイチャー」の電子版に、光合成で太陽光発電が植物中の水を分解して酵素や電子を発生させるメカニズムを日本の研究者が世界で初めて解明したという論文が掲載された。p198「同上」

22)昭和5年生まれ、現在80歳の方ではあるが、その学究の熱情には、ただただ見上げるしかない。

23)東北はまったく新たに出発するだろう。他の日本の地域とは歴然とした違いを明確に打ち出し、自然と一体でありながら、同時にもっとも高度な技術文明を維持できる。その規範となるべき東北州が誕生するだろう。p200「同上」

24)「3.11天地人」。当ブログにおける100冊を超える3.11関連本のもっともバランスの取れたベスト本として、この本を推奨したい。

<3>につづく

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