上弦の月を食べる獅子 夢枕 獏<3>
<2>よりつづく
「上弦の月を喰べる獅子」 <3>
夢枕 獏 1989/08 早川書房 単行本 572p
★★★★★
1)これまでは、アガータ=アーガタつながりで、この長編小説を読んでいた。宮沢賢治が重要なファクターになっていたことは知っていたが、それはあくまで副次的なもので、あくまでもキーワードとしての「アガータ」の旅の中での「上弦の月を食べる獅子」だった。
2)今回は、3.11後における宮沢賢治を読む、というプロセスの中で、この本を思い出し、もう一度めくってみることになった。
3)いざめくってみれば、やはり前回同様、私個人は「アガータ」探しの旅にウエイトがあり、むしろ、今回の読書で、「アーガタ」の細かいディティールも鮮明になってきて、もう、ここまでくれば「アガータ=アーガタ」と、納得してもいいのではないか、とさえ思えてくる。
4)しかしながら、この小説がSFマガジンに描かれだした86年という同時期ではあったが、私はSFマガジンの読者でもなく、他の誰かからも聞いた記憶はない。この同時性は一体どうしたものか、と、いまだに不思議であることに変わりはない。
5)「アガータ」と「アーガタ」は一つのことを表わそうとした二つの言葉であるとして、夢枕獏の「アーガタ」も小説の中では完結したとしても、その意味するところは、多義性に包まれているのだから、あえて、私は私なりに、いまだに「アガータ」を標榜し続けるということは可能であろう。
6)つまり夢枕の「アーガタ」に共感しつつ、それは彼なりの理解であり、彼なりの表現であるのであって、私の「アガータ」は、かなりの同義性をもつつつ、もっと他とのリンクも可能なのであり、独自なファクターを秘めている、としておこうと思う。
7)いざ、そう思ってみれば、この小説の中に出て来る宮沢賢治もまた、共感しつつも、それは作者の中の宮沢賢治なのであって、そこに共感しつつも、それに包括し得ない賢治像を私は私なりに持っている、ということになる。当然のことだが。
8)巽孝之はかなり牽強付会にスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」とこの小説を繋げてしまっているが、かなり想像力を必要とする論点ではある。
9)そして、この小説においても、この小説の中に宮沢賢治を強引に引きこんでいく手法というものは、果たして、一般的な賢治ファンから見た場合、どうであるのだろうか、と、ふと考える。
10)この小説を読みながら、小さい頃に「鉄腕アトム」を読んでいた時のことを思い出した。
11)マンガの中で、アトムの妹、ウランちゃんが、敵の手にかかり、魔の実験室の実験台に乗っている。そして、電機のこぎりのようなもので、縦に右と左に、真っ二つに裂かれてしまうのである。あわや、と思う間もなく、その体の断面から泡状のモノが湧きだし、半身だった二つの体は、やがて、二人のウランちゃんになってしまうのである。
12)この後のストーリーはどうなってしまったのかぜんぜん覚えていないが、まだ小学校4年か5年であった私は、そうとうにエロチックなものを感じたのだった。まだ精通もしていないわが性器が、もの悲しく勃起したのだった。
13)この「上弦の月を食べる獅子」という小説、小説読みでない私に、なにか理屈を超えた情動の波を押しせる力がある。意味も分からず、整理もつかないが、それでも体の心底から揺さぶりをかけてくる力がある。
14)さて、このようなエロチシズムと情動的な力は、宮沢賢治という存在と、うまく整合性がとれているものだろうか。童話的ファンタジー的な賢治ワールドにおいて、さて、このように成熟した大人の感性は、どこまで絡みこんでいるのだろう。
15)考えようによっては、当ブログとこの小説の構造は似ているかもしれない。アガータとして海より来たり、有楼へと昇りつめようとする。しかし、そこに至るとなにもない。
16)双人 樹よ、一本の円生樹と呼ばれる生命であるところの存在よ。私は、この蘇迷楼(スメール)の頂へゆこうとするアーガタです。しかし、私にも、私という存在がどうして、この蘇迷楼に生じたのか、わからないのです。獅子宮(アイオーン)というものの存在も、私にはよくわからないのです。それは、いったいどのような存在で、いつからあるのでしょう。p458「望の倶」
17)あるいは、この燃え立つような情動的な求道心こそが宮沢賢治なのであって、メルヘンタッチな童話にとどめて理解しようとするほうが邪道なのではなかろうか。だとするならば、この業と縁に導かれる世界こそ、当ブログが同調すべき賢治ワールドである、ということもできよう。
18)この小説の中で、繰り返し、南無妙法蓮華経、のマントラを繰り返すうちに、いつか津田真一の「反密教学」を思い出した。この本、初版は1987/09である。あまりに名著なので、自分でも欲しいと思っていたところ、増補新版が2008/10がでたのであった。その時、新たに法華経にまつわる新しい研究の成果が発表されたのであった。
19)この部分も大変重要な部分であったのだが、追っかけも中途半端になってしまっていた。今、あらためて宮沢賢治を読むにあたって、ふたたび、賢治の立脚点である法華経を読む直す必要があるようだ。
20)3.11とは極めて今日的で広大な意味を持ったテーマだが、少なくとも当ブログにおいては、いままで見過ごしてきたことの再認識、やりかけていたことの再スタート、そして、ひとたび終えたと思っていたサークルの、ひとつの螺旋の上昇、そのことを意味するようである。
21)家人が、二階へ上ってゆくと、賢治は、床に大喀血し、青白い顔で法華経を唱えていた。
その賢治を見、最期と見た父が、賢治に遺言を訊いた。
賢治の遺言は、「法華経」1000部を刊行し、それを知己に配ってもらい、
「私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手元に届け、そしてその中にある仏意にふれてあなたが無上道に入られんことをお願いするのほかありません」
との意を文章をそれにそえてもらいたいというものであった。p546「果の輪の結び」
22)最終章において、このように描かれているかぎり、やはりこれは、少なくとも半分は賢治へのオマージュと見ていいのだろう。
23)何度か、この物語を中断しようとした時、もし、誰か、ぼくよりこの物語にとってふさわしい書き手がいるのなら、その人間にこの物語を書き綴る役をかわってもらいたいとさえ思った。その方が、この物語のためだからだ。p556「次の螺旋の輪廻りのために」
24)たしかにこれは夢枕獏「アーガタ」&「賢治」ストーリーなのだろう。
25)この小説、賢治の絶筆の二首でしめくくられている。「私は誰か」の帰結はこのようでなくてはならない、と密かに思う。私の「私は誰か」の旅も、芭蕉の絶筆で終わった。賢治、とくれば、やはり、芭蕉も大事である。いずれ、芭蕉と旅する時もくるはずである。
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