方丈記 鴨長明 現代語訳付き <2>
「方丈記」 現代語訳付き <2>
鴨 長明 (著), 簗瀬 一雄 (翻訳) 2010/11角川学芸出版 文庫: 243p
1)3.11以後に出た本でもないし、ごく最近の本でもない。もともと書かれたのは、建暦元年というから1212年。ちょうど900年前のことである。現代語訳で読むと、人間界での出来事は、いつになってもかわらないなぁ、と思う。
2)「いのちと環境 人類は生き残れるか」の柳澤 桂子によれば、よい文学に触れることが大切だという。
3)今すぐみなさんにできることがあります。まず自分の意識レベルを上げるような勉強をしてください。いい芸術に触れることをお勧めします。特に優れた文学を読みよく考えてください。あなたの周囲の人の意識レベルを上げるような会話をして下さい。柳澤 桂子「いのちと環境 人類は生き残れるか」p212
4)「方丈記」は文学なのか、優れた文学なのか、という問いに、私は即答できないが、思いつくのはこのような作品だ。
5)ソロー関連を読んでも、スナイダー関連を読んでも、「方丈記」はでてくる。当ブログにおいても、なぜか「我が家に手作りガーデンハウス―DIYで建てよう!“小さな家”」へのアクセス数は高い。
6)人間の生き方を考える時、人は、自らの「家」を象徴として考えるのだろう。まさにスナイダーの「地球の家を保つには」こそが、エコロジーと精神革命のキーワードとなるのであろうか。
7)「方丈記」。前回はあまりにも3.11にも匹敵する表現に、ただただ転写するにとどめたが、すこしはコメントを加えておこうと思った。だけれども、3.11を代表させるには、無理がある。
8)「3.11天地人」。まさに「方丈記」は、「3.11人の巻」を切り拓いてもらいたいような一冊だ。
9)静かな夜の明け方に、この道理をよくよく考えて、そこで、私自身の心に向かって問いを発してみる。---長明よ、おまえが世俗から脱出して、山林に入り込んだのは、乱れやすい心をととのえて、仏道を修行しようがためである。それなのに、おまえは、姿だけは清浄な僧になっていて、心はけがれにそまったままだ。
住む家は、まるでそのまま淨名居士維摩の方丈の小室をまねてはいるが、そこでおまえのやっていることは、どんなに見つもたって、周利槃特の修行にさえもかなうものではないぞ。ひょっとすると、これは、宿業のむくいといsての貧賤がおまえ自身を悩ましているのか。
あるいはまた、みだりな分別心、なまはんかな知性がこうじて、気が違ったのか。さあ、どうだ。----こうして問いつめた時、私の心は、まったく答えることができない。答えられないのだ。
残った方法は一つ。ここに、けがれたままの舌をうごかして、阿弥陀如来をお迎えする儀礼もととのえず、ただ念仏を二、三べんとなえるだけ。それで終わったのだ。
今は建暦の二年、三月の終わりごろ、出家の蓮胤、日野の外山の庵において、この文をしるすのである。p114
10)当ブログのスタイルは、meditation in the marketplace だった。ここにもどっていこう。
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