震災トラウマと復興ストレス<2> 宮地尚子
「震災トラウマと復興ストレス」 Vol.3 岩波ブックレット <2>
宮地尚子 2011/08 岩波書店 全集・双書 63p
★★★★★
1)なぜにこのブックレットに興味引かれるのだろう。正直言ってタイトルは好みではない。出来れば避けたいような心理が働く。だけど、それは、被災地の写真をあまり見たくないという心理に似ている。写真は見たくないが、現地には定期的に行っている。
2)この本、実際に、今回の3.11の被災地における「人の巻」をうまく描写し、まとめてくれているのではないだろうか。見たくも知りたくもない、という心理は働くのだけれど、やはり、おちついて考えてみれば、直視せざるを得ない現実、特に人間の内面の心理を活写してくれている。
3)この本、女性が書いているからなお魅力的なのかもしれない。田口ランディの文章を「粘っこい文章だなぁ。うん、確かにオンナだなぁ、この感覚・・・・」などと書いておいて、あとでちょっと書きすぎたかな、とも思ったが、やはり女性ならではの感性というものがある。
4)そのように二人の映像がダブったのは、次の文章を読んだ時。
5)精神障害者の回復施設「べてるの家」は「弱さの情報公開」をモットーの一つとしています(浦河べてるの家「べてるの家の『非』援助論」医学書院、2002年)。支援現場では難しいようなら、せめて家族や友人など心の許せる人に連絡し、自分の気持ちを話したりすることも重要です。関わった人すべてが自分の弱さを認め、惨事には衝撃を受ける存在だと自覚することは、とても大事だと思います。p28 「支援者の位置---<外斜面>」
6)この施設について何も知らないが、ゆうべランディの本をめくっていた時、今回は割愛して読み飛ばした部分に、この施設についての一文が含まれていたのだった。
7)私が初めて「べてるの家」を訪れたのは2003年の春のこと。
きっかけになったのは、一冊の本だった。
「べてるの家の<非>援助論」(医学書院)
馴染みのない出版社からの献本だったので、そばらく封も切らずに机の上に積んだままにしていた。半年ほども過ぎた頃だろうか。仕事場を整理するために本を取り出した。タイトルを見て、妙な本だなぁと思った。田口ランディ「寄る辺なき時代の希望」p83「べてるの家という希望」
8)読む気のなかったランディの本だが、ついついこの部分も読むことになってしまった。それにしても、相変わらず粘っこい文章だなぁ。こういうオンナと付き合う時は、うっかり自分の秘密をしゃべってはいけない。全部ばらされてしまいそうだ。逆に、あちこちから集めてきた裏情報を、「無料」でいろいろ教えてくれるから、便利と言えば便利だ・・・・、などと書いておいていいのかな・・・オズオズ。
9)私は家族のことを小説やエッセイに書いているが、それに対して多くの人がこういうのだ。
「あんなに自分のことを書いてしまって大丈夫ですか? 苦しくないですか?」
そういう時、私は笑って「大丈夫です」と答えてきた。
だけど、大丈夫なはずがない。苦しい。でも、どうしても書かないわけにはいかない理由が、私にはあったのだ。
家族の業を自分の言葉として書いて語っていかなければ、どうにも生きていかれなかったから、だから書いてきたのだ。自分を表現し続けなければ、自分が壊れてしまうような気がした。必死になって書き続けてきたのは、自分のためのカルマ落としだ。田口ランディ「同上」p116
10)山尾三省の文章を読んでいても、よくまぁ、これだけ自分の家族のことを書くなぁ、と思っていたが、私には書けない。私もまがりなりにも、守秘義務のある業務についており、また、公的職能規定に基づく心理技能者の一人である。やたらとクライエントや周囲の人々については書けない。ましてや、ネット上ではできるだけぼかすことを心掛けている。
11)しかし、ここにおけるランディの葛藤は、宮地尚子言うところの、<内海>からの脱出であり、<内斜面>を波ぎわから必死にはいずりあがろうとしている姿なのかも知れない。なんだか、癖になりそうな、ランディ・ワールドではある。
12)さて、このブックレットを読み直して気づいたことは、内斜面と外斜面のちょうどピークにあたる、<尾根>についての論及がすくないこと。私自身は、この<尾根>に自らの立ち位置を求めたいと思うのだが、詳しく書いてはいない。ひょっとすると、彼女の前著である「環状島---トラウマの地政学」には、詳しく書いてあるのかも知れない。
13)それと、環状島モデルという非常時に着いて書いてあるわけだけれども、では、平常時には、このモデルはどうなってしまうのだろうか。平坦になってしまうのだろうか。海も山も風も引力もない、真っ平らなのだろうか。
14)環状島モデルというメタファーは、実は、人間世界の「平常時」なのであって、真っ平らな無風+無重力地帯、というイメージこそ、あり得ない世界なのかもしれない。
15)となれば、この環状島モデルは、別に3.11のような被災時にだけ登場するものではなく、規模や形態こそ違え、人間界では常に現われている現象なのではないか、ということになる。
16)そして本来であれば、円錐形であるべき姿があり、なお、その頂点部分が陥没して、環状島になるのだとすれば、いつ円錐形が環状島に変化するのか、そのリミットなんども考慮される必要があるように思える。
17)この無意識の捉え方を図に示すと、円錐島モデルになります。中心が一番高い島です。たしかにゼロ地点に近づくほど、当事者製や、被った損害、抱える負担は大きく、発言権や証言者としての正当性(レジティマシー)も大きくなります。
けれども、ゼロ地点に近ければ近いほど発話力が上がるという単純なモデルは、すでに説明したように事実に反しています。
生き延びて声を出せる人たちでさえ、自分の経験をどこまで語ればいいのか迷います。自分が平静を保てるのか、相手がおじけづいてしまわないか、話した後も自分を受け入れてもらえるのか、さまざまな逡巡の中で、語れることや語っても許されると思えることだけを語るのです。p11「「円錐島とのちがい」
18)自分は「尾根」に立っている、というのも幻想で、実際は、結局は、もとの円錐形が実体としては正しくて、頂上に行けば行くほど空気が薄くなって呼吸が大変になるように、自分が立っているところが、すべてにおける「尾根」ということになるのではないか。
19)本質的には地上から昇った外斜面であるが、とにかく、そこで感じるもは感じ、発信できるものは発信する。そしてやはり頂上を目指す、というのが本来の「山登り」の姿であろう。だから、逆に言えば、どこであろうと、自分が立っているのは、そこが「尾根」なのだ、ということになる。
20)宮地モデルは、救済者としての「外部」の人間から見た場合を想定しているので、環状島モデルということになってしまったが、平常時(被災時もふくむ)の中心から見た場合、環状島というモデルではなく、何か他のモデルが想定されてくるように思いはじめた。
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