寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか<2> 田口 ランディ
「寄る辺なき時代の希望」 人は死ぬのになぜ生きるのか<2>
田口 ランディ 2006/09 春秋社 単行本: 299p
★★★☆☆
1)たましいは水に似ている。
そう語ったのは鹿児島県の屋久島で思索を続けた詩人、山尾三省さんでした。
山尾さんは1938年、東京の神田に生まれました。早稲田大学哲学科に進学するも、過激さを増す学生運動に違和感を覚え中退。インド、ネパールへの聖地を巡礼する旅にでます。
革命とは己の生活そのものを変えていくこと、そのことを自ら実践しようとしたのでしょうか、77年にご家族とともに南海の孤島である屋久島に移住。以来ずっと、屋久島に居をかまえ畑を耕し、日々の暮らしを詩に表わしてきました。質素に生き、人間の傲慢さを戒め、自然との共生を説いたたくさんの著書には熱狂的な読者がいます。山尾さんは多くの著書のなかでたましいについて考え、たましいをなぞるように詩を書きました。そして、2003年に突如として短すぎる人生を閉じました。
私が山尾さんを訪ねたのは、山尾さんがガンで亡くなる3ヵ月前でした。偶然ですが、私たちはたましいの話をしたのです。p285「死の向こう側へ」
2)「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」という新刊を見つけ、とんでもないトリニティをタイトルにする奴がいたものだと腹立たしく読み、その中の東海村臨界事故についての下りの中で、私の親戚が登場していたので、そこをさらに詳しく読んでおこうと手に取ったのが、この本だった。
3)その部分さえ読めればそれでよかったのだが、宮地尚子の「震災トラウマと復興ストレス」を再読して、「浦河べてるの家」についての言及を見つけ、またまたこちらのランディの本に「ぺデルの家という希望」という文章があったので、そちらのパートも読んでしまうことになった。
4)このまま返却する予定だったのだが、ちょっと指が引っ掛かったところに「山尾三省」の文字を見つけてしまったので、こちらのパートにも目を通さざるを得なくなってしまった(失笑)。なんという、粘りっこいオンナなんだろう。
5)しかしながら、上の短い三省紹介の文章のなかに、いろいろと、それこそ違和感を覚えてしまったので、メモしておこう。
6)「過激さを増す学生運動に違和感を覚え中退。」と書いているが、これは多分違う。過激さを増していたのは三省たち学生たちであり、違和感を覚えたのは「学生運動」ではなく、彼らが矛先としていた戦後日本社会の方向性についてだった。
7)そして中退後、直ちに「インド、ネパールへの聖地を巡礼する旅」にでたわけではない。三省が大学時代を過ごしたのは1960年前後のことであり、インド・ネパールへの家族との一年間の旅にでたのは1974年。この10年間の三省の動きをあまりに簡単に端折りすぎている。
8)その他、表現の幅の中での誤差ではあるが、あまりすっきりしない紹介のしかただ。「突如として短すぎる人生を閉じました。」という表現はどうだろう。62歳で亡くなったのだから、「短すぎる人生」というのも、もうひとつフィットしない。詩人なら10代、20代、30代で夭折した存在がたくさんいる。わたしなら、大往生、と表現するかもしれない。
9)それに「突如として」というのはどうだ。交通事故で死んだわけではないし、自殺したわけでもない。内蔵のガンで長患いをして、その間に何冊も本を書き、周知の事実として、「次第」に亡くなっていったのだ。意識して、目覚めて死んでいったのが山尾三省です。
10)まぁ、ここまでは許そう。だけど許せないのは、三省が2003年に亡くなった、としていること。三省の命日は2001年8月28日である。2年もサバ読んでいる。
11)しかもだ。「私が山尾さんを訪ねたのは、山尾さんがガンで亡くなる3ヵ月前でした。」とまで書いている。これは危ない。自分が何年に三省と会ったのか完全に忘れたのか、ねつ造している。危ないオンナだなぁ。
12)この本は2006年の9月にでているので、3年前の出来ごとだったのか、5年前の出来事だったのかさえ、混同している、ということである。
13)誤字脱字、勘違い、覚え違いのオンパレードである当ブログが指摘するほどのことでもないかもしれないが、個人ブログのネット上の書き間違いと、「有名」作家の印刷物での書き間違いは、一緒にすることはできない。
14)と、腹正しい気分を抱えながら、ひととおり「終章 死の向こう側へ」のパートを読み終えた。まぁ、これはこれで面白いな、と思う。細かい部分の描写や表現は、やはり眉唾にならざるを得ないのだが、詩やおとぎ話、クライエントが話す言葉としてなら、十分に聴ける内容ではある。
15)よく知らなり著者のことであるが、仮説としては、彼女は、プロのクライエントなのでないか、と思える。話し、書くことは天才的に書き続けることができる。その中に作り話や誤解、記憶違いや、注意深くない点なども、多々あるのだが、それでも、必死に表現し続けることはできる。
16)ある意味、彼女は必死になって内斜面を登り続けている存在なのであろう。そして、それをエンターテイメントとして確立してしまったが故に、読者たちに、共感を与えるというより、一時的な救済者的錯覚を与えて「あげる」ことができるのではないか。
17)私はほとんど小説というものを読まないが(それはうちの奥さんのパートだ)、このような存在が小説家や作家などと呼ばれるのかも知れない。
18)結局、他の部分も読んでしまい、この本の大体に目を通したことになってしまった。あちこち飛ばし読みした。文章の上手な人だなぁ、とは思ったが、それ以上の、いいことは書けない。この人の、別な本を読んでみたい、とは、今のところ、思わない。
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