現実は常に壊れやすい 神秘家の道<20>OSHO
<19>よりつづく
「神秘家の道」 <20> 珠玉の質疑応答録
OSHO/スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 単行本 884p
1)当ブログ、36番目のカテゴリー「3・11後を生きる」をはじめようと思う。
2)何から始めようと、いろいろ思ったが、やっぱり、この本のこの部分から始めようと、思う。
3)大災害は、人をあるがままの現実に目覚めさせる。現実は常に壊れやすい。誰もが、常に危険に晒されている。ただ平常の時は、ぐっすり眠りこけているために、それが見えないだけだ。来たるべき日々や将来に対し、夢を見続け、素晴らしいことを想像し続ける。だが危険が差し迫ってきた瞬間には、人は突然、未来はないかもしれない、明日はないかもしれないということに、自分には今この瞬間しかないということに気づく。
だから、大災害の時というのは、非常に啓示的だ。大災害はこの世に何一つ新しいものをもたらさない。それはただ、あるがままの世界に気づかせるだけだ---それは人の目を覚まさせる。それを理解しなければ、気が違うこともあり得る。それを理解すれば、目覚めも起こり得る。P76
4)この書込みは実は8月に書きかけたものだが、アップするまでに至らなかった。当ブログの主流はこちらのほうだ。しかし、なかなか流れはこちらにこなかった。
5)こういう原子力発電所は全て、本質的に安全ではないからだ。もし何か失敗し---そして今や我々は、一つの発電所に欠陥があったことを知っているのだが---そうなったら、彼らはどんな力もない。彼らはただただ無力なのだ。彼らは自分たちが創り出しているエネルギーを制御できない。p80
6)この講話は、1986年5月の初旬に行われたものだ。チェルノブイリの事故が起きた直後、わずか一週間のことである。
7)たった今死んだのが誰だとしても…その死は、すべて自分の死だ。なぜなら、人の死はすべて、自分は永久にここにいるのではないということを、思い出す縁(よすが)だからだ。人の死はすべて、目を覚ますための機会だ。死がやってくる前に、死を超えたものを達成するために、生の機会を使いなさい。
心配しても仕方がない。そんなことをしても、この瞬間を見逃すことになるだけで、誰の役にも立ちはしないからだ。しかも危険に晒されているのは自分の両親、自分の友人、自分の愛する者だけではない。全世界が危険にさらされている。p81
8)私はこの講話を他人のブログの中にみつけ、コピペしたまま、自分のブログに貼り付けようとした。だが、ことはそう甘くはなかった。コピペしてみると、他人の転写は、その人なりの転写方法がある。どの部分を強調し、どの部分を避けてしまうか。どんな書き間違いをするか。同じ人の同じ言葉の扱いでも、扱う人によって、違いがでてくる。
9)もっと油断なく醒めていなさい。そうすれば自分の中に、死が手を触れられないものを見い出せる。それこそが唯一の避難所、唯一の防衛、唯一の安全だ。そしてもしお前たちが自分の友人や家族を助けたいと思うなら、その人たちにこの秘密を気づかせてあげなさい。p81
10)私はまだまだOsho読みのOsho知らずだ。他人はどう読んでいて、自分はどう読んでいるのか。あるいは、自分はなにを読まないでいて、他人は何を読まないでいるのか。微妙に違う重ね絵のズレに、自らのマインドの移ろいが際立って描写されている。
11)「3・11後を生きる」。まずはここからスタートしよう。
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