聖なる地球のつどいかな <3>ゲーリー スナイダー vs 山尾 三省
「聖なる地球のつどいかな」 <3>
ゲーリー スナイダー (著), 山尾 三省 (著) 山里勝己(監修), Gary Snyder (原著) 1998/07 山と溪谷社 単行本: 287p
★★★★★
1)また、この本を読むことになった。三省+スナイダー+賢治のトライアングルをまた新たになぞって行こうとすると、まずはこの本から再スタートということになる。
2)いままではどうかすると部分読み、あるいは何かを探して文面を追っていたのだが、またあらためて一冊の本として読み直してみると、あちこちに、いままで気づかなかったことがたくさんある。そして、すでに13年前の本ではあるが、今こそ読み直すべき内容が満載で、「3.11後を生きる」という当ブログの現在のテーマには実に示唆的一冊であると言える。
3)山尾 日本では宮沢賢治に詩に共通点を見い出せますね。
スナイダー 彼は科学をたくさん取り入れていますね。
山尾 宮沢賢治が読みにくかったのはサイエンスを取り入れたからです。それから仏教を入れた。だから難しいんですね。僕も今ではよくわかります。宮沢賢治が言っていることがよくわかるんですよ。おそらく彼はその時代までにわかっていたサイエンスをみんな取り入れたんでしょう。だから今、20世紀末を生きている我々にはこれがわかるんだと思います。
スナイダー 西洋文化の伝統では、科学と宗教は分けて考えなければいけないことなんです。でもアジアの思想、仏教や道教などでは、宗教と科学は一緒になることができる。
----昨年(1996年)賢治生誕100年だったんですが、改めて世間に見直されはじめてきたというのは、やはり次の時代の予感だと思います。
スナイダー 私が20年前に言ったことを知っていますか? 宮沢賢治は20世紀の日本で、おそらくもっとも重要な詩人ではないかということを言ったんですよ。
----だから宮沢賢治を翻訳したんですね。p246「科学は美の中を歩む」
3)3.11後、40冊以上の三省関連を読み、10冊のスナイダー関連を読み込んだ。その後、3.11本関連本を手当たり次第150冊ほど読み込んだ後に、また、こちらの図式に戻ってきた。
4)3.11関連本の中にも、賢治に言及した本は多く存在した。東日本大震災の復興の中でこそ、賢治は、今こそ読まれるべきなのだ。当ブログにおいては、これから賢治を読み込み始めるところである。
5)三省・スナイダー・賢治の共通項はなんだろう。まずは詩人ということだ。言葉の力を信じている。
6)そして、科学を信じている。いや三省はあまり科学を評価していない時代があった。スナイダーはバランスよく、詩人という範囲で科学を取り入れている。三人の中でもっとも科学者と言えるのは賢治だろう。当時の科学と言われるものは積極的に自らのものとしている。
7)賢治の時代には、原子力発電はなかった。そしてコンピュータもなかった。だから、賢治の時代の科学を、私たちの時代の科学とは言えない。
8)そして、三人の共通項は、宗教性にある。特に仏教。スナイダーは禅を自らのものとする。賢治は法華経に自らの立脚点を見い出す。三省はインド思想に影響を受けながらも、アニミズム的世界に入っていく。
9)彼ら三人は場を持っている。バイオリージョナル(場の思想)であり、ウィルダネス(野性)でもある。三省の屋久島、スナイダーのキットキットディジー、賢治のイーハトーブ。この中では、賢治の世界が一番、町に近いだろう。スナイダーには持って生まれた野性があり、三省は都市から遠ざかって南の孤島へと向かった。賢治は、ふるさとイーハトーブに帰って、幻想の都市の中に住んだ。
10)スナイダーと三省をつなげただけでは、反都市的で、町に住まう私などは、どこか居心地が悪くなる瞬間がある。
11)スナイダー 汚い川のためにダンスをしたり、詩を読んだり、そして音楽を演奏したりもするんです。ちょっとしたことでいいんですよ。こういう活動をアーバン・バイオリージョナリズムと言いますが、いまアーバン・バイオリージョナリズムはたいへん活発です。p121「バイオリージョナリズム---流域の思想」
12)(註)アーバン・バイオリージョナリズム 生態地域主義(生命地域主義)は、行政的に分割された「地域」ではなく、生態系を基礎として分割されたバイオリージョン(生態地域/生命地域)を生活の中心に据えることを提唱する。このような意味では、都市もひとつのバイオリージョンであると見ることができる。p121
13)三省は農業をするために都市を離れ屋久島へ行った。スナイダーは森の詩人として経済的にも自活できるために農を業とまではしていない。賢治は、もっとも人里に近く、村、そして都市的でもある。生活の糧として農業を科学的に推し進めようとした。
14)今、3.11後、というタイミングで見るみると、実は、この三人とも、ズバリこれでしょう、というモデルにはなっていない。それぞれに偏りがあり、それぞれにズレがある。しかし、この三人が見ようとしていた世界観を、うっすらとではあるが、一つのものとして近づけていくことができる。
15)科学を取り入れること。しかし、行き過ぎたモンスターサイエンスは戒めなければならない。
16)芸術の力を信じること。そして、それは人間性とつよく結びついていることが大事だ。
17)柔軟な宗教性を持つこと。それは堅固であったり、組織的である必要はない。
18)私は、この三人の共通項について、ホツマツタエの日高見や、Oshoのビジョンの中にも見ることもできる。
19)私は私なりの3.11後におけるアーバン・バイオリージョナリズムを生きていこうと思う。
20)私には先祖の血が流れている。400年前からの先祖の名前が分かっている。しかし、なぜ400年前なのだろう。これについて3.11をきっかけとして気づいたことがある。この地方においては、1611年に慶長津波という災害があったのである。ちょうど400年前だ。この時、この地方は壊滅したのだ。その後に復活したのが、私の先祖の新たなルーツなのだ、という直感。
21)三省の7000年の命を誇る「聖老人」はいないものの、この地には、樹齢1300年と言われるカヤの木がある。他に類する歴史的史跡が少ない中、この木だけが生き残っているとはどういうことだろうか。繰り返される災害の中、陸前高田の一本松のように、このカヤの木だけは生き残ってきたのではなかったか。
22)スナイダーのいう流域生態地域主義に比して見ると、河川の清流を守る会で清掃活動に参加していたのも、アーバン・バイオリージョナリズムと言える。
23)賢治がイーハトーブに幻想都市を見たように、私も幻想の日高見国で遊ぶことができる。そしてゆるやかな瞑想コミューンの創出に夢をつなぐことができる。
24)スナイダー ひとつのキーとなることなんですが、それは文化を創っていく重要性とか、自然や場所に対する関係をどう築いていくか、ということです。そして同時に他の文化、あるいは文化の多様性に対する寛容さ、寛大さを持つ、つまりコスモポリタニズムの必要性ですね。p46「自分の場所を見つける」
25)私にも私なりの彷徨、旅があった。そして再定住としての、今の暮らしがある。森や島や山の生活ではないが、町を暮らしの場として選んだことには、それなりの深い逡巡があってのことである。ここから、3.11以降のライフスタイルを見つけることから始める必要がある。
26)この本、一つのプラットホームを形作っていると言える。また、近いうちに再読することになるのだろう。
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コメント
なかなか示唆に富んだ一冊です。
投稿: Bhavesh | 2011/10/18 12:19
ぐるりと輪が繋がって、次に行かれるのですね。
投稿: hagu | 2011/10/18 11:54