3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ<3> 飯沼勇義
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <3>
飯沼 勇義 (著) 2011/6 鳥影社 単行本 208p
1)赤本「仙台平野の歴史津波--巨大津波が仙台平野を襲う!」(飯沼勇 1995 宝文堂)のインパクトがあまりに強かったものだから、これは一冊手元におかなければならない、と通販を探すのだが、すでに絶版である。オークションにもでていない。出版元もこの出版不況の中ですでに数年前に倒産し、あとは図書館の蔵書に頼るだけとなる。密かに私家版コピーでもとっておくか。
2)そんなわけで、こちらの本もまた再読ということになってしまった。赤本の再録部分もあり、3.11の事実を踏まえた上での著者の体験談もあったりして、興味は尽きないのだが、他者の文章も混在していて、何回か読み返して行けば、やや冗漫なところがないではない。
3)しかし、それよりも著者自身の視点や論点、あるいは事実認識の変化があることに気づいたことが、再読の効果であった。
4)「知られざる中世の仙台地方」(1986)においての多数の点のあつまりからなる世界観が、赤本においては、一転、仙台平野における歴史津波の警告という一線のするどい閃きに変わり、こちらの「3・11その日を忘れない」においては、地震津波の数も多極化し、その到来する地域も次第に広くなった。
5)今回の国難ともいうべき非常事態に対し、歴史学者として、また被災者として、読者諸兄にぜひともお伝えしたいことがあって、緊急出版というかたちで本書を刊行することになった。その最大の理由は、マグニチュード8以上の首都県直下型地震ととう南海地震が予想され、再び巨大津波に直面する可能性があるからだ。p2「はじめに」
6)まさに今は「3.11後」ではなく、新たなる「3.11」の前にある可能性が高いのだ。
7)出版元の島影社編集部の人は書いている。
(飯沼)先生は、江戸末期から明治初期に日本に輩出降臨した人々、教派神道の教祖たちのように、口を閉ざしても、弾圧されても、押さえることのできない真実を説き続けた予言者の流れを汲むお一人なのだと確信しました。p149「その日、何がおこったのか」
8)文面からはわからないが、日常の著者はかなりユニークな人格を会う者に感じさせるらしい。
9)現在、地震活動は世界的に活動期に入っているといわれる。今後もM9クラスの巨大地震が続く可能性があるうえ、東日本大震災のような超巨大地震は他の地震域への影響を及ぼすことも懸念される。
今後、東京、東海、東南海、南海地震が、今回の東日本大震災のように連動して起こり、M9に他することも考える必要があるだろう。p154「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」
10)著者は、自らの生活基盤である仙台平野と、研究上に気づいた歴史津波にテーマをしぼってきた(しぼらざるをえなかった)が、決してそこにばかりこだわる視野狭窄の人物ではない。
11)何か根本的な意識の変革、生き方を変えることが求められているのではないだろうか。二万五千人ちかくもの犠牲者を出し、何十万人もの被災者を出した今回の震災に対し、私たちが考え方や感じ方を根本的に変えない限り、多くの方々の死は、その意味を失ってしまうのではないだろうか。p156「同上」
12)今後、何度か目を通すことになるであろう、この本であるが、もともと出版業界の人ではないし、16年ぶりの本とあってみれば、3.11の現状を受けて緊急出版された、ある意味、未整理で雑多な内容の一冊である。しかし、その55年間の研究の結果として得られた「結論」には多いなる敬意を払って耳を傾ける必要がある。
13)東日本大震災は千年に一度しか生じないほどの稀な天災であると同時に、被害をここまで拡大させたのは明らかに人災的要素が大きい。津波で壊滅的なまでに破壊された地域を歩くと、これは自然災害というより、何かの核戦争の後のような徹底的なまでに破壊し尽くされた異様な光景が広がっている。p169「同上」
14)今回の東日本大震災は、我々の生き方そのもの、世界観そのものを根本的に変えるほどの巨大な意味を担っている。もし、単に以前と同じような繁栄を復旧させることを目指すのであれば、私たちはふたたびとんでもない間違いを犯すことになるだろう。何万もの尊い命と膨大な犠牲を本当に生かすものとするためにも、私たちは、ここで何が問われているのかを真摯な形で問い直すことが求められているだろう。p170「同上」
15)私がここで命を賭して申し上げたいことは、私たちが自然の主ではないというただ一点である。この世界の主体として働いているものは、人間の心でも考えでもないのである。はかり知れぬ力がこの世界を動かしている。私たちはこの世界に生かされているにすぎない。
この主客の転倒こそが、この大災害のような事態を生み出すのである。原子力も然り、巨大防波堤も然りである。それは世界というものに対する真の畏敬を失った者のなすことである。
この大震災が世界観の大転換を迫っているのは、まさにそういうことが人類全体に問われているという意味ではないか。p193「同上」
16)ここまで書いたところで、ネットで注文していた、私用のこの本が宅急便で届いた。
17)電力システムが重要なのは、インターネットのような電子的情報手段が今後も世界を現実的に支えるだろうと予測されるからである。電子メディアの消費電力は、エアコンや電子調理器具に比べてはるかに小さい。
各家庭の自前の電力でまかなえない電気器具などはやがて淘汰されるだろう。もっとも高度でありながら、もっと身を屈め、頭を低くして、自然を畏敬しつつ、生きていくそういう世界が東北の地に誕生すべきなのである。p199「同上」
18)東北はまったく新たに再出発するだろう。他の日本の地域とは歴然とした違いを明確に打ち出し、自然と一体でありながら、同時にもっとも高度な技術文明を維持できる、その規範となるべき東北州が誕生するだろう。その精神を導くものは、おそらく東北の詩人、宮沢賢治の理想ではないだろうか。p200「同上」
19)山尾三省「野の道―宮沢賢治随随想」の再読あたりを契機として、当ブログでも今後、宮沢賢治の読み込みをしようと思う。
20)彼ほど東北の人々を、東北の自然を愛した者もいない。彼は原体剣舞連やネプタに先住の蝦夷の民の屈折しつつも爆発的な初源エネルギーを見ている。東北の農民に世界に連なる高い意識を求めている。
彼は一介の詩人ではなく、宇宙銀河を探索する天文家であり、自然と人間の共生を模索した科学者であり、農民のために土壌を研究し、たくさんの時間を農民のために割いた農業指導者でもあった。
宮沢賢治を愛する人は多い。たくさんの人が彼の「春と修羅」や「銀河鉄道の夜」を読む。だが、いま私たちに求められているのは、私たちもまた、彼のようにつましく、真摯に、ひたむきに、大地に頭をたれ、天の川の輝きに目をやり、一輪の花に無限の世界を想い、一匹の鳥にも愛を注ぐ、そういう生き方をするということではないだろうか。p200「同上」
21)歴史は繰り返す。とりわけ地震活動は一定の規則性を持っている。「想定外」という言葉は、自らの不勉強と傲慢さを意味しているのである。
今度の震災復興会議に選ばれたメンバーの中に誰一人として歴史上の津波の専門家がいないことにも驚いている。こんなことでは、これからも何十年、何百年後の津波の襲来でも同じことを繰り返すだろう。何度も何度もこういうことを繰り返してきたのだ。歴史に学ぶということを意味を、ぜひともここで熟考していただきたい。p206「同上」
22)「これからをどう生きるか、災害の哲学の構築」と、銘打たれたこのパートにおける著者の「警告」を、いままで以上に重い最終警告して受け止める必要がある。
| 固定リンク
「36)3.11後を生きる」カテゴリの記事
- 学者アラムハラドの見た着物 インドラの網 宮沢 賢治 <2>(2011.11.08)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「3.11後を生きる」編(2011.11.08)
- 宮沢賢治への旅 イーハトーブの光と風(2011.11.07)
- ポエム/宮澤賢治 シグナルとシグナレス 春と修羅(2011.11.06)
- 氷河ねずみの毛皮(2011.11.06)
コメント