エコロジー、文学、そして新しい世界の無秩序 ゲーリー・スナイダー 自然と文学のダイアローグ―都市・田園・野生 (国際シンポジウム沖縄2003)
「自然と文学のダイアローグ」 ―都市・田園・野生 (国際シンポジウム沖縄2003)
山里 勝己・他・編 2004/09 彩流社 単行本: 258p
Vol.3 No.0505★★★☆☆
1)スナイダーがシンポジウムの基調講演「エコロジー、文学、そして新しい世界の無秩序」を行っている。頁数にして20頁に足らないものだが、最近のスナイダーの消息、少なくとも2003年当時の、日本における彼の活動が記録されているのは貴重である。
2)講演当時の写真が掲載されている。これでも8年前の写真である。
3)「文学」に関して言えば、「文学」が存在するために文字は必ずしも必要ではないということを我々はもう一度思い起こすべきだろう。文字が発明される以前には、口承だけの文学伝承がいくつも存在した。
このような口承文学の伝統には、いまでも元気に生き残っているものがいくつかあり、おびただしい数の謎々、格言、神話、リズムを伴った叙事的ナラティブ、世俗的な歌、宗教的なチャント、そして無数の物語などが含まれる。
この中の多くのものが自然を深く描いているが、これらはしばしば今日我々が「ネイチャーライティング」と読んでいるものとは異なっているように見える。p18
4)それぞれの嗜好やアカデミズム上の都合によりさまざまな分類がなされているが、スナイダー自身がネイチャーライティングに分類されていたりする事実をどう感じているだろうか。
5)「生態学」はもうひとつのキーワードである。その主要な語根はギリシャ語のoikosであり、それは単純に「家庭」を意味する。元来、生態学は生物間の相互関係や有機物と無機物の中を流れるエネルギーの研究を意味していた。
しかし、後になって、それは一般的に「自然」の同義語として使われるようになった。私自身は、初期の科学的な意味を強調しながらこの言葉を使っている。p20
6)スナイダーは初期的作品『地球の家を保つには』(Earth House Hold、1969年)の中で次のように記している。
7)エコロジー(ecology)の”eco”(oikos)の意味は”house”。すなわち地上の家を保つこと(Housekeeping on Earth)。 ゲーリー・スナイダー『地球の家を保つには』p226
8)意味はまったく同じことなのだが、どうも、シンポジウムのほうはアカデミズム的表現が要求されているので、少し堅苦しい。
9)このシンポジウムは沖縄大学の山里勝己の企画によるのであろうし、そういった意味では、山尾三省の 『アニミズムという希望―講演録・琉球大学の五日間』(2000野草社)と対をなす仕事であろうと思われる。
10)現在の当ブログは、スナイダー→賢治→3.11後を生きる、というプロセスにいるので、このシンポジウム記録の他の部分は割愛する。
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