ゲーリー・スナイダーと宮沢賢治についての覚書 富山英俊 現代詩手帖 1996・3
「現代詩手帖」ゲーリー・スナイダーと宮沢賢治についての覚書
富山英俊1996/03 思潮社 雑誌
Vol.3 No.0500★★★★☆
1)ゲーリーは入谷(義高)から中国語の手ほどきを受けていたのだが、その進歩は著しかった。そしてもう一つは、1933年にこの世を去った日本の偉大な詩人、宮沢賢治の詩の英訳(抄訳)である。この英訳も優れたもので、ゲーリーが賢治と自分との類似性を直感し、その仕事をやったことにぼくは特に興味を抱いた。
「スナイダーは賢治の生まれ変わりだ」と言う人もいて不思議ではないと思った。
なるほどこの二人には共通するところがいくつかある。二人とも自然をこよなく愛するタイプの詩人だし、賢治はその言葉こそ知らなかったが、ともに真摯な「エコロジスト」だ。賢治の「昴」をみれば、そのものずばりの詩行がある。
山へ行って木をきったものは
どうしても帰るときは肩身がせまい
そして賢治は法華経だったが、二人とも仏教徒だ。詩集「亀の島」に収められた「詩人といえば」という作品から、寒山と賢治の詩的精神が融合したゲーリーの詩学をみることができる。p13
2)1996年における「ゲーリー・スナイダー アンチ・ビートの詩人」特集号である。12人の人々が50ページに渡って思い々々にスナイダーを語っている。息子たちのカイ・スナイダー「詩人の父をもつのは・・・」、ゲン・スナイダー「ぼくが学んだこと」などが興味深い。ただ、全体的に短文が多く、ちょっと物足らない。特にスナイダーから宮沢賢治を見ようとしている現在の当ブログとしては、この富山英俊の文章以外に強いインパクトは感じなかった。
3)しかし、最後尾についている「ゲイリー・スナイダー年譜」(遠藤朋之・編)は興味深い。突然だが、当ブログの隠れ主人公として転生魂<多火手>が存在する。彼の時代性を考える時、スナイダー本人とは言わないが、その周辺の潮流の中で、あの時代を漂っていたということはできる。そのことを現象化するには、ケルアックの「路上」や「ザ・ダルマ・バムズ」と重なってくるから、不思議である。
| 固定リンク
「36)3.11後を生きる」カテゴリの記事
- 学者アラムハラドの見た着物 インドラの網 宮沢 賢治 <2>(2011.11.08)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「3.11後を生きる」編(2011.11.08)
- 宮沢賢治への旅 イーハトーブの光と風(2011.11.07)
- ポエム/宮澤賢治 シグナルとシグナレス 春と修羅(2011.11.06)
- 氷河ねずみの毛皮(2011.11.06)
コメント