ガイア―地球は生きている ジェームズ・ラブロック <1>
「ガイア―地球は生きている」 <1>
ジェームズ ラブロック (著), James Lovelock (原著), 竹田 悦子 (翻訳), 松井 孝典 2003/08 産調出版 単行本 191p
Vol.3 No.0486★★★☆☆
1)読み手としては、このタイトルでいいと思うし、直感としてはこれしかないのであるが、科学側見れば、それでは困る、という面もあるらしい。科学の姿勢としては、疑ってみる、検証してみる、周囲と関連づける、という作業が必要なのであろうが、そもそも「生命」というもの考え方が、人間側からの見方しかできないから、地球そのものが生きている、などいう表現は鵜呑みにはできない、ということになるであろう。
2)しかし、直感的には「地球は生きている」のであり、芸術的な表現をすれば、「地球は生きている」ことは間違いない。
3)「科学者」としてのラブロックは、芸術的な直感「地球は生きている」を検証して、他と関連づけるために、さまざまな分野を網羅して、自らの主張をより明瞭なものにしようとする。
4)この作業、例えば、ケン・ウィルバーの「インテグラル・スピリチュアリティ」にも似ていると思うし、拡大して考えれば、飯沼勇義の「知られざる中世の仙台地方」にも連なってくるように感じる。
5)専門家ならざる一読者としては、細かいところまでの検証などは、それぞれの専門家に任せればいいわけで、結局、何をいいたいのさ、というところを強く聞きたい。
6)そういった意味では、「インテグラル・スピリチュアリティ」と「ガイア―地球は生きている」には類似性があり、共に、失敗していると、私なら思う。
7)「地球は生きている」という直感のあとは、芸術家にでも転向してしまえばいいのだ。どこまでも科学者であろうとすれば、かならず無理がくる。円球上で永遠に交わらない平行線を書く作業にも似て、科学には科学の役割はあれど、いずれ限界はあるのだ。
8)いろいろ科学的な検証やそれが楽しみなら、それはそれでいいのだが、あまりにも細かい部分については、一読者としてはついていけない。
9)とにかく、なんであれ、「地球は生きている」というコピーは秀抜であり、今こそ、その意味をもっと感性的に受け止めたい。
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