津波てんでんこ 近代日本の津波史 山下文男
「津波てんでんこ」 近代日本の津波史
山下文男 2008/01 新日本出版社 単行本 235p
Vol.3 No.0496★★★★☆
1)国内有数の津波研究家と言われる著者の、この書名は、3.11後、あちこちから聞こえてきて、今や流行語にさえなりつつある。
2)誰一人として予想していなかった大津波の不意打ちによって集落は阿鼻叫喚、大混乱に陥ってしまった。だが、そうした混乱の中でも、人間としての美しい本能がはたらき、親が子を助け、子が親をたすけようとする。兄弟・姉妹が助けようとする。そのため、結局は共倒れになるケースが非常に多く、これも、死者数を増幅させる結果になった。
共倒れ現象というのは、大なり小なり全ての自然災害につきもので、別に津波に限ったことではないが、一般的にいって津波災害ではその記録が非常に多く、明治三陸大津波の際には目立って共倒れが多かった。
最近、津波防災と関連していわれるようになった「津波てんでんこ」という言葉は、こうした体験を踏まえた明治三陸津波の重要な教訓なのである。p52「節句の賑わいを直撃した狂乱怒涛」
3)沿岸部に行って、被災者の言葉を聞くと、「持って行かれたのは、津波を甘く見ていた人たちと、助けに戻った人たち」という声が聞こえてくる。
4)津波においては、戻って人助けをしたことなどを「美談」としてはいけないのだ。また、あの時、自分が助ければ、よかったなどと後悔するような状況を作ってはいけない。どうして誰も助けなかったのか、などというのもタブーだ。「津波てんでんこ」なのだ。
5)筆者が昭和三陸津波(1993)を体験したのは小学校3年生のときだが、同様、家族ばらばらで、7人兄弟の末っ子だったが、両親も兄たちも、誰も手を引いてはくれなかった。
そのため否応なしで一人で逃げ、雪道を裸足で山まで駆け上がっている。後で聞くと、友だちの多くもみんな同じことだったらしい。助かろうと思ったら子どもでもそうせざるを得ないのである。
要するに、防災教育や防災訓練の中で徹底して貫くべきの第一は、
<津波は猛烈に速い。素早く立ち上がり、全力疾走で逃げるが勝ちと心得よう>
ということである。
「命の他に宝はない」と思って
津波の度に繰り返されている悲劇の一つは、これまでもしばしば述べてきたように、金や物に執着したがために逃げ遅れたり、折角、一度は避難して命拾いしたのに、今度は途端に物欲が出て、金や物を持ちだそうと自宅に戻り、つぎの波に浚われるケースである。そのために、これまでいったい、どれだけ多くの人々が命を失ったか数知れない。p225「自分の命は自分で守る」
6)この本は、三陸地方の津波の記録を中心にまとめたもので、飯沼勇義の「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」(1996)のような予言書的な警告の書ではない。しかし、津波常習地帯においても、今回の3.11においても、同じような大惨劇が繰り返されてしまったのである。
7)著者には、「哀史三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ」などの名著があり、佐野眞一の「ルポ大津波と日本人」によって、今回の被災後の姿がレポートされている。
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