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2011/10/21

ゲイリー・スナイダー、仏教、宮沢賢治 アメリカ現代詩ノート 金関 寿夫

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「アメリカ現代詩ノート」
金関 寿夫 (著) 1977/07 研究社出版 単行本 270p
Vol.3 No.0499★★★★☆

1)この本の中に収められた「ゲイリー・スナイダー、仏教、宮沢賢治」と銘打たれた小論文はそう長いものではない。もともとは「無限」(という雑誌か)1975年10月号に書かれたものである。

2)私(金関)はその頃(1956年)京都にいて、洛北大徳寺にあった米国第一禅教会なる機関で、一種のアルバイトとして古い禅語録の英訳を手伝ったりなどしていた。スナイダーはそこへ、先年死んだアラン・ワッツの推薦でやってきたのである。p207

 その間彼の日本語、漢文の知識の進境は目ざましく、「寒山詩」の一部、宮沢賢治の詩の一部を英訳したほどである。p207

 スナイダーは、前述したように、自分でもその幾つかの詩を英訳するほど宮沢賢治に傾倒している。しかも賢治は、日本詩人のなかで、芭蕉につぐ大詩人ではないか、とさえ言うのである。そう言う理由は、おそらくひとえに賢治のもっていた宇宙的ヴィジョンや、人生と詩への真剣なコミットメントが、その詩作によく現われていると認めたからであろう。つまり賢治は、自分と同質の詩人だったのである。

 同質といっても、違ったところも勿論たくさんある。第一賢治には、スナイダーにないとぼけたユーモアがある。だがそのかわりスナイダーのもつ、あの花崗岩のような堅く引き締まった形式感覚に乏しい(つまり賢治のダラダラ書き連ねる欠点)。それにこの二人は、性(セックス)に対する態度がまるで反対である。

 すなわちスナイダーは、その解放をうたい、賢治のほうは、その抑圧のもとに詩を書いた。したがって賢治の詩には、スナイダーにはまったく認められない日本的な憂鬱がある。それに(おそらくこれが一番大事な相異点だとおもうが)賢治には人生への深い挫折感があり、それにともなうどろどろしたわだかまりのようなものが、彼の多くの詩のモニュメントになっているが、スナイダーには勿論そういうものはなく、もっとアメリカ風にカラッとしている。

 しかし二人とも、宇宙と自我との究極的一体化を信じる点において、根本的に仏教徒なのである。p209

 スナイダーと賢治の共通性を考えるばあい、私にとってもっとも面白いことは、二人の仏教的世界観が、いずれも自然科学への強い関心と両立している点である。賢治がさまざまな科学の分野(地質、天文、化学、動植物学その他)にかなりの知識をもっていたことは周知の事実だし、これも彼の作品を一読すれば、いろいろな科学用語が(ときにはわずらわしいほど)現われることに気がつくだろう。

 この点スナイダーも同じである。彼も大学では人類学、民族学を専攻として修めたし、また素人として、やはり地質、天文、動植物学に、相当な知識をもっている。だがこれら二人の詩人にとって、科学と宗教とは、ふつう近代人が考えるように、互いに和解しがたい対立物では決してないのである。

 すなわち科学というものを、西洋合理主義精神が生み出し、とくに産業社会の出現以来、もっぱら自然の生命を育てるよりは、むしろそれを殺し、征服するのに用いられたもの(すなわちテクノロジーと通常混同されるもの)とは、彼らは考えない。逆に科学の真の目的は、宇宙の万物の相互関係を調べ、万物の生命の交流と助長することにある、として捉えるのである。p210

 賢治の語意のなかには、生態学という言葉はなかった。だが彼の詩の至るところに生態学的な考えを見つけることはやさしい。例えば「山へ行って木をきったものは/どうしても変えるときは肩身がせまい(「昴」)という二行は、そっくりそのままスナイダーのものだといってもいいし、彼の「真空溶媒」という、科学現象をモチーフとする長い詩のなかで、おそらく最も美しい部分は、はっきり生態学的と言える感覚を含んでいる。p213

 賢治も、宇宙と人間とは究極的に一体であり、詩人も宇宙のエネルギーをとって仕事をするという、根本的には大乗仏教、ひいては生態学的な考え方において、スナイダーの考えと完全に一致する。

 例えば「風とゆきさし雲からエネルギーをとってきた」という賢治の言葉は、そのままスナイダーの言葉としても別におかしくない。なぜなら、スナイダーの「詩人の種類」という詩の第二連など、賢治の上の言葉をそっくり言いかえたのではないか、とさえ感じられるからである。p213

 それからさいごに、賢治をスナイダーに近づけるもう一つの要因がある。それはほかでもなく、いわば中央集権的な日本の「詩壇」からはっきり独立して、自分自身の詩をつくり、「職業詩人」としてではなく、むしろ「生活者宮沢」として思索をした彼の態度である。p214

 賢治の生活全体からする、このいわば非芸術的なコミットメントは、日本史の伝統には異端なものであったが、アメリカ詩の伝統ではむしろ正統なものなのである(その代表としてホイットマン)。そしてとくにスナイダーは、アメリカ詩のこの伝統の上に、しっかりと立っている。p214

 賢治という詩人は、東京の詩人というより、むしろアメリカ詩人のほうに近づいている。p215

 スナイダーは、わびやさびの伝統、それとフランス伝来のサンボリスムで、いわば骨がらみになっていた日本の詩壇からではなく、むしろそうした詩的風土の圏外から、一人の純粋な「仏教詩人」を発見したのである。

 すなわちときには菩薩行を行ない、そしてときには修羅となって天駆ける一人の詩人、宮沢賢治を、まさに自分の分身と認めたのである。そういうふうに考えるならば、真に没我の詩人であった賢治が、日本近代最高の詩人として、スナイダーの眼に映ったとしても、少しもおかしくはない。

 それにこの日本のすぐれた農村詩人は、アメリカ詩人がいま直面している問題に、すでに半世紀も以前に、はっきり直面していたのである。p215

3)じつにみごとな一文である。スナイダーを通して賢治を見るとは、こういうことか。この二人の絡みのなかに、当ブログでは、山尾三省をダブらせている。三省の、場や、詩、仏教に対する態度は、二人に共通するようである。ただ科学に対する姿勢は、この二人に比すれば、やや批判的である。性に対する態度や憂鬱などは賢治に似ているだろう。現代人であったということで言えばスナイダーと三省は深い同時代性としてコミットメントしていた。

4)他に「詩と地理 ゲイリー・スナイダーとの三週間」p217という文(1975年)もつづき、こちらはキットキットディジーに金関が滞在したときのレポートとなっており、1975年当時の風景が活写されて、極めて興味深い。

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