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2011/10/31

宮沢賢治の詩と宗教 森山 一

Moriyama
「宮沢賢治の詩と宗教」
森山 一 (著) 1978/06 真世界社 単行本 246p
Vol.3 No.0512★★★☆☆

1)大島宏之編「宮沢賢治の宗教世界」は、やはり順当には読みとおせかった。百家争鳴であり、かつ時代と論旨を越えたオムニバスであるが故に、読みとおすというよりは辞書的に使いこなすのがいいのだろう。

2)と、こちらの本もめくってみた。やはり、野に在る人とは言え、かなり賢治を読みこんだ人ゆえのこだわりがあり、拝聴する値はあるのだが、必ずしも、当ブログの行く手を照らす一冊とは言い難い。

3)当ブログは現在「3.11後を生きる」というカテゴリを走っているわけだが、いつものことだが、定量108の3分の1ほどに来ると、次のカテゴリが気になってくる。いろいろ浮かんだのだが、次のカテゴリは「センダード2012」にしようと思う。

4)賢治ワールドにあやかって「イーハトーブ」を多用することも悪くはないのだが、イーハトーブは賢治流の岩手の呼び方である。3.11で岩手、宮城、福島は、一区切りに呼ばれることもあるが、岩手と宮城には、気候的にも、地形的にも、文化や歴史的にも、寒暖差がある。

5)賢治は、仙台のことを作品の中で「センダード」と呼んでいる。私は、あと数百メートルで隣の市に住んでいるとは言え、仙台の中に住んでいることは間違いない。ましてや飯沼勇義の「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」を読むにつけ、スナイダーいうところのバイオリージョンを意識し始めたところである。あえて、イーハトーブを借用するよりも、その繋がりの地としてのセンダードを借用するほうが、当ブログにおいては妥当性があるようだ。

6)さらに、「後」というニュアンスは、いつまでも3.11の「負」のイメージが付きまとってしまうのではないか。ここではあえて、2011なり、2012とすべきなのではないか、と思えてきた。2011はまもなく終わりである。年賀はがきの注文取りも始まり、来年のカレンダーの印刷も出来あがってきている。

7)2012は、いわゆるスピリチュアル系の人々のお得意のキーワードである。1999というキーワードの次はこの数字で踊ってきている人々も少なくない。マヤ暦が何月何日で終わっている、というその一点で2012を語っている人々もいるわけだが、それはそれで、ここでは多言しないでおこう。しかし、それらを意識した上で、あえてここでは、あらたなる年を迎えるにあたっての姿勢として、敢えて2012としておこうと思うのだ。

8)しばらくは現在の「3.11後を生きる」をテーマとしてメモし続けるわけだが、おのずと方向性は「センダード2012」へと連なっていく。

9)先日、TheaterGroup“OCT/PASS” 「人や銀河や修羅や海胆は」(石川裕人・作・構成・演出)を、県境の沿岸部の避難所となった公民館でみたのだが、この芝居は10回連続公演の最終日を11月26日(土)、あすと長町仮設住宅集会所で迎えることになる。

10)このあすと長町は、先日読んだ、丸尾直美他・編「ECOシティ--環境シティ・コンパクトシティ・福祉シティの実現に向けて」(2010/05)でみたように、ある意味、「センダード2012」に向けての実験として見ることも可能な地域なのである。

11) あすと長町は、生活拠点機能と芸術、文化、産業などの高次な都市機能が集積する複合型の広域拠点の形成を目指した土地区画整理事業であり、施工者は独立行政法人都市再生機構である。「ECOシティ」p147

12)3.11とバイオリージョンと賢治が、どのような形で融合して立ち上がってくるのか楽しみである。黒テントがすでにテントを離れて長く、かつてアンダーグランド(地下)演劇と言われた人々が、都市の8階のスタジオステージで芝居を打つ時である。大地と生き、海と生きようとした人々が、仮の住まいを集合させている、「ECOシティ」あすと長町の空の下で、賢治と共に、どんな「センダード2012」をみることになるのだろう。楽しみである。

13)さて、賢治であるが、すこし読書がすすんだがゆえ、田中智学を一生の矜持とした賢治ではあったが、ついぞ彼とは面識をもたなかった、ということが分かった。また、一生不犯、童貞で終わったとされる賢治だが、入院先の看護師にほのかな恋心を芽生えさせ、あるいは、花街に通った形跡もないとはしないようだ。また、当時のポルノグラフィーである浮世絵の収集も盛んであったということである。

14)そして、妹トシについてのことになるが、これはこれでまた次回に譲ろう。

15)当ブログが賢治を読み進めるには、いくつかの階層があり、人としての賢治の実在性や人物像に細かく迫っていくのがまずは一つ目として考えられる。二つ目は当然のごとく、彼が残した膨大な作品群を読み干す必要もあるだろう。しかしながら、三つめの、いわゆる「法華文学」と称したその先にある、賢治の銀河観、宇宙観を探りながら、そこに賢治の独自性をみるのではなく、未来における普遍性を見る、という作業が成立するはずなのである。当ブログは、この三つ目をやろうとしている。

16)さて、前述のTheaterGroup“OCT/PASS” 「人や銀河や修羅や海胆は」についてである。人や銀河や修羅、までは読めるが、はて、海胆は、すぐに読める人はすくないであろう。海胆はウニと呼んで、三陸地方名産の珍味である。今回の3.11でも大被害を受けて、人々の口になかなか入らなくなるだろう。

17)先日、うちの奥さんが沿岸部の友人たちとミニ同窓会を終えて帰ってきて、「タコはたべないほうがいいよ。タコから髪の毛がでてきたって」とのたまう。一瞬ぞっとしたが、どうやら、そういう噂が広がっていることは本当のようだ。

18)そこで、私は年来の友人であり、女川原発のその先の鮎川港出身のD氏に聞いてみた。即座に彼は笑いながら「それは嘘だ」と言明した。「大きなカレイから指が出てきただの、いろいろ噂があるのは本当だが、奴ら(魚や海の生物たち)だって、死肉は食べない。生きているものしか食べないのだ。港で育ったから、私は小さいころから土左衛門はいろいろ見てきたが、指がなくなっていたり、かじられた後があるような土左衛門はなかったという。

19)ほっとした私は、山のほうに行くと、「クマ出没注意」と書いてあるところには、おいしい山菜が豊富なところが多く、山菜ドロボウが来ないように、わざと看板を掛けているところがあると聞いたことがある。どうやら、海でも漁に出られない浜の人たちが、くやしまぎれにそんな噂を流しているのだ、彼はいう。

20)そして最後に、彼はこう言った。「ただね、海胆(ウニ)は食べないほうがいいよ。あいつらは普段から人間に寄ってくる。奴らなら死肉を食っている可能性がある」。

21)「春と修羅」において、賢治は書いている。

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ また空気や塩水を呼吸しながら
それぞれの新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こころの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなと共通いたします
(すべてがわたしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
 p92

22)PlayKenji♯6と銘打った宮沢賢治換骨奪胎シリーズの6作目にして、石川裕人はなぜにその芝居のタイトルに「人や銀河や修羅や海胆は」と名付けたのであろうか。今日の私には、この海胆(ウニ)が気になってしかたない。人食い軟体動物=海胆(ウニ)・・・?。

23)食物連鎖のただなかにあって、銀河も修羅も連鎖しているのだ、という賢治。もう、最近の私はタコもウニも食べられなくなっているのだが、こうして空気を吸っている限り、銀河も修羅も食べていることになるのだろう。そして、私は結局、ウニに食べられてしまうのだろうか。銀河も私を食べるだろうか。 

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