ルポ大津波と日本人 佐野眞一
「g2 ( ジーツー )」 vol. 7
2011/4/15(講談社MOOK) [ムック] 講談社 (編集) ムック: 372p
Vol.3 No.0493★★★★★
1)震災後、書店と図書館は、正確に把握したわけではないが、50%はまだ立ち上がっていない。書店が壊滅したのは仕方ないとしても、公立図書館が復活しないのは、ちょっと困る。
2)私が以前よく通っていた隣の市の図書館はいまだに復活していない。部分開館しているとはいうもの車庫にある移動図書館だけで、週に3回、短時間開いているだけだった。
3)ところが、きょう偶然通りかかったら、小さいとは言え、仮設の事務所が駐車場にできていた。しかも、よく見ると、移動図書館が二台に増えていた。、北海道の小さな都市から中古の移動用のバス図書館が贈呈されたのだ。なんだか、じわぁ~と来て、泣いてしまった。ありがとう、北海道のみなさん。
4)でも正直言って、蔵書は極端に少なかった。ましてや、最近の私はだいぶ3.11本を読み込んでしまった。目新しい本はない。しかたなく出ようとしたが、せっかく開館したのだから、その熱意に答えて、借りて「やらなければ」ならないのではないか、と思った。
5)「しかたなく」二冊の本を借り出してきたが、そのうちの一冊がこれである。
6)4月15日号だから、もう半年前の雑誌である。「緊急特大号」とは言え、もう中味は古いだろう。しかし、佐野眞一の「ルポ大津波と日本人」のタイトルに惹かれた。いや、実に、これが面白かった。
7)佐野眞一の場合、「日本人」と言っても、日ノ丸を振って整然と行進するような日本人ではない。日本列島のうえに住んでいる人々、と言った程度の意味で、無名のおおらかな個性豊かな愛すべき人々の群れのことである。
8)山下文雄って知っているかい? 1974年の創共協定を実現させたときの日本共産党の文化部長だよ。創共協定は、あの松本清張が橋渡し役になって、宮本顕治と創価学会会長の池田大作のトップ会談を実現させたものだ。その歴史的創共協定が結ばれたとき、日共側の連絡役となったのが山下文男という男だ。p016「熱も声もない死の街」
9)ほう、「哀史三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ」(2011/06)の山下文男とは、そういう人物だったのか、有名な「津波てんでんこ」も今手元にあって、これから読むところ。
10)36人乗りの大型ヘリだった。中にはちゃんと医務室みたいなものまであった。僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。
とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。病院でフルチンにされたから、よけいにやさしさが身にしみた。僕はないちゃったな。鬼の目にも涙だよ。(山下文男・談)p037
11)さすがノンフィクション作家の佐野眞一である。元、新宿ゴールデン街のママ、オカマの英坊の描写とともに、大いに笑える。そして、涙もでる。
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