地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<1>その思いつきについて
「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版
<1>その思いつきについて
1)こちらの試みを、静かにスタートさせておこう。2006/03に「ブログ・ジャーナリム」としてに始まった当ブログは、準備期間や休養期間を含めながら5年の年月を経て、2011/03に「メタコンシャス 意識を意識する」までで終了するはずであった。ところが、そこへ、時あたかも、あの3.11である。予定していたフェードアウトどころか、突然のブラックアウト。あらたな意味を持って、当ブログが、もがき始めた。
2)5年かけて廻ってきた読書ブログとしての修羅や銀河を、コンパクトにまとめる作業が必要になってきた。自らを、読書ブログとして既定し、最寄りの公立図書館の一般開架棚を中心に読み続けてきた。その数は、現在のところ、ビデオその他含むと2560点あまりになっている。
3)これらのコメントをまとめると、本のタイトルのメモだけで終わってしまう。当ブログのスタートのきっかけとなった「ウェブ進化論」(2006/02)は16行×249頁=3984行である。一行にタイトルを書き、次の一行に短い40文字のコメントを付け加えても、一冊の新書本の分量では、当ブログは収まりきれない、ということになってしまう。
4)スタートした時点では長い沈黙があったが、始まってみれば、長い長い旅路であった。多弁を弄して全体の集合性を失ってしまってはいけない。一体、私はこの5年の時間をかけて何をしようとしてきたのだろうか。そのことを自分自身で分かるためにも、この辺でまとめてみようと思う。
5)タイトルは「地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版」としたが、途中からタイトルを変えるかもしれない。分量的には、ぐっと減らして、さらにコンパクトなものにしよう。
6)このブログは、私にとっては人生において大事な、三番目の文章である。一つ目は、1975年の雑誌「時空間」に残した「雀の森の物語」であり、二つ目は、「湧き出ずるロータススートラ」(1992)である。そして、それにつづく三番目にあたる文章になるので、バランスをとって、分量的にもその程度に縮小しよう。
7)私の人生は、この三つの文章を残しておけば、大体のことは分かるだろう。もちろん、その三つの記録の間の抜けた部分や、まだメモしていない部分も多いのだが、それはまた別な形で表現することとする。。
8)次にスタートしようとしているカテゴリ「センダード2011」に向けて、タテヨコのリンクを図っていく必要がある。過去の36のカテゴリを振り返りつつ、それぞれの108の記事を読みつつ(都合3800以上の記事)、なお、「再読したいこのカテゴリこの3冊」を手に取りながら、全体像をまとめようとしてみよう。
9)気の長い話ではあるが、そこからこぼれるものも出て来ることを覚悟しつつ、より集密度の高い部分をつかみ得たならば、当ブログの最終的な目的のいくつかは達成されたということになる。
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