« 場所の感覚を求めて 宮沢賢治とゲーリー・スナイダー 山里勝己 「越境するトポス」環境文学論序説 | トップページ | 津波てんでんこ 近代日本の津波史 山下文男 »

2011/10/16

寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか <1> 田口 ランディ

寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか
「寄る辺なき時代の希望」 人は死ぬのになぜ生きるのか <1>
田口 ランディ 2006/09 春秋社 単行本: 299p
Vol.3 No.0495★★★☆☆

1)「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」2011/09) の中に、1999年の東海村臨界事故にまつわるメールのやり取りのことが書かれており、そのS氏とやらのやり取りを確認するために、この本をめくることになった。

2)問題の部分は「核の時代の希望」p137という、70ページ弱の文章なので、今回は他の部分は割愛した。

3)それにしても、人は死ぬのになぜ生きるのか、というサブタイトルといい、春秋社といい、なかなか魅力ありげな本ではある。他の部分も、いずれ再読することになるかもしれない。

4)それにしても、粘っこい文章だなぁ。うん、確かにオンナだなぁ、この感覚・・・・・。

5)そもそも、広島や長崎と並べて3.11の被曝地を自らの本のタイトルにするなんて、私ならできない。こんなタイトルをつける奴なんて、一体どんな奴なんだ、というのがあの本を開いた動機だった。

)私はその事故についてインターネットに怒りのコメントを書いた。ありきたりな個人の雑感を述べたに過ぎない。が、それを読んだ元JOC社員で、原子力の研究者であるSさん(原文本名)からマスコミ報道に対する批判のメールが届く。Sさんは、マスコミが原発問題に対して一方的な記事しか書いていないことを怒っていた。p163

7)ああ、やっぱりSとは、私が思っていたSだった。

8)質問8 原子力発電に従事する優秀な技術者が職場を去っているということですが、それはなぜですか?

回答8 優秀かどうかはわかりませんが(本人たちにしかられますが)、少なくとも私の学生時代の親友たちは原子力を離れました。

 それ以上に深刻なのは、原子力に対する使命感のある学生たちが減ってきていることのような気がします。これは社会での原子力に対する評価が非常に低く、精神的な充実感が仕事で得にくいためと思います。p176

9)メールとしてやりとりされている部分は、まぁ、そういうやりとりなのだろう、という内容であった。

10)その彼は今どうしているのか知らないが、ネットをググッてみると、画像つきで「バイオマスエネルギーへの期待」などという文章とともに登場しているようだ。

11)事情がよくわからないものだから、私などは、まぁ、よくもぬけぬけと、などと思ってしまうが、真相はこれから調べてみないとわからない。

12)いずれにせよ、3.11が起きてしまった後としては、これらのグレーゾーンの住人たちにとっても、生きにくい社会であることは間違いないだろう。

<2>につづく  

|

« 場所の感覚を求めて 宮沢賢治とゲーリー・スナイダー 山里勝己 「越境するトポス」環境文学論序説 | トップページ | 津波てんでんこ 近代日本の津波史 山下文男 »

36)3.11後を生きる」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか <1> 田口 ランディ:

« 場所の感覚を求めて 宮沢賢治とゲーリー・スナイダー 山里勝己 「越境するトポス」環境文学論序説 | トップページ | 津波てんでんこ 近代日本の津波史 山下文男 »